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2024年4月20日(土) 通読(本日=ルカ5-6,1イミ21,クル-42回 明日=二コリ11-13,3イミ21,アル4) |
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節表示・修正 | 口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題 〔真理子訳(工事中)〕イミタチオ第3巻 内なる慰めについて 第7章 |
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第七章。謙遜の守りのもとに神の恵みを隠すこと 子よ、信仰による恵みがあったら、それを隠して決して高ぶることなく、決して他人に言いふらさず、決してうぬぼれてはならない。むしろ自分を軽蔑して、恵みにふさわしくないのではないかと心配しなさい。そうすることがあなたには有益であり安全なのである。 感情にあまりとらわれるべきではない。すぐにその反対の感情に変わってしまいがちだからである。 もし恵みを受けたなら、その恵みがなければどれほど自分が哀れでつまらない者であるかを考えなさい。 霊的な生活の進歩は、あなたが慰めの恵みを得たときにあるのではなく、恵みが減らされても謙遜に、克己と忍耐によってそれに耐えるときにあるのである。そういうときは祈りをゆるめてはならないし、いつもの仕事を中断してはならない。いつも通りにたゆまず、あらゆる事をなおざりにしてはならない。 しかも、力の限り知恵の限り、自分のすべきことを喜んでしなさい。そして心の乾きや苦しさのために自分を放っておくことのないようにしなさい。 |
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物事が思うようにならないとしんぼうできなかったり、意気消沈したりする人が多い。 「人の道は自身によるのではなく」(エレ10:23)、いつ、どのように、だれに、どれほど与えたり慰めたりするかは、みな神がなさることであり、神のみこころにかなう通りであり、それを越えることはない。 しかしある人々は、信仰の恵みを受けながら、みずからを慎まなかったために破滅に至ってしまった。自分のできないことをしようとしたり、自分の弱さを考えず、理性の判断をせずに心の求めるままに従ったからである。 また、みこころにかなわない大きな事を望んで、そのために恵みまでなくしてしまったのである。自分の巣を天においた者は、この世では貧しくみじめなものとなって棄てられた。それは自分をみじめに貧しくされることで、自分の力で飛ぼうとせず、わたしの翼のもとで望みを持つことを学ぶためであった。 主の道を歩む未熟な初心者は、思慮のある人の指導に従わないと、容易にだまされて滅んでしまうのである。 |
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他人の経験を信用せず、自分の考えで行動するならば、自分の考えを改めようと思わない限り、最後は危険であろう。 自分を賢いと思っている人が謙遜して他人の指図を受けようとすることはめったにない。 謙遜でさえあれば、たとえ学問が少なく知力がとぼしくても、知識の宝庫を持ちながらそのことにうぬぼれているよりましである。 自慢できるような才能は、たくさんあるより少ないほうがよい。 与えられた恵みをなくしてしまうのを恐れるあまりに、霊的に貧しかった昔の自分と、主を畏れる清らかな心を忘れ、快楽にひたりきってしまうようなことは、知恵のある者のすることではない。 一方で、困難やわざわいの時に、その重荷に絶望していまい、わたしを正しく頼るべき信仰を弱めてしまうのも、決して徳をとうとぶ賢者のすることではない。 |
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ふだんあまりに安全をほしがる人は、戦いが始まるとひどく落胆して恐怖にうろたえることが多い。 もしあなたが絶えず謙遜で小心であり、さらに自分の精神をおさえることを知っているならば、これほど突然に危険や過ちにおちいることはない。 熱心さがあなたの心の中に燃えたは時、その光が取り去られときにどうなるかを黙想するのは、よい勧めである。 そういうことが起こったのは、あなたに警告を与えてわたしに栄光があるようにしたために、一時的に光を取り去ったのであり、その光はまたあなたに戻ってくるのだと考えなさい。 |
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このように試練は、思いのままになる幸せな時よりも、役に立つことが多いのである。 そもそも人の功績が定まるのは、天からの幻や慰めを多く得たからではないし、聖書に精通したからでもないし、身分が高いことでもない。 その人が真に謙遜に基づいて、神の慈愛に満ちあふれ、ひたすら神の栄誉を求めることに専念し続け、真実に自分を無視して軽んじ、他人にあざけられることがあっても尊敬されること以上にそれを喜ぶような、その信念によって定まるのである。 |