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2024年3月29日(金) 通読(本日=エレ27-31,知18,クル-35回 明日=マコ15-16,1イミ18,クル-36回)

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節表示・修正口語訳(日本語R)+真理子のおまけ 解題
〔真理子訳〕マカビー記二 第4章
ところで財宝と祖国について訴えた例のシモンは、こんどはオニヤについて、ヘリオドロを打ち倒したオニヤこそが諸悪の根源だ、と悪口を言った。
町の恩人であり、同胞を守った者であり、律法を熱心に守ったオニヤを、謀反人よばわりしたのである。
人々はシモンへの敵意を強め、あげくのはてにはシモンと親しくしている者が、暗殺に訴えようとするまでになった。
オニヤは、争いが激しくなり、ケレスリヤとピニケの長官であるメネステオの子アポロニオが、シモンの悪事をそそのかしているのを知って、
市民を訴えるのではなく、すべての人々の公私の福祉のために、王のところに出かけて行った。
王の配慮がなければこの騒ぎを沈めることができず、シモンの愚かさも直らないと考えたからである。

セレウコスが死んで、エピパネスと呼ばれるアンテオコスが王位につくと、オニヤの兄弟ヤソンは大祭司の地位を手に入れた。
その手口は、王に頼み込んで、銀三百六十タラントと他の収入から八十タラントを出すことを約束したのである。
さらにまた、もしわたしが運動場と青年団を作って、そこにエルサレムの市民をアンテオケ市民として登録することを王が許してくれるならば、百五十タラントを出す、と約束したのである。
王がこれを許したので、ヤソンは支配権を握ると、ただちに同胞の生活をギリシヤふうに変えさせた。
そして、ユポレモの父ヨハネの仲介によってユダヤ人に与えられていた王の恩典を取り消し、律法にかなった生活をやめさせ、律法にそむく風習を取り入れた。ユポレモとは、ローマとの友好条約と同盟を結ぶ使節として活躍した人である。
彼は喜んで城塞の下に運動場を作り、すぐれた青年たちにつばの広い帽子をかぶらせた。

こうして、大祭司でもない不信仰なヤソンのひどい悪事のために、ギリシヤ化が頂点に達し、外国の文化がどんどん入ってくることになった。
このため、祭司たちはもう祭壇での燔祭を熱心に行わなくなり、神殿をさげすんで、いけにえをささげることを忘れ、律法に触れるような競技をするために運動場にはせ参じて円盤投げに熱中した。
そして父祖伝来の名誉を軽んじ、ギリシヤ人たちの誇りを尊重するようになった。
こういうことのために彼等はひどい苦難に陥ったのである。異邦人の風習にあこがれて同化しようとしたのに、その異邦人に敵対され迫害を受けることになったのである。
神のお定めになった律法に背くと、ただではすまないのである。そういうことがやがて明らかになるであろう。

王の臨席のもと、五年ごとの競技会がツロで開催されたとき、
けがらわしいヤソンはエルサレムからアンテオケの市民権を持った者たちを観客として派遣して、ヘラクレスの祭儀にささげるための銀三百ドラクマを持たせた。ところが彼らですら、この金を祭儀にささげるのはまずいと考えて、他の費用のためにとっておいた。
ヘラクレスの祭儀にささげられるはずであったこの金は、これを運んだ者たちによって、三段造りの船を作るのに使われた。

メルステオの子アポロニオは、プトレミオ・ピロメトルの即位式に出席するためにエジプトに遣わされた。そのときのアポロニオの報告によって、アンテオコスはピロメトルが自分に対して敵意を抱いていると知ったので、用心をしてヨッパ経由でエルサレムに向かった。
アンテオコスはヤソンとエルサレム市からたいまつと歓呼の声によって盛大に歓迎された後、ピニケへと軍を進めた。
三年後、ヤソンはさきに述べたシモンの兄弟メネラオを王のもとに遣わし、金を運ばせて、緊急事態についての報告書を持たせた。
ところがメネラオは王に会うと、その権勢にへつらい、ヤソンよりも三百タラント高い金額で大祭司職を手に入れてしまった。
こうして、大祭司職にはまったくふさわしくない、残忍な独裁者の心を持ち、野獣のような激しい気性を持ったこの男が、王の命令を持って帰ってきた。
かつて自分の兄弟を裏切ったヤソンは、こんどは他人に裏切られてアンモン人の国へ亡命することとなったのである。

メネラオは支配権を手に入れると、王に約束した金をまったく払わなかった。
租税の徴収をまかされていた、城塞の長官であるソストラトがその支払いを請求したので、二人とも王のもとに呼び出された。
メネラオは大祭司の代理として自分の兄弟ルシマコスを残し、ソストラトはクプロ人を治めていたクラテスにあとをまかせた。

そのころ、タルソとマロスの町が王の側室であるアンテオキスに贈られてしまったので、二つの町の市民たちが暴動を起こすような騒ぎとなった。
そこで王は重臣の一人であるアンデロニコを代理としてあとをまかせ、急いで鎮圧に向かった。
メネラオはそれを好機として、神殿の黄金の器物を盗み出してアンデロニコに与えた。彼はすでにその他の器物をツロやその周囲の町々に売っていたのだ。
オニヤはそれを知ると激しく非難し、自分はアンテオケの近くにあるダフネの聖所に退いた。
そこでメネラオはひそかにアンデロニコを呼び出すと、オニヤを殺すように頼んだ。アンデロニコはオニヤのところに行くと偽って友好を誓った。オニヤは疑いながらもだまされてしまい、聖所から出てしまった。義の前に恥じる心を持たないアンデロニコはただちにオニヤを捕えて殺してしまった。
このためユダヤ人ばかりか多くの異邦人も、卑劣な犯行に腹を立ててこの男を憎むようになった。
王がキリキヤ地方から戻ると、ダフネのユダヤ人たちは、この悪事を憎んでいたギリシヤ人とともに、オニヤの非業の最期について王に訴えた。
すると王は心から悲しんで、思慮深く、つねに節度を持って誤ることのなかった彼が死んでしまったことを哀れんだ。
王は激しく怒り、ただちにアンデロニコの紫の衣をはぎとり、下着を引き裂いて町中を引き回し、彼がオニヤを殺したまさに同じ場所で彼を殺した。主が彼にふさわしい刑罰によって報いたのである。

エルサレムでは、ルシマコスがメネラオの入れ知恵によって神殿の器物を盗み出しているといううわさが広まり、群集がルシマコスに対抗して団結したが、もう黄金の器物は多数持ち去られていた。
群集が激しく怒って騒ぎ出すと、ルシマコスは三千人の兵隊を武装させ、彼より年上だが思慮に欠けるアウラノという男を指揮官にして、激しい攻撃をしてきた。
ルシマコスの攻撃を見ると、人々は石や木の棒や手近にある灰をつかんでルシマコスの兵隊めがけてさんざんに投げた。
そのため兵隊たちの多くは傷ついたり殺されたりし、全員が退却した。そして神殿荒らしの張本人は金庫のそばで殺された。

これらの事件についてメネラオに対する裁判が開かれた。
王がツロに行った時に、議会から遣わされた三人の使節が王に訴えたのである。
窮地に立ったメネラオはドルメネの子プトレミオに相当の金額の賄賂を約束し、王を説得してくれるように頼んだ。
そこでプトレミオは涼みに連れ出すふりをして王を回廊に連れ出してその心を変えさせた。
王は諸悪の根源であるメネラオを赦して刑罰を免れさせ、たとえ冷酷なスクテヤ人に訴えたとしても無罪とされるに違いないこれらの哀れな人々に死刑を宣告したのである。
こうして町と市民たちと聖なる器物について王に訴えた人々が、ただちに不当な刑罰に処せられた。
そのためツロの市民たちはこれに深く同情し、彼らのために盛大な葬式をした。
一方メネラオは支配者たちの貪欲さのおかげで、市民たちをさんざん苦しめた張本人であるのに、支配者の地位にとどまって悪事を重ねた。

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