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真理子様 > http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=act&chapter=21&mode=0 > 第三次宣教旅行の続き。例によって > http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fb/JBS1956-B_map12.png > を頼りにたどりましょう。 > いまはアジア州のエーゲ海に面したミレト(ミレトス)にいるのでした。 > そこから小島のコスに渡り、さらに南側の島のロドス(これがロードス島だ、踊ってみよという、マルクスの引用(*)で有名な島です)、また大陸のパタラ、ここからピニケ(フェニキア)地方への船に乗り、クプロ(キプロス)を横目で見ながらツロ(ティルス)へ。ここから陸路でトレマイ(プトレマイス)、カイザリヤ経由でエルサレム(17節)というわけですが、註解書などでは{act:21:26}で旅行がおしまいとするのが普通です。 > (*) http://blog.goo.ne.jp/motoyama_2006/e/d81392c6d9d4772bea7cc6640dcabfa8 > > ツロで、カイザリヤで、人々はパウロにエルサレムへ行かないように引き止めるのですが、パウロの決意は固く、エルサレムに向かいます。 > なお、21章は冒頭から「わたしたち」とあります。このように地の文に1人称が出てくるのは、1章冒頭を除けば、{act:16:10-17}、{act:20:5-15}、{act:21:1-18}、{act:27}、{act:28:1-16}で、まるで著者のルカが同行しているかのような書き方になっています。本当に同行していたのかもしれませんし、フェイクかもしれません。 > さて、エルサレムに到着したパウロは、案の定ユダヤ人たちの迫害を受けます。混乱を収拾しようとしたローマ兵にパウロは身柄を拘束されますが、パウロは民衆にヘブライ語(実際にはアラム語でしょう)で演説をします。この演説を聴いてますます民衆は激昂、ローマ兵はパウロをむちで打とうとしますが、パウロは自分がローマ市民であることを説明し、ローマ兵のパウロへの待遇が変わります。 > > で、この演説中の興味深い点として、パウロが自分の召命体験を語るところで、 > > {act:22:9} > わたしと一緒にいた者たちは、その光は見たが、わたしに語りかけたかたの声は聞かなかった。 > > と言うのですが、これが > > {act:9:7} > サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。 > > と矛盾するのですね。これじゃまるきり逆じゃありませんか。また、 > > {act:26:14} > わたしたちはみな地に倒れましたが、その時ヘブル語でわたしにこう呼びかける声を聞きました、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげのあるむちをければ、傷を負うだけである』。 > > を見ると、声を聞いたのがサウロ(パウロ)だけととれますので、これも矛盾かもしれません。 > > こういう矛盾に対して各註解書がどういう説明をしているか、それを点検するのが私のひそやかな楽しみなんですが、私は逆に、こういう矛盾があるからこそ、これはすべてパウロがしゃべったことそのまんまなんじゃないかというリアリティを感じるんです。あまりにつじつまがあってるとかえって作為を感じます。人間、以前のことはそんなに覚えていないものですし、そのときどきの都合や心の興奮状態に応じて微妙に違ったことを言うのが普通だと思いますから。ウソというのではないにせよ、人は自分のことを語るのも、いろいろな虚構を弄するものです。 > > ちなみにNIVおよび新改訳は、 > {act:9:7} The men traveling with Saul stood there speechless; they heard the sound but did not see anyone. > 同行していた人たちは、声は聞こえても、だれも見えないので、ものも言えずに立っていた。 > {act:22:9} My companions saw the light, but they did not understand the voice of him who was speaking to me. > 私といっしょにいた者たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。 > > のように、矛盾を解決すべく、{act:9:7}のほうでは光を見えなかったんではなくお互いを見えなかったんだとし、{act:22:9}のほうでは声が聞こえなかったのではなく、聞き分けられなかった、聞いて理解できなかったんだと、小細工を弄しています。NIVや新改訳のような聖書無謬説では、こういう矛盾は堪えがたいのだと思いますが、パウロ自身の混乱ないし意図的な改変だとすれば、こういう小細工をすべきではないと思います。
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