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真理子様 > ●黙示録1-6章 > http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=rev&chapter=1&mode=0 > 旧約聖書の預言書を読んできた金曜日、ネタがすべて終わってしまいましたので、残りの5回で新約聖書のヨハネ黙示録を読みます。 > 著者は、その昔は使徒ヨハネだとされてきましたが、もちろん違います。内容的にはキリスト教会が広くローマ帝国から迫害されていますが、キリスト教がローマ帝国の当局から迫害されるようになったのはネロ帝(在位54-68)以後です。使徒行伝に書かれている迫害はユダヤ教側からのものですからね。迫害が厳しかったドミティアヌス帝(81-96)のころの執筆だと考えられております。 > だいたいヨハネの口癖は、「昔から神を見た者は一人もいない」{joh:1:18} {1jo:4:12}ですけど、その割に黙示録の著者は神を見てるようですからね。 > で、黙示録の著者が見た神のお姿は4章にいろいろ書いてありますが、{rev:4:7}には4つの生き物があり、しし、雄牛、人、わし。これは{eze:1:10}で出てきた神様の姿と同じです。ここから、四福音書の記者を描くときに「マタイ=人、マルコ=しし、ルカ=牛、ヨハネ=わし」のイメージで描く習慣ができています。 > さて、黙示録にはいろいろ怖い話がいっぱい出てくるのですが、そういうのを書いていると長くなるので、ここは変化球で、今日のところをネタにした美しい曲を聴きましょう。 > F.シューベルトの『ドイツ・ミサ曲』D872の5曲目、Zum Sanctus。 > http://ml.naxos.jp/track/166416 > の19番目で試聴できます(会員登録しないと最初の30秒だけ)。歌詞は次のとおりです。 > > Heilig, heilig, heilig, heilig ist der Herr! 聖なるかな×4、主は! > Heilig, heilig, heilig, heilig ist nur er! 聖なるかな×4、彼こそは! > Er, der nie begonnen, 彼にははじめがなく、 > Er, der immer war, 彼はいつもおられた。 > Ewig ist und waltet, 永遠にいらっしゃり、統治なさり、 > Sein wird immerdar. いつまでもおられる。 > > Heilig, heilig, heilig, heilig ist der Herr! 聖なるかな×4、主は! > Heilig, heilig, heilig, heilig ist nur er! 聖なるかな×4、彼こそは! > Allmacht, Wunder, Liebe, 全能、驚き、愛、 > Alles ringsumher! すべてが彼をとりかこむ。 > Heilig, heilig, heilig, heilig ist der Herr! 聖なるかな×4、主は! > > これはもちろん{rev:4:8}からとられた歌詞ですね。 > 「あ、聞いたことがあるぞ」という人は、プロテスタント教会に行ったことのある人でしょう。毎回の礼拝のほとんどで歌われる讃美歌546がそれですね。 > {youtube,7BVxxWnGd6M} > シューベルトはカトリックなのになぜかプロテスタント教会の讃美歌になってるのが面白いです。カトリックのSanctusだと2音節、日本語の「聖なるかな」は6音節で、そのまま歌詞をつけるのが困難ですけど、シューベルトのドイツ・ミサ曲だとHeiligをたくさん繰り返しているので歌詞がつけやすかったんでしょうか。 > > ところで、讃美歌546の歌詞の「今いまし」っていうところ、中学生のときに聞いて以来、私にはいまだに「いまいまし」って聞こえるんですけど。ヤハウェくんがいかにいまいましい神かってことですね。これは作詞者がタコなんです。「今」っていうのはアクセントが最初にあるんだから、上昇音形のところに使うとおかしいんです。 > 同様に、讃美歌87B「恵みの光は」 > http://www.geocities.jp/asakusa_kyokai/song87.html > は、登場するすべての「神」が上昇音形のところに割り当てられているので「紙」のように聞こえます。これも中学生のときに聞いて以来、私はいまだに違和感があります。 > 作詞家っていうのはすぐれた音楽家でもなければいけません。プロの作詞家なら絶対にこういうことはせず、メロディーに矛盾しないアクセントの言葉を持ってくるものです。昔の歌謡曲は曲先(きょくせん)っていって先に曲を作ってあとから歌詞をあてはめたんで、音楽がしっかりして、歌いやすいものだった。中国語のポップスもそういうのが多いです。よく中国語は歌にすると声調が消えて理解不能になるっていいますけど、すぐれた作詞家だと、うまーくメロディーと矛盾しない声調の文字をあてはめるので、そんなことないんですね。考えてみれば中国の作詞法って宋代の詞なんかからそうですからね。一字一字全部平仄が決まってる。 > 讃美歌は当然ながら曲先なのに、こういう問題のある歌が多いっていうのは困ったものです。 > > ●エズ・ラ7章 > http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=ezl&chapter=7&mode=0 > 怒涛の139節! 長いですね。でもその割に内容はあんまり多くないので、すっと読めます。訳は大変でしたけどね。 > 天使ウリエルは、川を通って海に出る例と、狭い道を通って都に行く例をあげて、救いの前には苦難があることを説きます。そしてそのさばきの日の様子をおどろおどろしく教えます。 > これに対してエズラは、それじゃほんの少しの人しか救われないと反論しますが、天使は、「貴重なものは少数なのだ」と、貴金属の例をあげて教えます。 > こんな感じで、死んだらどうなるかというのを段階別に示したり、人間は身代わりに病気になったりご飯を食べたりできないように、さばきのときも人のための祈りは通用しないと言ったり、いろんな話が出てきて面白いです。が、ヨハネ黙示録と違って、こっちのエズラ黙示録は、エズラがけっこう神に反論したりしているところで、単に受動的じゃないところが面白いんです。
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