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真理子様 > ●申命記16-19章 > http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=deu&chapter=16&mode=0 > 16章。祭の話はレビ記23章なんかにも出てきました。申命記という本は、ヨシヤ王の時代に今まで忘れられかれていた律法をもう一度しっかり定着させようという意図で作られた「第二の律法」ですから、いままでどこかで読んだ話がもう一度出てくるわけです。申命記というタイトルの意味は「重ねて命じる」でしたね。「第二の律法」というのを漢文で表現したものです。ちなみにその「第二の律法」というのは、今日読む{deu:17:18}に出てくる「この律法の写し」というのの誤訳から来ていますが、誤訳とはいえ申命記の性質をよくとらえているので、意図的な誤訳かもしれません。 > その「この律法の写し」という言葉が出てくる17章は、イスラエルの王はかくあるべしという話なんで、明らかに王制が始まったあと、しかも王制が乱れに乱れて、ひどい王様ばかりが出るようになってから定められた、王の理想像というわけですから、モーセの時代に書かれたはずがありません。 > 18章の後半も「預言者とは何か」というわけで、これも預言者がいっぱい出るようになってからの話ということになります。 > その一番最後が面白いですね。真の預言者かどうかを見分けるポイントは、預言者の言葉が成就するかどうか、つまりは未来のことを予言して当たったかどうか、というわけです。あれれ、じゃ預言者っていうのは予言者って書いてもよさそうですね。 > 予言と預言は違うなんて知ったようなことを書いてるキリスト教の参考書は実に多いですね。予言は未来を予測、預言は神様の言葉を「預」かったんだ、なんて。でも、預かった神様の言葉というのは、たいていは未来に関することですから、実は予言と預言の境界線というのはハッキリしないんです。 > しかも、もともと中国語では「預」=「予」なんですよ。うちの主人がやってる青蛙亭漢語塾が公開しているWEB支那漢 > http://www.seiwatei.net/chinakan/chinakan.cgi > で「預」をひいても「豫(つまり予ね)と同じ。豫備は亦た預備にも作り…」なんて書いてます。中国語だと予言と預言の区別なんて全然意味ないんです。じゃ中国語で預けるとか預かるってどういうかというと、専用の単語はなく、保管するとか置くとかいう言葉で表現するみたいです(考えてみれば、「持ってる」「保管する」「置いとく」といえばいい話ですからね)。たとえば、 > 金を銀行に預ける 把錢存在銀行裡 > 銀行は当座定期の預金を預かります 銀行可以收存定期活期的存欵 > (井上翠『井上ポケット日華辞典』昭和12年 龍文書局) > このことは織田昭先生も『新約聖書ギリシア語小辞典』のp.507、προφητεύωの項で喝破しています。 > > 神の言葉を「預かって」語る者を「予言者」でなく「預言者」と訳したのは、近代日本語としては適訳であると言われる。確かに、預の字の連想から見れば、結果的に現代日本語訳聖書の知恵とも言える. しかし漢語としての預言は予言と変わりがなく、現代中国語では預の字は予の字の代わりに使われる。漢訳聖書で「預言」と訳した訳者は我々が「預」の字から受ける暗示とは無縁であった。預金、預託は現代国語が生んだ熟語である。このような「思い込み」とは別に、「預言」の文字は保存してよかろう。 > > このように、予言か預言かというのは日本語の問題であって中国語とは関係ないし、ブリッヂマンなどの漢訳者が預言と書いたのは単なる偶然で、それを日本人が見て「預」にブリッヂマンが考えもしなかった深い意味を見出しちゃったわけです。 > 織田先生は、それはそれとして「預言」というのは適切だと言ってますけど、私はそう思いません。それだったらもう「予言」でいいじゃん。普通の予言者は超自然的な怪しげな力で予言するけど、ユダヤの予言者は神様の言葉で予言するんです。 > 「預言」はキリスト教業界用語としてもう定着しているんで、私も惰性で「預言」って書くと思いますけど、「予言」との違いは、そう神経質になる必要はないし、細かいところでは区別はつかないんです。 > > ●エズ・ギ7章 > http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=ezg&chapter=7&mode=0 > 正典エズラ記では{ezr:6:13-22} > ダリヨス(ダレイオス)王第6年アダル(12)月23日、ついに神殿が完成し、翌月14日に過越祭が行われました。神殿完成の日はいまの暦でいうとBC515年4月1日。神殿が出来てこいこい幸せ、なんて覚えましょうか。
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