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真理子様 > ●ヨハネ19-21章 > http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=joh&chapter=19&mode=0 > ヨハネ伝は今日でおしまいです。 > 何度も言いますが、ヨハネではイエスの死は過越の日の前日です。19章では14、31、42節でしつこくそう書いています。ですから最後の晩餐の食事も、ヨハネはパンとかぶどう酒とか何を食べたかが書かれていませんでした(12章)が、もしパンがあったとすればイーストが入っていてもよくなります。東方教会ではこれを根拠に、聖餐でのパンにイースト入りのものを使います。 > さて、ヨハネはイエス様の行状をネタに自分の言いたいことを勝手に言うという印象がありましたが、イエス様が復活してからの話はヨハネが一番長いです。マルコなんかもともとは墓石がころがっててイエス様の遺体が行方不明になっていたということしか書かれておらず、その後の話は加筆でした。マタイとルカもあんまりリアリティの感じられない話がちょこっと載ってるだけ。ところがヨハネは2章ぶん使っていろいろ書いており、しかも、今までの話にない詳しさとリアリティがあったりします。ヨハネにとっては、復活してからのイエス様を描くのが重大な関心事だったのでしょう。 > 中でも有名なのはトマスがイエス様の手のクギのあとやわき腹の傷をみないと信じないといって、それを確認した話。 > 21章ではペテロに対してイエス様が「私を愛するか」という質問を3度もなさっています。しかも原文で読むとその動詞が違う。 > http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=nalxx&book=joh&chapter=21&mode=0&direction=0 > 1番目と2番目がアガパオー、3番目がフィレオーです。よく、キリスト教の愛はアガペーだっていうアガペーに由来する動詞を使ってたのに、3番目だけは友愛を意味する動詞になっちゃってるんで、いろいろヘンな解釈をする人もいるようです。が、ヨハネにとってはたぶんどちらも違いはなく、単に、3回同じ動詞を使うと単調だからということなんじゃないでしょうかね。こういう繰り返しのとき、まるきり同じ語を使うのが好きな民族もあれば(インドはそうみたい)、少しずつ違う語を使うのが好きな民族もある。現代の英語話者は同じ語を使うのを嫌うので、シソーラスなんかを使って少しずつ違う語を使います。そういう発想なんじゃないかしら。 > 一番最後、イエス様のなさったことを全部書きとめたら世界もそれをおさめきれないという話。生きてる間だけの話だったらそんなのウソでしょうが、復活して今もいろんなところで人知れずいろんなことをなさっているのだとすれば、そうかもしれません。ひょっとしたらそういう意味で書いてるんじゃないかしら。文法的には「なさった」にあたるεποιησενはアオリスト(過去)ですから無理がありますけど。 > > ●シラ書38章 > http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=38&mode=0 > 最初のほうはお医者さんの話。医者にもちゃんとかかれよって。 > 当たり前だと思うかもしれませんけど、信仰に熱心だと医者にかからずに信仰で治そうとする人がいます。昔は、病気が罪の結果だから病気が治ることが罪が赦されたって発想ありますからね。福音書にもそんな話がうじゃうじゃ出てきて私はなんだかなって思うんですけどね。 > 信仰してたって病気にはなるんだから医者にかかればいいんです。 > でもその逆に、現代の医療はあまりに宗教的な要素を無視してますけど、なだいなださん『神、この人間的なもの』とか、一連の宗教に関する著作を見てると、実は宗教と医療って深い所でつながってるんで、それを無視しちゃいけないんですけどね。 > だから多くの宗教が病院もやってる。もちろんその病院に入ったからって信仰を強要されることはありませんけど、やっぱり宗教と医療は切っても切れない関係のはずなんですね。 > ただ、日本ではそれがそうじゃない。たとえば創価学会なんかあれだけの大きな教団で、政党まで持ってるのに、病院を一つももってない。そこらへんまだまだ「病気にかかるのは信仰が足りないから」という悪い意味で信仰と医療を混同してるような気がします。いったん、信仰は信仰、医療は医療と切り離した上で、やっぱり切り離せないっていうんならいいんですけどね。
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