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真理子様 > http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=99&mode=0 > 今日の3つは短くていいですね。 > どれも有名ですけど、特に100編は、交読文にも入っていて有名です。 > 日本には昔から叙事詩のような長い詩というのが発達しなかったので、こういう短い詩こそ詩らしいという感じがします。 > > ところで思うんですが、詩編の中でも119編のような猛烈に長い詩とか、ヨブ記や預言書の多くのように詩の形で書かれた文書を、原文の改行位置を守って訳さなきゃいけないっていう発想はヤメにしましょう。これはかねがね主人が言ってるんですけど、インドのマハーバーラタというとてつもなく長い詩があって、これを上村勝彦先生という方がちくま学芸文庫で訳して、その途中で若くしてお亡くなりになったので未完のままになってます。この先生の訳し方って、完全に散文として訳してるんですね。いちいち改行するよりそのほうが読みやすい。どうせ原文の韻律なんて訳では表現できないんですから。 > それから、これはギリシアの叙事詩なんかでもそうですけど、同じ人のことをいろんな表現で呼ぶことがあります。たとえば王様に対する長い長いセリフの中で「大王よ」「敵を苦しめる王よ」「クルの息子よ」「バーンドゥ王の子よ」「バーラタよ」みたいに、目の前の王様に対していろんな呼びかけの仕方をしたりします。これは韻律あわせなんですね。意味なんかないんです。だって目の前の王様に言ってるんですから。インドの詩は、音節の数とか長短とかが決まってる。それを守るためにこういう無意味な語句を挿入するんですね。そういうのを上村先生は全部省略しちゃう。あるいは、「アルジュナよ」じゃなく「カウンテヤーよ(同一人物の別名)」となってても、「アルジュナよ」に統一しちゃう。これって超訳なんでしょうけど、そのほうが読みやすいんですね。 > そんなわけで、聖書の長い詩も、そういう超訳をしてくれれば、もう少し読みやすいんじゃないかって思うことがあります。 > ともあれ、短い詩は最高ですわ。
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