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真理子様 > http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=1&mode=0 > 本日から福音書はマルコ福音書が始まります。 > 福音書はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという順序なので、書かれたのもこの順序だろうと思っている人がけっこう多いようですが、実際にはマルコのほうが先で、マタイとルカがマルコを下敷きにして、別の資料も加えて書いたという関係になっています。 > ですから、学問的な翻訳では、マルコのほうを先にすることもあります。岩波もそう、岩波文庫の塚本訳もそう、田川訳もそうです。 > 他人の本を下敷きにして自分の本を書くときは、都合の悪い部分は修正するのが普通ですから、マタイやルカに書かれていることがマルコにあって、微妙な違いがあるというときは、マルコのほうをもとと考えるべきです。 > マタイやルカにくらべて、マルコは非常に素朴です。一種のリアリズムを感じます。 > たとえば今日の{mar:1:10}で、イエス様が洗礼を受けたときに、聖霊が下ってくるのを「ごらんになった」とあります。この書き方は、実際には下ってこなくても、ご本人にそう見えたのであればウソにはなりません({mat:3:16}もそうですけど)。これがルカだと({luk:3:22})、「聖霊が~下り~声がした」と、客観的にそういうことがあったという話になっています。 > イエス様の誕生物語もなければ、復活だって単に「女たちは、墓がからっぽで、そこにいた天使らしい男に、イエス様が復活したと言われてこわくなって逃げた」だけです({mar:16:4-8})。さすがにこれだけではマズいと思ったのか、{mar:16:9-}以降に誰かが加筆をしていますけどね。 > そして、素朴というより不思議、読みようによっては不気味なニオイさえするのがマルコです。 > たとえば今日の{mar:1:40-42}、らい病人をいやしてあげる話。よく翻訳の底本に使われるネストレ・アーラントでは「深く憐れんで」となっているのですが、異本では「怒って」となっており、田川先生はそれを採用しています。らい病人のせりふの「みこころでしたらきよめていただける」っていうのは、遠慮ともとれますが、とりようによっては「あんたなんかにホントに治せるもんかね」みたいな失礼な言い方ですから。イエス様ってけっこう怒りっぽいんですよ。 > こういうものも包み隠さず書いているのがマルコです。 > イエス様の話をみんなが伝えているうち、だんだん尾ひれがつくいっぽうで、まずい話がカットされる。そういうのを一番うけておらず、もともとのイエス様のエピソードに近いものをマルコは伝えているので、異様なところもあるかもしれませんが、しっかり読んで行きましょう。 > > マルコが福音書を書いた西暦60年ごろというのは、イエス様の受難があって30年、そろそろ「なまのイエス様を見た」弟子が少なくなりつつあるころです。それでもエルサレムには、なまのイエス様に接した弟子がいて、「お前らそんなこと言ってるけど、イエス様はそうは言わなかったぞ」みたいに権威をもっていたりします。ですからそういうエルサレムの教会への対抗勢力だったマルコが、イエス様のエピソードを伝記風に記し、かつ、弟子たちの怠慢さ(イエス様の教えを弟子は理解しなかったとか、受難前のイエス様の苦しいお祈りの間に弟子は眠りこけていたとか、受難のときに弟子はみんな逃げたとか)を暴露しています。そういう一種の過激さがマルコにはあります。
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