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真理子様 > 大好きな大川先生をご批判申し上げるのは僭越なんですが、実は大川訳古蘭って、あんまりいい訳とは思ってないです。 > まず、誤字とか節番号付番ミスとか繰り返し箇所の訳し忘れとか、凡ミスが多すぎ。こういう大きな仕事って一人でやっちゃダメ。信頼できる校正者や助手が必要よね。だいたい精神障害の疑いで松沢病院に入院した人に、仕事の助手がつくわけないですわね。 > そして、先生の訳文はすっごく固い。淪喪者とか可頌者とか、こなれてない漢語が多すぎで、これじゃ音声として暗唱するのはしんどいです。山本夏彦さんによれば、大正以降の人の書く文語は、口語で教育を受けた人が学校教育で習った文語にすぎず、最初から文語教育を受けてきた明治の人の文に比べて全然違うんだそうです。先生の訳文は典型的な「習った文語」で、格調がありそうで実は乏しいです。これは入力してみて痛感しました。 > 岩波文庫の井筒先生の口語訳は、別の意味で不思議な名調子なんで、ずいぶんくだけた感じで宗教的にはちょっとというところですが、まだこちらのほうが朗誦にふさわしい感じ。「口語訳だって格調高い文が書ける」例として、うちの主人がよくひきあいに出してます。もっとも、実をいうと井筒先生の訳って超訳なんですよね。例のバスマラ(各章冒頭の賛辞)の「慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において」って、実は「慈悲深く」と「慈愛あまねき」が逆なんです。語呂がいいから逆にしたんだそうな。『コーランを読む』っていう本の中で井筒先生ご自身が白状してます。井筒訳は「正確な訳」としてよく引用されますけど、あの不思議な名調子は実は井筒マジックなんですよね。ま、超訳していけないってことはないんですけど、ご用心。 > クルアーンの日本語訳で、暗唱にふさわしいものはないみたいですね。あ、暗唱するならアラビア語でってことなのかしら。 > たとえアラビア語ができたとしても、クルアーンって何度も何度も同じ話のくりかえしで、覚えるの大変そう。途中でうっかり別の章にスリップしちゃいそう。 > > 聖書の場合はギリシア語じゃなくちゃいけないってことはないんで、日本語訳を全部暗記するのも意味があるわけですけど、やっぱり覚えるんだったら文語よね。 > 実は文語のほうが覚えるの簡単なんです。意味がちんぷんかんぷんのほうがむしろ覚えやすいんですよ。 > しかも、いま明治訳を入力していて痛感しますけど、上で紹介した山本夏彦説が本当によくあてはまる。大正改訳って明治訳に比べると「習った文語」で格調ないです。明治訳は美しいですわよ。その証拠にいまでも教会の主の祈りとか交読文とか、明治訳でやってるところが多いでしょ? もとがいいんですよね。明治訳が底本した英語のKJVも、アンチョコにした漢文訳のブリッジマンも、名訳ですから。 > 口語訳が1954/55年、新共同訳が1987年、でこんどは「標準訳」っていうのを2016年を目標に作るんだそうな。口語訳の寿命が32年、新共同訳も30年たったらお役御免ってことみたいね。でも30年なんて短すぎ。30年で寿命がつきるものを覚えてもしょうがないわ。
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