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真理子様 > FEBCの12/27の礼拝の説教、富山県の石動(いするぎ)教会の井幡先生のお話、ひさびさに面白い説教だったわ(意外に日曜礼拝の説教で感心したもの少ない)。サム上1:1-20なんていうちょっとマイナーなところからで、サムエルの母ハンナが子どもが生まれず一生懸命祈った話。ハンナが18節でなぜ表情がかわったか、よく読んでみると、子どもが授かったからじゃないですよね。この時点じゃそんなことわからないんだから。子どもの一生を主にささげるとまでお祈りし、神様への信頼という自分の方向性への確信を得たからっていうの、なるほどね。 > 関連して思うのは、創世記22章で、やっとの思いで生まれたアブラハムの子イサクを神様が「ささげなさい」とからかう(としか私には思えなかった)話、神様も大バカ野郎だし、それに従うアブラハムも大バカ。よくこんな話が美談になるわね(映画「天地創造」みたいに)って思ってたけど、この観点から考えると納得できるかもしれないわ。悩みに悩み、祈りに祈って、神様への全幅の信頼ができたからこそ、絶対に悪いようにはならないってアブラハムは確信したのね。 > > この日の「北信越の牧師たち」に出てきた横井先生の話にも、神様が試練を与えるのは強くしてくださろうとする愛からだって話が出てきたし、長年「神様の大バカ野郎」と疑問に思ってきたことが解決できそうになってきたわ(でもまだ創世記22章には納得してない)
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