[ばべるばいぶる]

真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[397] 詩編54-56編 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/18(水) 11:27:25 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=54&mode=0
 昨年度の記事は[0:612]

 54編も55編も56編も、ピンチのときの祈り。
 54編は昨年も書いたように、ジフ人がサウルにダビデの潜伏を密告する話は、 サム上23:19サム上26:1にあり、どっちの話なのかはよくわかりません。ジフというのは
http://www.babelbible.net/map/9.png
のC-2の北のへりと南のへりと両方にありますが、その北のへりのほうです。
 私はクリスチャンになっても、聖書は信じてないし、使徒信条も信じてないし、天国も信じてない。それでもいいんです。遠藤周作なんか『深い河』をはじめいろんな本で輪廻を説いてます。以前、未信者の方のキリスト教解説で、使徒信条こそクリスチャンが最低信じることだみたいなことを書いてましたけど、聖書を文字通り信じないんですから当然使徒信条なんかもまともなクリスチャンなら誰一人文字通りには信じてないでしょう。「天にのぼり」って、宇宙のどこにのぼったんですか? 「永遠の命」っていっても信じ方は人それぞれなんです。天国で永遠に生きられるととる人もいれば、また生まれ変われることをそう言ってるととる人もいるんです。クリスチャンになってみてそのことがよくわかりました。
 聖書も使徒信条も信じてないなら、じゃクリスチャンと未信者との違いって何なんでしょう。どれを欠いたらクリスチャンじゃなくなるんでしょう。私は、「ピンチにあったときに反射的に神に祈れるか」だと思います。以前の私だったら絶対に「神様助けて」じゃなく「南無妙法蓮華経」でした。今は神様です。
 昨日、うっかり台所の火をつけっぱなしにして出てしまったことに気づいてあわてて戻ったんですが、以前なら「火事になってませんように、南無妙法蓮華経」でしたけど、昨日は「火事になってませんように、神様お守りください」でした。やっと創価のマインドコントロールを脱したようです。
 ちなみにまるきり無事でした。考えてみたらいまのガステーブルは全部安全装置がついてる。

 動画のほうはひとつだけ。54編で変わったものを見つけました。詩編もこんなふうに歌うと面白い。

(http://www.youtube.com/watch?v=sNZvPrh2HM8)

[396] モーサヤ書20章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/17(火) 10:48:07 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=20&mode=0
 ノア王と同行していた祭司たちはいまさらニーファイには戻れず、荒野の中をさまよううち、レーマン人の娘をかどわかしてしまいます。レーマン人はそれをニーファイ人(リムハイの民)のしわざと思って戦争になります。リムハイの民は勇敢に戦い、レーマン王を生け捕ります。これで戦いの発端となった事件の真相が双方わかり、和解します。

[395] シラ書19章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/17(火) 10:42:46 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=19&mode=0
 昨年度の記事は[0:812]
 面白くて役に立つことわざが満載。昨年はそれらを具体的にあげたので、今年は シラ19:20「知恵とは結局のところ主を畏れることである」。これ、 箴1:7にもありますね。知恵というのはそういう信仰心、時として神と同義に使われることもあります。そして20節にあるように、律法の実践によって完成するもの。ずる賢さとは違います。24節「賢くても法を犯すよりは、無知でも主を畏れるほうがましである」。ふつうの賢さはこんなふうにずる賢さになりますが、知恵はそうではなく、主を畏れ律法を守りながら生きることというわけです。

[394] サムエル記下10-14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/17(火) 10:26:23 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2sa&chapter=10&mode=0
 昨年度の記事は[0:611]
 ダビデはアンモン人の王ハヌンに友好の使者を派遣しますがハヌンはひげを顔の半分だけ剃ったり着物をミニスカ状態にしてしまうなど侮辱します。ついでながら、ひげは男性の威厳の象徴で、ギリシアなんか「ひげを剃る刑罰」があったほど。だからソクラテスもプラトンもアリストテレスもみんなひげ生やしてますよね。今でも中東では男性はひげのあるのが当たり前で、ひげを剃った人はおカマ扱いされかねないらしい。ところがローマ人はひげをそる。これが東西教会にそれぞれ受け継がれ、東方教会の聖職者はひげを生やし、西方は剃るという違いになっています。
 これでイスラエルとアンモンは戦争になります。ダビデはヨアブ(姉妹の子で司令官)を遣わします。当時はアンモンばかりかスリヤ(アラム)とも戦争をしていたので、悪くすると同盟される可能性もあったのですが、結局どちらも蹴散らします。(10章)
 こういう戦いの続く中、ダビデはヘテ人ウリヤの妻バテシバ(バト・シェバ)と不倫します。彼女が妊娠してしまったのでダビデはウリヤをわざと激戦地に派遣して戦死させます。(11章)
 預言者ナタンはこのダビデの行為を非難し、相似形のたとえ話をして諫めます。ダビデは罪を悔います。くだんの子は不倫の子ということで神の怒りで死んでしまいますが、後にバテシバはソロモンを生みます。これが次の王になるわけですね。
 ダビデはアンモンとの戦いに勝利します。(12章)
 ダビデの子アブサロムの実の妹タマルに、アブサロムの異母兄弟のアムノンが恋をしてしまい、強引にセックスしてしまったあげく彼女を捨ててしまいます。男性ってこういうことがあるから困ったものですね。欲望(性欲および支配欲)が達成されちゃったとたんに関心をなくす。
 2年後にアブサロムはアムノンを殺します。みずから手を下したんじゃなく臣下に殺させるんですけど、そのときの激励の文句 サム下13:28の「雄々しくしなさい。勇ましくしなさい」なんて、いろんなところで(たとえば ヨシュ1:6とか)見かけます。激励の常套文句だったのでしょう。アブサロムは三年間逃亡します。(13章)
 ヨアブは二人を仲直りさせようと、ある女に芝居をうたせ、アブサロムを殺させないようにはかります。これでアブサロムはエルサレムに戻りますが、その後二年間は王に会えません。ヨアブもなかなかアブサロムに会ってくれないので、アブサロムはヨアブの畑に放火させるという手荒な手段でヨアブを呼び、このヨアブのとりなしでアブサロムはダビデと面会します。(14章)

[393] モーサヤ書19章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/16(月) 14:07:24 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=19&mode=0
 ついに悪いノア王にも最期の日がやってきました。
 ノア王はアルマたちが不穏な信仰共同社会を作ってるときいて追手を差し向け、アルマたちはさらに荒野に逃げたのでしたね。ところがふつうの民からもギデオンという人が出て反乱をします。さらにレーマン人がなだれ込んでせめてきて、ニーファイ人を容赦なく殺します。ニーファイ人は妻子と一緒に逃げる余裕すらなくなり妻子を捨てて逃げますが、レーマン人はこのあたりであわれみを起こし、ニーファイ人の降伏を認めます。
 そして、この混乱の中でノア王は、一緒に逃げていたニーファイ人の手によって焼き殺されていたことがわかります。
 ノア王の子リムハイ(いまの王様ですね)がレーマン人の支配下に即位、国を平和に保ちます。

[392] ソロモンの詩篇5篇 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/16(月) 13:43:51 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pss&chapter=5&mode=0
 慈悲深く、頼りになる避難所と、神をたたえる祈り。とても美しい祈りです。詩編にせよソロモン詩篇にせよ、けっこう呪いの言葉が入ってたりしますけど、これにはありません。外典にしておくにはもったいない美しい祈りです。
 特に16節「人はあまりに豊かだと道を誤るからです」17節「ほどよい豊かさで十分であり、正しいことです」というところを肝に銘じ、ほどほどの生活をしていきましょう。

[391] 出エジプト記21-24章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/16(月) 13:38:36 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=21&mode=0
 昨年度の記事は[0:606]
 出エジプト記はここから雰囲気ががらっと変わって律法らしくなります。まるきり違う本みたい。岩波の出エジプト記なんか訳者が変わってる。もっとも24章までは(あと32-34章も)木幡藤子(その他の訳は山我哲雄)ですけどね。
 今年は一番最初に書かれている話だけとりあげます。
 奴隷は7年たったら自由の身にしなきゃいけないみたいですが、出21:5-6によれば、奴隷がとどまることを望んだ場合は別らしい。でも何これ? 「その主人は彼を神のもとに連れて行き、戸あるいは柱のところに連れて行って、主人は、きりで彼の耳を刺し通さなければならない」。これは痛そうね。せっかく主人に忠誠を尽くしてこの家にとどまるって言ったのにこの仕打ちは何? 戸はその家の象徴らしいんですけどね。
 あ、でも私の耳にも穴が開いてるわ。どういうきりだかしらないけど、ピアサーで耳たぶに穴を開けるのはたいして痛くないです。血もほとんど出ない。その日一日はじーんと重い痛みが来ますけど、注射のような痛みじゃないです。高校がうるさかったんで(いつも穴を開けてないかどうか耳検査された)大学に入ったらすぐ開けました。それからMtFのマリナちゃんにも開けてやりました。割礼やってる気分。
 今は簡易ピアサーがドラッグストアで売られていますから、誰でも気軽に耳に穴をあけられます。怖気づくとためらい傷みたいになって失敗するかもしれないので、思い切ってガッとやってください。
 あ、でもこの簡易ピアサーって実は違法なんですよ。だって耳に穴を開ける行為は医療行為なんで医師しかできない。でも器具は普通に売ってる。一応医者のところにこの器具を持って行って開けてもらえって建前。でもそんなことやる人は誰もいないし、医者はやる気がないので変なところに変な開け方したりすることがあります。せっかく穴をあけたのに耳たぶの中のほうに開けちゃって、それじゃ小さいリング型のピアスは届かないのよ! まあ、違法ですけど、すでに穴を開けた経験のある友達にやってもらうのが一番ね。
 そんなわけで、法律と実際って異なることも多いのです。
 律法も同じ。ここからいろいろぐちゃぐちゃ書いてる律法、実際にその通り守られたかどうかは、それぞれの時代時代で違うようですから、単に律法にこう書いてあるからユダヤ人はこうなんだみたいな議論をするのはとても危険です。たとえばヨベルの年の話(借金の徳政令)なんかは実際に行われたことはまるきりなかったらしいですからね。

[390] モーサヤ書18章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/15(日) 02:26:10 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=18&mode=0
 紀元前600年ユダ王国滅亡直前、王国の滅亡を予言したリーハイは迫害されてエルサレムを脱出、一族もろとも新大陸アメリカに移ります。リーハイの死後、それまでもちょくちょく対立してきた長男レーマン(悪玉)と四男ニーファイ(善玉)の対立が激化。ニーファイらは別の地に住みます。ところがニーファイの子孫も堕落、モーサヤが脱出してゼラヘムラに逃れます。ベニヤミン王の治世を経て、息子モーサヤ(おじいさんと同名)はかつてのニーファイを探検すべく、アンモンらを遣わします。ニーファイ人のリムハイ王に謁見したアンモンは、ニーファイ人がレーマン人の奴隷になっている事実を知らされます。
 リムハイ王のおじいさんゼニフはレーマン人と戦い、ニーファイの支配権を得ますが、次のノア王が悪い王様。そこで預言者アビナダイがノア王をいさめますがノア王は彼を火あぶりにしてしまいます。これが今までのあらすじ。

 さて、アビナダイの処刑のときに祭司の一人アルマはアビナダイを信じて逃亡します。王の追手をうまくかわしたアルマは人々にアビナダイの教えを説きます。信じた人たちは国境近くのモルモンという土地に逃げ、ここでアルマは人々にバプテスマを施し、教会を作り、正しい信仰による共同生活が続きます。しかしノア王の軍隊が迫ってきたので、みんなはさらに荒野へと立ち去ります。

[389] 3イミ17-18章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/15(日) 02:20:33 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=17&mode=0
 先週さぼったぶんも含めて読みます。

 17章。いろいろ心配しないですべて神にゆだねてしまうことを説いています。そうすれば苦難のときも貧しいときもがんばることができるのです。
 18章。こんなふうにこの世の苦難を不平を言わずに耐えることです。なぜならイエス様だって、いろんな苦労に耐えぬいたのです。そしてイエス様の犠牲と聖徒たちの歩みによって、苦労は弱い者にも耐えやすいものになっています。キリストを模範として、苦労に耐えていこうと説いています。

[388] 2コリ1-5章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/15(日) 02:15:09 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2co&chapter=1&mode=0
 昨年度の記事は[0:593]および[0:605]
 先週の日曜日は復活祭で、午前中ばかりか午後も教会でパーティがあり、その後も家で祝杯をあげていたので、聖書日記をさぼってしまいました。そこで今日は二週ぶんです。
 昨年も書いたとおり、2コリは真正のパウロ書簡ですけど、5つの手紙が組み合わされた上に全体の序文がついています。昨年も書きましたけどもう一度書きます。
  序=二コリ1:1-2
  A=二コリ2:14- 二コリ3 二コリ4 二コリ5 二コリ6 二コリ7:1-4
  B=二コリ10 二コリ11 {2co:12 二コリ13
  C=二コリ1:3- 二コリ2:1-13 {2co:7:5-
  D=二コリ8
  E=二コリ9
 逆に現行の章の順番でいえば、
  1=序(1-2節) C(3節-)
  2=C(1-13節) A(14節-)
  3・4・5・6=A
  7=A(1-4節) C(5節-)
  8=D
  9=E
  10・11・12・13=B
 ABCDEというのは岩波の命名で、どれを先にしてもいいんですけど、混乱を避けるために従っておきます。要は1-7章/8章/9章/10-13章とわかれ、さらに1-7章は2つの手紙が入れ子のようになっているというわけです。
 一応現行の順番どおり読みますが、このことを注意して読んで行く必要があります。
 [26]に新約聖書の各書の成立年代をまとめました。またパウロの生涯の年表として
http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/pauronenpyou.html
もご覧ください。5つの手紙はいずれも53-55年ごろに書かれたもののようです。
 なお、岩波は序をCに属するものとしていますが、序は無内容ですから、Cだけに属するものとしてもよし、全体にかぶさるものとしてもよし、私も特にこだわっていません。

 さて1-5章は、2章13節までがC。残りがAでした。
 Cを片付けますと、患難、苦難、圧迫、死の危険…と、パウロはかなりひどい迫害にあっています。8節に「アジヤで会った患難」とありますが、たぶん 使19:23以降にあるような偶像鋳造職人たちからの「お前らのせいで商売あがったりだ」という迫害だろうと言われていますが、このときのものなのかどうかはよくわからないみたいです。そして2章では、多くの涙をもって手紙をいろいろ書き送ったと書いています。その手紙の一つがBです。そしてトロアスに行ったらテモテに会えなかったのでマケドニヤに向かったという話でCはひとまず終了。
 2章14節からA。冒頭の「しかるに」(口語訳)は無視しましょう。2章でキリストをかおりとして表現したあと、3章ではわれわれは文字ではなく霊に仕える者だと言ってます。つまり(旧約)聖書として書かれた律法に仕えるのではなく、新しい契約つまり霊(魂)に仕える者だというのです。この時代はまだ新約聖書ってありませんからね。「文字は人を殺し、霊は人を生かす」(6節)は有名な言葉です。ここでいう霊とは17節にあるとおり主であり、「主の霊のあるところには、自由がある」と言ってます。
 4章では、そういう霊に仕える仕事をしているわれわれの宣教というのは「自分を推薦」つまりキリストを信ずる自分たちの姿を「どうだすごいだろう」と見せることが宣教だというのです。それは「土の器」である弱い自分の中に神の偉大な光が輝いているからです。私たちは外面的には弱く滅んでしまうようなものであっても、内面的には日ごとに新しくなっていくのです。それが 二コリ5:17「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である」ということなのでしょう。

[387] クルアーン36回 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/14(土) 12:33:07 コメントする ここから閲覧

 クル-36回。8章1-40節。
 いつもそうですけど、このリンクで表示される「真理子のおまけ」は、聖書通読スケジュールを追いかけてやっつけで作ってますので、41節以下は未完成です。
 最初のほうで、一部の信者がいやがったとか、二つの部隊のうち…とかいうのは、イスラム教が誕生した当初の戦いをふまえて言っているので、今の私たちが読んでもピンときません。でもそれは聖書の詩編だってそう、敵と戦う詩が多いじゃありませんか。こういうのは、私たちの現実生活にもたくさんある苦難に置き換えて読めばいいんです。苦難にあったときに、私たちはついつい、ラクなほうが来るといいと思いますけど、そういうときに往々にして苦しいほうが来る。それでも神様を信じて勇敢に立ち向かえ、という教えだと思えばいいんです。

[386] 1イミ18章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/14(土) 12:26:29 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=18&mode=0
 昔の教父たちの修行はすごかった、それに比べて今の修行者はなってない、というわけです。教父の修行に限らずどこでも聞かれる言葉ですね。昔はよかった、今はなってない。人間はついつい昔を美化してしまうものですけど、実際にそうだったかどうかは別として、現在の信仰生活のあり方を反省するには、昔を美化するのが手っ取り早いのでしょう。昔のものは実際には見えませんからね。

[385] マルコ15-16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/14(土) 12:21:11 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=15&mode=0
 昨年度の記事は[0:604]
 イエス様が死んだときの百卒長(百人隊長)の言葉マコ15:39「まことに、この人は神の子であった」は、私はずっと、「おやおや、この人は本当に神の子だったのかねぇ」の可能性を考えていました。だってギリシア語の疑問文なんて、末尾をあげさえすれば作れちゃいます。
ἀληθῶς(本当に) οὗτος(この) ὁ(おう) ἄνθρωπος(人は) υἱὸς(子) θεοῦ(神の) ἦν(だった).
そういう場合は最後を疑問符にします。ギリシア文字の場合は?じゃなく ; です。でもそんな句読点なんて昔は書かないのが普通でしたから、平叙文も修辞疑問文(反語文)も区別つきません。徹底したリアリストのマルコのこと、最後までイエス様の死をみじめに描くほうがマルコらしい。そのためには百卒長にもののしられながら死んだほうがリアルです。
 でも、その直前の38章、「神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた」というのは、単にふしぎな現象というだけでなく、それによって至聖所の門が開けたこと、それまでは大祭司しか入れない、しかも年に一回しか入れない所が、すべての人に開かれたことを意味します(ヘブ10:19-20)。
 そしてマルコ冒頭の マコ1:10「天が裂けて、聖霊がはとのように自分に下って来るのを、ごらんになった」というのとも対応しています。マルコにとってイエスが神の子なのは、別にダビデの血統だからじゃないんでマタイみたいな長々とした系図は書かないし、処女から生まれたからでもないんでマタイみたいなウソくさい伝説なんか書かない。ヨハネのバプテスマを受けたときに天が開けて「あなたはわたしの愛する子」という声があったからなんです。これが最後の「神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた」にも対応している。最初に天が開け、最後に至聖所が開かれたんです。イエス様の犠牲によって、私たちは神の世界との交流が可能になったのです。
 これを礼拝にとりいれてるのが正教会、正教会の教会は至聖所があって、イコンがいっぱい掲げ競れた戸の向こうで司祭たちがなにやらやってる。そしてその戸がパッと開く。これは実際に見ると感動ものです。部屋の中で一人だけで聖書読んでるだけじゃわからない感動を実際に体験させてくれる礼拝です。ぜひ一度見に行ってください。
 だからやっぱり百卒長は感動して「神の子だった」って言ってるんでしょうね。それがマルコの意図なんでしょう。

[384] クルアーン35回 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/13(金) 10:54:54 コメントする ここから閲覧

 クル-35回。7章171-206節(最後)まで。
 例によって同じような教えが何度も繰り返される中、最後の「クルアーンが読まれているときは静かにしろ」「朝な夕な謙虚にし、畏れ敬い、声を低くして心の中で主なる神を念じなさい」「主とともにある者は、主をあがめるのに慢心することなく、主を讃美してその前に跪拝する」というところが美しいしめくくり。イスラム教徒に限らずクリスチャンにも通用する教えです。

[383] 知恵の書18章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/13(金) 10:50:58 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=18&mode=0
 昨年度の記事は[0:726]
 知恵版出エジプト記の続き。イスラエルの民の新たに生まれた男の子を殺せという命令の中でモーセを救った話、エジプト人のすべての長子が死んだ話などをあげて、悪に対する神の怒りを表します。

[382] エレミヤ書27-31章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/13(金) 10:44:15 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jer&chapter=27&mode=0
 昨年度の記事は[0:602]
 28章。ハナニヤ(ハナンヤ)という預言者が現れてエレミヤと対立します。時代は第一次バビロン捕囚の後。前にも言いましたがバビロン捕囚はBC597とBC587の2回あるんです。最初の捕囚で一部の人々が連れ去られ、神殿の祭具も奪われてしまう。ところがハナニヤは、バビロン王はすぐ滅んじゃうから人々もすぐ帰ってくると予言、人々はそっちを信用してしまいます。ハニナヤはすぐ死んでしまいますが、だからと言って人々はエレミヤを信用するようになったわけではありません。
 29章。エレミヤは連行されていった人々に、捕囚は長引くからそこに家を建てて生活をしろと手紙を出します。そのことを預言者シマヤは非難します。
 捕囚を原発事故による避難と置き換えれば、本当に今の状況にそっくりです。安全神話を説く専門家が現れて大丈夫大丈夫という。行政はそれを根拠に避難生活を早く終わらせようとする。まだまだ危険だという人を復興の邪魔者扱いする。「平成のエレミヤ上杉隆先生」と私が言うゆえんです。

[381] モーサヤ書17章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/12(木) 14:47:22 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=17&mode=0
 アビナダイの説教が終わると、王は怒ってアビナダイを火あぶりにせよと命令します。いざ処刑という前に王はアビナダイの言葉を聞いてちゅうちょするんですが、祭司たちにせきたてられて処刑を実行します。
 ところが祭司の一人であったアルマは、アビナダイの言葉を信じたため追放されます。王は追手をさしむけてアルマを殺そうとしますが、うまく逃げます。このアルマがモルモン経では次に活躍する人物になります。

[380] ユディト記4章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/12(木) 14:41:44 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jdt&chapter=4&mode=0
 昨年度の記事は[0:443]
 怖い怖いオロペルネス(ホロフェルネス)の襲来を前に、イスラエルの人々は篭城戦の準備をし、けんめいに祈ります。
 ところで、3節によれば、ユダヤの民は捕囚の地からもどってきたばかりということなんですが、それでネブカデネザルっていうのはおかしいですよね。この王様はバビロン捕囚をした王ですから。前にも言ったように、そもそもネブカデネザルが(カルデヤでなく)アッスリヤ(アッシリア)の王っていう設定自体がそもそもおかしいんです。ユディト記を読むときは、時代なんかすっかり無視しましょう。歌舞伎を見るような感じでいきます。歌舞伎は江戸時代の話も鎌倉時代なんかにしちゃいますんで、鎌倉に吉原が出てくるみたいな変なことになるんですが、そこが芝居でさぁ、ですませてしまいます。そこがユディト記でさぁ、と気楽に読みましょう。
 大祭司のヨアキム(ヨヤキム)というのはネヘ12に出てきますが、こういうのも単に名前を借りてるだけなんでしょう。

[379] ヨブ記35-36章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/12(木) 14:26:15 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=35&mode=0
 昨年度の記事は[0:599]。しかし無内容ですね。あらすじをまとめようとするとこんなふうに無内容になっちゃう。だってエリフの言ってることは基本的に今までの3人と同じなんですもの。
 今年は5-6節で行こうかしら。

天を仰ぎ見よ、あなたの上なる高き空を望み見よ。
あなたが罪を犯しても、彼(=神)になんのさしさわりがあるか。あなたのとがが多くても、彼に何をなし得ようか。

 今日4/12は1961年にガガーリンが世界初の有人宇宙飛行をした日なんだそうで、Twitterにはそういう話題がいろいろ流れてきました。つまりは「地球は青かった」と言った日というわけですが、一説にはそのあとに「そして神はいなかった」と言ったらしい。気になっていろいろ調べたんですが、この人
http://hoshi-biyori.cocolog-nifty.com/star/2006/03/19_1cf1.html
によれば、どうも真偽のほどがさだかではないそうです。Wikipediaによれば、ロシア人の大好きな小話(アネクドート)が一人歩きしたようです。
 佐藤優がシュライアマハー(シュライエルマッハー)を解説するときによく言ってるのは、天文学が発達して宇宙を観測しても、どうも神はいそうにないし、そもそもどっちが上かなんていうのは地球のこっちと反対側では真逆の方向。そこでシュライアマハーは、神は人の心の中にいるとした、というんですね。
http://webheibon.jp/blog/satomasaru/2008/08/post-12.html
 そんなわけで、天を仰ぎ見て神を見るのはすっかり古臭くなってしまったようですが、私は今でも、神様を体感する一番手っ取り早い方法は、天を仰ぎ見ることだと思います。
 天のどこかに神が「いる」んじゃなく、実は天そのもの、大きな宇宙そのものが神じゃないかしら。最近私は、神とは一種の大きな生命体であり、死んだら私の命はこの大きな生命体に合一し、またそこからしゃぼん玉のように飛び出てくるのが次の生だと思うようになりました。
 宇宙の大きさを思うとき、自分の小ささを思い知らされる。自分が何をやろうと、宇宙全体にいかほどの影響も与えない。ここから、「だからどんな悪いことをしてもいい」という考えも出て来る一方で、「どんないいことをしてもやがて自分は消えてしまう」、徹底的に自分の小ささを痛感させられる。この気持ちが信仰には必要なんだと思います。

[378] Re:出エジプト記17-20章 投稿者=鈴木貫太郎 掲示日=2012/04/11(水) 21:34:17 コメントする ここから閲覧

まずは、ご受洗お目出とう御座います。ちょうど復活祭の日だったんですね。当に、お日柄もよろしくと云ったところでしょうか。

ところで。聖書箇所ですが、当時の人も、一応それなりの物を穿いてたと思いますよ。だって痛いんです。一物が。ある程度所定の位置に留まってないと、ブラブラ揺れて、それが、着ている物に当たると、擦れちゃって、それが結構応えるんです。
もっとも向こうの人って結構包茎が多くて、そんなに痛くなかったかも。

てば、些か脱線しましたが、これからも、よい信仰生活を・・・
選定はだけは受けたけど、ってのも居てますんで(そう、アタシのことです)。

[377] モーサヤ書16章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/11(水) 15:46:47 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=16&mode=0
 ノア王をいさめるアビナダイの説教のつづき。将来あらわれるキリストの死と復活を説き、私は世の光であるとヨハネ福音書みたいなことを言って説教を終えます。

[376] 2マカ2章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/11(水) 15:43:11 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ma&chapter=2&mode=0
 昨年度の記事は[0:604]
 2マカの冒頭には2種類(1章10節までと、1章10節後半から2章18節まで)の手紙が載っています。どちらもエジプト在住のユダヤ人にあてたもの。神殿のきよめの祭り(宮きよめの祭り)の由来を説明しているのです。宮きよめの祭りは ヨハ10:22に出てきますが、こうやって外典も読んでおかないと、福音書も理解できないんですね。
 2章ではエレミヤうんぬんと出てきますが、エレミヤ書にはこんな話がありませんので、失われたほかの本にあるんじゃないかと思います。
 そしてクレネのヤソンが書いたというマカバイのユダの戦争の5巻本を1巻に要約したのがこの2マカだよという話をしています。こんなふうにギリシアの本って、由来を序文で説明するんですね。シラ書も最初に序文がついてましたよね。
 そして最後に「長い前置きのために物語が短くなってしまうのはつまらないからである」といいながら、いままでの長い前置きを終えて、次からいよいよ本題です。

[375] 詩編51-53編 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/11(水) 15:28:44 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=51&mode=0
 昨年度の記事は[0:598]
●51編
 バテセバというのは サム下11に出てくるバテシバのことです。口語訳聖書はこんなふうに表記が違うのでうまく検索できません。ちゃんと統一してよ!と思ったら、ヘブライ語では両者の母音記号が微妙に違うんですよね。不統一はヘブライ語聖書のものでした。ちなみに新共同訳はバト・シェバ、新解約はバテ・シェバに統一してあります。とりあえずバテセバで行きましょう。
 ダビデはウリヤの妻バテセバと通じ、不倫発覚を恐れてウリヤを激戦地に派遣して戦死させてしまいます。それを予言者ナタンが非難してダビデが懺悔して詠んだ詩ということになっていますが、実際にはこの話とは無関係にできた懺悔の祈りで、バセテバの話は強引にくっつけただけです。7節(旧5節)に「わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。」とありますが、そんな話はダビデのエピソードには関係ないですからね。
 ところでこれ、新改訳では「罪ある者として母は私をみごもりました。」というかなり違う訳になっています。これだと罪びとは母ではなく私になっちゃいますね。原文見ると、
http://interlinearbible.org/psalms/51-5.htm
「罪のうちに」「私をはらんだ」「私の母は」ですから、新改訳のは無理があると思いますが、諸訳はどうなってるかというと、
文語(○):罪ありてわが母われをはらみたりき
フラ(×):母の胎内にやどったときから罪に汚れていました。
新世界(○):わたしの母は罪のうちにわたしを宿しました。
関根(○):罪の中にわが母はわたしを姙(はら)んだのです。
バルバロ(○):母は、罪のうちに私をみごもった。(旧)/母は罪のうちに私を身ごもった。(新)
回復(○):罪の中で、わたしの母はわたしを身ごもりました。
リビング(×):母が私をみごもった時から、罪人でした。
尾山(×):母の胎内にいる時から、罪を持っておりました。
光明社(○):わが母罪にありて我を孕(やど)せり
正教(○):我が母は罪に於て我を生めり
 (○)=母が罪びと、(×)=私が罪びと
 こうしてみると、福音派系の(×)がきわだってますね。たぶん、ダビデの母が不倫によってダビデを生んだみたいな話がないから、そうとるんだと思います。意外なのはフラ。しかも訳の根拠を注に書いてない。なお、新共同訳聖書注解も新聖書注解もこの件についてはノーコメントです。

 さて音楽ですが、これもいろいろ問題があります。
 まずはバッハの「わが罪を拭い去りたまえ、いと高き神よ」BWV1083。

(http://www.youtube.com/watch?v=DNH-4t-rLnc)
 あれ、どこかで聞いたぞと思ったら、これってペルゴレージの『スターバト・マーテル』じゃないですか。ほら、

(http://www.youtube.com/watch?v=JFnFvDx8zZM)
 正教会ではこれ詩編50編になるんですが、けっこうYoutubeにいっぱいあがってます。

(http://www.youtube.com/watch?v=Fkz_G8Q9vcI)

 ここまでですごく長くなったので52編、53編は別の機会に。

[374] モーサヤ書15章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/10(火) 11:07:35 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=15&mode=0
 悪いノア王をいさめる予言者アビナダイの話の続き(予言というのは57年版。95年版では預言になってますが、当サイトでは予言と預言を区別なく用います。適当に文脈で判断しましょう。未来のことだけじゃなかったら預言だと思いましょう)。
 前章はイザヤ書53章そのまんまだったんですが、あれはキリスト教ではイエス様のことを予言したことになってます。モルモン経でもやっぱりそうらしく、ここではアビナダイは180年あと(今はBC148なんです)のイエス様のことを予言しています。キリストが降臨したあかつきには、キリストのことを信ずるものばかりか、知らなかった人、幼児も復活して永遠の命を得るらしい。でも信じなかった奴はダメだから信じなさい、逆らっちゃダメだ、悔い改めよと言ってます。

[373] シラ書18章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/10(火) 10:57:55 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=18&mode=0
 昨年度の記事は[0:808]
 昨年は最後の33節「財布に一銭もないのに、乞食のように借金してまで飲み歩くな。」をとりあげましたけど、ここは後半がいろいろ面白いことわざが多いですね。
 15節「子よ、親切なことをするときは相手の体面を傷つけるな。ほどこしをするときは相手を傷つけるような言葉をつつしめ」。そう、いい事をすればいいってもんじゃないんです。相手にもプライドってものがあるので、それを傷つけてしまってはいけないんです。でもついついこれやっちゃうんですよね。慈善の押し売りに注意しましょう。相手をほうっておく(かのようなふりをする)ことも大事なんです。さしあたりは次節にあるように、言葉をかけること。コミュニケーションが大事ってわけですね。
 21節「病気になる前にへりくだれ」。むしろ、ふだんから謙虚でいないと、病気になっても誰も看病してくれない、と読みましょう。

[372] サムエル記下5-9章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/10(火) 10:43:44 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2sa&chapter=5&mode=0
 昨年度の記事は[0:597]
 全イスラエルの王となったダビデは、エブス人の町であったエルサレムを落とし、ここを都とします。そう、このときまでエルサレムは都でなかったばかりか、イスラエルの実効支配が及んでいなかったのです。後の時代から見ると、エルサレムは昔からイスラエルの都だった気がしますが、意外に新しいんですね。
 そしてペリシテ人が攻めてきますがダビデは打ち破ります。サウルと敵対していたときは一時期ペリシテ人のお世話になったというのに、ダビデもダビデ、ペリシテ人もペリシテ人です。以上5章。
 ダビデはバアレ・ユダにあった神の契約の箱を移動しようとしますが、事故がおこってウザが死んでしまいます。これでダビデは怖気づき、ガテ(ガト)のオベデエドム(オベドエドム)に一時的に安置、大丈夫そうだと見てエルサレムに運びます。ところがダビデのたくさんいる妻のうち、サウルの娘ミカルがダビデのはしゃぎっぷりを見てダビデをバカにします。ミカルというのは、あの、ペリシテ人のちんこの皮百枚を集めた功績でサウルから賜り、サウルと敵対していたときは別の人に与えられていた(サム上25:44)女です。以前はダビデを逃がすトリックをしてくれた( サム上19:12-17)というのに、愛情が冷え切った形で死を迎えます。以上6章。
 旧約ではダビデ自身も預言者として扱うことがありますが(なにしろ詩編の数多くの詩の作者ってことになってますから)、ダビデ時代に活躍した預言者は別にいて、ナタンといいます。来週ちょっと活躍しますので覚えておきましょう。ナタンが「王国は安泰です」と預言、ダビデも王国の平和を神に祈ります。以上7章。
 ダビデはペリシテ人を討ち、モアブを討ち、またゾバ(ツォバ)およびスリヤ(アラム)を討ち、王国は栄えます。以上8章。このあたりまではめでたしめでたしですが、来週はちょっと雲行きが怪しくなります。

[371] モーサヤ書13-14章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/09(月) 12:17:55 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=skd&book=mos&chapter=13&mode=0
 昨日13章をさぼったので昨日と今日の2日ぶんです。

 紀元前600年ユダ王国滅亡直前、王国の滅亡を予言したリーハイは迫害されてエルサレムを脱出、一族もろとも新大陸アメリカに移ります。リーハイの死後、それまでもちょくちょく対立してきた長男レーマン(悪玉)と四男ニーファイ(善玉)の対立が激化。ニーファイらは別の地に住みます。ところがニーファイの子孫も堕落、モーサヤが脱出してゼラヘムラに逃れます。ベニヤミン王の治世を経て、息子モーサヤ(おじいさんと同名)はかつてのニーファイを探検すべく、アンモンらを遣わします。ニーファイ人のリムハイ王に謁見したアンモンは、ニーファイ人がレーマン人の奴隷になっている事実を知らされます。
 リムハイ王のおじいさんゼニフはレーマン人と戦い、ニーファイの支配権を得ますが、次のノア王が悪い王様。そこで預言者アビナダイがノア王をいさめます。
 で、昨日の13章ではアビナダイは十戒を読み上げて、お前らこれを守ってないじゃないかといいます。そして今日の14章は、またまたJスミスJr(教祖様)の悪いクセが出てますね。イザヤ書53章そのまんまです。例の「苦難のしもべ」のところですけどね。

[370] ソロモンの詩篇4篇 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/09(月) 12:07:40 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=skd&book=pss&chapter=4&mode=0
 人におもねり律法を破る悪い奴らへの呪いの詩。
 11節の 、「誰も見ていない、誰も裁かない」という言葉で自らをあざむいた っていうのが面白い。悪いことする人って、まずは自己暗示をかけるのよね。おいらのやることは正しいんだって。

[369] 出エジプト記17-20章 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/09(月) 12:03:44 コメントする ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=skd&book=exo&chapter=17&mode=0
 昨年度の記事は[0:594]
 えーと、昨日私たち夫婦は日本福音ルーテル教会の洗礼を受けました。いままでも自称クリスチャンだったんですが、これで誰からも後ろ指を指されることのないクリスチャンになりました。
 そんなんで昨日はいろいろお祝いやらなにやらで、聖書日記をさぼってしまいましたので、正典コースと外典コースについては来週、異教コースについては今日まとめてうめあわせをします。
 十戒をさずかる20章。昨年は、カトリックとルター派だけ切り方が違うという話をしました。私は素直に考えればカルヴァン派などの区切り方のほう(1=神はおいらだけ。2=偶像ダメよ。3=安息日)が正しいと思います。ルター派になったからといって私はルター派の教義には従いません。おかしなものはおかしいと主張します。

 今年は十戒の話を迂回して、それ以外の話をまとめておきましょう。
 いや、その前に、今日の範囲の最後 出20:26「あなたは、階段を用いて祭壇に登ってはならない。あなたの隠し所があらわにならないためである。」、爆笑ものですね。今ふうにいえば「階段を使わないでエレベータにしなさい。そんなにスカート短かったらパンチラしちゃうよ」でしょうけど、いきなり隠し所ですか。この時代の人はパンツはいてなかったのね。でも階段がなくてどうやって昇るのかしら。スロープにしときゃいいのかしらね。

 あとはそれ以外の話をまとめときます。
 17章。水がないといって民がモーセに不平をいいます。不平というよりほとんどこれは暴動ですね。杖で水を出して事なきを得ますが、かなり生々しい。
 あとはアマレク人との戦い。アマレクは地名としては出てきませんがシナイ半島北部の遊牧民。戦いといえばヨシュアの登場です。もっとも 民13:16によればヨシュアはそれ以前はホセアという名前だったはずなんで、律法編集者がぼろを出してますね。アマレク人は以後もイスラエルとは仲が悪く、[354]では、サウルの死を知らせたアマレク人をダビデが「自殺幇助じゃ」と言って殺してますね。
 18章。モーセのしゅうと、祭司エトロがやってきて、なんでもかんでもモーセに相談というのは効率が悪いから組織を作れと提案します。
 19章。シナイの荒野につき、ここでいよいよモーセが山に登って神様から律法をさずかります。それが20章以降。

[368] クルアーン34回 投稿者=真理子 掲示日=2012/04/07(土) 20:24:17 コメントする ここから閲覧

 クル-34回。7章129-170節。クルアーン版出エジプトの話が続きます。