[ばべるばいぶる] |
このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[378] Re:出エジプト記17-20章 投稿者=鈴木貫太郎![]() ![]() |
まずは、ご受洗お目出とう御座います。ちょうど復活祭の日だったんですね。当に、お日柄もよろしくと云ったところでしょうか。 ところで。聖書箇所ですが、当時の人も、一応それなりの物を穿いてたと思いますよ。だって痛いんです。一物が。ある程度所定の位置に留まってないと、ブラブラ揺れて、それが、着ている物に当たると、擦れちゃって、それが結構応えるんです。 もっとも向こうの人って結構包茎が多くて、そんなに痛くなかったかも。 てば、些か脱線しましたが、これからも、よい信仰生活を・・・ 選定はだけは受けたけど、ってのも居てますんで(そう、アタシのことです)。 |
[377] モーサヤ書16章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=16&mode=0 ノア王をいさめるアビナダイの説教のつづき。将来あらわれるキリストの死と復活を説き、私は世の光であるとヨハネ福音書みたいなことを言って説教を終えます。 |
[376] 2マカ2章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ma&chapter=2&mode=0 昨年度の記事は[0:604]。 2マカの冒頭には2種類(1章10節までと、1章10節後半から2章18節まで)の手紙が載っています。どちらもエジプト在住のユダヤ人にあてたもの。神殿のきよめの祭り(宮きよめの祭り)の由来を説明しているのです。宮きよめの祭りは ヨハ10:22に出てきますが、こうやって外典も読んでおかないと、福音書も理解できないんですね。 2章ではエレミヤうんぬんと出てきますが、エレミヤ書にはこんな話がありませんので、失われたほかの本にあるんじゃないかと思います。 そしてクレネのヤソンが書いたというマカバイのユダの戦争の5巻本を1巻に要約したのがこの2マカだよという話をしています。こんなふうにギリシアの本って、由来を序文で説明するんですね。シラ書も最初に序文がついてましたよね。 そして最後に「長い前置きのために物語が短くなってしまうのはつまらないからである」といいながら、いままでの長い前置きを終えて、次からいよいよ本題です。 |
[375] 詩編51-53編 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=51&mode=0 昨年度の記事は[0:598]。 ●51編 バテセバというのは サム下11に出てくるバテシバのことです。口語訳聖書はこんなふうに表記が違うのでうまく検索できません。ちゃんと統一してよ!と思ったら、ヘブライ語では両者の母音記号が微妙に違うんですよね。不統一はヘブライ語聖書のものでした。ちなみに新共同訳はバト・シェバ、新解約はバテ・シェバに統一してあります。とりあえずバテセバで行きましょう。 ダビデはウリヤの妻バテセバと通じ、不倫発覚を恐れてウリヤを激戦地に派遣して戦死させてしまいます。それを予言者ナタンが非難してダビデが懺悔して詠んだ詩ということになっていますが、実際にはこの話とは無関係にできた懺悔の祈りで、バセテバの話は強引にくっつけただけです。7節(旧5節)に「わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。」とありますが、そんな話はダビデのエピソードには関係ないですからね。 ところでこれ、新改訳では「罪ある者として母は私をみごもりました。」というかなり違う訳になっています。これだと罪びとは母ではなく私になっちゃいますね。原文見ると、 http://interlinearbible.org/psalms/51-5.htm 「罪のうちに」「私をはらんだ」「私の母は」ですから、新改訳のは無理があると思いますが、諸訳はどうなってるかというと、 文語(○):罪ありてわが母われをはらみたりき フラ(×):母の胎内にやどったときから罪に汚れていました。 新世界(○):わたしの母は罪のうちにわたしを宿しました。 関根(○):罪の中にわが母はわたしを姙(はら)んだのです。 バルバロ(○):母は、罪のうちに私をみごもった。(旧)/母は罪のうちに私を身ごもった。(新) 回復(○):罪の中で、わたしの母はわたしを身ごもりました。 リビング(×):母が私をみごもった時から、罪人でした。 尾山(×):母の胎内にいる時から、罪を持っておりました。 光明社(○):わが母罪にありて我を孕(やど)せり 正教(○):我が母は罪に於て我を生めり (○)=母が罪びと、(×)=私が罪びと こうしてみると、福音派系の(×)がきわだってますね。たぶん、ダビデの母が不倫によってダビデを生んだみたいな話がないから、そうとるんだと思います。意外なのはフラ。しかも訳の根拠を注に書いてない。なお、新共同訳聖書注解も新聖書注解もこの件についてはノーコメントです。 さて音楽ですが、これもいろいろ問題があります。 まずはバッハの「わが罪を拭い去りたまえ、いと高き神よ」BWV1083。 (http://www.youtube.com/watch?v=DNH-4t-rLnc) あれ、どこかで聞いたぞと思ったら、これってペルゴレージの『スターバト・マーテル』じゃないですか。ほら、 (http://www.youtube.com/watch?v=JFnFvDx8zZM) 正教会ではこれ詩編50編になるんですが、けっこうYoutubeにいっぱいあがってます。 (http://www.youtube.com/watch?v=Fkz_G8Q9vcI) ここまでですごく長くなったので52編、53編は別の機会に。 |
[374] モーサヤ書15章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=15&mode=0 悪いノア王をいさめる予言者アビナダイの話の続き(予言というのは57年版。95年版では預言になってますが、当サイトでは予言と預言を区別なく用います。適当に文脈で判断しましょう。未来のことだけじゃなかったら預言だと思いましょう)。 前章はイザヤ書53章そのまんまだったんですが、あれはキリスト教ではイエス様のことを予言したことになってます。モルモン経でもやっぱりそうらしく、ここではアビナダイは180年あと(今はBC148なんです)のイエス様のことを予言しています。キリストが降臨したあかつきには、キリストのことを信ずるものばかりか、知らなかった人、幼児も復活して永遠の命を得るらしい。でも信じなかった奴はダメだから信じなさい、逆らっちゃダメだ、悔い改めよと言ってます。 |
[373] シラ書18章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=18&mode=0 昨年度の記事は[0:808]。 昨年は最後の33節「財布に一銭もないのに、乞食のように借金してまで飲み歩くな。」をとりあげましたけど、ここは後半がいろいろ面白いことわざが多いですね。 15節「子よ、親切なことをするときは相手の体面を傷つけるな。ほどこしをするときは相手を傷つけるような言葉をつつしめ」。そう、いい事をすればいいってもんじゃないんです。相手にもプライドってものがあるので、それを傷つけてしまってはいけないんです。でもついついこれやっちゃうんですよね。慈善の押し売りに注意しましょう。相手をほうっておく(かのようなふりをする)ことも大事なんです。さしあたりは次節にあるように、言葉をかけること。コミュニケーションが大事ってわけですね。 21節「病気になる前にへりくだれ」。むしろ、ふだんから謙虚でいないと、病気になっても誰も看病してくれない、と読みましょう。 |
[372] サムエル記下5-9章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2sa&chapter=5&mode=0 昨年度の記事は[0:597]。 全イスラエルの王となったダビデは、エブス人の町であったエルサレムを落とし、ここを都とします。そう、このときまでエルサレムは都でなかったばかりか、イスラエルの実効支配が及んでいなかったのです。後の時代から見ると、エルサレムは昔からイスラエルの都だった気がしますが、意外に新しいんですね。 そしてペリシテ人が攻めてきますがダビデは打ち破ります。サウルと敵対していたときは一時期ペリシテ人のお世話になったというのに、ダビデもダビデ、ペリシテ人もペリシテ人です。以上5章。 ダビデはバアレ・ユダにあった神の契約の箱を移動しようとしますが、事故がおこってウザが死んでしまいます。これでダビデは怖気づき、ガテ(ガト)のオベデエドム(オベドエドム)に一時的に安置、大丈夫そうだと見てエルサレムに運びます。ところがダビデのたくさんいる妻のうち、サウルの娘ミカルがダビデのはしゃぎっぷりを見てダビデをバカにします。ミカルというのは、あの、ペリシテ人のちんこの皮百枚を集めた功績でサウルから賜り、サウルと敵対していたときは別の人に与えられていた(サム上25:44)女です。以前はダビデを逃がすトリックをしてくれた( サム上19:12-17)というのに、愛情が冷え切った形で死を迎えます。以上6章。 旧約ではダビデ自身も預言者として扱うことがありますが(なにしろ詩編の数多くの詩の作者ってことになってますから)、ダビデ時代に活躍した預言者は別にいて、ナタンといいます。来週ちょっと活躍しますので覚えておきましょう。ナタンが「王国は安泰です」と預言、ダビデも王国の平和を神に祈ります。以上7章。 ダビデはペリシテ人を討ち、モアブを討ち、またゾバ(ツォバ)およびスリヤ(アラム)を討ち、王国は栄えます。以上8章。このあたりまではめでたしめでたしですが、来週はちょっと雲行きが怪しくなります。 |
[371] モーサヤ書13-14章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=skd&book=mos&chapter=13&mode=0 昨日13章をさぼったので昨日と今日の2日ぶんです。 紀元前600年ユダ王国滅亡直前、王国の滅亡を予言したリーハイは迫害されてエルサレムを脱出、一族もろとも新大陸アメリカに移ります。リーハイの死後、それまでもちょくちょく対立してきた長男レーマン(悪玉)と四男ニーファイ(善玉)の対立が激化。ニーファイらは別の地に住みます。ところがニーファイの子孫も堕落、モーサヤが脱出してゼラヘムラに逃れます。ベニヤミン王の治世を経て、息子モーサヤ(おじいさんと同名)はかつてのニーファイを探検すべく、アンモンらを遣わします。ニーファイ人のリムハイ王に謁見したアンモンは、ニーファイ人がレーマン人の奴隷になっている事実を知らされます。 リムハイ王のおじいさんゼニフはレーマン人と戦い、ニーファイの支配権を得ますが、次のノア王が悪い王様。そこで預言者アビナダイがノア王をいさめます。 で、昨日の13章ではアビナダイは十戒を読み上げて、お前らこれを守ってないじゃないかといいます。そして今日の14章は、またまたJスミスJr(教祖様)の悪いクセが出てますね。イザヤ書53章そのまんまです。例の「苦難のしもべ」のところですけどね。 |
[370] ソロモンの詩篇4篇 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=skd&book=pss&chapter=4&mode=0 人におもねり律法を破る悪い奴らへの呪いの詩。 11節の 、「誰も見ていない、誰も裁かない」という言葉で自らをあざむいた っていうのが面白い。悪いことする人って、まずは自己暗示をかけるのよね。おいらのやることは正しいんだって。 |
[369] 出エジプト記17-20章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=skd&book=exo&chapter=17&mode=0 昨年度の記事は[0:594]。 えーと、昨日私たち夫婦は日本福音ルーテル教会の洗礼を受けました。いままでも自称クリスチャンだったんですが、これで誰からも後ろ指を指されることのないクリスチャンになりました。 そんなんで昨日はいろいろお祝いやらなにやらで、聖書日記をさぼってしまいましたので、正典コースと外典コースについては来週、異教コースについては今日まとめてうめあわせをします。 十戒をさずかる20章。昨年は、カトリックとルター派だけ切り方が違うという話をしました。私は素直に考えればカルヴァン派などの区切り方のほう(1=神はおいらだけ。2=偶像ダメよ。3=安息日)が正しいと思います。ルター派になったからといって私はルター派の教義には従いません。おかしなものはおかしいと主張します。 今年は十戒の話を迂回して、それ以外の話をまとめておきましょう。 いや、その前に、今日の範囲の最後 出20:26「あなたは、階段を用いて祭壇に登ってはならない。あなたの隠し所があらわにならないためである。」、爆笑ものですね。今ふうにいえば「階段を使わないでエレベータにしなさい。そんなにスカート短かったらパンチラしちゃうよ」でしょうけど、いきなり隠し所ですか。この時代の人はパンツはいてなかったのね。でも階段がなくてどうやって昇るのかしら。スロープにしときゃいいのかしらね。 あとはそれ以外の話をまとめときます。 17章。水がないといって民がモーセに不平をいいます。不平というよりほとんどこれは暴動ですね。杖で水を出して事なきを得ますが、かなり生々しい。 あとはアマレク人との戦い。アマレクは地名としては出てきませんがシナイ半島北部の遊牧民。戦いといえばヨシュアの登場です。もっとも 民13:16によればヨシュアはそれ以前はホセアという名前だったはずなんで、律法編集者がぼろを出してますね。アマレク人は以後もイスラエルとは仲が悪く、[354]では、サウルの死を知らせたアマレク人をダビデが「自殺幇助じゃ」と言って殺してますね。 18章。モーセのしゅうと、祭司エトロがやってきて、なんでもかんでもモーセに相談というのは効率が悪いから組織を作れと提案します。 19章。シナイの荒野につき、ここでいよいよモーセが山に登って神様から律法をさずかります。それが20章以降。 |
[368] クルアーン34回 投稿者=真理子![]() ![]() |
クル-34回。7章129-170節。クルアーン版出エジプトの話が続きます。 |
[367] 1イミ17章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ic&chapter=17&mode=0 修道院生活だって他人とのつきあいがあるので自分を殺さなきゃいけないってことですけど、そもそも信仰って自己を砕くことが必要なんです。徹底して自己が砕かれないと、神にすがる気持ちになりませんもの。 |
[366] マルコ13-14章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=13&mode=0 昨年度の記事は[0:590]。 今日は寝坊しちゃって生活が乱れてる。明日受洗なのに。そんなわけで短くまとめます。Twitterにもツィートしないわ。 くしくも受苦日と復活祭の谷間の土曜日にあたりましたけど、イエス様の受難のシーンです。 ペテロの否認で、にわとりが二度鳴いたって書いてるのは、このマルコだけ。マタイとルカは二度なんて書いてません。じゃマルコの「一度目のにわとり」はどこに出てくるのかと思ったら、これがないんですね。これじゃ「二度」の意味がない。だからたぶんマルコ14章は、昔は「一度目のにわとり」がどっかに出てたのかもしれません。それとも二度っていうのは、コケコッコーコケコッコーって鳴いたってことなの? |
[365] クルアーン33回 投稿者=真理子![]() ![]() |
クル-33回。7章88-128節。 あらまあ、今日は出エジプトの話が続きますわ。知恵の書が知恵版でエジプトだったら、こっちはクルアーン版出エジプト。基本的には出エジプト記の話と同じですが、魔術師たちが負けたときにパロ(ファラオ)が怒って死刑にしてやると言った話とか、いろいろ尾ひれがついてるようですね。 |
[364] 知恵の書17章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=wis&chapter=17&mode=0 昨年度の記事は[0:724]。 引き続き「知恵版出エジプト記」です。出エジプト記を知らずにここだけ読むと何のことだかわかりませんが、不法な者たちっていうのはエジプト人なんです。火柱っていうのはイスラエルの民を導いた神様。出エジプト記では火柱のような形で現われましたよね。 出13:21とか 出14:24とか。 |
[363] エレミヤ書22-26章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jer&chapter=22&mode=0 昨年度の記事は[0:589]。 昨年も書いたように、同じような名前で実は別人とか、微妙に違う名前だから別人だろうと思ったら実は同一人物とか、面倒な問題がいろいろあるので注意してください。 今年は何を書こうかしら。めんどくさいのでとっても短い24章でいきます。 バビロン捕囚はBC587。「だから言(5)わ(8)ない(7)こっちゃない」と覚えます。エレミヤをはじめいろんな預言者があれだけ警告したのに悪いことばっかりやってるから、言わないこっちゃない、国が滅んじゃったじゃないかというわけです。 でも正確にはバビロン捕囚は2回あるんです。第1回は「だから言わないこっちゃない」の10年前。それを知ってないとここはわかりません。つまり「カルデヤびとの地に追いやったユダの捕われ人」とは、第1回目のバビロン捕囚で連れていかれた人々のことです。世界史ではユダ王国を滅ぼした国は新バビロニアといいますが聖書ではカルデヤといいます。 今は1回目の捕囚のあと、2回目はこれからです。もちろんこの時代の人は、2回目があるなんて思ってません。 1回目の人たちは不幸なのかと思ったら「よいいちじく」、残ったほうはラッキーなのかと思ったら「悪いいちじく」なんですね。どう違うんでしょう。昨日紹介した「ちいろば牧師」こと榎本保郎さんは、初穂をささげよととって、月の初めのものを献金としてささげよ、一日のはじめに神とのまじわりの時間を持てなんていってますが、そんなことじゃないでしょう。つまり残ったほうは、1回目の人たちの不幸を教訓にして立ち直るべきだったのに、性懲りもなく悪いことばかりして、エレミヤの警告を聞かなかったってことに問題があるんです。 原発事故は確かに不幸なことでしたが、それに学んで脱原発の道を歩み始めるべきなんですよ。でないともっとひどい事故が起きる。2回目のバビロン捕囚では国が滅んじゃったじゃありませんか。 いちじくは福音書でもよく出てきます。マタイ21章やマルコ11章じゃ、イエス様があまりの空腹にたえかねて、いちじくを呪っちゃいました。そんなふうに文字通りにとるのは私くらいかしら。でもケセン語聖書の山浦玄嗣先生も文字通りにとってますね。普通はこのエレミヤ書24章なんかを根拠にイスラエルの民の比喩ととるんですけど、それにしたってイエス様が呪うというのは尋常じゃありません。まあ私は、福音書のほうのいちじくの呪いは、そのままとったほうがいいと思ってます。 |
[362] モーサヤ書12章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=12&mode=0 二年後にアビナダイは変装をしてまた預言をします。ノア王の悪事がひどいのでさまざまな災いがおそってくるというので、民は怒ってアビナダイを捕らえ、王にひきわたします。王の御前でアビナダイは祭司たちと論争をします。祭司たちはモーセの律法を教えていながらちっとも守っていないじゃないかというわけです。 |
[361] ユディト記3章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jdt&chapter=3&mode=0 昨年度の記事は[0:440]。 オロペルネス(ホロフェルネス)の進軍は続きます。投降した町も許しません。領土を滅ぼし、神々をみんな滅ぼしてしまいます。こわいですね。短いのでまとめもいい加減。 |
[360] ヨブ記33-34章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=job&chapter=33&mode=0 昨年度の記事は[0:585]。なんか神義論を書いてますね。 今年は何を書こうかしら? 榎本保郎『ちいろば牧師の一日一章 旧約聖書編』(いのちのことば社 マナブックス) http://shop-kyobunkwan.com/4264029376.html という本がありまして、もとは主婦の友社から、今はいのちのことば社から出ています。Amazonだと取り扱いできないって書いてますね。教文館には在庫あるみたいですよ。 旧約聖書のすべての章について説教を書くというすごい力作です。だって、この真理子の聖書日記みたいなのやってみればわかりますけど、ホントに何も書くことがなくて困ること多いですもの。今だってあがいてる。 今日の箇所では ヨブ34:9「人は神と親しんでも、なんの益もない」(口語訳)「神に喜ばれようとしても何の益もない」について書いてらっしゃいますね。念のためいうとこの言葉は、否定的に取り扱われているんですよ。 どういう話かというと、以前は教会にちゃんと来ていたのにぱたっと来なくなった人がいて、どうしてなのかと思ったら、会社の上司から「君はこれからキリスト教でめしを食っていくのか、会社でめしを食っていくのか。もし会社でめしを食っていくなら、日曜日は上司にゴルフ接待をして点数を稼がなきゃダメじゃないか」と言われたという話を紹介してます。 で、ちいろば先生は、なんと、これに対して有効な解答を書いてないんですね。 フィリ3:20には「わたしたちの国籍は天にある」とあるけど、この世でも生活してるのは確かなんで、私たちは天と現世との二重国籍だとかいいながら、結局、こういうときにどうすればいいか、答えを書いてない。 答えは一人ひとりがその時々の状況で出せばいいってことなんでしょう。 会社の仕事が忙しいときは、会社を優先するという選択があってもいい。仕事がひまになったら教会へ行けばいい、という考えも成り立つ。 逆に、会社なんていつまでもないんだから(辛酸をなめた私は実感してます)適当に距離をおいてより永遠の交わりである教会を優先するという選択があってもいい。 この問題も、ヨブ記全体のテーマと同様、答えは出ないんですね。 いや、私は、礼拝を日曜日とこだわらないで、土曜日の夜にもやればいいんじゃないかと思う。土曜日の日没以後は日曜日なんだと強弁しちゃえばいいじゃん。でっかい教会だと礼拝を何度もわけてやってるけど、そんな感じで別の曜日にもやればいいんです。でも、小さな教会だと人が分散して各回がさびしくなるかしら? |
[359] モーサヤ書11章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=11&mode=0 ゼニフ王の次のノア王は、名前とはうらはらに悪い王様。なんと五分の一の税金を課します。それでぜいたくの限りを尽くし、多くの女を囲います。さらにぶどう園を作って酒を造り、王も民もみんな酒飲みになってしまいます。それでレーマン人もちょくちょく民を襲うようになりました。 このように神様の目に悪とされる政治を行ったので、アビナダイという予言者(57年のモルモン経では預言者と書かない。今のモルモン教は預言者。当サイトは予言と預言の区別を認めませんのでどっちでもいいことにします)が現れて王の政治を批判します。王はアビナダイに殺意を抱きます。 |
[358] 2マカ1章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ma&chapter=1&mode=0 昨年度の記事は[0:599]。また昨年のをそのまま使っちゃいます。 今日から始まる2マカこと第二マカバイ記(マカビー記、マカベア記)は、今まで読んできた第一の続きではありません。この時代のユダヤ人の戦いに関する別の人(不明)の本です。ただし、第一のほうはもともとヘブライ語だったろうとされています(残ってない)が、第二は最初からギリシア語だったようで、それは本日読む部分からわかります。いきなり手紙で始まるんでびっくりしますが、エジプト在住のユダヤ人に「宮潔めの祭」の由来を説明し、このお祭りは大事なんだからちゃんとやりなさいと言ってます。 メインの話は3章から始まりますけど、歴史の事件について、「これは神様がこう考えたからこうなったんだよ」「民が悪いことをしたからこうなったんだよ」と、倫理的な原因をくどいほどにしっかり説明してるのが特徴です。そういう点でも「国外ユダヤ人」向けなんでしょうか。 |
[357] 詩編48-50編 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=48&mode=0 昨年度の記事は[0:584]。 まずは今回の範囲の48-50編からちょこちょこ歌詞をとったヘブライ語の歌。歌詞はYoutubeのほうに書いてあります。 http://www.youtube.com/watch?v=_T9atdmHsm4 ●48編 シオンの山、エルサレムの都に詣でるときの歌は詩編にいろいろありますがこれも(そういうタイトルはありませんが)その一つなんでしょう。Great is the Lord. 主は偉大なりと歌いながらエルサレムを詣でます。 Jack Multiという人のギター弾き語り http://www.youtube.com/watch?v=6f3QXJOKIhY Schönebergなんてあるからシェーンベルクかと思ったらeが余計でしたね。ドイツ語による交唱 http://www.youtube.com/watch?v=yGsF-sqI_rY レゲエがありました http://www.youtube.com/watch?v=ssKcT9prZOc ●49編 「わが口は知恵を語り」というので知恵の詩編と呼ばれますが、その知恵とは結局13節と21節にあるリフレイン「人は栄華のうちに長くとどまることはできない、滅びうせる獣にひとしい。」ということ。「いつまでもあると思うなわが命」ってわけね。 オランダ語の讃美歌 http://www.youtube.com/watch?v=sGV0a8IHceA (The New American Street Version) by Jason Millerなんてあるけど、どうしてこれ、背景が渋谷なんだろう? http://www.youtube.com/watch?v=YzdmLNXViQU ●50編 交読文にとられてるほどの詩なんだけど、Youtubeにはなぜかいいのがない。正教会関係でPsalm 50とか書いてるのがいっぱいありますけどそれは次の51です。来週のお楽しみ。 さばきの日に神様が全地から人々を召集するという話だけど、さばきの日ばかりか毎週日曜日にも呼んでいるんでしょう。だから教会で交読するのにふさわしいのかしら。ここに書いてるように、神様はあなたの献金額ではなく、あなたが行いを慎んでいるかどうかを見てるのよ。 |
[356] モーサヤ書10章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=10&mode=0 レーマン王から支配権を認められたはずのニーファイ人ゼニフ王。しかし実際にはたびたびレーマン人から侵略を受けます。神様を信じて勇敢に戦ったゼニフ王はレーマン人をやぶり、国を平和に治めます。年老いたレーマン王は王位を次のノアに譲ります。 |
[355] シラ書17章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=17&mode=0 昨年度の記事は[0:806]。 やたらに〔 〕つまり写本によってあったりなかったりする部分がありますが、全部あるものとして読みましょう。 土くれにすぎない人間に神はさまざまな能力をさずけたとありますが、5つの能力つまり五感に加え、6番目が治世で7番目が理性だっていうのが面白い考え方です。 そして神様は他の生物に人間への恐怖心を与え、人間にすべての動植物を支配することを許されました。さらに、神をおそれる気持ち、知識、律法を与えました。 こうして人は神に似たものとしてさまざまな能力を発揮できるようになりましたが、命だけは有限です。死んでしまえば神をたたえることもできません。生きている間は神にたより神に従って生きましょう。 |
[354] サムエル記下1-4章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2sa&chapter=1&mode=0 昨年度の記事は[0:583]。 サムエルはとっくに死んでいるのにサムエル記はまだまだ続き、今日から下になります。 ダビデのところに一人のアマレク人がやってきて、サウル王と息子ヨナタンの死を知らせます。ところが彼がサウルのとどめをさしたというのでダビデは彼を殺してしまいます。これはちょっとひどい話。自殺幇助は何が何でもダメってことなのでしょうか。そして「弓の歌」を歌います(1章)。 ダビデはユダのヘブロンへ行き、ここで即位します。当時はエルサレムは都市になっていません。ヘブロンが都なんですね。一方サウルの子イシボセテ(イシュ・ボシェト)がアブネル将軍に擁立されてマハナイムで即位。つまりここから南北朝時代になるんです。ソロモンのあとイスラエル王国が南北に分かれた話は有名ですが、実はダビデ即位時もそうなんですね。昨年も書いたように、イスラエルは南北に分裂しやすいんです。フロイトの説によれば、北が地元派、南がエジプト渡来派で、後の南北朝時代を経て北が滅亡したためユダヤ教は南のイデオロギーを中心に組み立てられた。だからエルサレムが中心で、出エジプトの奇跡が強調されて、ダビデが神格化されて……ということになるんです。ソロモン後の南北朝時代は南がユダとベニヤミンでしたが、ダビデ即位当時の南北朝時代は南はユダだけ。ダビデはまだユダ族しか制圧しておりません。南北両国はけつこう激しく戦います(2章)。 北のアブネル将軍はイシポセテ王から、父サウル王の側女と寝たのではないかと嫌疑をかけられます。これに嫌気がさしたアブネルはダビデ王と通じ、かつてダビデ王の妻であったサウル王の娘ミカル(今は別の男に嫁がされている)をダビデに差し出すことを条件に投降する約束をします。ところがダビデ王側のヨアブ将軍が暴走して独断でアブネルを暗殺してしまいます(3章)。 北のイシボセテ王の略奪隊隊長バアナとレカブはイシボセテ王を暗殺、首をもってダビデのところに来ます。しかしダビデは怒ってこの二人を殺します(4章)。 |
[353] モーサヤ書9章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=9&mode=0 ここからしばらく(22章まで)は、ゼニフの話です。ゼニフというのはリムハイ王の祖父にあたります。今までいったい何が起こったのか、回想シーンというわけです。 実はゼニフはニーファイ人なんですが、ずっとニーファイの地にいたわけではなく、ゼラヘムラから分かれたんです。 復習すると、善玉ニーファイ人が堕落したあと、モーサヤという人がニーファイの地を脱出してゼラヘムラに移住しました。ところがゼニフは、先祖の土地つまりニーファイに住みたいという思いが強すぎたのでゼラヘムラからニーファイに戻ったのですね。そしてこんどは間者としてレーマン人につかわされたのです。 レーマン人は悪玉ですが、このときはニーファイもかなり堕落していたので、ゼニフの目には、レーマン人のほうがいい政治をしてるじゃないかと見えました。だからニーファイとレーマンと仲良く条約を結んで共存しようとはかったんですね。 ところがニーファイの王はこれを承知せず、戦争になります。ニーファイは壊滅的に敗れます。ゼニフたちは荒野をさまよったあげく、レーマン王(レーマン人の王は必ず名前がレーマンになるらしい)と交渉、ニーファイの地の支配権を得ます。 ところがレーマン王はゼニフらニーファイ人を奴隷にしようと思っているので、その後もちよくちょく戦いが起こります。ゼニフらは善戦しますが、犠牲者もけっこう出ます。 |
[352] ソロモンの詩篇3篇 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pss&chapter=3&mode=0 義人とはどういう人かを詠んだ詩。どんなことがあっても神を信頼し、常に自分から罪を取り除こうと修養するのが義人だというわけです。 |
[351] 出エジプト13-16章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=13&mode=0 昨年度の記事は[0:582]。そうだったわ。昨年の今頃はいろいろ品薄なものがあって買いだめするなとかうるさかったわね。 旧約聖書中の最大のヤマ場である、海が割れるシーン。偉大な奇跡を見て人々は神とモーセを信じたんですが、旅があまりにつらいもので、民はすぐにぶつくさ不平を言います。むしろここからの話は、すばらしい奇跡の話というより、民の不平をいかにモーセがなだめたかという話のような気がします。奇跡による信仰なんてしょせんは長続きしないんです。むしろ、奇跡が何も起こらず苦しいときにどういう行動をするかで、その人の信仰がわかるんだろうと思います。 |
[350] モーサヤ書8章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mos&chapter=8&mode=0 ここからは新たな話がいっぱい出てきます。といっても回想なんですけどね。ここまでのあらすじを復習しておきましょう。 紀元前600年ユダ王国滅亡直前、王国の滅亡を予言したリーハイは迫害されてエルサレムを脱出、一族もろとも新大陸アメリカに移ります。リーハイの死後、それまでもちょくちょく対立してきた長男レーマン(悪玉)と四男ニーファイ(善玉)の対立が激化。ニーファイらは別の地に住みます。ところがニーファイの子孫も堕落、モーサヤが脱出してゼラヘムラに逃れます。ベニヤミン王の治世を経て、息子モーサヤ(おじいさんと同名)はかつてのニーファイを探検すべく、アンモンらを遣わします。ニーファイ人のリムハイ王に謁見したアンモンは、ニーファイ人がレーマン人の奴隷になっている事実を知らされます。 そんなわけで8章。実はリムハイ王も、かつて脱出したモーサヤの末裔の町を探して探検隊を出すのですが、結局見つからずじまい。そのかわり24枚の金版を見つけてきます。文字が読めないので何が書かれているかわかりません。そこでアンモンは、当代モーサヤ王なら翻訳機を使って翻訳できるぞと言います。 さて、ニーファイとゼラヘムラというのは40日の行程らしいんですが、そんなに迷子になるんですかね? アメリカ大陸の砂漠は半端ないみたいですよ。 コナン・ドイルの『緋色の研究』にもモルモン教徒の死の旅の様子が描かれていますが、もう一つ例をあげましょう。 昨年2011年のアメリカ映画、Meek's Cutoff http://www.junglecity.com/event/moviereviews/meekscutoff.htm モルモン経ができたのが1827年ですが、1845年に実際にあった話を映画化。開拓者がインディアンの襲撃を避けて移動。近道を知っているという白人ミークにだまされて迷ってしまう。そんな中、道を知ってそうなインディアンの男に出会う。さてこの男を信用してよいか…みたいな話らしいですね。これもアメリカ大陸の砂漠を行く話。やっぱり大変みたいですね。 |
[349] 3イミ16章 投稿者=真理子![]() ![]() |
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ic&chapter=16&mode=0 「真の慰めはただ神にのみ求めなさい」。つまり、この世の楽しみとか幸福というのはどうせ長続きしない一時的なものなので、神すなわち永遠なるものに慰めを求めよ、つまりちゃんと天国に行けるよう、この世ではへりくだっていなさい。楽しいことがあったら楽しんでもかまわないけど、それは一時的なものだと思いなさい、というわけです。 フィリ3:20の「国籍は天」っていうの、面白い表現ですね。この世は仮住まいなんです。 イスラム教徒が酒を飲まないのも、来世ではいくらでも飲めるんだからいまはがまんしておこうってことらしいです。 |
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