[ばべるばいぶる]

真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[857] テトス(全)、シラ書35章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/28(日) 07:42:54 ここから閲覧

●テトスへの手紙1-3章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=tit&chapter=1&mode=0
 1テモ、2テモ、そして今回のテトスで「牧会書簡」がおしまいです。いずれも、初期キリスト教団の運営に関する話題が主となった書簡。著者はパウロということになってますが、すべてなりすましです。
 テトスは短いので今日1日ですべて読んでしまいます。
 他の信者を指導する立場にある監督は生活をしっかりしろ、異端に注意しろ、信者にはこう応対せよ……、言ってることは今でも通用するような教えで、それだけに、人によってはとてもつまらなく思うかもしれません(わざわざ聖書に書いてなくたって誰でもこう思うしね)。ただ、当たり前のことを当たり前に言うっていうのも大事なことですからね。だって人間、当たり前のことがえてして出来なかったりするものですから。
 しかし今日のテトスは、著者の意図しなかったところでとても有名になってしまった部分がある、その意味ではトンデモ本の定義どおりのトンデモ本と言えるでしょう。トンデモ本の定義はWikipedia参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%A2%E6%9C%AC
 テト1:12-13。クレタ人はみんなうそつきだ、とクレタ人の預言者が言ってるのは正しい、というくだりです。ここがいわゆる「クレタ人のうそつき」という自己言及のパラドックスとして論理学関連の本で非常に有名になっています。
 テトスのいう預言者とは、BC600ごろのクレタ人哲学者エピメニデスのことです。だから預言者といってもユダヤ教・キリスト教関係じゃありません。昔のえらい人がこういう有名なことばを言った、程度に読みましょう。
 私たちはついつい、「絶対の真理は存在しない」とか言っちゃいます。私も「わかりやすい教えはすべてうさんくさい」とか言っちゃいますけど、それが自分自身にもふりかかってくるとパラドックスになっちゃいます。聞き手は心の中で、こいつおバカなことを言ってる、とあざ笑っていることでしょう。
 私たちは人のことしか見えず、自分のことはついつい見落としてしまうので注意、というふうに思っておきましょう。

●シラ書35章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=35&mode=0
 神様に祈るときはてぶらではいけません。ちゃんと献金をしましょう。すばらしい言葉ですね。何かというと献金献金、十分の一持ってこいっていう牧師、あちこちにいますよね。そういう牧師はマラ3:8なんかを根拠にするんですけど、もっと直接的にズバリ書いてるのがシラ書35章じゃありませんか。マラキ書なんかよりシラ書35章を全部週報に書いたらいかがですか。あ、もっともこういう牧師さんはたいていプロテスタントの単立教会とか弱小教派で、しかもこちこちの聖書無謬だったりしますから、外典なんか読ませないかもしれませんけどね。残念でした。

[856] 明治訳の入力状況 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/27(土) 22:24:05 ここから閲覧

 今年はヘボン没後100年という記念の年なので、ヘボンさんのかかわった明治訳新約のテキスト化にとりくんでいます。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネときて、ちょっと頓挫していましたが、やっと使徒が終わりました(19章以降の校正がまだですけど)。やっと半分を越えたというところですね。なんとか年末までには全部できるかしら。
 なお、ヘボンさんの個人訳のマタイ、マルコ、ヨハネっていうのがありますが、これは別の方がテキスト化にとりくんでWikisourceにアップずみです。そのうち拝借します。

[855] ヨハネ16-18章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/27(土) 07:15:08 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=joh&chapter=16&mode=0
 いよいよ受難のシーンに入ります。
 受難といえば、バッハの受難曲。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと作ったらしいんですが、今残ってるのはマタイとヨハネだけ。エヴァンゲリスト(福音史家)と呼ばれるナレーター役の歌手が福音書を原則として省略したり改変したりせず歌い(せりふの部分は別の歌手がうたったりします)、要所要所でオリジナルの歌詞に基づくアリアや合唱曲が入るという構成の曲ですね。
 演奏時間はマタイがおよそ3時間、ヨハネがおよそ2時間。長い曲ですが、音楽がすばらしいので、あんまり長さは感じません。
 さて、ヨハネがどうして短いかというと、逮捕・裁判・処刑の話しかないからです。
 マタイだとその前に、香油大量ふりかけ事件とか、最後の晩餐の話があります。
 ところがヨハネでそれらを含めようとすると、12章から始めなきゃいけません。途中に大演説がありますからね。この大演説を全部マタイ受難曲ののりでうたったら、4時間半くらいかかっちゃうかしら。その大演説だって、何言ってるんだかよくわからない、ドラマ性の全然ない説教ですから、アリアもはさめない。たぶん聴衆はみんな眠っちゃうんじゃないでしょうか。
 ですからヨハネでは、香油事件も、それから晩餐の話もナシです。まあ、ヨハネの場合は何を食べたかという話がなく、足を洗うという話だったわけですけどね。
 ちなみに、当時の食事ってみんな寝ころがって食べたんです。自分の口や食べ物のすぐ隣にお隣さんの足がごろん。だから足を洗わなきゃいけなかったんですね。

 さて、今日は大演説が2章ぶん、そして逮捕・裁判の話。
 逮捕・裁判の話はマタイ、マルコ、ルカで読んだから、やっぱり大演説の内容書かなきゃいけないかしら。
 でも、私バカだから、ヨハネ先生の話がちっともわからないわ。
 この大演説って、いま読んでる旧約の箴言とか、外典のシラみたいに、ぶつぶつ区切って短い標語、警句、み教えとして壁にでも貼っておくのに便利な語句がちりばめられてるんですけど、全体としては何を言ってるかよくわかんない。
 それなら、ぶつぶつ区切って、部分的にとりあげましょうかしら。
 じゃやっぱり産みの苦しみの話かしらね。ヨハ16:20-22。私は子を産んだことはないし、将来的にも産むことはないと思うんですけど……
 産みに限らず、人間、いろんな不安や困難に立ち向かうことってあります。たとえば不始末をしでかして、怒ってる相手の家に謝りにいかなきゃいけない、とか。その時が来るまではどうしようどうしようって悩むんですけど、ええいと開き直っていくと、案外すんなりいくことも多い。そして終わったら、ビールがおいしいんです。だからイエス様も、マタイでは「明日のことで思いわずらうな」マタ6:34みたいに言ってくださるんです。これは私の最大の信条です。
 そのヨハネ版がここかしらね。苦労はあってもそれは一時的で、乗り越えれば楽しみがある。そう考えてお気楽に生きましょう。

[854] アモス書1-4章、シラ書34章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/26(金) 06:13:55 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=amo&chapter=1&mode=0
 今回と次回はアモス書。
 冒頭にアモスの出身地がテコアだと書かれています。普通にはエルサレム南東8キロほどのところにある寒村だと言われていますが、実は北のガリラヤのあたりじゃないかという話もあり、よくわかりません。いずれにせよアモス自身は北王国で活躍した預言者です。時代は南のウジヤ、北のヤラベアム(2世)だと書いてます。[787]の王名を覚える歌では、7番の
  南はアマジア、次ウジヤ
  病気でヨタムに交代す
  北はヤラベアム、次ヨタム
  おんなじ名前になっちゃった
のあたりですね。次の8番で北が滅びますから、だいたい紀元前8世紀中ごろというわけです。実際、ヤラベアム2世(北13)の在位はBC786-746、ウジヤ(南10)の在位はBC783-742です。
 「地震の2年前」って、地震なんてあったのかって思いますよね。列王記にはそんな話はちっともなかった。この地震は旧約聖書ではあとはゼカ14:5で「ウジヤの世」にあった地震という形で言及されてるだけです。たぶんBC760年ごろと推定されています。
 1章と2章では、各国に対して、「三つのとが、四つのとがのために~罰してゆるさない」と、どういう罰を与えるかを述べています。3ないし4ってことじゃなく、3+4=7ってことみたいですね。
 そしてアモスは北で活躍した人ですんで、北の首都サマリヤや聖所べテルの滅びを預言します。

●シラ書34章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=34&mode=0
 空想のむなしさと、旅の効用の話が主。確かに旅で得たいろんな経験って役立ちますね。ただし私はアジアばっかりで、ヨーロッパって行ったことないです。

[853] ギリシア語、ラテン語辞典に文法をサポート 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/25(木) 11:00:50 ここから閲覧

うちのサイトのギリシア語辞典
http://www.babelbible.net/bagster/bagster.cgi
とラテン語辞典
http://www.babelbible.net/lewis/lewis.cgi?mode=lewis
にそれぞれ文法書をサポートしました。ヘブライ語辞典
http://www.babelbible.net/davidson/davidson.cgi
に文法をつけたところ、やっぱりそういうほうが便利だと思ったので、文法書をオンラインで読めるようにしてみました。

[852] 箴言23-24章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/25(木) 10:56:24 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pro&chapter=23&mode=0
 例によってさまざまな分野のことわざが混在していますが、それぞれに面白いですね。
 箴23:1からしばらく続く、偉い人との食事は注意せよという話。
 箴23:13子どもは笞でたたいても死なない。笞でたたけば命を陰府から救う(逆に、きびしくしつけないと、さばきのときに困る)という話。
 箴23:20あたりからの、酒飲みや肉好きの一とは付き合うなという話。
 箴23:23、真理・知恵・教訓・悟りはカネで買え。つまり勉強や情報の入手にカネを惜しむなという話。
 箴23:27からの、遊女に注意という話。
 箴24:1からの、悪い奴をうらやむなという話。
 ……いろいろありますね。どこに興味を持つかで、あなたはこういう人だっていう性格判断ができそうですね。

 で、私がとりあげるのは箴24:16、正しい者は七回倒れても起き上がるが、悪い者はわざわいでほろびる、という話。
 逆にいえば、神様を信じても七回は倒れることがあるってことですね。
 信仰の効用は、ご利益が出ることじゃなく、たとえヨブのようにどんなに不幸に見舞われても絶望しない、自分であらゆる不幸を背負うんじゃなくて神様まかせに出来ちゃうってことなんでしょう。そして、これは遠藤周作さんの受け売りですが、信仰を持つと、「死ぬのがこわい、と人前で叫びながら死んでもOKになる」。つまり自分の人生の全責任を背負うことなく、弱さをさらけ出してもかまわなくなる。弱さをさらけ出して、あとは神様お願いって言えるようになるってことなんでしょうね。

[851] 詩編108-110編、シラ書33章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/24(水) 10:10:25 ここから閲覧

●詩編108-110編
 詩編というとダビデの歌ばっかりという気がします(実際「聖詠経」という名で出版されている正教会の詩編は、冒頭にダビデの肖像が描かれてまして、これが突っ込みどころ満載で思わず爆笑してしまう。
http://www.babelbible.net/pdf/orjpsa.pdf#page=5
 でも実際にはダビデの歌は、30番台あたりまでと、60番台あたりに集中していて、その他のところにはあまりありません。
 今回はたまたま3つ並んでます。次は138編まで出て来ません。
 108編。詩編の歌ってどれも似てるなと思ったら、なんと、前半1-6節(節番号は当ばべるばいぶるの、BHS、新共同訳方式。従来のものは[ ]囲みで書いてあります)は57編2-6節、後半7-14節は60編7-14節。まるっきりそのままです。もっとも原文では接続詞(ו)があったりなかったりという違いがありますが、翻訳の加減ではまるっきり同じになっちゃいますね。
 ところがこういう違いをしっかり訳し分けた翻訳があるんです。それはなんと、KJV。
 橋本功先生によれば、KJVっていうのは実はできる限り原文に忠実たらんとした訳なんですよ。もともとのKJVはFrakturというドイツ風亀の子文字ですが、原文にない語を補った場合はそこだけローマン体になってます。現代の印刷媒体ではイタリックにして区別してます。もっともうちのデータを含めてネットデータではこの区別のあるものはめったにないと思います。どこかでそういう区別してるのを見かけましたけどね。もう一度探してデータ差し替えようかしら。
 語順だってヘブライ語の語順に出来るだけあわせたような英語の語法を用いたりする。もっとも英語の用法にちゃんとそういうのがある場合に限っての話ですけどね。
 今でこそKJVって格調高い文で英語の模範となったみたいな説明ありますけど、出た当初は猛烈にヘンな英文だと思われたんじゃないかしら。みんなが使ってるうち、これが標準になったんです。
 KJVを見ると、たとえば
詩108:6 Be thou exalted, O God, above the heavens: and thy glory above all the earth;
詩57:6 Be thou exalted, O God, above the heavens; let thy glory be above all the earth.
みたいに、もとが接続詞(ו)ナシ、108編がアリというのをちゃんと表現してるんですよね。まったくすごいです。

 110編はイエス様がたとえばマタ22:44で「メシアはダビデの子じゃないぞ。ダビデがメシアを主と呼んでるんだからさ」という話で引用してる詩です。何も知識ナシで読むとポカンとする詩ですが、けっこう新約で引用箇所の多い詩ですね。詩編に限らず、旧約聖書は引照つきのもので読んで、新約でどういう使い方をしているか(その場所を開けるのが大変なら、せめて新約への引照が多いか少ないかだけでも)を参照しながら読むといいでしょう。

●シラ書33章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=33&mode=0
 最後のところで召使の使い方の話になっております。どんどん仕事を与えて怠けさせるなとありますが、最後には「高い金を出して買ったんだし、逃げられたらかわりを探すのが大変」というので、あんまりいじめるなという話にもなっています。日本人はこのかげんがうまくできないので、海外駐在員の奥さんが現地の家政婦をうまく扱えないという問題があるみたいです。すぐに自分でやっちゃうんで、「あの家の仕事はラクよ」となめられるんだとか。

[850] 歴代誌上25-29章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/23(火) 05:36:41 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ch&chapter=25&mode=0
 ダビデはレビ人のアサフ、エドトン、ヘマンをはじめとする聖歌隊を組織します。
 水曜日に詩編を読んでいますが、いままで50、73-83編が「アサフの歌」でした。ダビデやソロモンはいいとして「アサフって誰?」と思っていた方は、ここで謎がとけたわけですね。聖書のいろいろな箇所を速読していくと(あまりにチンタラと読むと前に読んだところを忘れてしまう)、聖書の全体像が把握できるばかりか、こういう疑問がだんだん解けてきます。
 アサフはレビ人であるばかりか、コラびと、つまり月曜日に読んだ民数記で反乱を起こしたコラの子孫というわけです。レビ人の中でも祭司の家系ではないのでこういう反乱を起こしたわけですが、その子孫は聖歌隊だの門を守る係だの、せんべいを造る係(代上9:31のマタテヤ)だのに任命されたというわけです。
 さて、「名簿を読む楽しみ」が27章まで続いた後、28章でダビデは「私は軍人として多くの血を流したので神殿建設を神様から許されなかった」と、後継者ソロモンに神殿建設を託します。列王記ではソロモンを後継者にするにあたって一波乱あったことが書かれていましたが、歴代誌ではそんなこともなく、どこかの独裁国家のようにめでたくめでたくすんなりと王位が継承され、歴代誌上がここで終わります。

[849] Davidson/Gesenium Hebrew Lexicon 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/22(月) 16:28:33 ここから閲覧

 当サイトのヘブライ語辞典、
http://www.babelbible.net/davidson/davidson.cgi
最初はDavidsonだけだったんですけど、説明が足りないなって思いましたんで、Geseniusの辞典のPDFをInternet Archiveからダウンロードして、2つの辞典をサポートしてみました。
 さらに、Geseniusには巻末に英語索引がありますし、Geseniusの辞典をもとにPorterという人が作った英へ辞典もありますんで、そこらへんもサポート、
 文法を見たいなという人のために(辞書には最低限でも語形変化表は必要です)、Davidson序文部の文法説明と、Geseniusのヘブライ語文法も見られるようにしました。
 いつの間にか、なんとヘブライ語関連の4冊の本を読めるCGIになっちゃいましたね。
 これも、Internet Archive http://www.archive.org/ で配布しているPDFがきれいだからです。これをJPGに変換して簡単なインデックスをつければ、すぐにこういうものができちゃう。これが国立国会図書館の近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/index.html じゃだめ。ここのPDFは画質がひどすぎるもの。
 ただ、Internet Archiveは、ときどきスキャンに失敗してるページがそのままになってるので、油断できません。ちゃんと紙媒体の辞書を持ってないと危ないです。今回、このためにGeseniusを買いましたもの。

 で、さっそくGeseniusで利子(נשך)と利息(תרבית)をひいてみました。([797]参照)
 すると、利息のほうは、語根のרבהのところではなく、תרביתのところに説明がありましたが(p.873)、interest, usuryというだけで、あんまり説明がありませんでした。
 これに対して、利子のほうは(p.570。ただし語根の動詞のほう) since not only lending on usury, but even receiving interest wad supporsed to mark a sordid person and an oppressor of the weak つまり、高利をつけて貸すばかりか、ふつうの利子をつけて貸すことさえも、金に汚く弱いものいじめをする奴とみなされるから、とあります。だからやっぱり利子と利息は、ふつうの利子か高利かという違いなんでしょうね。でもGeseniusのほうは、利子のほうにこの説明があるので、どっちが高利にあたるのかよくわかりません。
 辞書が2つあっても、なかなかすぱっと明快に解明しないものですね。

[848] 民数記17-20章、シラ書32章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/22(月) 09:18:49 ここから閲覧

●民数記17-20章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=num&chapter=17&mode=0
 17章に入ってもコラの反乱の話が続きます。
 ヨエル書同様、ここもBHSの章区切りが従来と違うのです。従来は17章前半、コラの一件が終息するまでを16章としていたのです。内容的にはそのほうがふさわしい気がします。
 まあ、いい機会ですから復習しましょう。
 コラはレビ族です。レビ族は祭司の仕事をする部族ですが、レビ族ならば誰でも祭司になれるわけではなく、アロンの一族と決まっています。そこで、モーセ=アロン体制に不満を持つ人たちが、コラを筆頭にして「なんでお前たちだけがいつも命令するんだ?」と反乱を起こしたわけです。
 これに対して神様はいろいろなしるしを出して、アロンを支持していることを示します。そして民のうちに疫病をはやらせます。規模があまりにひどいので、モーセとアロンがなんとかとりなしのための罪のあがない(また「あがない」というわかりにくい言葉! この場合は香をおカネとして支払って、民の罪を神様が罰する権利を買い取ろうというのです)をして、なんとか神の罰は終息します。
 ついでに「あがない」というわかりにくい言葉が民18:15-17にありますので先回りして見ておきましょう。初モノは全部神様のものなのでささげなければいけないのですが、人間の初モノを真っ黒こげにするのはマズいので(って、このとんでもない神様は、昔アブラハムにイサクをささげろなんて意地悪を言ったくせに!)、あがなえというのです。ただし、牛と羊とヤギは必ず現物と言ってます。この「あがない」は、本来は神様のものなんだがかわりにカネで買い取れ、ということですね。
 さて、昔も今も17章である、現16節以降の話。神様は、アロンこそが祭司だということを居超するため、アロンの杖に花やアーモンドの実をつけるという奇跡を行います。主の幕屋に近づけるのは祭司職だけで、同じレビ族でも他の者はみんな祭司職(アロン一族)に仕えていろんな仕事をするのだよ、そのためにレビ族は土地を持たないのだよ、と定めます。
 20章。イスラエルの民は死海のはるか南方、カデシュというところにいます。
 Wikisourceでは口語訳聖書時代に出た「聖書地図」というパンフレットのような地図が、著作権が切れたというので全部画像になってますね。便利ですから見ましょう。
http://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:JBS1956-B_map02.png
 この地図で死海の南西方向に茶色の山があり、そのあたりに「チンの荒野」と書いてあります。現在地はそのあたりです。口語訳聖書ではカデシという表記ですが、それも見えますか?
 ここで民がまた「水がないぞ」と反乱を起こそうとしたので、神様はモーセに水の出し方を教えます(民20:8)。ところがよく読むと、モーセは神様の命令どおりにやってるようで、実はやってないのです。岩に命じろと言ってるのに岩をたたく。これがどうやら神様のしゃくにさわったようです。
 それに、新改訳や新世界訳ではハッキリ訳しているのですが(ほかではよくわからない)民20:11で、このときとった杖は「彼の杖」つまりモーセの杖なんです。原文では「彼の」という人称接尾語がここだけハッキリ書いてあります。どうも、アーモンドをみのらせたアロンの杖じゃなくモーセの杖を使ったことも、よけいに神様のしゃくにさわったようです。そんな! そもそも杖で打っちゃいけないっていうんなら、モーセの杖だろうとアロンの杖だろうとどっちでもいいでしょうに。
 いずれにせよ、神様は一応水を出してくださいますが、この間違いの代償として、なんと一同は、約束の土地に入れなくなってしまいます。
 例の地図では現在地の右側にエドムと書いてありますが、エドム人が通行を拒否したので、彼らは大きく迂回するはめになります。その途中のホル山(谷を越えた東側)でアロンが死んでしまいます。

●シラ書32章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=32&mode=0
 前半は宴会の作法。こんな話が聖書に出てくるなんて面白いですね。大学時代に聖書研究会なんていう人たちとお付き合いをしてお酒もいろいろ飲みましたけど、こういうのを読み合わせてからいけばよかったわ。あ、ほとんどプロテスタントだったからシラ書なんか読まないか。

[847] 2テモ3-4章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/21(日) 05:46:27 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ti&chapter=3&mode=0
 3章は、終わりの時にはいろんな悪い奴が出てくるという話から始まりますが、終わりの時というのは漠然とした未来ではありません。
 今でも「すぐにでも終末が来る」と説く教派があります。私にいわせれば、そういう教派はカルトで要注意。終末なんていつ来るか誰にもわからないのに、なんで「すぐに来る」ってわかるのか。もちろん、すぐに来る可能性だったあるわけですけど、それを強調すると、じゃ仕事もしても意味がない、大学に行っても意味がない、お金を持ってても意味がないっていうんで教団に巨額の寄付をする……ってことになるわけですから、これこそがカルト教団の悪いやり方なんですね。1999年7月に終末が来ると信じていたうちの主人みたいに人生を棒にふりますよ。
 でも、実は初期のキリスト教団はそういう意味でいえばカルトなんです。すぐに終末が来ると本気で信じてます。パウロなんか死ぬ寸前まで、自分は死なない、つまり死ぬよりさきに終末が来るって信じてましたもの。
 ですから3章なんかも、漠然とした未来ではなく、実は現在のことと読むべきなんです。
 いろんな悪い奴が出てきますけど、6-7節みたいに女をいっぱい囲う人もいたんですね。エロい人は昔も今もいつでもいます。
 悪い奴も多い。迫害も多い。そんな中で、聖書に親しみなさいというのが3章ですね。もちろんここでいう聖書というのはいまでいう旧約聖書。当時から聖書の「逐語霊感説」ってあったんですね。

[846] 足を洗うといえば 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/20(土) 05:45:31 ここから閲覧

 私はずっと誤解してたんですが、洗足学園という学校がありまして、足を洗うっていうからてっきりヨハネ13章だと思って、キリスト教系の学校なんだと思ってましたが、
http://www.senzoku.jp/new/index.html
ぜんぜんそういう話がないんで、無関係なんですね。
 今は川崎市の溝の口にあるんですがもともとは目黒区にあり、そこの洗足という地名からとったみたいです。
 その洗足も、本来は千束でして、現に大田区側にある駅は北千束なんて書いたりします。「本来」と言いましたが、じゃ洗足というのがまったく間違いかというと、これはこれで複雑な歴史があるみたいですね。
http://xwin2.typepad.jp/xwin2weblog/2010/04/senzoku_senzoku_00.html
 足を洗ったのも日蓮さんみたいです。
 まあ、日蓮さんの教えは日本の各宗派の中ではキリスト教っぽいところがありますから、似たような伝説が生まれるんでしょうか。

[845] ヨハネ13-15章、シラ書31章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/20(土) 04:54:47 ここから閲覧

●ヨハネ13-15章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=joh&chapter=13&mode=0
 「最後の晩餐」ですが、ヨハネの場合はパンもぶどう酒も出て来ません。何を食べたかはちっとも書かれておらず、かわりに足を洗う話になっています。
 プロテスタントの教派の中には飲酒を罪悪視するところがあって、当然ながら聖餐ではぶどうジュースを使うんですが、でもそれは聖書にのっとってないんじゃないのかという批判を受けたり、なかなか大変ですね。
 聖書自体には飲酒を罪悪視する記述はありません。べつに聖書に書いてなくたって独自にそういう教義をたてたっていっこうにかまわないと思うんですが、その一方でプロテスタントの大前提として「聖書のみ」というのがありますから、えてしてこういう考えの方は聖書をこじつけ解釈する傾向があります。たとえば、
http://lambofgodministries.tumblr.com/post/7918898065
 しかし、もし福音書が4つも正典とされず、ヨハネだけが残っていてあとは残ってなかったりしたら、教会の聖餐式の様子もずいぶん変わっていたかもしれませんね。いや、「聖餐」ではなく、みんなで足を洗いあっていたかも。殿方の場合、もしかわいい女の子の足を洗うことになったらさぞや興奮なさることでしょうね。これじゃミニスカで教会に行けないわ。
 ちなみにうちの主人は、平和島にあるスパのプールでエクササイズの時間に、若い女性とペアを組まされて、お互い足をマッサージするなんてことをしたそうで、すごくドキドキしたと言っておりました。私の足なんかじゃちっとも興奮しないくせに。ぷんぷん。
 先週も言いましたように、ヨハネはここからが長い。実際にはこの足洗いから逮捕、処刑まで一気に同じ日に行われてるんですが、14-17章で大演説をぶつんです。
 ちなみにこの日はというとヨハ19:14、過越の日の前日というわけです。他の福音書では過越の日です。間違えないでほしいのは、曜日はどちらも金曜日なんですが、それが過越の日当日だったのか前日だったのかが異なるんです。過越の日というのはニサン月14日ですからヨハネだと13日というわけです。これは月の満ち欠けで決まりますから曜日は関係ありません。暦の計算をすれば、毎年毎年過越の日が何曜日だったのかがつきとめられますので、イエス様の死の年が変わってくることになりますし、最後の晩餐の食事にもしパンが出ていたとすれば、ヨハネではそのパンにイーストが入っていてもかまわないということになります。そんなわけで日付問題はけっこういろんな問題に波及します。
 さて、大演説の話。今日の範囲14-15章では、ヨハ14:6「わたしは道であり、真理であり、命である」とか、ヨハ15:1「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」とか、いろいろ名セリフが出てきます。これらの名セリフはぶつぶつとそこだけを切り出すとすばらしいんですが、全体を通読すると逆に何がなんだかわけがわからなくなってしまうことでしょう。まあ、ヨハネの書くことですから、誰にもよくわからないんです。

●シラ書31章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=31&mode=0
 前章末から続いて食事の話です。面白い話がいろいろありますのでまずはじっくりお読みください。
 27節の「適度に飲みさえすれば、酒は人にとって命のようなもの」なんていうのは、酒を禁じる教派に見せたいところですね。あ、プロテスタントは外典認めないんだった。
 ところでここから36章までは、ギリシア語写本の順序がぐちゃぐちゃになっていまして、ラテン語訳だのヘブライ語訳だのに従って再構成された部分です。もっとも本として市販されたりネットでデータが出回ってたりするLXXは、ラーフルス版(ドイツ聖書協会)もゲッチンゲン版も、もうすでにそういう処理がなされていますので、あんまり気にする必要がないかもしれません。

[844] Re:BHSの章節分け 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/19(金) 16:33:36 ここから閲覧

 私も今朝まで忘れてました(笑)。だってヨエル書なんて読まないもの、ふつう。
 BHSの章節分けとそれまでの聖書の章節分けとの違いは、かねてからデータベース化しております。たとえば口語訳聖書のZIPファイルの中に入ってるchcol.ut8というファイルがそれです(以下、「新旧対照データベース」と言います)。.ut8 というのはUTF-8コードで書かれたテキストファイルという意味ですが、この場合は漢字が入ってるわけじゃありませんから普通のテキストファイルと同じです。
 BHS以前の旧約聖書のデータを持ってくるときには、この新旧対照データベースの情報によって章節番号を読み変えたうえでBHSとのリンクチェックをして、エラーが起こったところを点検して、その聖書独自の新旧対照データベースを作成したり、本文にちょこちょこと修正を加えたりしているのです。
 でも、ヨエル書はどの聖書も自動処理だけで例外がなくうまくリンクしちゃうんで、昔は3章今は4章なんてこと、すっかり忘れておりました。

 LXXやヴルガタの詩編の編番号が違うのは有名ですけど、こういう番号の違いって何とかしてほしいです。面倒で面倒でしかたありません。
 詩編も、編番号が違うだけならいいんですけど、詞書が長いときにBHSは詞書から1とするんです。あまりに長いと詞書だけで2節分とっちゃうからあとが全部ずれる。じゃ詞書は全部1としてるかっていうと、分けてないところもけっこう多い。こういう不統一はやめてほしいです。
 ネットで出回ってる聖書データでは、この詞書の部分をごっそり抜かしちゃってるものがあるので、紙媒体で確認して手入力することもしばしばです。ハワイ語聖書がそうだったので頭をかかえました。たまたまPDFが手に入りましたけど、それがまた不鮮明。ハワイ語知ってれば多少不鮮明でも正しく入力できるんでしょうけど、こっちはさすがにハワイ語は知らない。いえ、興味があるのでいずれは勉強したいなとは思うんですけどね。外国には「ありがとうございます」と書こうとして「めいがとりニザりまゐ」みたいな怪しい日本語になってる看板ありますけど(香港にもありませんか?)、さぞかしそんな具合になってることでしょう。

[843] BHSの章節分け 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/08/19(金) 07:02:31 ここから閲覧

知りませんでした!! ヨエル書が、3章の訳と、BHSに従った4章の訳があるなんて。

で、メシアニック用の旧約・新約 全ヘブライ語の聖書の、BHS旧約を見たら、3章は5節でおしまいで、mishpat ha-shem al ha-goyim という小見出しをつけて、4章になってました。

この小見出しは、BHSにはないのですが、どこに由来するものなのか、不明です。新共同訳と比べてみたら、新共同訳は2章の頭に「主の怒りの日」という小見出しがありますが、BHSメシアニック版にはありません。そのほかは、同じ意味の小見出しです。

由来が気になります。

[842] ヨエル書1-4章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/19(金) 05:10:29 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=joe&chapter=1&mode=0
 ヨエル書は4章まででおしまいですのでこれで全部です。しかも4章に分かれるようになったのはBHS以降、日本語の代表訳でいえば新共同訳以降でして、口語訳も新改訳も3章どまりです。旧第2章を2つに分けるかどうかという話で、分けなくても全32節しかないんですから、実質的に3章ぶんの分量しかない短い預言書です。
 時期に関する語が全然ないんですが、2章冒頭で「シオンで」うんぬんとありますし(エルサレムの別名です)、十二小預言書はだいたい時代順ということになってるので、南北王朝期(紀元前8世紀)の南王国、エルサレムにいた人だと思われます。
 世の終末の恐ろしい光景の予言もあるので、トンデモ系の本でもときどき取り上げられます。たしか五島勉さんもどっかで言及してたような。
 しかしこれはキリスト教にとってはもう一つの特別な意味があるんです。
 旧約聖書の預言書は、それ自体を読むとおどろおどろしくてよくわかりませんが、むしろ新約聖書のどこで引用されているかを見るといいでしょう。牽強付会を含めてキリスト教徒が旧約の預言書をどう読みどう利用したかということです。
 するとヨエル書は使2:16-21で使われています。ペンテコステでみんながヘンな言葉を話し始めたので、酒に酔っ払ったのかと思われたのですが、これはヨエル書の預言どおりなんだというわけで、終わりのときに神様が聖霊をすべての人にそそぐ、ということだったというわけです。
 BHSはどういうつもりか知りませんが、旧2章を使徒で引用されてる箇所からざっくり分断して新3章にしちゃったというわけです。
 こうすると、ヨエル書の旧3章、新4章も、こわい情景なのではなく、神様の救いなんだということがわかります。私たちにはそう読めないかもしれませんが、そう読まれてきたってことですね。

[841] 箴言22章、シラ書30章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/18(木) 04:07:05 ここから閲覧

●箴言22章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pro&chapter=22&mode=0
 口語訳聖書では冒頭が「令名は大いなる富にまさり」とありますが、令名というのは名誉とか名声とかいうことです。口語訳聖書というと丸谷才一の批判によって悪文のきわみという印象がありますが、実は直前までは文語体だったものをほぼ機械的に口語に直したものだという裏話があります。明治に旧新約が文語で訳されたあと、大正になって新約だけが改訳されました。実は旧約の改訳も進行し、ほとんど終わっていたところに、戦後になってもう文語でもあるまいというので急遽口語に直したのが「口語訳聖書」だというのです。ですから最近では、むしろ文語の香りをそこはかとなく漂わせた格調高い文だと、評価が変化しています。最近というのは新共同訳が出てからですね。そのくらい新共同訳の文体がひどいということなんでしょうか。
 でも丸谷才一など多くの作家たちの批判は、一部は口語訳聖書の文体の欠点そのものを突いてはいるものの、多くは単に慣れの問題という気がします。文語訳聖書に慣れた人にはそりゃ違和感あるでしょう。私は口語訳聖書で育ったので、新共同訳に違和感あります。こんどは2016年をめどに「標準訳」という、もっと典礼にふさわしい格調高い文章で訳したものを出すらしいですけど、たぶんこれも悪評ふんぷんよ。
 話を戻すと、箴言のところは口語訳聖書の中でも特に文語のニオイがぷんぷんしているところです。新共同訳や新改訳と比べてみるとよくわかります。

●シラ書30章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=30&mode=0
 ここは教育論と健康論。父を恨んで育ち、今は子がいない私には教育は語れないんですけど、24節の「うらやみと怒りは寿命を縮める。うれいは老化を早める」は、心しておこうと思います。なお、次の25節の食べ物の話は、次の章に続きます。シラ書の章の区切りは適切さを欠いてるところがありますね。

[840] 詩編105-107編 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/17(水) 05:08:12 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=105&mode=0
 3つとも「主に感謝せよ」という言葉で始まる歌。
 105編と106編はイスラエルの歴史をふまえた歌です。何も知らないとポカーンという感じですが、月曜日に読み進めてきた律法の内容を思い起こしながら読むとよくわかってきます。
 105編は創世記、出エジプト記に出てきたさまざまな故事をふまえていますが、うずらの話は先週の民数記に出てきたところです。あれ、うずらが飛んできたのはいいけれど、それを食べ切らないうちに疫病がおそったんでしたよね。そういう話がちっとも出て来ませんね。
 そう思いながら106編を読むと、こちらは民のおかした悪行に対して神様が罰を与える話。105編が神様の恵みの話ばかりでしたから、両者は一対になっています。

[839] 歴代誌上20-24章、シラ書29章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/16(火) 05:34:42 ここから閲覧

●歴代誌上20-24章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ch&chapter=20&mode=0
 ダビデは年老い、ソロモンに神殿建設を託して後継者に任命します。そして祭司とレビ人を集めて任務を定めます。
 と、まとめてしまえばこれだけなんですけど、例によって書かれていない話がありますね。
 サムエル記、列王記はダビデのスキャンダルもはっきりと描くのですが、歴代誌は基本的にはダビデ礼賛、悪いことは書きません。
 たとえばソロモンが後継者になるにあたって、決して順風満帆だったわけじゃありません。昔の王家はどこもそうですけど、今の日本の皇室みたいに皇位継承順が自動的に決まるなんてことはないので、後継者争いが熾烈なんです。列王記上によればアドニヤが後継者になろうとして反乱を起こしますが、ソロモン王の母バテシバ(バトシェバ)の尽力もあってソロモンが即位、アドニヤは殺されたのでした。そんな話はちっともありません。
 ただしダビデの人口調査の件、サムエル記下24章にある話は、こちらにもちゃんとあります。人口調査といえば、いま月曜日に読んでいる民数記も人口調査の話があり、なんでこれが神様の心にかなわなかったのか、いろいろ理屈をつけて説明する人がありますけど、ちっともわかりません。

●シラ書29章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=29&mode=0
 隣人を援助してやれ、金はちゃんと返せ、という話です。
 昔は人に金を貸してもなかなか返してもらえなかったらしく、トビト記にある昔の借金を返してもらう話なんかはむしろ例外的なことだったみたいです。
 冒頭の金を貸してやれというのも、同胞から利子をとることは禁じられてますんで、むしろ「援助してやれ」ということで言ってます。

[838] 民数記13-16章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/15(月) 10:40:26 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=num&chapter=13&mode=0
 荒れ野をさまようイスラエルの民に最大の危機が訪れます。
 約束の土地を前にしたとはいえ、行けば自動的に自分たちのものになるわけじゃありません。戦って勝ち取らなきゃいけないわけです。現に別の人々が住んでるわけですからね。
 ついでながら、いまだに北方四島を返せって言ってる人いますけど(政府もそうか)、本気かしら。ロシア人が住んでるのに。彼らにとってもあそこは故郷、ほかに行くところなんかないんですけどね。本気で北方四島を返せっていうなら、ロシア語もOK、ロシアの医師免許も教員免許もOK、一国二制度で50年間はロシアの制度のままです。もちろん今いる人たちの権利はすべて保証しますみたいに、将来の展望を示さないと、黙ってどいてくれるはずなんかないんですけど、まあ、単一民族幻想を抱いて、日本国内には日本人しかいないみたいに思ってる人たちには無理よね。
 そんなわけでヤハウェさんもずいぶん無理なことをイスラエルの民に課してるわけです。
 だから民は動揺します。偵察メンバーのうち、ヨシュアとカレブを除く人たちは、「こりゃ無理だよ」とホントのことを言ったために疫病で死んでしまいます。
 そして罰として、四十年間荒れ野でさまよい、ヨシュアとカレブを除く現世代は一人も約束の地には入れず荒れ野で野垂れ死にすることになってしまいます。
 絶望して、強引に攻めちゃった人も滅ぼされちゃいます。
 そしてコラによる最大の反乱が起こりますが、神様が大地震を起こして地割れを起こし、コラの一族をのみこんでしまいます。
 なんかひどい話ですよね。神様の約束って、いつも、ただでは実現しないんだから。いいことをしてくれるかと思ったら必ず何か悪い代償があるんですよ。

[837] ロゴス・ミニストリー 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/14(日) 17:30:17 ここから閲覧

「聖書の学び」というところで、旧新約聖書が1章ずつ解説されてます。音声でも聞けます。
http://www.logos-ministries.org/j_frame.html

[836] 2テモ1-2章、シラ書28章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/14(日) 16:38:35 ここから閲覧

●2テモ1-2章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ti&chapter=1&mode=0
 テモテへの手紙にはもう一つあります。一応パウロが書いたことになっています。しかもパウロの受難と死(ってパウロがどんな死に方をしたのかよくわかってないんですけど)の直前、いわば遺言のようにとらえられてきた本です。これは内容が緊迫しているからでしょう。でも今ではニセモノという説が一番的です。ひょっとしたらパウロ晩年の手紙の断片あるいは言行をふまえて弟子の誰かが作ったのかもしれません。
 他の多くのカルト教団同様に、初期の教会はさまざまな考えの人がいて、パウロは教団外の敵ばかりかこういう教団内にも敵をかかえて劣勢でした。そんな中で弟子のテモテを力づけ、異端と戦え、と鼓舞しています。そんな内容ですから、いろいろな危機的な状況に際して教師や信徒を勇気付けるときに、ここはよく読まれます。

●シラ書28章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=28&mode=0
 後半は舌禍のおそろしさ。私も過激な発言が多いから気をつけなきゃ。

[835] Re:中国語 新訳本の改訂 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/13(土) 20:53:39 ここから閲覧

HK.J.さん、私のマイミクじゃないんで、日記までたどりつくのに苦労しました。って、そのくらい最近mixiのコミュニティ全然のぞいてないです。すみません。

[834] 中国語 新訳本の改訂 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/08/13(土) 19:09:52 ここから閲覧

MIXIの日記に、新訳本改訂のニュースを挙げておきました。いずれ、真理子さんのばべる・ばいぶるでも取り上げてもらいたいと思います。今年末には新約聖書部分が出版されるそうです。

ラザロ復活の件

旧約時代にYHWHさまは さんざん大量に人を死に追いやっていますよね。そういう「聖絶」された人々は、いずれ復活するんでしょうか? 死の苦しみ・痛みは、復活させてもらえれば、チャラになるんでしょうか?

そういう部分、新約のヨハネの記述にも発想の通じるものがあるように感じます。

[833] ヨハネ10-12章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/13(土) 09:02:44 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=skd&book=joh&chapter=10&mode=0
 11章は「ラザロのいやし」と呼ばれるところですけど、どこがいやしなもんですか。はっきりいって「ラザロ見殺し事件」じゃありませんの? イエス様のなさることとも思えない大スキャンダルでしょう。
 だって、ラザロが病気だという知らせを受けても、イエス様は急ぐ気配もなし、それどころか、わざわざ2日間待ってから出かけるんです。
 その2日の間に何か危険なことがあって行くことができなかったというわけじゃありません。現に、2日後に出かけようというと弟子は「危ないからやめましょう」とひきとめたほどです。
 そしてイエス様は弟子たちに、ラザロが死んだことをはっきりと宣言します。病気だという知らせは来たのに、死んだという知らせは来ていません。超能力で知ったのでしょうか。
 そしてラザロの埋葬後4日たってようやくイエス様は到着。マリアやマルタに「先生がいてくださったら助かったのに」と言われながらもラザロを復活させます。
 ではなぜイエス様はわざわざ時間稼ぎをしたのでしょうか。
 4節にハッキリ書いてます。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである」。また15節には「わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである」と。
 わかります?
 いくら神様イエス様でも絶対に不可能なのは、生きている人を復活させることです。復活という奇跡、いやさパフォーマンス、いやさ手品を演ずるためには、被験者に死んでもらうしかありません。しかも、死後すぐに復活させたのでは、実は死んでなかったのではないかという疑いが残ります。マコ5:22-43とかルカ7:11-17なんかはその類でしょう。だからわざわざ時間稼ぎをしたのです。ラザロが墓に葬られ、屍体が腐乱しかけたころを見計らって出かけ、復活パフォーマンスを演じたわけです。
 これってひどくないですか?
 生き返ったからそれで万々歳というわけじゃないでしょう。
 死に際してラザロが味わった苦痛、遺族たちの悲しみを、イエス様はどう考えているのでしょう。自分が復活パフォーマンスを演じたかったから、それで「神様ってすごいんだ」と神の栄光があらわされ、弟子たちが信ずるようになるために、わざわざこんなことをしたんですよ。
 今こんなことをお医者様がやったら、結果的に完治したとしても、絶対に訴訟ざたになるでしょう。
 私は、こんなイエス様を信ずる気にはとてもなれません。
 聖書無謬説を信ずる人は、このエピソードをどうとらえてるんでしょうか。一人ひとり聞いてまわりたいです。ちなみに福音派御用達の『新聖書注解』は、わざわざ遅れて行ったことを脳天気に認めています。バカか!

 前回言ったように、変態ヨハネは、自分の言いたい事を言うためにイエス様の言動をねじまげるくせがあります。実際には不慮の事態でイエス様は到着が遅れたんでしょうが、それをヨハネがねじまげて書いたんです。
 パウロにも自分の言いたい事のためにいろいろヘンな理屈をこねるクセがありますが、パウロのほうはまだナマイエスを知らないのでヘンな理屈だけですみます。しかしヨハネは、イエス様の言動をだしにして書いているので、余計に罪深いです。

 12章ではもうマリア(ラザロの姉妹)の香油大量消費事件ですね。他の福音書では過越祭の直前ですが、ヨハネでは6日前。他の福音書では2日前です。いずれにせよ、もうイエス様の受難は近いんですね。でもヨハネはここからが延々と長い。イエス様の大演説が17章まで続きます。

[832] ホセア8-14章、シラ27章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/12(金) 07:43:02 ここから閲覧

●ホセア8-14章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=hos&chapter=8&mode=0
 何度も出てくるエフライムというのは、単にイスラエル12部族のうちの1つということではなく、北王国の代表的な部族ということです。イスラエルの民は今ではユダヤ人と呼ばれますが、これはユダ族を中心とする南王国のほうが残ってバビロン捕囚を経ても他民族と同化しなかったため、実質的にイスラエルの民といえばユダ族ということになったからです。実際、イスラエルの民全体を指すいいかたとしてのユダヤ人という言葉は、エズラ記4章が初出です。だからもし、北と南の運命が逆転していたら、いまごろはユダヤ人じゃなくエフライム人と呼ばれていたかもしれません。
 前回ホセアは、娼婦あがりの子持ち女と結婚した経験を、不義の民を神がゆるす話にしていますが、今回11章では、親子の関係になぞらえています。一般に神様は不義の民を本当に滅ぼしてしまうこわい存在ということになっていますが、ホセ11:8のように、実は神様はけっして民を捨て去ることができないんです。

●シラ書27章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=27&mode=0
 26章の最後で突然お金もうけの話になったと思ったら、その話が3節まで続いてますね。章の切り方がなんかおかしいわ。
 一般にはユダヤ人というのは金融をこととする民というイメージがありますが、それは中世ヨーロッパで彼らがそれしかできなかったという歴史を経ての話で、もともとは商売に対して決して積極的な思想をもってたわけじゃないです。まだイスラム教のクルアーンのほうが、商売の話がいっぱいでてくるほどですね。
 金持ちのユダヤ人というのもごく一部の人の話で、一般のユダヤ人はドジでマヌケで貧しいお人よしというのが、アメリカのユダヤ文学のメインカラーです。なんか最近Twitterではフジテレビ攻撃にからんで韓国に対する排外的なつぶやきが多いですけど、ソフトバンクの孫さんが大もうけしてるとか、パチンコ屋やってる在日が大もうけしてるなんていうのはごくごく一部の話。一般の人の話ってなかなか報道されないですからね。こういうところこそ文学の出番。本来は映画やドラマやマンガもそういうふつうの人の姿を描くのに役立つはずなんだけど、ドラマはドラマで、普通じゃない生活を描いてますからね。韓流ドラマに描かれているような生活を一般の韓国人がしてると思ったら大間違いです。田園都市線沿線に住んでる私たち夫婦が、「金曜日の妻たちへ」(古い!)のような生活をしてると思ったら大間違いというのと同じ。

[831] 箴言20-21章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/11(木) 16:46:08 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pro&chapter=20&mode=0
 内容的にまとまりのないところなので、私もまとまりなく書きます。

箴21:9
争いを好む女と一緒に家におるよりは屋根のすみにおるほうがよい。
箴21:19
争い怒る女と共におるよりは、荒野に住むほうがましだ。

 同じようなことわざがちょっと離れたところにあるっていうのがとても不思議。一つにまとめちゃえばいいのに。ずいぶん離れた章にあるなら、うっかりしたってこともあるけど、同じ章の10節次に出てくるのっていうのが不思議です。

箴21:18
悪しき者は正しい者のあがないとなり、不信実な者は正しい人に代る。
 例によって「あがなう」というわかりにくい語が使われてます。新共同訳も「神に逆らう者は神に従う人の代償とされ」とか、新改訳の「悪者が正しい人のための身代金となり」ならまだわかりやすいんですけど、そもそもこういう発想が私たちにないんでわかりにくいんでしょうか。
 実際には「最後の審判のときに正しい人は救われ、悪い人はさばかれて滅びる」ってことなんでしょうけど、それを「正しい人を救ってもらうためには、神様にお金を払わなければならない。そのお金として悪い人が使われる」ってことなんでしょうね。神様、こいつを煮て食おうと焼いて食おうと勝手ですから、そのかわりに正しい人を救ってください、みたいな。
 ともあれ「あがなう」という言葉は、聖書(特に昔の口語訳)にはいっぱい出て着ますけど、わかりにくいので思い切って意訳するようにしたいものです。

[830] 詩編102-104編、シラ26章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/10(水) 09:43:31 ここから閲覧

●詩編102-104編
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=102&mode=0
 103、104、どちらも「わがたましいよ、主をほめよ。」で始まる似たような詩ですが、交読文にもどちらも入ってますね。神の賛美というのは詩編の原点ですから。

●シラ26章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=26&mode=0
前章にひきつづきまたも女性論。勝手なことを言ってるわという気もしますが、いいことも言ってますわね。あなた、「よい妻を持った夫は幸せだ。彼の寿命は二倍になるだろう。」て、1節と26節と、2回も言ってますわよ。え、お前のせいで精力を全部吸い取られてるって?
 精力といえば、19-21節ってスゴいですね。外典とはいえ聖書の言葉とは思えませんわ。女体を土地にたとえて「たねを植える」っていうのは、よくある比喩ですけどね。
 それから12節。新共同訳の「男と見ればだれにでも身を任せ、矢筒を開いて矢を入れる。」っていうの、口語訳聖書につけた「真理子のおまけ」では、原文に即してもっと露骨に訳しておきましたわ。男性器を釘とか矢とかに比喩してるんです。

[829] 歴代誌上15-19章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/09(火) 10:01:35 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ch&chapter=15&mode=0

 ダビデ王の話が続きます。
 15-16章は神の契約の箱、私がふざけて「移動式原発」と呼んでるものの話です。サムエル記ではサム下6に相当します。
 前回13章で見たように、原発事故が起こりまして、ウザが大量被曝して死んじゃう。そこでダビデは「原発に依存しないイスラエルを目指」して、六ヶ所村ならぬオベド・エドムという辺地に置いといた。ところがオベド・エドムが原発で潤っちゃったんで、ついにダビデは都に原発を迎え入れたということになっています。
 この経緯をサムエルでは6章でまとめて簡潔に描いているのに対し、歴のほうは原発推進派が書いたようで、祭司とレビ族にしっかり準備をさせて都に迎え入れ、大規模なお祭りをしたということを長々と書いています。
 そしてダビデは、原発のための設備をしっかり作ろう、つまり神殿を作ろうと計画するんですが、神様のお言葉で、それは次の世代つまりソロモン王のときにということになります(17章)。
 あとはダビデが周辺諸国と戦い勝利する話。
 ダビデの話がまだ続くのですが、サムエル記にあったスキャンダル、つまりバト・シェバとの不倫だの、アブサロムの反乱だのは、歴のほうではすっかりカットされています。
 こうしてみると歴は体制礼賛的といえますね。

[828] 立秋は今日からですね 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/08(月) 10:55:41 ここから閲覧

 立秋の計算を1日間違えました。本当は今日からですね。

 「暦の上ではもう秋なのにまだ暑い」というのがこの時期の天気予報の恒例のあいさつですけど、昔の中国人は、気温がある程度下がったから秋というふうに判断したのではなく、暑さの極値で、もうこれ以上は暑くならず、だんだん気温が下がっていくという点から秋という考え方をしたのです。気温の変化をサインカーブだとすると、それを一回微分した関数で判断したということでしょうか。
 でも今年は半月から1ヶ月くらい季節が早く来ている感じ。梅雨入りも梅雨明けもやたら早かったですよね。6月下旬ごろやたらに暑かったので、さぞや今年は暑くなるかと思ったら、それっきり涼しくなってきている気がします。