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真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[777] 第二神殿木製モデルキット 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/07/09(土) 15:01:48 ここから閲覧

製作時間:12時間
パーツ数:約200

これ、個人で買う人がいたら、すごいオタクですよね。
教会で購入したとしても、どこに置くんでしょう?

それに、神殿の各部分が、手元の聖書の記述と照らし合わせできるようになっていなかったら、面白みがかなり減るように思います。

わたしの持っている画集というのは、次のようなものです:

THE TEMPLE: A description of the Second Temple according to the Rambam
Israel Dov Levanoni
Brit Chalom Editions Ltd. & Eliahu Elezra Publishers
ISBN 965-222-641-6

ユダヤ教の文献に基づいて、ほとんど、設計図といってもいいくらい細かく、中世の注釈家Rambamが書き残した図面を、その元になった文章とともに載せています。
もちろん、復元模型のカラー写真もどっさり。

神殿の外側がわかるだけでなく、この画集なら、聖所、至聖所の中の器具なども図解入りで見ることができます。

[776] ルカ23-24章、シラ10章 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/09(土) 11:03:07 ここから閲覧

●ルカ23-24章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=luk&chapter=23&mode=0
 さあて、イエス様が刑死して復活してルカもおしまいです。
 われながら、なんか投げやりな書き方ですわね。
 このところ私、福音書を読むのが苦痛です。これでもかこれでもかと身体障害を治すの、バカバカしい。じゃあ身体障害は罪なのか、治ればそれでいいのかって突っ込みたくなるんですが、それはまたヨハネのときに言うことにいたします。
 実は私、福音書の中で一番つまんないと思ってるのが、イエス様の復活の話なんですよ。原マルコみたいに、思わせぶりな書き方をして終わるというのが一番いいわ。イエス様が復活して、あれをやったこれをやったって言われても、全然ピンと来ないんですもの。
 マルコは単に思わせぶり(もちろんマコ16:9以降は加筆よ。田川先生なんか本文からばっさり切っちゃったわ)、マタイは単に姿があらわれただけ、このあたりまではいいんですけど、福音書の著者たちはだんだん悪ノリしていく。ルカなんか、イエス様に焼き魚食べさせちゃうんですよ。ヨハネなんかさらに、傷口検査までさせちゃうんですよ。
 バカじゃなかろうか。復活がこんなことだったら、私キリスト教なんか信じたくないです。
 だってそうでしょ? そうやって仮にイエス様が肉体を伴って復活したとしてですよ、それからたった40日しか地上にいられなかったんですよ。なんだかゾンビのような現実感のない姿でたった40日しか生きられない復活なんて何なんでしょう? イエス様で40日だったら一般人なんか3分程度でしょうね。2分30秒たったらウルトラマンみたいにピコンピコンピコンと胸で警告が鳴りそう。
 イエス様の復活ってこんなことじゃなくてさ、人々の心の中に強烈なイメージを残して、人々を動かして新たな宗教を作っちゃったってことなんだと思うんですけど。
 その強烈なイメージは、イエス様の生前の言動、特に受難と刑死の様子に現れているんじゃないかしら。
 だから福音書が受難で終わって、復活はマルコ程度に思わせぶりで書いてくれるのが一番ありがたいんですけどね。
 バッハだって受難曲は名曲だけど、復活祭オラトリオなんて駄作でしょ?

 ルカは福音書の続編として使徒言行録を書きました。こっちのほうがよっぽど面白いです。通読表では9/10から始まりますので待ちましょう。

●シラ10章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=10&mode=0
 今日は政治家論ですね。シラ10:8の、誰が支配しようと不正と不遜とカネっていうのが、妙に納得させられますわ。

[775] Re:エゼキエル 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/09(土) 10:18:45 ここから閲覧

 どうも。
 Youtubeのリンクは、{youtube,ID}({}は実際には半角)とすると、埋め込み式で表示するようにしてます(掲示板運営方針参照)。そのように直しておきました。
 銀座の教文館に行くと、日本聖書協会が扱っているエルサレム第二神殿木製モデルキット
http://www.bible.or.jp/purchase/newbible/sanctuary.html
が展示してあるんですけど、これってキットだから完成品じゃないんですよね。しかも12時間もかかる。私だったら絶対に作れない自信があります。
 ところで、今のイスラエルの国力だったら、神殿なんか作るのたやすいと思うんですけど、どうして作らないんでしょう。あ、エルサレムにはそんな土地もうないですよね。こんなことで人々を立ちのかせたら一段と物騒な町になりそう。

[774] 神殿の詳細な記述 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/07/09(土) 05:48:24 ここから閲覧

聖書そのものも もちろん情報がありますが、自分は、英語とヘブライ語で書かれた、「ミシュナ」の記述と、第二神殿の想像復元モデルの写真のたっぷり入った画集を買いました。
あまりしょっちゅうみるものではないですが、「記録に残そう」とした人々の執念を感じます。

[773] 日本語リビングバイブル 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/07/09(土) 04:18:33 ここから閲覧

テキストデータで閲覧できるサイトがありました。

でも、ところどころ、節の切れ目が おかしいところがあります。
雅歌の部分が、特に目に付きました。

http://www.youversion.com/bible/jlb

[772] エゼキエル 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/07/09(土) 02:48:52 ここから閲覧

幻の中の第三神殿と、枯れた骨の谷の幻、また、冒頭の「四つの生き物」の幻、どれもまず最初にエゼキエルの言葉を聞いた人々にとっては、馴染みのある、栄光のイスラエル王国とその神殿礼拝をビビッドに思い起こさせるものだったのでしょうね。

神殿そのものがいつかは再建されるという約束、
散らされた国民が甦って、諸国民の間から呼び戻されることの預言、
そして、神は従来「詩篇」の讃歌の中で描写されているとおりにケルビムに支えられた戦車で健在であることの確認

UFOだとか、地球外生命体との接触の記述だとかいう人もいますが、最初にメッセージを受け取る人々にとっては「未知との遭遇」ではなくて、やはり、昔からの神様が国を追われてバビロンに捕らわれている今もついてくれているという励ましに聞こえたのだと、わたしも思います。

http://www.sitchiniswrong.com/ezekielnotes.htm

とはいうものの、ニコラス・ケイジ主演の地球壊滅SF映画 KNOWING では、エゼキエルの幻の戦車が、上手に映像化されていて、最近のCG技術はすごいなぁと思いました。

それと、第三神殿を本当に建造するために着々と準備をしている人がいるというのも、すごいと思います。


(http://www.youtube.com/watch?v=w8JREEKnaXE)

[771] エゼキエル37-42章 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/08(金) 11:00:07 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=eze&chapter=37&mode=0
 ここからはエゼキエル書の一番エゼキエルらしいところです。
 さあ、エゼキエルさんと一緒にお空を飛んでみましょう。

 エゼキエルらしいというのは、エログロもそうなんですけど、非常に視覚的、映像的なところ。なにしろ神様のお姿をUFOのように表現しちゃった人ですからね。
 ですから本来はエゼキエル書の世界は映画として表現すべきところなんですが、映画でなく全部文章で表現したらどうなるか? それがエゼキエル書なんです。
 37章は
http://www.terminartors.com/artworkprofile/Collantes_Francisco-The_Vision_of_Ezekiel
みたいによく絵のネタになるところです。38章、39章に出てくるゴグ、マゴグは黙20:8にあるように世界最終戦争のときにまた登場するんだそうで、トンデモ系の方々がいろいろ書いてますが無視します。
 一番面白いのは40章以後の新しい神殿の幻じゃないかしら?
 え、こんなののどこが面白いって?
 考えてもみてください。原発事故が起こって故郷を追われたとします。もう故郷には永遠に戻ることができません。村を再興しようというのでどこか別の地に新しい村を作ります。荏田(いま私の住んでいるところ)ならさしずめ「新荏田」かしら? 神社を再興するために、以前、村にあった神社の様子を出来るだけ思い出します。写真もビデオもない時代、文章だけで神社を表現しなきゃいけない。神社の右側の壁はこういうふうになっていた、中はこういうふうになっていた……なんていう情報が、どれだけ懐かしく、希望に満ちたものになるでしょうか。第三者にはちっとも面白くないでしょうけどね。
 そんなことを考えながらここを読むと、また感慨もひとしおです。
 こういう空想が決して空想ではなく、現実にいろんなところで起こりそう。
 なお、40章以降は、1節にあるように、第一次バビロン捕囚から25年、第二次バビロン捕囚つまりユダ王国滅亡から14年経ったBC573年です。

[770] 箴言13章、シラ9章 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/07(木) 09:09:48 ここから閲覧

●箴言13章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pro&chapter=13&mode=0
 今日はお金関係のことわざが多いところです。たとえば……
箴13:8「人の富はその命をあがなう、しかし貧しい者にはあがなうべき富がない。」
とかね。
 今回とりあげたのは口語訳聖書ですが、「あがなう」がわかりにくいので、「財産が自分の身代金になる者がある」(新共同)、「富はその人のいのちの身代金である」(新改訳)など、今の訳ではあまり「あがなう」を使わないみたいですね。
 そもそも皆さん「あがなう」って言葉、日常的に使ってます? 私の言葉の感覚では、この言葉は聖書でしか使わないんですけど。完全に聖書・キリスト教業界用語です。
 「金品を代償として出して、罪をまぬかれる。転じて、つぐないをする。罪ほろぼしをする」というのが広辞苑の説明ですか。
 実際の聖書の文脈を見ると、「救う」「ひっかぶる」「つぐなう」などに言いかえるとわかりやすくなることが多いです。それぞれの文脈に応じて言いかえて、できるだけ使わないようにしたほうがいいんじゃないかしら。
 ここなら「身代金」で逃げてもいいんですが「救う」でいいでしょう?

●シラ9章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=9&mode=0
 こっちは女の話ですね。シラ9:6「娼婦に血道をあげるな。身代をつぶさないとも限らない。
」なんて、落語の若旦那も通用しますし、今でも通用しますよね。で、その次は本当は「街角に立って辺りを見回すな。また、町の裏通りを歩き回るな。」(新共同)なんですが、これが女の話とどう関係するかわかりにくいので、口語訳(もちろん口語訳聖書にはシラ書ありませんので、ここは真理子が作った「真理子のおまけ」です)では「街娼めあてに」を補っておきました。
 あ、シラ9:1もわかりにくいかしら。妻に嫉妬すると、妻は仕返しにあなたを殺そうとするかもしれないってことですよ。ホンモノの浮気は別として、妻がかっこいい男に色目を使っても、それを大目にみておかないと、とばっちりが飛んでくるというわけです。ですから私が上杉隆先生とか大川周明先生とかに「恋する女の目」を向けたとしても、うちの主人は黙っております。ヘンに何かいうと私に何をされるかわからないから。

[769] 詩編87-89編 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/06(水) 10:24:09 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=87&mode=0
 88編はぼけっと読んでるとわからないんですが、よく読むと、この人は単に瀕死の重病人というわけではなく、共同体から隔離されてるんですよね。たぶんらい病でしょう。するとレビ13:45-46みたいに、宿営の外に出されちゃう。そして「私は汚れている」って叫ばなきゃいけない。
 知人たちからも嫌われ、生きながら、もうすでに死んだ者のように深い穴のようなところに捨てられ、閉じ込められているのです。
 そして「どうして助けてくれないんですか」と言いながらも祈り続ける。死んだら助けてくれるのですかとも言う。
 そう思いながら、何度も味わってみてください。

[768] 列王記下16-20章、シラ書8章 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/05(火) 08:58:52 ここから閲覧

●列王記下16-20章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ki&chapter=16&mode=0
 前回[739]は王様の年表だけで終わっちゃった感がありますが、今回はそうでもありません。なんかムラがありますね。
 南のアハズ(南12。BC735-715)はスリヤ(アラム)との戦争に際してアッスリヤ(アッシリア)と同盟します。王様との会見をダマスコでしたときにりっぱな祭壇を見たので、コピーを祭司ウリヤに建設させます(16章)。
 北はホセア(ホシェア)でした(北18。BC732-722)。BC722ってことはこの人が北最後ですね。えっ、そんな年代覚えてないって? ダメですね。このくらいの年号覚えましょう。前にも書いたと思いますが、
  BC922。南北分裂=国(92)は2つに分裂す。
  BC722。北滅亡=ちょうど200年続きました。
  BC587。南滅亡=だから言わな(587)いこっちゃない。
です。ついでに、ダビデの即位がちょうどBC1000年ごろ。バビロン捕囚は2回目から数えて60年つまりBC527年までと覚えると便利です。年代は異説もありますが、この覚え方が通じるこの流儀をお勧めします。なお、この覚え方は浅見定雄さんの『旧約聖書に強くなる本』の流儀。最近改訂新版が出ましたよ。
 さて、ついに北はアッスリア(アッシリア)に滅ぼされ、10部族つまりユダとベニヤミンを除く他の部族は各地に捕囚されてその民と同化して世界史から姿を消します。南はアハズにつづいてヒゼキヤ(南13。BC715-687)もアッスリアと友好関係を持ち続けて助かりますが、こっちも将来はいいことがなさそう。そんな話が17章と18章で長々と語られております。
 さて、こんなヒゼキヤを預言者イザヤは非難しますが、ヒゼキヤはけっこういい王様で、死の病について真剣にお祈りしたところ、神様はなんと助けてくれます。ちゃんと助けるぞというしるしとして、日時計の影が戻るという奇跡もおきます。しかし、列王記っていうのは、宗教的な話以外はちっとも関心がないので、ヒゼキヤのやった治水事業なんかは、代下32:30なんかを見ないとわからないというしかけになっております。列王記がちゃんといろいろ書いてくれたら、歴代誌みたいな似たような歴史書が聖書に入らず、37書ですんだんですけどね。え、それじゃ3×9=27(旧約39、新約27)って覚え方ができなかった?
 次はマナセ(南14。BC687-642)ね。あ、これは来週でした。

●シラ書8章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=8&mode=0
 権力者と争うな。金持ちと争うな。保証人になるなかれ。今でもすぐに役立つ話がいっぱいよ。

[767] だから、おめぇらが言ったんだってば 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/04(月) 14:47:44 ここから閲覧

 ルカ22:70の「おいらが神の子だっていうのは、おめぇらが言ってるんだぞ」ですが、……
 同様の言葉は、マコ14:62マタ26:64にあります。が、ちょうどルカ=マルコ+マタイっていう関係になってます。つまり、(以下、ギリシア語はアクセント類抜きますね。そのほうが文字化けしないみたいだから)

マルコ:おいらは神の子だ。εγω ειμι(Yes. = 昔のギリシア語にはYes./No.に当たる言葉がないので「おいらは~である」という文の形で答えています)
マタイ:おめぇが言った。συ(お前) ειπας(言った=アオリスト(過去)形ね)
ルカ:おいらが神の子だって、おめぇらが言った。υμεις(お前ら) λεγετε(言う) οτι(~と) εγω ειμι(Yes. = おいら~である)

お前が単数か複数か、言うに当たる動詞や時制が違ったりしますけど、おおざっぱにはルカ=マルコ+マタイという感じです。
 ところが、田川建三先生は、マルコもホントはルカみたいに「お前らが言ってるんだ」となっていたと推定します。ネストレ・アーラントは上記のように単に「私は~である」という写本を採用してるけど、ルカみたいになってる写本があるんですね。正確にはマタイっぽいσυ(お前) ειπας(言った) οτι(~と) がついてるものがある。
 で、田川先生は、もともとシンプルな「はい、その通り」だったとすれば、そのほうが信仰的立場からすれば有難いはずのに、わざわざ「お前たちが言った」を付け加える理由がない、というのを主な根拠として、実はマルコにも「~とお前が言った」がついていただろうと推測するわけです。

 あと、οτιにはもう一つbecauseの意味があるので「おいらが神の子だからこそお前(ら)はそう言うんだ」ととる考えがあります。ラテン語訳であるヴルガタはそうですし、ルターもそうです。インド・ヨーロッパ語の多くの言語では、「~と」のときには「~」部分は接続法という形を使うのが普通ですが、ギリシア語はどっちも普通の直説法みたいですね。だからなんともわかりませんけど、直観的にbecauseよりthatのほうが自然じゃないかしら。そういう「直観的に」っていうの、大事よ。

[766] レビ記19-21章 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/04(月) 09:30:04 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=lev&chapter=19&mode=0
 19章は「レビ記の十誡(十戒)」といえるところです。父母を敬えとか、安息日を守れとか、そういう基本的な誡律を敷衍したような感じです。
 例によって、「わたしはお前たちの神ヤハウェだ」っていうリフレインがしつこいですね。そのくらい重要なんでしょう。
 20章はまたまた近親相姦の話、21章は祭司であるアロンの子、レビ族に関する特殊規定。あらまあ、身体障害があっちゃ祭司になれないんですね。レビ族で祭司になれないんじゃ大変ですね。

 いろんなことが書いてありますけど、たとえば占い好きの女子(男もか)のみなさんは、占いはダメよ(レビ19:26)なんていうのはびっくりするかもしれません。雑誌の占いとかダメなのかしら?
 mixiじゃかつてそんなこと言ってた人たちがいましたね。あそこは頭こちこちの福音派の巣窟、っていうより、そういう人たちって声がでかいんで目立つんです。大方のクリスチャンはもっと穏健なのに、ああいう声のでかい人たちが毒電波を発するので、クリスチャン全体がヘンな目で見られるんです。
 何度も言いますが旧約聖書の律法は全部無効です。旧約聖書に書いてあるからといって無条件に守らなきゃいけないわけじゃありません。ああいう人たちは、自分の気に入らないことが聖書のどこかで禁止されてないかと探し出してくるのがうまいんです。たまたまレビ記に「占い禁止」ってあるからそれを盾にして占いを攻撃する。そういう人たちだって、神殿に羊とか牛とか山鳩とか持参するはずがないんですけどね。こういうのを「聖書のつまみ食い」というんです。
 占いといってもいろいろ。雑誌の占いのようなお遊びはOK。ただし、あなたの有り金を全部まきあげるような悪質な占い師もいますんで、そういうのにひっかからなければいいんです。
 私なんか生理中のセックス(レビ20:19)も、軽ければ平気でしちゃいます。重ければ私もつらいのでメニューを変えるとか工夫しますけどね。だいたいヤハウェって暴力的なくせに、血を食べるなとか、なんか血を嫌悪してますよね。よっぽど血を見たくないんでしょう。渡辺淳一さんによれば、女性は「これ以上出血すると死ぬ(60kgの人で1.5リットル程度)」っていう量を超えて出血しても平気で生きるけど、男はすぐ死んじゃうんだそうな。出血の致死量って、男と女の中間をとってるらしいです。女は血は平気だからね。
 で、またまた近親相姦ネタですが、旧約聖書の律法は全部無効ですし、新約聖書で「ここまでは近親婚だからダメ」っていう規定はありませんから、クリスチャンとしては、聖書に根拠を求める限り、近親婚のタブーは存在しないことになります。現実のキリスト教社会でいろいろ規定されている近親婚のタブーっていうのは、聖書に根拠をもったものではなく、それ以外の根拠、たとえばキリスト教化する以前からその民族が持っていたタブーなどを継承あるいは改変して、それをキリスト教的なものだとみなしているに過ぎないものです。
 母子、父娘、兄妹などはたいていどこでもタブーですけど、いとこあたりになってくるとまちまちです。うちはけっして近親婚を肯定するわけじゃありませんが、大事なのは、近親婚をしている民族を頭から反キリスト教的だと否定してはいけないってことです。頭こちこちの人はついついこういうことをしがちですからね。

 レビ記の読み方は、そういう表面的な「~するな」を読むのではなく、背後の精神を読むことです。たとえばレビ19:2みたいな「おいら(=神様)が聖なんだからお前たちも聖になれ」みたいなところを読むこと。レビ19:9-10みたいな「貧しい者たちのために全部収穫するな」というユニークな人道的規定を読んで「へぇ」と思うことです。

[765] Re:ルカ22:70 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/04(月) 08:19:19 ここから閲覧

 どうも。ダブルアップの前のほうを消しておきましたわ。
 たしかにそうなんですけど、その割に、私が×をつけた訳が、becauseの訳をしているかっていうと、あんまりそんな感じでもありませんよね。
 ὅτι(オティ。すみませんが私は現代式発音です)って、どっちにしろその後の動詞が直説法ですよね。これが、becauseだと直説法、thatだと接続法とか言うんなら明確なんですけど。せっかくギリシア語には接続法っていう強い武器があるのに、どうしてこういう肝心なときに使わないんでしょうね。

 あらまあ、ヴルガタじゃ vos dicitis quia ego sum. quiaだからbecauseだわ。

[764] 詩篇の実際的な使い方 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/07/04(月) 08:18:33 ここから閲覧

ちょっと前後します。ごめんなさい。

#744で詩篇の味わい方のことをおっしゃっていますが、思い出すことがあります。
ユダヤ教では全てのことにふさわしい祈りの言葉があるそうですが、食事の感謝の祈りを、ユダヤ教は、「食べたあと」に唱えます。これを birkat ha-mazon というのですが、通常、詩篇126篇を導入として必ず唱えます。

宗教的なユダヤ人なら、食事のたびごとに唱えるでしょうし、安息日しか礼拝しないユダヤ人なら、安息日の晩飯の後にしか唱えないでしょう。

でも、定期的にメロディをつけて詩篇を「歌って唱える」ことを繰り返すのは、頭に残りますから、いろいろと連想することができて、味わいが年月とともに深くなるのでしょうね。

[763] Re:インターリニア訳 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/04(月) 07:52:04 ここから閲覧

どうもありがとうございます。

うちのサイトにもインターリニアの機能をつけたいなと思っておりまして、とりあえず著作権の切れたものということで、新約は
George Ricker Berry : Interlinear Greek-English New Testament (1897)
を全ページスキャンしたものをアップしようかなって思ってるんですが、旧約はなんかいいのないかしら……と思ってます。The Interlinear NIV Hebrew-English Old Testamentは著作権が切れているわけではなく、単に安いから買っただけなんですが、これはネットを利用したほうがよさそうですね。

さしあたりは、インターリニアよりレキシコンのほうが役に立つかなって気がしますんで、
Davidson : The Analytical Hebrew and Chaldee Lexicon
のスキャンをしているところです。

[762] 新漢語訳本 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/07/04(月) 07:48:59 ここから閲覧

和合本が古くさくなっているので、それに代わる新しい中国語の訳が出ているのですが、一番新しい「新漢語訳本 Contemporary Chinese Version」は、ルカ22:70を

你們說我是

と訳してます。無理がないですね。

[761] ルカ22:70 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/07/04(月) 07:42:41 ここから閲覧

ὑμεῖς λέγετε, ὅτι ἐγώ εἰμι.

これね、hoti に、「~ということを」と、「なぜなら」と、二つ意味があるのが原因じゃないですかね?

まぁ、ヘブライ語でも、ki が同じ現象を引き起こしますから、ギリシャ語の曖昧さのせいともいえませんが。

'attem 'omrim ki 'ani hu' <ギリシャ語から訳すと、現在形分詞の複数になります>

または

'attem 'amartem ki 'ani hu'  
<フランツ・デリッチのヘブライ語訳は、legete を過去形で訳している>

このあたりのやり取り、ちょうど「おまえ、ナザレのイエスの一味だろ?」と訊かれて、ペテロが「いや、俺はそうじゃないから。。。 ouk eimi」っていうのと、対比する意味も込められているのかもしれないですね。

[760] インターリニア訳 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/07/04(月) 07:18:43 ここから閲覧

The Interlinear NIV Hebrew-English Old Testament

・・・使えねー代物です。自分も実は十数年前に買ってしまったのですが、「序文」のところで白々しくも、NIVの対応する訳語を引っ張ってきて原語の下に置いたと書いてます。

直訳をベースにして所々パラフレーズをしているNIVの中で、「原語」と「訳語」とが一対一で対応するわけがないのに。

構文と動詞名詞の変化が身についてないくせに、参考書・辞書を引く手間が惜しい、横着者のアンチョコです。

よっぽど、下記のサイトの「インターリニア」の情報のほうが、ましです:

★ 聖書研究総合情報「ビブロス。コム」
http://interlinearbible.org/ezekiel/23-20.htm

・・・・新約も同じフォーマットでインターリニアが表示できるし、ストロングの辞書、コンコーダンスにもつながっています。

★ 台湾の長老派教会のサイトの、中国語オンライン旧約聖書パーシングガイド(文法解析情報)
http://bible.fhl.net/new/parsing.html

・・・・インターリニア「行間訳」の体裁ではないですが、事実上、その機能があります。
こちらも、ストロングのナンバーで管理されているので、簡単に辞書へリンクします。原形がわかるので、詳しいことは書物の辞典で確認できます。

【関係代名詞】
旧約ヘブライ語に関しては、asher / she / zu の三つがありますが、聖書時代より前のヘブライ語は、まだ関係代名詞というものが確立していなかったそうです。それは、ヘブライ語だけのことではなくて、カナンの地の近隣語も同じ状態だったそうです。

だから、聖書のなかでも、古い伝承の部分、たとえば出エジプト記の15章の「紅海の歌」の部分なんかは、まだ指示代名詞っぽいニュアンスの zu が使われています。

http://interlinearbible.org/exodus/15-13.htm
nachita ve-chasdekha am-zu ga'alta

指示代名詞の男性単数 zeh, 複数女性 zo't と似てるでしょ?

詩篇にも、関係代名詞のない「関係節」が出てきたりします。ちょうど、現代英語が that/whichを省略して、"the car I bought recently"なんて言うのと同じことを、聖書ヘブライ語でもやってます。

[759] 誤訳の淵源を求めて 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/03(日) 16:37:58 ここから閲覧

 [756]では、ルカ22:70のイエス様の答え「おめぇたちが言ってるんだぞ、おいらが神の子だって」の日本語訳を掲げて正誤判定をしましたが、いったい誤訳はどこから発生してるんですかね?
 草創期の日本語訳でルカを訳しているものとすれば、ベッテルハイム。ばべるにはカタカナ書き琉球語をアップしておりますが、琉球語は苦手なんで、日本語で読めるものとしては、
http://www.babelbible.net/pdf/bthjpluk.pdf#page=80
ですかね。「なんぢら、われなりぞといふ」と読めますんでこれは○。あとは
http://www.babelbible.net/pdf/bthcjluk.pdf#page=92
では「ナンヂラ、ワレゾト、イフ」「爾言是也」なんでこれも○。ベッテルハイムはシロですね。
 滑り込みでヘボンさんたちよりも早く新約を全訳したバプテストのネイサン・ブラウンは「しかり、なんぢらのいへるごとし」。これは確信犯的に×。
 ヘボンさんは残念ながらルカを訳してませんが、ほぼ同じマタ26:64が「汝いへるごとし」ですから、こんなふうに訳したとすれば×。

 あとは私のわかる言語でいうと、韓国語の改訳ハングルは「너희 말과 같이 내가 그니라 !」でして、「おまえたちの言葉のとおり私がそれだ」ですから×。
 中国語でいえば、モリソンの「爾言是」は短くてよくわかんないけど「あなたの言葉は正しい」なら×、「あなたがこれを言う」なら○。でもこういう目的語で「是」なんか使うかしら? ×っぽいわね。
 ブリッヂマンは「爾言我是也」で○。
 和合本は「你們所說的是。」は「あなたがたの言うのは正しい」ですから×でしょうね。
 往年の英訳はだいたいKJVのYe say that I am.を踏襲してるんだけど、明らかにダメなのがWeymouth New Testamentの"It is as you say," He answered, "I am He." こいつもブラウン姉さん同様にバプテストよね。バプテストの教義だとそうなるわけ?

[758] 神さまってホントにいるの!?-週刊女性(7/12) 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/03(日) 10:33:36 ここから閲覧

 先週火曜日6/28発売なのでもう入手困難かしら? だいたい週刊女性っておばさん雑誌(なにしろ次号特集が「50代からのツィッター入門」ですって! 50代雑誌なのね)だからコンビニなんかじゃあんまり手に入らないと思いますが、7/12号に「3賢人に聞いた 神さまってホントにいるの!?」という記事が載ってます。
 ホーキング博士が「神や天国はおとぎ話」と言ったのに対し、ローマ教皇が「ビッグバンには神の存在があった」と反論したというふりで始まり、鏡リュウジ、苫米地英人、みよこ、の3人が答えるという企画。
 期待したわりに面白くなかったですけど、神様がいるかどうかという説教の前ふりには使えるかもしれませんね。私なりにまとめたところでは、

 鏡リュウジ=神がいるかどうかはわからないが、心は神が存在するかのようにふるまっている。ぼくたちは心でしか生きられないのだからそのことを大切にしよう。
 苫米地英人=自分のあこがれの存在を神として、こんなときあの人ならこうする、というのを行動の規範にすればよい。既成宗教や政治は恐怖を利用して人を脅してコントロールしようとする(原発がないと計画停電するしかない、とか)が、それに対抗するために、自分なりの神を自分の脳で創るべし。
 みよこ=神様が目にみえたらみんな安心して怠ける。だから神は見えないのだが、神様がそばにいてきっと助けてくれるという心が人を助けてくれる。

というところでしょうか。いろいろ言ってても結局同じようなところに帰着している気がします。

 さて、私の答えですが、

 真理子=神様がいるかどうかはわかりませんが、旧約聖書や新約聖書に描かれているような神様だったら100%いません。あんなチンケな、そのくせやけに暴力的な神様だったらいないほうがましですし、現にいませんから人類は助かっています。ただし聖書は、突っ込みどころが満載ですけど、それだけに、神様ってホントはどんな存在なんだろうという考えの手がかりとしては役に立つ本です。

[757] コロサイ3-4章、シラ7章 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/03(日) 04:58:48 ここから閲覧

●コロサイ3-4章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=col&chapter=3&mode=0
 今日のところは新約のお手紙の中でもすばらしいところです。「地上のものなんかより天国の神様イエス様を求めろ」「貪欲は偶像崇拝だ」「ウソをつくな」「世界の人はみんな平等」「謙遜に、寛容に、そして愛」「悪いことする奴は報いを受けるぞ」……すぐにでも使えそうな金言に満ち溢れてますね。新約聖書のどこを読めばありがたい気持ちになれるかわからなかったら、迷わずコロサイを読みましょう。
 特にすばらしいのが、3章18節から4章1節まで。これ、馬鹿パウロだったら、「妻は夫に仕えろ」「子は父に仕えろ」「奴隷は主人に仕えろ」しか言わないところですけど、コロサイの著者である「なりすましパウロ」さんは、ちゃんと「夫も妻を愛せ」「父は子をいらただせるな」「主人は奴隷を大切に」を言うんですね。
 「パウロ書簡はニセモノのほうがありがたい」。これ、新約聖書の常識にしましょう。

 ところで、クリスチャンのいう偶像崇拝っていうのは、「形のある像を拝むこと」じゃないです。もっと一般的な罵倒語です。クリスチャンは、自分の気に入らない行為をすべて「偶像崇拝」という一言で片付けているのです。そういう言葉遣いの淵源が、コロ3:5の「偶像崇拝」という語の使用法にあらわれております。
 今後、クリスチャンと話をして、「何言ってるんだこいつ、バカじゃないの?」と思ったら、その人がこういうキリスト教業界用語を使っているために意味が通じてない、という可能性を考えてみましょう。
 クリスチャンの方々は(私も一応そうか)、自分の言葉がキリスト教業界用語になっていないかどうか、反省して見るといいです。そういう業界用語を使うから、キリスト教人口が増えないんです。

●シラ7章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=7&mode=0
 あ、なんか「悪いことするな」「賢い女を逃がすな」「賢いしもべを大切に」あたり、コロサイとリンクしてますね。この通読プランでは本編と続編は全然内容の関連を考えておりませんが、偶然に同じようなものが出てきました。今日はすばらしい日曜日ですね。

[756] おいら何も言ってないぞ、お前たちが言ってるんだ 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/02(土) 15:37:50 ここから閲覧

そうそう。今日の通読箇所では、ルカ22:70

彼らは言った、「では、あなたは神の子なのか」。イエスは言われた、「あなたがたの言うとおりである」。

が問題になりますね。これは口語訳聖書なんですけど、イエス様のお答えのほうは、まるっきりの誤訳です。
ὑμεῖς(あなたがたは) λέγετε(言う) ὅτι(~と) ἐγώ(私が) εἰμι(~である).
つまり、おいらが神の子だなんて、(おいらは何も言ってないぞ)お前たちが言ってるんだぞっていうのが、正しい訳です。

では、日本語訳聖書をいろいろ比較してみましょう。○×は私の基準から見た正訳(○)、誤訳(×)判定。
明治訳(×):爾曹(なんぢら)の言(いへ)る如(ごと)く我(われ)は是(これ)なり
大正訳(×):なんぢらの言ふごとく我はそれなり
ラゲ(×):汝等の云へるが如し、我は其なり
バルバロ旧(×):あなたたちのいうとおり、私はそれだ
バルバロ新(×):そのとおり、私はそれだ
口語訳(×):あなたがたの言うとおりである
共同訳(○):わたしがそうだとは、あなたたち自身が言っています
新共同(○):わたしがそうだとは、あなたたちが言っている。
新改訳(×):あなたがたの言うとおり、わたしはそれです
正教(○):爾等(なんぢら)言ふ、我は是なり
新世界(○):あなた方自身,わたしがそうだと言っています
塚本(○):そうだと言われるなら、御意見にまかせる
フラ(○):わたしがそうだと言っているのは、あなたがたである
岩波(○):私がそうだとは、あなたたちの言うことだ
ケセン(○):其方等(そなだァど)ァ、俺(おれ)ァそうだって、語(かだ)ってっとォ
電網(○):わたしはあるとは,あなた方が言った
リビング(×):そのとおりです
エマオ(×):そのとおりだ。わたしである。
平明(○):そのとおりだと、きみたちが言っている
田川(○):それはあなた達が言っておいでのことだ
現代(尾山)(×):その通り。私は神の子です。それは、あなたがたも言っているではありませんか。
柳生(×):その通りだ。
岩隈(○):わたしがそうだと言うのは君たちだ

 こうしてみると×は、往年の委員会訳、往年のカトリック訳、福音派系に集中してます。
 それにしても、往年のKJVでさえ、 Ye say that I am. と正しく訳してるというのに、そして明治訳のネタ本とされるブリッジマン漢文訳だって「爾言我是也」(なんぢ言ふ、我は是なり)と正しく訳しているというのに、どうしてみんな、イエス様にじきじきに「おいらは神の子だ」と言わせたいの?
 「ふっふっふ、ほうらひっかかったひっかかったひっかかったよーだ。おいらが神の子だって言ってるのは、おめぇたちじゃねーか」っていうシニカルで巧みなイエス様の言語戦術を無にしちゃダメよ。

[755] Re:#746 #750 しつこくエゼキエル 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/02(土) 14:13:47 ここから閲覧

 どうも。HK. J.さんにお墨付きをいただけば安心です。
 実を言うと、私が使ってるあんちょこ、The Interlinear NIV Hebrew-English Old Testamentでは、ここ、思い切り間違えてるんです。פִּלַגְשֵׁיהֶם (彼らのオンナたち)を、lovers-of-her なんて書いてある。これじゃ「彼女のオトコたち」ですよね。
 こういう間違いが起きてしまうのは、次の関係代名詞 אֲשֶׁר の使い方のせいかしら。אֲשֶׁרって、性や数や格にかかわりなくお気楽に使える言葉ですけど、この場合、その先行詞がפִּלַגְשֵׁיהֶם なのではなく、פִּלַגְשֵׁיהֶם の中のיהֶם のところだけっていう変なことになってるせいだと思います。
 つまり、 אֲשֶׁר 以降は、「彼ら」の説明なのに、「彼ら」に当たるものが אֲשֶׁר の前には、語としては存在せず、人称接辞としてしか存在しない。だから彼らの巨根絶倫ぶりのほうから解読していくと、先行詞פִּלַגְשֵׁיהֶם の男性女性を誤読させてしまうんでしょう。
 それでもなんとなく意味はとれてしまうので、なおさら間違いに気づきにくい。

 ヘブライ語やアラビア語の代名詞って、~の、~をっていうのは、単独の語じゃなく、名詞や動詞への接尾語の形になるわけですけど、それにさらに関係代名詞がついてしまうっていう使い方ができるんですね(実はヘブライ語もアラビア語も、こんな複雑な文、あんまり読んだことがありませんの)。ちょっと関係代名詞のところをしっかり復習しなきゃ。でも谷川政美さんの『旧約聖書ヘブライ語独習』、あんまり詳しくないわ。いっそ אֲשֶׁרを聖書本文で検索して、ひとつひとつ用例を見るほうがいいかしら。いまやってみたら4432件もヒットしたわ。大変。

 関係代名詞っていっても、世界の言語では必ずしも先行詞+関係代名詞+関係節……っていう流儀じゃなく、インド系の言語では、ずいぶん違った流儀になります。ここからは隣の主人に聞きながら書いておりますが、色即是空のサンスクリットは、yad(関係代名詞) rūpaṃ(色) sā(それは) śūnyatā(空). 関係代名詞yadは、必ず普通の指示代名詞sāとセットで使うんです。先行詞っていうの使わない。ちょうど、This is the house in which Shakespeare was born.
(これはシェークスピアが生まれた家です)っていうのを中学生(高校生かしら)に説明するとき、Shakespeare was born in a house. This is the house.みたいに分解するじゃありませんか。その分解した形をそのまま文にして、前半のa houseを関係代名詞。後半のthe houseを指示代名詞に置き換えて使う。だからどんなに関係節とメインの部分が複雑な関係になっても、かなりシンプルな形で書けるらしいです。
 そんなわけで関係代名詞って、何でもかんでも英語式だと思うと、とんだ誤解を招くことがあるのね。

[754] ルカ21-22章(あるいは礼拝入場料制度の提案) 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/02(土) 13:04:11 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=luk&chapter=21&mode=0
 さて、ルカ福音書もいよいよヤマ場。イエス様が逮捕され死刑判決を受けるシーンです。
 でも、もうこれ3回めですからね。さすがに飽きてきたので、今日はこの話はしないのよ。

 今日とりあげるのはルカ21:1-4。貧しいやもめがレプタ(今なら50円玉かしら)を2枚入れる光景をイエス様が目撃して、あの女は生活費全部を入れたのだ、と説明するシーン。
 この場合は、この神殿をイエス様が仕切ってるわけじゃないし、もう納めちゃったのを横目で見て、弟子たちに説明してるだけだから、いいんですけどね。
 もしイエス様の教団にこの女がやってきて、レプタ2枚を差し出したとしたら、イエス様も弟子たちも、受け取りを固辞しなきゃだめよ。「おばあちゃん、こんなに出さなくていいのよ。おばあちゃんがこれ出しちゃったら、おばあちゃんは今晩何を食べればいいの?」ってね。
 今日のこの言葉、牧師さんが説教にとりあげるとしたら、ほら、真心からたくさんのお金を出せばイエス様に認めてもらえるんですよ、みたいに使いそうですよね。
 まともな牧師さんなら、今日のこの言葉は「イエス様はこういいますけどね、よい子のみなさんは真似しちゃダメですよ」って、警告しなきゃダメですよ。

 以前、FEBC聞いてたら、全盲のゴスペルシンガー、大和田広美さんが、初月給を全部教会に献金したという話を聞いてのけぞったことがあります。なんでも、初物は何でも、その一部を主に捧げねばならないという聖書のどこかに書いてある話を、全部を捧げると思っていたらしい。全部献金しちゃったら生活できない、どうしよう、と思っていたら、お父さんから思わぬお小遣いをもらったので、これで献金ができると喜んで、献金しちゃった。
 大和田さんはこういう天然ボケなところが魅力なんですけど、彼女の教会の牧師は、おおよしよしと受け取ったのかしら? 断られたという話を彼女がしてないところを見ると、たぶん受け取ったのね。だとすればまったくろくでもない牧師だわ。
 牧師なら大和田さんがどういう境遇でどういう収入状況かは知ってるはず。それに不釣合いな多額の金を持ってきたら、ちゃんと面談をして、どこからこのお金を持ってきたのか、これを出して本当に生活できるのか、ということを確認しなきゃダメ。もし彼女が誤解をしているんなら、ちゃんとその誤解を解かなきゃダメ。「悪いけどこのお金は受け取れない」って固辞しなきゃダメよ。

 かねがね私は、「殉教を美化する宗教は邪教」「多額の献金を美化する宗教は邪教」と言っております。
 いわゆるキリスト教系カルト教団は言わずもがな、キリスト教を標榜している教会だって、邪教に片足、いや両足突っ込んでるところは多いわよ。
 こういう教会に見学に行ったら、有り金全部献金しなきゃ解放してもらえそうにないから、こわいですよね。
 まあ、もちろんこれは誇張で言ってるんですけど、でも、多くの人が教会に遊びに行けない理由って、実はこれなんですよ。もちろん帰りの交通費を含めて有り金を全部献金しろって言う教会はないと思いますけど、ああ、礼拝の献金のときに、いくら払わなきゃいけないんだろうって、こわいんですよね。
 思うんですけど、教会の礼拝が入場料制度だったら、どれだけ入りやすいかわかりません。
 1回1800円(割引なしの映画料金)くらいにして、そのかわり、礼拝中もあの怖い怖い黒い袋なんか回さない。牧師への個別の相談は、弁護士への法律相談に順じて30分5000円。結婚式はいくら、葬式はいくら、はっきり決めちゃう。
 そのほうが、気軽に入れるんですよ。
 お金に困ってる信者の方は、こっそり裏口から入れてあげるとか、スタッフ扱いするとか、いろいろやり方あるじゃありませんか。

[753] 悪訳の見本「現代訳」 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/07/02(土) 11:05:11 ここから閲覧

自分も実は、読みやすそうだと思って、もっていますが、なんだか、肩透かしを食わされたような、意味を薄めてしまったような、物足りなさを感じます。

読みやすいことは読みやすいのですけど、なんだか聖書を読んでいるのではなくて、聖書の「要約」を読まされているみたいな感じ。特に旧約部分はそう。わかりにくい、なじみにくい、ヘブライ語の文学的な雰囲気が、すっかり抜けてしまって、骨と皮だけの魚のてんぷらを食わされているような感じ。
っていうか、彼にしたら、新約聖書部分のほうはすごく敷衍しているので、旧約のほうは手を抜いているのかもしれませんね。

かといって、通読に適しているかと言うと、この訳で「イメージ」がついてしまうと、他の訳を読んでも解釈が現代訳にひきずられてしまって、尾山さんの呪縛から逃れられなくなってしまいそうです。

同じパラフレーズなら、リビングバイブルのほうがずっと健全な気がします。個人訳じゃないし。

[752] #746 #750 しつこくエゼキエル 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/07/02(土) 10:54:57 ここから閲覧

פִּלַגְשֵׁיהֶם 

真理子さん、間違ってないと思います:「彼ら(=絶倫男たち)の妾たち」。

ותעגבה על

この部分は、「また彼女は~のゆえに恋焦がれた」とも「また彼女は~に対して欲情した」とも訳せるようなので、前置詞 עלの後は、巨根の情人を持つ妾でも、絶倫男そのものでも、いいようです。

エレミヤ4:30にも同じ動詞が、分詞形で出ていますが、こちらはほとんど名詞のように使われている感じです。

מָאֲסוּ־בָךְ עֹגְבִים

「(色恋の相手として)慕ってきていた男たちが 彼女を拒んだ」

で、この動詞 「ain-gimel-bet」ですが、この語根から現代ヘブライ語の「"agvaniyah トマト」が作られています。

[751] エゼキエル書31-36章、シラ書6章 投稿者=真理子 掲示日=2011/07/01(金) 06:08:50 ここから閲覧

●エゼキエル書31-36章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=eze&chapter=31&mode=0
 31章はBC587年6月21日、32章は1-16節がBC585年3月3日、17節からがBC586年4月27日。33章21節はBC585年1月8日になります。なんだって時間順に編集してくれなかったのかしら?
 BC587年になりますとユダ王国は完全に滅んでしまいます。バビロン捕囚というのは2回にわたって行われ、1回目のBC597年にエゼキエルは捕らえられてバビロンに来ております。その10年後に、故国が完全に滅び、エルサレムも滅んで神殿も破壊されたという話を聞くことになるわけです。
 エゼキエル書というと、このところ訳文を比較しているエゼ23:20みたいなエログロも多数あったり、1章みたいなUFOまがいの話があったり、なんだかおっかないおどろおどろしい本というイメージがありますが、33章からは一番美しいところです。
 故国が完全に滅ぶという絶望的な状況の中でも希望を失わず、こんどは神様自身が牧者すなわち支配者となった助け出してやるぞというわけです(34章)。
 バビロン捕囚っていうのはけっして遠い昔の出来事ではありません。今回の震災や原発事故で、いつなんどき私たちは住みなれた土地を逐われるかもしれないということを見せ付けられました。そして避難先で、故郷はもう二度と人の住めない状態になったと聞かされたら…… そんな中で、私たちは、かつてのユダヤ人のように希望を持つことができるでしょうか?

●シラ書6章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=6&mode=0
 最初のほうは友人関係のことわざが並んでいます。
 10節は、新共同訳の「食事のときは友であり」のほうが原文に近いとは思いますが、ごはんを食べさせてくれそうなときに近寄っていくという意味にとってしまうと、8節とほとんど同じになってしまいます。そうじゃなくて、同じ食卓で食事をするような親しい間柄でありながら、という意味だと思いますので、真理子のおまけでは「同じ釜の飯をくらいながら」としておきました。
 ユダヤ人は異邦人と一緒に食事しちゃいけなかったわけで、それを乗り越えて異邦人とともに食事をしていいかどうかというのが、使徒行伝ではキリスト教がユダヤ教から脱皮していったきっかけになったわけです。

[750] Re[3]:#726 エゼキエル23:20 投稿者=真理子 掲示日=2011/06/30(木) 19:33:12 ここから閲覧

もうちょっと訳例を追加しておきましょうか。

●バルバロ
また、ろばのような肉をもち、種馬のような精をもつその好色漢に、ふたたび、かの女は恋いこがれた。

 バルバロは旧新ありますけど、この部分は同じです。厳密にいえば、「ふたたび」のあとの「、」が新のほうはありません。肉がこの場合性器であることが不明確であること、そして、男に恋しているととっているのが難点です。

●尾山(現代訳)
たくましい男のそばめにでもなって、その男に体をもて遊んでもらいたいと願った。
●リビング
[19-20]それでもいっこうに懲りもせず、さらに淫行をほしいままにし、エジプトで売春をした若いころの愛人たちを思い出し、よりを戻して淫行を重ねた。

 ねぇ、何とかしてよ、これ。新世界訳を改ざん訳っていうんならこういう手合いなんか改ざんも改ざんじゃない。リビングバイブルは超訳をうたっているからまあこんなもんでしょうけど、尾山さんかんべんしてよ。尾山さんのいうdynamic equivalenceってこういうことなの? 困ったわ。これって超訳、しかも悪い意味の超訳なんじゃないかと思うんですけど。

[749] スパコン 投稿者=真理子 掲示日=2011/06/30(木) 10:32:31 ここから閲覧

 Youtubeを探したら、こんなコマーシャルを見つけましたわ。スパコンというのはこういう方々らしいです。先に私の文章を書きたいので動画は下のほうね。
 はー、すごいわね。1番目のはBGMがアイーダ、爆笑しちゃったわ。

 なんでも温泉地じゃ、高校を卒業した女子の就職先ってこの手のものしかなかったりするらしいです。それでも高校の先生は、就職率をあげなきゃいけないから、教え子たちがこういう仕事をするのを見て見ぬふりをして、断腸の思い(なのかしら?)であっせんしてるらしいです。
 こんな仕事ができるのも若いうちだけなんで、そのうちだんなさんを見つけて落ち着くんでしょうね。
 こういう女の子たちのサービスって必ずしも殿方にとって満足のいくものではないらしく、もう色気も何もないっていう子も多いらしいです。どのように色気がないかはさすがに私でもここに書けません。下の動画を見て想像してください。
 殿方の中にもひいてしまう人が多いらしく、たとえば
http://d.hatena.ne.jp/mu-6/20081219/p2
みたいな意見もございます。もっと割り切って遊べばいいのに、何まじめくさってるのかしら(なお、最後のほうに出てくる「魔法使い」って、30まで童貞の男のことを言うんだそうです)。
 私、こういうの見て、必ずしも男性を嫌悪しませんの。むしろ、こんなサービスで楽しいのって、かわいそうだなって思います。

 昨日の5時に夢中!で、中村うさぎさんと美保純さんが「やっぱり温泉地はストリップと秘宝館とソープランドがなきゃダメよ」って言ってました。石川県加賀市の片山津温泉で、老舗ソープランドを県が摘発したんですが、地元から営業継続の嘆願書が出たって話です。私もそう思います。こういうのは人間の本性の深いところに根ざしたものなので、なくそうとしても形をかえて必ず残るし、こういうのでメシを食ってる女の子だっているわけですしね。ヘンに昔からの風俗をなくすと、素人に毛の生えたような女の子がわれもわれもと劣悪なサービスをするようになって、もっと温泉地の雰囲気が悪くなると思うんですけどね。


(http://www.youtube.com/watch?v=Hn6ODnNiXwg)

(http://www.youtube.com/watch?v=fkTwVesUB7Q)

(http://www.youtube.com/watch?v=L5SRuN-O5SY)

[748] 箴言11-12章 投稿者=真理子 掲示日=2011/06/30(木) 09:43:38 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=skd&book=pro&chapter=11&mode=0
 みなさまおはようございます。
 さっきから主人が、ぜひここを取り上げろとうるさい箇所が箴12:4

  賢い妻はその夫の冠である、恥をこうむらせる妻は夫の骨に生じた腐れのようなものである。

 箴言ってわりと前後の脈絡が希薄にことわざを並べている感がありますが、その中でもこれは特にそうですね。
 私たちの性生活の話、いままでは「真理子の生活と意見」の中の目立たないところ http://www.babelbible.net/mariko/opi.cgi?doc=love2&course=life に書いていたんですけど、このところ私はまるっきり慎みなく、この「真理子の聖書日記」で堂々と書くばかりかTwitterで全世界に配信してますからね。すっかりうちの主人はEDで不能寸前で、そのくせ妄想だけは人一倍あるヘンタイになってしまいましたね。さぞや私は「骨に生じた腐れ」、これって骨粗しょう症? 骨肉腫?
 でもね、主人はこのことでずいぶん悩んでた。私に出会う前からそうだったらしいですから。
 私に会う直前に、非常勤講師をしてた高校の男の先生ばかりで温泉旅行に行って、スパコンを呼んでどんちゃん騒ぎをしたらしい。スパコンって、2位じゃダメなんですかのスーパーコンピュータじゃなく、スーパーコンパニオンというほとんど裸で宴会にはべってくれるお姉さんたちですよ。
 しかしなんというヘンタイな高校なんでしょうか!
 そこでみんな食事もそっちのけにさわりまくったあげく、二次会三次会と旅館の部屋でヘンタイなお遊び。
 そのときに主人はずいぶん悩んじゃったみたいです。女の子から、愛撫の仕方がヘタクソだとさんざん言われたらしい。あげくの果てに、5000円払ったら抜いて(わかりますよね)あげると言われてお金を払ったのに、しこたま酔っ払っていたために全然言う事をきかなかったらしい。そりゃそうよ、当然じゃない! 結局5000円ただ取りされちゃったらしい。5000円はいいんだけど、それ以来「オレはもうだめだ」とか、そうとう心が傷ついて、ずいぶん悩みはじめちゃったんです。
 そんな中で私と出会った。そのなれそめは[366][367][368][369][370]に書いたとおりですが、ちゃんと出来たじゃない!
 それでもやっぱり50に近づくにつれ、なかなかうまくいかなくなって悩み始めてる。そのくせ欲望は全然消えてないから、欲望と能力の差がますます離れて、それがまた悩みのたね。おれはだめだっていうのと、なんてヘンタイなんだ、というのと。それで一人でうじうじと悩む。
 悩みなんて堂々といろんな場で言えばいいのよ。言うことでふっきれるってことがあるでしょ?
 それに、たぶんそれはみんなそうなのよ。同じような悩みを抱えてる人は多いと思うから、こうやっていろいろ書いておけば、勇気付けられることだってあるだろうし、人にも勇気を与えることができるってものよ。
 だからこれからもいろいろ書きますからね。私だって恥ずかしいのよ。でも恥をしのんでいろいろ書くことが、私たち夫婦の社会的使命だと思うんです。

 しかし、こんな私たち 箴11:16「しとやかな女は、誉を得、強暴な男は富を得る」 私はぜんぜんしとやかじゃないし、主人は全然強くないし、これは名誉や富とは無縁ね。