[ばべるばいぶる]

真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[504] イザヤ書51-55章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/18(金) 07:25:32 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=51&mode=0
 イザヤ書の中で一番有名な部分です。日本基督教団の交読文にも2箇所(53章が39番、55章が40番)とられています。
 通称「苦難の僕」と呼ばれる53章が、昔からイエス様の受難を予言した部分とされています。もちろん本来はそんなことはないでしょう。正直者がバカを見るなんてことはいつの世にもあります。そのような苦労する正直者、しかも他人の罪を背負って犠牲になる人の姿を描いているのでしょう。だから別にイエス様のことだと思う必要はなく、たとえばあなたが、同僚のミスを背負って不利な立場におかれたときに、「自分のことを詠んでるんだな」というなぐさめとして読んだっていいんです。そしてキリスト教徒にとって、他人の罪を背負って犠牲になった人の代表がイエス様なので、イエス様のことをしのびながらここを読んでいるわけです。
 ここで第二イザヤ(41-55章)が終わりになり、次からは実は別の時代の別の作者による部分「第三イザヤ」になります。

[503] 民族という病 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/17(木) 19:57:31 ここから閲覧

 こんなことを書くなんて真理子は左翼かですって? 私、ふだんは人から発言が曾野綾子さんなみに右翼的と言われるんですけど。大学生時代に社会主義国がだだだだっと無くなってしまい、自民党の支配の終わりを経験した真理子には、右だの左だのという構図は意味を成しませんのよ。性と民族と宗教の話をするときは過激なまでにリベラルになってしまうってことです。
 私、民族って究極的には実在しないと思ってます。みんなが民族だと思っているものは、一つの地域文化を共有する人々の集団という程度のものでしかなく、どこまでが一つの民族でありどこからが別の民族かを判断する客観的な根拠はなく、状況によって広がったり狭まったりするふわふわしたものだと思っています。
 それはちょうど、世界にはいくつの言語があるかが誰にもわからない。それは、たとえば広東語を中国語の一方言とみなすか別言語とみなすかという基準がないので誰にも数えられない、というのと同じです。
 ルワンダ紛争のフツ族とツチ族みたいに、外見的にはまるっきり違いのない人たちが、状況によって徹底的に殺し合いをしたりする。
 どこまでが一つの民族かっていうのは宗教みたいなもので、同じような地域文化と同じような価値観を共有できるグループというところ。
 だとすれば、宗教において神仏混淆を主張する真理子は、当然のことながら民族においても混淆しちゃいなさいと思うわけですね。
 いろんな民族どうしで結婚して子どもを作ってどんどん同化しちゃえばいいし、他民族の生活習慣をとりいれたっていい。
 ユダヤ人だからこういう生き方をしなければいけないとか、朝鮮人だからこういう生き方をしなければいけないなんていう考え方を、猛烈に憎むわけです。
 エステル記のところで書いたように、在日が通名を名乗ろうが本名を名乗ろうが自由なんですよ。
 でもこんな当たり前のことが、なかなか理解されない。
 今ではさすがにこんなことないでしょうけど、むかし私が朝鮮語を勉強したときって、日本人が朝鮮人ふうの名前を名乗ることがタブーでした。逆創氏改名みたいで不謹慎だっていうんです。ネットで朝鮮人ふうのハンドルネームを名乗ったら、猛烈にたたかれましたもの。でも外国語の会話練習のときって、JohnとかMaryとか、その言語の名前を名乗ったりしませんか?
 私、韓国で買い物するとき、韓国人っぽい名前を名乗ることがあります。キム・ヨンミとか。私の旧姓はハングルだと5文字になり(ひらがなでも5文字ですけど)、韓国人には絶対に一発で覚えてもらえないんで、レストランを予約するときとか、メガネを作ったり写真をプリントしたりというときは、とりあえず韓国人っぽい名前を言ったりしますもの。KBSの国際放送「ラジオ韓国」の日本語スタッフだって、ラッコさんとかアラレさんとかいうニックネームを名乗ってました。でないと韓国人の名前って日本人にはみんな同じように聞こえて覚えられないから。こんなことだってふつうにやればいいじゃないですか。
 名前に限らず、民族のいろいろな生活習慣を、守りたければ守るし、やめたければやめたっていいんです。
 言葉だって捨てたっていいじゃないですか。
 鈴木孝夫さんの『閉された言語・日本語の世界』の最初のほうに、「日本語を捨てる日本人」ていう、外国で生活している日本人がたやすく日本語を捨ててしまうっていうことを批判した章があります。ポーランド語を命がけで守ったポーランド人にくらべてなんと自国語を粗末に扱っているかという批判ですね。でも、満州語とか、エトルリア語みたいに、なくなっちゃった言語っていっぱいあると思うんですけど。こういう「母語を守らなきゃいけない」みたいな正義のおしつけにも、私はむかむかするんです。

[502] 北方領土・つづき 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/17(木) 18:54:12 ここから閲覧

 解決しないまま70年近くたってしまった今は、ちょっと発想を転換したらどうかしら。
 名を捨てて実をとるんですよ。
 領有権はロシアにあげちゃいなさい。インフラの整備とか多民族の統治とか領土の防衛とかめんどうなことは全部ロシアにさせちゃえばいいんです。そして日本は経済的に進出すればいい。住みたい人は住めばいい。観光したい人はすればいい。
 今のままでは日本人は行きたくても行けないじゃないですか。ロシアのビザを取って行くのはロシアの領土だって認めることになるからダメっていうんで、このままじゃいつまでたっても観光旅行できない。私、腰が曲がらないうちに観光旅行してみたいんですよ。サハリンやウラジオは行ったんだけど、ぜひクナシリ、エトロフにも行ってみたいわ。
 このほうが、元島民だって行きたい時に墓参りできるし、住みたい人は住むことができる。商売したい人は商売すればいいんです。日本の領土にならなければ日本人は住めないなんて心のどこかで思ってるんじゃありませんの? そういう日本人の単一民族国家意識が私には猛烈にうざったい。
 その昔は千島樺太交換条約とかいって、ホントは樺太もほしいんだけど、無理をしないでとりあえず千島だけ確保したみたいなことをしたわけですが、あのころの日本人のほうが今よりはるかにオトナで、生存能力があった気がします。樺太が南半分を含めて全部ロシアだった時代から、日本人は樺太に出稼ぎに行ってたじゃないですか。さっさと北方領土はロシアのものと認めちゃって、名を捨てて実をとって、経済的に支配しちゃえばいいじゃないですか。ハワイみたいに半分日本のものみたいな島にしちゃえばいいんです。あ、でも今の日本の貧しい経済力じゃそれも無理かしらね。しょせん日本は四流国よ。

[501] 北方領土 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/17(木) 13:58:21 ここから閲覧

 エステルの話、在日の話をする前に、忘れないうちに書いておくわ。
 先週2/7が北方領土の日だったんだそうで、2/10の「5時に夢中!」では中瀬ゆかりさんや岩井志麻子さんがコメントしてましたが、「不法な占拠をしているのはロシアなんだからまず返せ」(中瀬)とか「ロシアはあんなに大きな国なのにこんなちっぽけな島にこだわって」(岩井)とか、あきれたコメントでしたね。この二人は頭のいい女だと思っていたのにこんなにバカだとは思いませんでした。
 いや、何がいけないかって、この二人に人間の顔が見えてないのがものすごく腹がたつわけです。週刊新潮なんていう人間が見えないくだらない雑誌を編集してると人間が見えなくなっちゃうのね。それとも週刊新潮はお立場上「北方領土を返せ」と言わなきゃいけないのかしら。
 ベトナム人男性に恋した経験があり今は韓国人と結婚している岩井さんは少しは外国人の顔が見えてるのかと思ったらそうでもないのね。
 普通の日本人で北方領土が戻ってくるなんて思っている人はまずいないと思うし、戻ってきてうれしいと思う人もいないと思いますけど、もしここを読んでいるあなたが「北方領土を返せ」なんて思っているといけないので、念のために書いておくわ。

 北方領土が竹島や尖閣と違うのは、そこに多くの人が住んでいるということ。そして沖縄と違うのは、そこに住んでいる人が日本人ではなく、いま実効支配をしている国の民だということです。
 私が中瀬さんや岩井さんに怒っているのは、いま北方領土に住んでいる人の顔が見えてないことに対してです。
 「北方領土を返せ」? ああそうですか。じゃ、今住んでいる人はどうするんですか。中瀬さん、あなたはどういう顔をして、いま生活をしている人に出て行けと言うんですか?
 「そもそもロシアの占拠が不法だった」ですって? そんな、主権国家どうしの戦争に合法も不法もないじゃありませんか。最終的には強いものが勝つんです。今の世界の国境なんてそうやって決まったんです。そんなこともわからないんですか。
 百歩譲ってロシアの占拠が不法だったとしましょう。不法に占拠して、日本人を不法に追い出した。じゃ、こんどは日本人が不法にロシア人を追い出す番だっていうんですか?
 え、ロシア人は出て行けとまでは言ってないですって? バカ言っちゃいけませんわ。日本に戻ったら、66年前に追い出された日本人がおしかけて、「お前が住んでいるこの土地と家は、むかしうちのおじいちゃんが住んでいた家だ。さっさと出て行け」なんていう話があちこち発生するに決まってるじゃないですか。
 ちょうどイスラエルがやったようなことよね。
 「こんなちっぽけな島にこだわって」ですって? クナシリやエトロフに生まれ育ったロシア人にとっては、そのちっぽけな島こそかけがえのない故郷なんですよ。だだっ広いロシアのどこにも帰るところなんかないんです。
 いま住んでいるロシア人の生活を保障するプランを示すことなく、ただ返せ返せとしか言えないあたりに、日本人の他民族に対する鈍感さを感じます。
 もし北方領土が戻るチャンスがあったとすれば、1990年あたりだったかしら。ソ連崩壊直前、日本はまだバブル景気。そういうときに「日本になったらこんなにいいくらしができますよ。いま住んでるロシア人の生活は保障しますよ」というプランを示せば、まだなんとかなったかもしれない。
 でももう無理ね。日本は景気悪いし、日本に来てるロシア人見てるとお金持ち多いですからね。ロシアのほうがまだ幸せに暮らせるんじゃないかしら。もう日本は三等国よ。就職もなく給料も安い貧しい日本になんかにならないほうがいいわ。
 そして日本はまだ、単一民族国家幻想を抱いてる。さまざまな異民族を統治する技術なんかない。多民族国家ロシアのほうがずっと経験が豊富よ。
 北方領土を返せっていう前にさ、はたして日本がみんなにあこがれてもらえるような国なのかっていうことを振り返るがいいわ。私はこんな貧しい(経済的に貧しいのもさることながら、精神的に、そして国際感覚が貧しい)日本になんのほこりも持てないもの。日本になったら不幸よ。ロシアのままでいなさい。メドベージェフさんがんばってね。絶対に日本に北方領土を返しちゃダメよ。北方領土に住むロシアの人たちの幸せを守ってね。

[500] ヨブ記19-20章、エス・ギ4章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/17(木) 12:19:14 ここから閲覧

●ヨブ記19-20章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=libj&book=job&chapter=19&mode=0
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=libj&book=job&chapter=20&mode=0
 区切りが悪いですけど、ビルダデへの反論(19章)と、ゾバル(ツォファル)の第二ラウンドの演説。
 例によって、口語訳も新共同訳も新改訳も訳文が面白くないので、リビングバイブルのリンクを書きました。こうやってURLで直接リンクすると、修道会以外の方も見られます。
 要約しちゃうと、私は何も悪くないのに神様からいじめられたというヨブに、罪びとの末路は破滅だと説く友人、という相変わらずの内容です。
 でもヨブは、根底のところで神を信頼しているので、反論は神様への恨みでおわるのではなく、最後は神をたたえて終わります。今までもそういうところがありましたが、今日のところではヨブ19:25-27。「私は知っている。私をあがなう方は生きておられる」というのは、ヨブ記の中でも一番有名なことばです。生きているうちは苦しめられても、死後のさばきでは救われると確信しているのです。

●エス・ギ4章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=esg&chapter=4&mode=0
 ヘブライ語版エステル記の2章とまるっきり同じ。
 アハシュエロス(ギリシア語版ではアルタクセルクセス。ヘブライ語版ではクセルクセス)王の宴会を王妃ワシテ(ワシュティ)がすっぽかした事件のあと、新たに王妃になったのは、エステルという美しいユダヤ人。いとこのモルデカイとともにペルシアの首都スサに住んでいました。
 宦官たちの王の暗殺計画をモルデカイが通報した話は以前出て来ましたね。当ばべるばいぶるの章番号では2章、新共同訳の章番号ではA章です。ギリシア語版エステル記は、ヘブライ語版エステル記だけでは外国人にわかりにくいと思われる部分を付加しているのですが、ここは余計な付加という感じです。ただ、2章(A章)のほうでは、この暗殺計画はモルデカイとぜんぜん関係なく、たまたまモルデカイが耳にしたということでしたが、こちら4章(2章)では、モルデカイの重用がきっかけとなった恨みでこの暗殺計画が生まれたということになってます。
 ところで、エステルとモルデカイがどうしてスサにいたのかというと、前王朝の新バビロニアによるバビロン捕囚でつれてこられ、解放されても戻らずに住み続けたんですね。エステルという名はペルシア語名で、ホントの名前はハダッサ(7節)。そしてユダヤ人であることを隠して生きてきました。このあたり、まるで在日朝鮮人ですね。
 60年も異国にいると、そこに生活の根がおりちゃって、いまさら帰るに帰れない。ユダヤ人だとわかると迫害される可能性もあるし、たとえそれがなくても、異国にいれば自然と異国の習慣で生きるようになり、異国の名前を名乗っちゃうっていうのは、きわめて自然ですからね。だんながよく言ってますけど、渡辺さんとか木村さんとか日本人の名前でタクシーのオーダーが入ったので迎えに行ったら、カタコトの日本語でしゃべる外国人だったなんてことはよくあるそうです。それは別にウソをついてるわけじゃなく、そういう名前で生活してるんでしょうね。電話で外国名を名乗ってもうまく聞き取ってくれないので、日本名を名乗るほうがラクなんです。
 日本名を名乗って生活している在日に「本名を名乗るべきだ」と強要する人っています。しかもそれ在日の地位向上のためだと信じて強要するんですから始末におえませんが、そんなの、本名を名乗ろうが通名を名乗ろうが、その人が便利だと思うほうの名を名乗らせてあげりゃいいと思うんですけどね。
 「エステルってペルシア語名だったの? ユダヤの名前を名乗らないなんて、熱心なユダヤ教徒じゃないのでは?」なんて思った人、あなたもあやういですよ。正義を人に強要するのはやめましょう。
 長くなるのでこの話はあらためてまとめましょうか。

[499] 詩編27-29編 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/16(水) 11:11:06 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=27&mode=0
 3編とも勇気を与えてくれる祈りの詩。日本基督教団の交読文には27、29編が入っています(8、9)。
 詩編というのは祈りにぴったりのようでいて、現代人の感覚だといまいちなじめない。敵をやっつけてくれみたいな復讐心をあおるものが多いですから。その点、この3編はそういう復讐心が希薄なので、素直に読むことができます。

[498] ルツ記、エス・ギ3章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/15(火) 07:09:52 ここから閲覧

●ルツ記
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=rut&chapter=1&mode=0
 キリスト教側の旧約聖書では士師記の次にルツ記という非常に短い文書が来ます。4章しかないので今日一日で読み終えてしまいます。
 ユダヤ教ではルツ記・雅歌・コヘレト・哀歌・エステル記の5つをメギロート(巻物)と呼び、特定の祭日で読むための本としています。ルツ記が読まれるのは七週祭(シャブオト)という収穫感謝祭、後にキリスト教ではペンテコステになるお祭りですね。今年のペンテコステはすごく遅くて6/12ですが、だいたい5月中旬から6月上旬に来ます。麦の収穫時期がこのころになるんですね。

 私はよく、ユダヤ教を理解するのに「日本がアメリカなりどこなりと戦争をして廃墟になっちゃったとき、アメリカに移民していた日本人社会が、生き残ったオレたちが日本の文化を守ろうじゃないかと、古事記だの万葉集だのの古典や各地の神社に残る祝詞なんかを寄せ集めて聖書を作り、教義と祭祀のシステムを作りあげて日本教という宗教を作っちゃったみたいなものよ」なんて言ってます。イスラエル近辺の地名はいまいちなじみがうすいので、日本になぞらえるとわかりやすいんじゃないでしょうか。
 そういう読み方でいけば、ルツ記は、「東北の飢饉で食い詰めた一家が満州に移住し、中国人の娘を嫁にもらった。戦争でご主人と息子が死に、敗戦後に奥さんが引き揚げるときに、嫁まで一緒について来ちゃった。嫁は日本で鉄くず拾いをしながらなんとか生きていくうち、未婚の若い実業家と知り合い、そいつの工場で働かせてもらううちにお手がついちゃって、見事に社長夫人となり、生んだ子どもが家業をつぎ、孫は政界に出て首相にまでなっちゃった」みたいな話でしょうか。
 そういえば、ワタミの渡辺美樹ってホントに都知事選に出馬するんですね。ぶつぶつ。ま、東京都のことなんかどうでもいいんですけど。
 ルツはモアブ人。モアブ人ってパレスチナの南東、死海の東側にいた民族。その南がエドム人です。モアブ人って何かにつけてイスラエルと対立しますけど、実はダビデのおばあさんはモアブ人であり、イエス様のご先祖にはモアブ人もいたっていう話ですね。
 ナオミ/ナホミって今ではすっかり日本人の名前として定着してますけど、もともと日本にはこんな名前はなく、谷崎潤一郎が『痴人の愛』の主人公の名前をナオミとして以来、この名前がはやったんだということみたいです。
●エス・ギ3章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=esg&chapter=3&mode=0
「真理子のおまけ」に対応関係を明記したように、ヘブライ語版エステル記の第1章そのまんまです。アハシュエロス(クセルクセス1世。ギリシア語版のアルタクセルクセスっていうのは間違い)の生意気な王妃ワシテが宴会をすっぽかすという事件を起こします。

[497] 雪の日は早く帰りましょう 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/14(月) 22:13:08 ここから閲覧

 今日はだんながタクシー乗務の日で、ホントなら最低でも終電までは客を乗せて、帰ってくるのは深夜4時くらいのはずなんですが、雪で運転ができなくなったと言って午後10時に戻って来ました。雪国の方はなんと軟弱なとお思いでしょうが、横浜では雪が積もったらみんな運転なんかできないです。「会社がケチだから後輪にしかスタッドレスタイヤをはかせてくれないし、チェーンも積んでない。ちょっと積もっただけでハンドルが言うこときかないよ。いまは総量規制で減車してるから、事故起こしたらもうクビ。どんなに駅にお客さんが並んでても、みんな見捨てて事務所に逃げ帰ってきてるし、『こんなに早く帰ってきやがって、もっと仕事してこい』なんて事務所も絶対に言わない。そもそも無線の仕事を全部断ってる」とかいろいろ言ってます。登山と同じで、引き返す勇気が必要ってことね。
 そんなわけで、東京や横浜では雪の日のタクシーなんてあてになりませんから、雲行きが怪しくなったらさっさと帰ることですよ。みなさん。
 思いもかけずだんなと二人の時間ができたので、これからじっくり楽しもうと思います。掲示板ではエロ話は慎みますので以下省略します。ではみなさん、雪にご注意くださいませ。

[496] 創世記36-39章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/14(月) 06:19:47 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=gen&chapter=36&mode=0
 ここから(正確には37章から)ヨセフが物語の中心になります。兄たちからうらまれ、殺されかかり、エジプトに売られても無実の罪で投獄されたり、さんざんですけど、ヨセフも脳天気に夢の話を言ったりするなど、けっこう空気読めないやつですよね。
 ヨセフの話は来週またするとして、今回は物語のわき道としての36章、38章の話を書きましょうか。
 36章、エサウの子孫がエドム人なんですが、エドム人はユダヤ人やアラブ人と同化したので今はいません。パレスチナの南東、死海の東側にモアブ人がいましたが([435])、さらにその南側にいたらしいです。
 で、エサウの息子にエリパズという人がいまして(創36:10)、この名前に聞き及びはありませんか? そう、ヨブ記でヨブと論争する3人の筆頭人物ですね。たしか、テマン人エリパズって言ってましたよね。エリパズの息子にテマン(創36:11)という人物がいるんです。ヨブ記って実はユダヤ社会の話じゃなく、周辺地域の話なんですね。こうやってみると、創世記にときどき挿入される無味乾燥な系図も、いろいろなところで読解に役立つってことですね。
 38章、オナンの話といいタマルの話といい、未成年には刺激が強いかしら? 旧約聖書、とくに創世記は、刺激の強い話が出て来ますので、お子様は不用意に読まないほうがいいかもしれませんわ。実際、昔の厳格なクリスチャンの家では、子どもに聖書を不用意に読ませないところも多かったみたいですよ。
 うちも子どもがほしいのでオナンのような行為は厳禁よ。あ、この掲示板ではエッチな話はつつしまなきゃ。エッチな話を読みたい人は、真理子日曜学校の「真理子の生活と意見」を読んでね。最近またエロ話を追加しちゃいましたわ。
 さて、タマルががんばって生んだ子が双子で、ベレツとゼラ。昔の日本では、双子は先に出てきたほうを弟としたということもあったみたいですが、一応ここでは先に手だけ出したゼラがお兄さん。でも、「ベレツとゼラ」みたいに、二人を呼ぶときには弟のほうを先にいうみたいですね(マタ1:3)。マタイ冒頭のイエス様の長々とした系図に出てくるでしょ? 娼婦のまねごとをしたタマルはイエス様のご先祖なんですよ。イエス様は弟ベレツのほうの系統です。

[495] エス・ギ2章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/13(日) 13:05:22 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=esg&chapter=2&mode=0
 新共同訳ではA章、つまり付加部分の続きです。前回の1章の話をしていなかったので、まとめてしちゃいます。
 時代はペルシア帝国の王アハシュエロスの治世の第2年。
 さて、このアハシュエロスっていったい誰なのかってことですね。
 ペルシアの王様は、クロス(キロス)-カンビセス-ダリオス(ダレイオス)1世-クセルクセス1世-アルタクセルクセス1世……と続きます。
 で、実はアハシュエロスって、クセルクセス1世(前486-465)のヘブライ語表記です。
 ところが、ここからがややこしいんですが、ギリシア人たちはこれを、次のアルタクセルクセス1世のことと誤解しちゃうんですね。アで始まるせいかしら。
 「エステル記・ギリシア語」は、簡単にいえば「ヘブライ語版エステル記」+「ギリシア人向け解説」という構成になっていますが、その解説で間違えちゃしょうがないですね。
 新共同訳のエス・ギはその間違ったギリシア語表記に基づいて「アルタクセルクセス」と訳していますが、真理子のおまけのほうは、クセルクセスと書くのもはばかられるのでアハシュエロスとごまかしました。真理子のおまけの固有名詞表記は、できるかぎり口語訳聖書にあわせるという方針でもありますから。
 もう前々代の初代王クロス(キロス)のときにユダヤ人はバビロン捕囚から解放されますが、60年も異国にいると、そこに生活手段ができてしまって、パレスチナに戻らず、バビロンなりスサなり、ペルシアの版図に残ることを選択したユダヤ人も多いんですね。
 在日韓国人だって、日本に移住したのは植民地時代で、いまさら本国には戻れないんですから、「韓国に帰れ」なんて絶対に言っちゃダメですよ。
 だんなは、私と結婚して今は本籍が現住所の横浜ですけど、もとは北海道。でも北海道には戻る家なんかないです。
 そんなわけで「在ペルシア・ユダヤ人」となった人々の中に、ベニヤミン族に属するモルデカイ、エステルという兄妹がいまして、それがこの話の主人公。
 付加部分A(当ばべるばいぶるでは第1・2章)にはまだエステルが出てきませんが、このモルデカイが不気味な夢を見た話が第1章、そして王の暗殺計画をチクってその功績が記録されたという話が第2章です。この話はその後の伏線になりますので覚えておきましょう。

[494] 1コリ1-2章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/13(日) 12:48:24 ここから閲覧

 エス・ギ2章もありますけど、長くなるので別々に書きます。

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1co&chapter=1&mode=0
 コリント(コリントス)というのは
http://maps.google.com/?ll=37.9486,22.9666&z=13
アテネの西方にある都市。ギリシアって、足でボールを蹴ってるような形をしてますが、そのボールがペロポネソス半島。つながってるんですね。その継ぎ目にある交通の要衝で、商業的にも文化的にも重要な都市。建築のほうではローマのパンテオンみたいな、柱頭にいろいろ装飾がある柱のことをコリント式なんて言ったりします。
 ちなみに、だんながコリントときいてすぐ連想するのはコリントゲーム。
http://www.asahi-net.or.jp/~rp9h-tkhs/dg_kolin.htm
 私はリアルタイムには知りませんけど、昭和40年代前半まではけっこう遊ばれていた、テーブル式パチンコですね。そういえばどっかのさびれた温泉宿の遊技場に置いてあったような。これはコリント式とは関係ないみたいです。小林脳行が輸入したんで小林→コリンなんだそうです。ほんとかしら。
 で、パウロがコリントスの教会にあてて書いた手紙が二つあって、新共同訳だと「コリントの信徒への手紙一」「二」となってます。口語訳は「コリント人への第一の手紙」、文語訳は「コリント人への前の書」、明治訳は「コリント人(びと)に贈れる前書(さきのふみ)」、こんなふうに日本語では第一だの前だのが書名のあとのほうに来ますけど、英語ではThe First Epistle of Paul the Apostle to the Corinthiansみたいに、数字のほうが先に来ますので、1coなんて略したりします。それにならって、略号でいうときには日本語でも「1コリ」と言うのが普通ですので、以下そのようにします。
 聖書に並べられたパウロの書簡の順序に深い意味があるのかどうかよくわかりませんが、ロマ書にならんで1コリは重要な書簡です。案外「重要度順」なのかしら? 13章は有名な愛の賛歌ですしね。カトリックがニッポン放送(メインは京都放送)で朝やってる心のともしびの冒頭のせりふ「心に愛がなければどんなに美しい言葉も相手の胸に響かない」っていうのは、ここからの自由な引用です。
 そのくせ、例によって馬鹿パウロのことですから、無神経きわまりない女性蔑視発言も飛び出したりするので、油断のならない手紙ですけどね。

 原始キリスト教団は早くもこの時代から分派がいろいろあったんですね。そんな中で、知恵だの何だのじゃなくて、「十字架につけられたイエス様」という原点に戻りなさいと訴えております。
 ちなみに、一コリ2:2で「十字架につけられたキリスト以外は何も知るまい」とパウロが言ってるのは、裏の意図もあるんですよ。パウロって、生前のイエス様を知らないんです。だからイエス様の言行に接した弟子たちに対して弱いので、「そんなことはどーでもいい」と強く主張するわけですね。

[493] 雪の中のテネブレの祈り 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/12(土) 10:43:32 ここから閲覧

 昨日は雪の中を聖心女子大に行ってきました。だんなも行くというので、「雪がつもるとローファーなんかぐちゃぐちゃになるわよ。これはいてきな。ズボンもぬれなくていいわよ」と、私のスキニージーンズとロングブーツをはかせる。もちろんジーンズはブーツの中です。実はだんなと私って、体型が似てて、だいたい服がシェアできるんです。最初は恥ずかしがってたけど、こりゃ便利だと喜んでました。くせになるかしら?
 それにしても寒かったわ。教会ってそもそも寒いけど、雪だから特に寒かった。私もだんなもしょっちゅうトイレにたつ。女子大だから男子トイレの数が少なく、しかも全部個室。行列をなしてトイレに入る苦労は女なら当たり前ですけど、だんなも味わって、女って大変だなって言ってました。
 今年はビクトリア(Victoriaだけど、スペイン語はVもBの発音するからヴィクトリアはダメよ)没後400年ってことでビクトリアの音楽をやったわけですけど、ずいぶん雰囲気が違いますね。スペインとかポルトガルって、当時の世界大国ですけど、音楽はいまいちなじみがないんで、今後いろいろ聴いて見ようかしら。
 早く行きすぎて、外は寒いので、リハーサルのときから中にいましたけど、ガラガラガッシャーンとすごい音。雪だから外で事故でもあったかしらとびっくりしましたわ。実はこれ、一番最後に、イエス様が死んだときの天変地異をあらわす音っていうのを出すんで、その練習だったんです。本番では花井先生が「最後に音がします。びっくりしないでくださいね。いや、びっくりしてください」なんて笑いをとってましたけど、予告されたらみんなびっくりしないわよね。でも私は予告なしで聞いたんでびっくりしましたわ。

[492] マタイ23-25章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/12(土) 10:29:22 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=mat&chapter=23&mode=0
 「マタイ黙示録」とでも言えるような、世界の終末の話です。
 実際には紀元後66-73年にユダヤ戦争と呼ばれるユダヤ人のローマへの武装蜂起があって、それで70年にエルサレムが陥落する。そういう結果を知っているマタイが、例によって事後予言のかたちで、「イエス様によってこれは予言されていた」みたいに書いた部分です。
 でもこれが、本当の世界の終末みたいにも読めるおどろおどろしい記述ですんで、昔から人々を怖がらせて信者獲得に役立ったところです。「終末が近い」と脅すのは、一番安直な信者獲得法ですから。
 いま売られてる雑誌「日経おとなのOFF」の2011年3月号は「聖書入門」。その「最後の審判」にもマタイ25章が言及されてますね。

[491] エステル記・ギリシア語第1章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/11(金) 22:46:44 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=esg&chapter=1&mode=0
 エステル記は、エステルという美しい女性がイスラエルの民の危機を救う話で、ユディト書と雰囲気がとても似ています。
 この話にちなんで、ユダヤ教ではプリム祭というのをアダル月の14-15日にやります。アダル月って第12月で、復活祭がニサン月=第1月ですから、その前の月、だいたい春分前後ですね。
 読んだところ歴史ものという気がしますが、実際にこんな事件があったわけではありません。まるっきりの大ウソです。そのせいか、プリム祭の日はユダヤ教版のエイプリルフールになっていて、新聞やテレビ・ラジオで「イスラエル軍がローマを占領した」みたいな冗談ニュースを報じたこともあるようです。

 で、エステル記のあとの「・ギリシア語」っていうのは何かといいますと、この場合のギリシア語とは、ギリシア語訳旧約聖書、通称「七十人訳聖書」のことです。伝説ではプトレマイオス朝エジプトの王、プトレマイオス2世(在位前283-247)のために、イスラエル12部族から6人ずつ訳者が出て計72人で訳したことになっていますが、実際にはもっと長い期間をかけて成立したものです。だから72人訳聖書なんですけど、ギリシア語やラテン語をやった方はおわかりのとおり、72っていう数字は「2と70」っていう表現になり、しかも「と」が省略できないので、猛烈に長いタイトルになっちゃう。だから2人ひっこんでもらって70人訳っていうタイトルになったのでしょう。
 この聖書は在外ユダヤ人のため、そして外国人へのユダヤ人・ユダヤ教・ユダヤ文化・ユダヤ歴史の紹介のために、当時の国際語であるギリシア語に翻訳されたもので、翻訳でありながら原典なみの権威をもったものとなりました。原始キリスト教団で読まれたのもこれです。むしろ、ヘブライ語聖書って、キリスト教が成立してからそれに対抗してユダヤ教側が整備したようなところがあるほどです。
 七十人訳はヘブライ語の旧約聖書と比べると、本も多い(いわゆる旧約聖書続編ですね)し、本文もかなり異なります。その中には、訳のときに勝手に付け加えちゃったのもあるかもしれませんが、古くにさかのぼるような異本に基づいていると思われる部分もあります。
 必ずしも旧約聖書って、ヘブライ語がもとで、ギリシア語があととは言えないんですよね。
 だからよく「旧約聖書、新約聖書というのはキリスト教側の立場に基づくものだから、ヘブライ語聖書、ギリシア語聖書と呼ぼう」なんていう、わかったような説を言う人がいますよね。Wikipediaもそうみたい。こういうバカ説を言う人は、七十人訳の重要性を理解していないんですね。
 そもそも「聖書」っていう書名自体が、キリスト教側の言い方なんですから(ユダヤ教じゃ、「律法・預言者・その他の書」って呼ぶのよ)、旧約・新約でいいんですよ。

 で、エステル記・ギリシア語は、ヘブライ語版エステル記にくらべて、6箇所ほど付け加わった部分があります。それ以外は基本的にヘブライ語版エステル記のまんまです。
 新共同訳では、付加部分をABCDEFというアルファベットの章名にして、その他を数字の章名にしています。これはゲッチンゲン版の七十人訳聖書の流儀です。
 実は七十人訳聖書って、印刷テキストが数種類あるんです。最新のはゲッチンゲン版といって、まだ全部出ていません。新共同訳のエステル記・ギリシア語は、このゲッチンゲン版を底本にしているようです。
 いま一番入手しやすい七十人訳は、ドイツ聖書協会から出ているもので、通称ラールフス版と言います。フランシスコ会訳のエステル書(記じゃありません)はこれを底本にしています。
 で、この二つの章・節番号に互換性がないんですね。
 さらには、当ばべるばいぶるが採用している章・節番号は、WEB(The World English Bible)というWEB上にフリーで公開された英語訳のものですけど、これがまた違うという混乱状況になってます。
 そんなわけでかなりややこしい事態になっていますが、とりあえずはばべるばいぶるの流儀=WEBの流儀にしたがって読み進めていってください。

[490] イザヤ書45-50章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/11(金) 10:40:29 ここから閲覧

 今日はエステル記・ギリシア語も読むことになっていますが、書くことが多いので(これから[488]のコンサートいえいえ黙想会に行きますので、帰ってからにしますね)、とりあえずイザヤ書のほうだけ。
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=45&mode=0
 45章のクロス(キュロス)って、前章から出てきましたけど、アケメネス朝ペルシアの王様キュロス2世(在位は前559-前530)で、新バビロニアをほろぼしてユダヤ人たちをバビロン捕囚から解放する人です。
 そういう話が48章まで続きます。ってことは例によって事後予言ですね。実際にそういう歴史の流れを知っている人が、前もって予言されていたみたいな書き方で書く。たとえば1989年の「ベルリンの壁崩壊」を知っている人が、わざと、1980年ごろに書かれた著作みたいなふりで書くようなものです。だから、どこのどなたか存じませんが、ここを書いてる第二イザヤさんは、この時代の人ってことですね。
 そして49章からが有名な苦難の僕の話。イエス様のことを予言したとされる部分です。メインは来週の53章ですけど、49章から始まりますのでしっかり読んでおきましょう。

[489] ヨブ記17-18章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/10(木) 10:58:22 ここから閲覧

 例によって口語訳も新共同訳も新改訳も、ヨブと友人たちのいいあいの緊迫感をぜんぜん伝えていません。ぜひリビングバイブルで読んでください。
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=libj&book=job&chapter=17&mode=0

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=libj&book=job&chapter=18&mode=0

 「みんな、頼むから帰ってくれ」とか「気でも狂れた(しれたって読むのかしら)のか」とか、面白いですよ。
 いまちまたでは、東川篤哉『謎解きはディナーのあとで』
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/409386280X.html
がはやっているようで、私もつい買って読んでしまいました。話の内容はたいしたことがなく、一度読んだら読み返す気にはなりません(推理小説だから読み返すものじゃないんでしょうけど)けど、お嬢様刑事と彼女に仕える毒舌執事のかけあいがとっても面白いです。やっぱり文学は内容だけじゃなく表現も大事よ。

[488] テネブレの祈り 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/10(木) 10:15:20 ここから閲覧

 突然ですけど、明日の15-18時、聖心女子大学の大聖堂で、スペインのルネサンスの大作曲家ビクトリアの「聖週間の政務日課」を実際の典礼形式で歌う黙想会があります。無料です。
 以前、ヴォーカル・アンサンブル・カペラという、ルネサンスのミサ曲を実際の典礼形式で歌う合唱団の話をしました。その主催者・花井哲郎さんが、フォンス・フローリスという古楽の勉強会を主催していて、その学生たちの発表会ということになっています。
http://fonsfloris.exblog.jp/15890068/
 私、ヴォーカル・アンサンブル・カペラの定期会員になってるし、先日もダイレクトメールが来たのに、こういうのを教えてくれず、別のルートで直前になって知って憤慨しておりますが、面白い機会なのでぜひ行ってみます。
 なお、会場で真理子らしい貧相・貧乳・貧尻(ひんけつ)の小太りオバサンを見かけたとしても絶対に声をかけないでくださいね。私も絶対にあいさつしませんから。これ、コンサートじゃなく黙想会ですから、沈黙のうちに来場、沈黙のうちに散会します。たぶん拍手も厳禁でしょう。
 ところで、花井哲郎さんが、4月からNHK-FM「バロックの森」(毎日朝6:00-6:55)の日曜日を担当するそうです。いま日曜日はリクエスト専門番組で、松川利香さんという女性が担当しているんですが、お話があんまり面白くないので、日曜日だけはあんまり聴いてませんでした。やっぱりバロック音楽は、音楽史のうんちくを傾けてくださるか、でなきゃ前任者の松田輝雄さんみたいに、音楽とまったく関係なく武蔵野の自然を語っていただけるか、どっちかにしてほしい。音楽をかけるだけじゃただの有線放送で、ラジオ番組はトークが重要ですからね。その点、花井哲郎さんの話はものすごく面白いので、絶対期待できますわ。
 なお、「バロックの森」は4月から「古楽の楽しみ」に改題するそうで、しかも土曜日は、ラジオ第一放送の「音楽の泉」(日曜朝8:05-8:55)の再放送にかわるそうです。

[487] 渡辺美樹が都知事選に? 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/09(水) 10:43:10 ここから閲覧

 ひさびさにイヤな話を聞いたわ。
 ワタミ会長の渡辺美樹が都知事選に出るんですって?
http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20110209-OYT1T00105.htm
 新聞のサイトの記事ってすぐリンク切れになっちゃうから全文転載しておくわ。
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 4月10日投開票の東京都知事選で、外食大手「ワタミ」会長を務める渡辺美樹氏(51)が出馬に向けて準備を進めていることが8日分かった。

 みんなの党関係者が接触し、具体的な支援のあり方などについて検討している。

 関係者によると、渡辺氏は都知事選出馬について、政党関係者以外にも複数の知人に相談をしている。

 渡辺氏はワタミ広報グループを通じ、「知事選に関する質問には一切答えられない」としている。

 渡辺氏は1986年に「ワタミ」を設立、居酒屋チェーンなどの外食産業を中心に幅広く事業を展開し、学校法人運営や介護事業、農業などの分野にも進出している。安倍首相(当時)の諮問機関である教育再生会議の委員や、日本相撲協会の組織改革を進める独立委員会の委員などを務め、公的な場での発言も多い。

(2011年2月9日01時38分 読売新聞)
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 この人、いろんなニュース番組のコメンテーターとしてよく出てくるけど、私もだんなも、この人の顔を見るとすぐにチャンネルを変えますもの。イケメンだけに気持ち悪い。
 この人、郁文館という経営のかたむいた学校をのっとって理事長になったんですけど、
http://www.ikubunkan.ed.jp/idea/index.html
そのときにどういう悪行三昧があったかを、私はだんなからいろいろ聞いてますからね。
 いえ、私は教育界には素人ですから、それらの悪行三昧を確かめるすべもないので、ここに書くのは控えますけど、常識的に考えて、20歳以上をお客さんとする居酒屋さんが、未成年者の学校教育にたずさわっちゃダメだと思うんですけど。
 それはちょうど、キャバクラとか風俗とかやってるところが、女子高を経営するようなものです。
 いえ、私は居酒屋だってキャバクラだって風俗だって、社会に必要な業種だと思ってますけど、中学や高校の経営にまで手を伸ばしちゃダメよ。世の中、やっていいことと悪いこととがあるのよ。

 ま、誰が都知事になろうと、神奈川県民の私たちには知ったことではないんですけど、

 それに、みんなの党がかかわってるっていうのが気持ち悪いわ。ここって典型的に「責任がないからいくらでもきれいごとがいえる」んで人気を集めてるところでしょ? こういうところが成長するとナチみたいになるのよ。
 うちの衆議院の選挙区はみんなの党の江田憲司ですけど、だんなのお母様の葬儀のとき、どこで調べてくるのか知らないけど、弔電をよこしてきたわ。みんなでシカトしましたけど。

[486] 詩編24-26編、ユディト記16章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/09(水) 07:06:36 ここから閲覧

詩編24-26編
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=psa&chapter=24&mode=0
 24編は日本基督教団の讃美歌の交読文7番に採用されています。献堂式といって、教会が完成したときの儀式なんかで読むらしいですけど、そういう場にでくわしたことのない私は実際にこれを読んだ覚えはありません。みなさん家を新築したりリフォームしたりしたときにお読みになってはいかがでしょうか。
 交読文って礼拝で牧師と会衆とがかけあいで読む文ですけど、だからって元からそうなってるわけではなく、普通の文をむりやりかけあいにして読んでます。でも24編は「栄光の主が入られる」「栄光の主とは誰か」みたいに、もとからかけあいになってますね。
 25編も私の好きな詩です。ものごとがうまくいかないときにここを読んでお祈りします。

ユディト記16章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=jdt&chapter=16&mode=0
 今日でユディト記はおわりです。
 お話の本体はおわっちゃったんだから、こういうエンディングはハリウッド映画のエンドロールのようにしつこいなって感じですけど、朗読で聴いてると意外にそうでもないです。こういう「いままでのおさらい」みたいな歌が最後にあると、気分が高揚するんですね。やっぱり聖書も口承文芸みたいな性格があるのね。音声で聴き、声に出して読むのが基本です。

[485] 士師記17-21章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/08(火) 10:43:08 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=jdg&chapter=17&mode=0
 よく、「旧約聖書はイスラエルに対する神様の救済史」なんて言いますけど、「救済されなかった歴史」でもあるんじゃないかっていうほど、陰惨な話が続くところがありますね。
 何度もリフレインされている「王がいないから人々は自分勝手なことをやっていた」というのが、後の時代からの総括ですけど、それにしてもひどい話が続きますわ。
 そのきわめつけが、ベニヤミン族滅亡寸前事件です。こうやって部族同士で陰惨な殺し合いをしてるんですからね。
 以前[434]で、「ベニヤミン族は弱小勢力ですから」なんて書きましたが、絶滅されかかったわけですから、さもありなん。
 でも、実はパウロってベニヤミンですし、初代の王サウルもそうですよね。次に読むエステル記のエステルもそう。けっこう有名人を出してる部族です。

[484] 創世記32-35章、ユディト記15章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/07(月) 10:54:00 ここから閲覧

●創世記32-35章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=gen&chapter=32&mode=0
 ヤコブはエサウのところに帰ります。復讐されるかとこわごわ近づきますが、エサウは意外にやさしくむかえてくれます。その後いろんな事件が起こり、二人の父イサク(まだ生きてたのね!)の死で、ヤコブ物語は終了します。
 さて、その「いろんな事件」のうち、34章はユディト記のからみで出てきました。レイプされてしまった妹の復讐をする話ですが、いくら何でもやりすぎだって感じですね。
 ヤコブの最愛の妻ラケルにもう一人子どもができ、ベニヤミンと名づけられます。英語だとベンジャミンで、もうこれで子どもはおしまいだろうという子によくつけられる名前です。
 これでヤコブの子12人がそろいました。
 ところで最後、創35:22に衝撃的なエピソードが書かれてますね。父の側室を寝取って不問に付されちゃうってまるで源氏物語じゃないですか。どうして不問に付されたのか、聖書に書かれていない裏事情を推測していると夜も眠れませんわ。

●ユディト記15章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=jdt&chapter=15&mode=0
 敗走するアッシリア軍にイスラエルはやりたい放題。でもこれってまだおとなしいほうなんですよ。次に読むエステル記なんか、復讐復讐また復讐ですからね。

[483] アンコ抜きピアニストになろう・3 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/06(日) 13:24:05 ここから閲覧

 いまNHK教育テレビの水曜日22:00-22:25でやってる「仲道郁代のピアノ初心者にも弾けるショパン」って、実は昨年8-10月にやったものの再放送なんですけど、3ヶ月してもう再放送をするってことは、これがいかに評判だったかってことですね。
http://www.nhk.or.jp/shumi/art/index.html
 やってることはもろにアンコ抜きです。ショパンの「プレリュードNo.15雨だれ」「ノクターンNo.2」「ポロネーズNo.3軍隊」「プレリュードNo.7太田胃散」を、猛烈に音符を抜いて、太田胃散以外はさわりだけにして、ハ長調に直してほとんど白鍵だけにして弾こうっていうものです。これならさすがにバイエル卒業程度で、つまりは私程度でも弾けるようになります。
 ただ、言わせてもらえば、もしチャレンジ精神があるなら、ハ長調に直すっていうのはやめたほうがいいと思います。無理をしてでももとの調性で弾いたほうがいいです。これだけでぐっとホンモノらしく聞こえますから。
 サザンの曲にある「C調言葉に御用心」のC調って、ハ長調という意味で、ハ長調はマッテゾン(バッハやヘンデルの時代の音楽理論家)の昔から「純朴、素朴、飾り気のない」ことをあらわす調性とされてきました。ちなみにWikipediaの「C調言葉に御用心」のところに書いてる解説(六本木をギロッポンというような逆順の業界用語で、調子いい→C調と解説してる)は思い切りウソです。Wikipediaには御用心。
 だからハ長調に直しちゃうと、原曲の表情が消えてみんな純朴な感じになっちゃう。そうすると、もろヘタクソ、手抜きみたいな感じに聞こえちゃうんですよね。原調で弾くだけで「あ、こいつできる」って思われますわよ。

 それに、白鍵ばかりだからラクかというと、そうじゃないんです。
 リストのラ・カンパネラ(フジ子ヘミングさんのおはこです)って、変ロ短調というフラットが5つもつく調で、半音さげりゃただのイ短調になっちゃうんですけど、あれは変ロ短調だからうまくひける曲なんですよ。高音のキンキンキンという鐘の音は、2オクターブ上のミのフラットめがけて、手裏剣シュッシュッシュッシュシュっと、右手を2オクターブくらい跳躍させて弾くというムズいわざを延々やるんですけど、あれはミのフラット、つまりカドっこの黒鍵だからうまくできるんで、もしあれがただのレだったら、プロでもミスタッチ連発でしょうね。
 最近、伊東信宏編『ピアノはいつピアノになったか?』(大阪大学出版会)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4872592344.html
を読んで、へぇって思ったんですけど、ショパンって初心者に教えるとき、ハ長調なんかじゃなくて、変ニ長調(フラット5つ)とかロ長調(シャープ5つ)からはじめたんだそうな。黒鍵が多いほうが弾きやすいって思ってたらしいです。これらの調は真ん中の長い指が黒鍵3本に相当するんで、手の大きな人だと弾きやすいんだそうな。
 実際、黒鍵ばかりだと日本的な五音音階になります。たとえば笑点のテーマ曲は、右手だけだったら全部黒鍵で弾けますけど(左手はどういう和声をつけるかによります)、これを採譜したら嬰ヘ長調(シャープ6つ)ですからね。楽譜はおどろおどろしいけど、実際は簡単にひけちゃうんです。
 いまはアンコ抜きで弾くとしても、だんだんアンコを抜かずに楽譜どおりに弾くことを目指すという意味でも、調性だけは変えないでがんばったほうがいいと思います。
 「電子ピアノならキーを変えるボタンついてるだろ? ハ長調でひいて変ニ長調に聞かせることなんか簡単じゃん?」ですって? そりゃそうですけど、じゃその「ハ長調に直した楽譜」って誰が作るんです? 変ニ長調の楽譜をハ長調に直して弾くのって、けっこう頭つかうんですよ。プロだったら、瞬時に移調して弾く訓練をするみたいですけどね。もとの楽譜を見て、適当に音符抜かして弾いたほうがラクじゃありませんか?
 最初に、どの音が黒鍵になるかをつかむ意味で、音階を何度も弾いてカンをつかんでから、原調でひくほうがラクですわよ。

[482] ロマ書15-16章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/06(日) 12:15:16 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=rom&chapter=15&mode=0
 立春以来、つまりこのページの背景がピンクになって以来、暦どおりに暖かくなってきましたね。客観的な気温はあんまり変わらないんですが、寒さはやわらいだ感じ。今まではミニスカでの外出なんてとても無理だったんですけど、もう大丈夫なんで、女子高生に負けずにミニスカ・ナマ足で外出するようになりました。
 さて、パウロの代表的な著作・ロマ書もこれでおしまいです。
 15章の最初はパウロにしてはいい言葉ですね。「強くない人の弱さをになう」っていうのは、自称聖職者の私には耳が痛いんですけど、心にとめておかねばならない言葉だと思っております。
 前章で出てきたタブーの否定の話。「××しろ」という戒律は、それをやめりゃいいだけですから簡単に否定できるんですけど、「××するな」っていう戒律の否定は、それをする勇気がともなうんで難しい。鯨を食べる私たちは、反捕鯨国の人たちの強硬な反対を見ると頭にきますし、「一度鯨を食べてみりゃいいじゃん」って思いますけど、犬、イナゴ、カエル、ネズミだったら、いくら「食べてもいいよ」って言われても気がひけますからね。あ、私は犬とカエルはOKですけど。
 そういうタブーを持ってる人に「さあ食べなさい」っていうのは、その人の弱さをになっていないんじゃないか。いくら、そんなタブーは無意味だからって否定しても、むりやり食べさせることはなく、そっとしてあげるのもやさしさなのかなって思います。
 同じことがセックスのタブーにもいえるかしら。私は子どものころから、性のタブーは女をしばりつける有害なものであり、性にタブーを持つこと自体が最大のタブーと思いながら育ったので、まるっきりあっけらかんとしておりますし、最近は岩井志麻子さんなみに下ネタを連発しているかもしれませんけど、こういう考えをひとに押し付けるのは暴力かもね、と思うようになりました。慎ましやかに生きたい方はどうぞご自由に、というところです。でも何か相談されたら「そんなの自由にすればいいのよ」って答えちゃいますけどね。

[481] アンコ抜きピアニストになろう・2 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/06(日) 03:12:53 ここから閲覧

 西洋音楽の大きな特徴は楽譜を流通の媒体としたところです。邦楽を含めて世界の音楽は楽譜がそもそもないとか、あっても単なる備忘録でしかないのが普通で、人から人へと口と手とで直接伝えられるのが原則。これに対してクラシックは、その曲を一度も聴いたことがない人でも楽譜さえあれば再現できるまでに記譜法が進化(楽譜に書かれた情報だけで音が再現できる)し普遍化(どの国でも楽譜の読み方が同じ)し一般化(楽士だけじゃなく一般人も楽譜が読める)しました。
 なにしろ学校で楽譜の読み方を教えますからね。世界の音楽はたいてい娯楽だし楽士は特殊技能をもち多くは差別された階級だから、そんな人たちのやるものを学校で教えるなんて発想ないですから。樋口一葉の『たけくらべ』の冒頭みたいに、学校で音楽を教えようとしても生徒は遊郭の歌を覚えてて「ぎっちょんちょん…」っていうのが普通でしょうからね。
 これ、プロテスタントのせいですよ。プロテスタントじゃみんなに歌をうたわせますからね。歌がうたえなきゃ礼拝ができない。楽譜の読み方を知らないと讃美歌の本が読めない。だから楽譜の読み方を学校で教えるんです。

 こんなふうに楽譜を大事にする西洋音楽では、楽譜どおりに弾かないといけないような気になっちゃいますけど、本来音楽は演奏してなんぼなんで、楽譜どおりに弾けなきゃ弾けるように変えちゃえばいいんです。
 実はプロだってやってるんですよ。
 楽譜どおりに弾けない曲ってあるんですよ。

 たとえばベートホーフェン(ベートーヴェン)のピアノソナタ第21番『ヴァルトシュタイン』の最後のほうに出てくるオクターブ重音のグリッサンドをピアニッシモでやる(右図)っていうのは、実は単に白鍵上で手を滑らせるだけなんで、当時のピアノでは苦もなくできたらしいんですけど、現在のピアノでは鍵盤が固いので不可能。CDを聞いてるとみんなごまかして弾いてます。重音をやめるか、両手で弾くとか(左手は和音1つですからダンパーペダルを併用すればいける)。
 バッハのゴールドベルク変奏曲は2段鍵盤用なんで、1段鍵盤でやると両手の指がからまって演奏不能な箇所がいくつもあり、みんなごまかしてます。グールドも例外ではありません。
 ピアノの例じゃないですけど、ハープって半音をペダルで出すんですよ。ペダルをひくとすべての弦が半音あがっちゃうんで、演奏不能なパッセージがいろいろある。ところが作曲者はそんなの無頓着で作曲するから、オーケストラ曲のハープパートには、このとおりにひけないっていうのがいっぱいあるんだそうです。どこのオーケストラでも、「ここはこうやってごまかす」っていうのが伝統的に受け継がれてるんだそうです。
 そんなわけで楽譜どおりに弾けなきゃごまかして弾けばいいんで、それはプロだってやってるってことですね。

[480] マタイ20-22章、ユディト記14章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/05(土) 14:00:45 ここから閲覧

●マタイ20-22章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=mat&chapter=20&mode=0
 20章の「一日働いた人も一時間しか働かなかった人も同じ5000円」というの、いつも申し上げておりますように、天国ってグリーン車も普通車もないので、こういう発想になるんですね。「あ、あの悪人が天国に来てる。どうして? 私はもっといっぱいいいことをしたんだから、イエス様のおそばにいく権利があるわ」みたいに思う人にとって、天国ってとってもフラストレーションがたまるところで、そこは地獄と変わりないわけです。20章21節のゼベタイの子のお母さんは、たぶん天国に行けそうにないわね。いや、天国には行けるかもしれないけど、そこはこのおばちゃんにとっては地獄よ。
 そして21章後半から22章にかけてのイエス様のたとえ話を読むと、天国ってありがたそうなところじゃないみたいですね。たとえば22章最初の婚礼の宴会。王様がさあみんないらっしゃいと招いても、誰も行きたがらないし、普段着で行っちゃう人もいる。天国ってそういうところだっていうんでしょ?
 秦剛平先生が、カルチャーセンターの授業で、ヨーロッパの画家たちの描いた天国や地獄の絵をいっぱい見せて、「ところでみなさん、こういう絵を見て、天国に行きたいですか? 地獄に行きたいですか?」と質問すると、みんな圧倒的に地獄に行きたいって答えるそうです。そのくらい天国ってつまらなそうなところってことですよね。ああ、こんなふうに思う私は絶対に救われてないわね。

●ユディト記14章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=jdt&chapter=14&mode=0
 ユディトはアキオルを呼んで、この首が本当にホロフェルネスのものか、実検させます。一方アッシリアの軍営では、総大将が殺されたことに気づき、動揺が走ります。

[479] アンコ抜きピアニストになろう・1 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/04(金) 10:13:21 ここから閲覧

 アソコじゃありませんのよ、アンコ。びっくりしました? いくら真理子がエロおばさんでも、いきなり下ネタで始めたりはしませんのよ。ピアノねたの続きでございます。

 アンコ抜きというのは、背が低くてバイクにまたがっても足がつかない人が、シートのスポンジを削って足つきをよくすることです。
 学生時代につきあっていた彼氏がライダーで、そのときは「一緒に練習しよう、免許とろう」なんて甘言に乗せられたので、実はバイク免許持ってるんです。しかも大型まで。なぜか私のほうが先に免許取れちゃったのが彼氏のしゃくにさわり、ギクシャクして別れちゃいましたけど。私はミニスカ派なんでそれ以来ぜんぜん乗ってないわ。でも最近は500ccのスクーターってあるらしいからミニスカでも乗れそう。いま大型二輪も教習所で取れるし、しかもオートマ限定ってあるんですって? 世の中変わりましたわね。
 バイクの免許をとろうっていう女の子は少ないですから、自然と女の子どうし群れちゃうもので、いろいろ情報交換しましたね。その一つがアンコ抜き。私は当時も今も女にしては大柄で165センチくらいですが、それでも足つきはつらかった。ましておおかたの女の子にとって、バイクのシートはとても高いので、これをやらないと足がぜんぜんつかない子が多く、いろいろ抜き方を情報交換したものです。

 そんなことはともかく……

 ピアノを買って以来、いろいろ楽譜を手に入れて弾いています。たとえばドビュッシーの『月の光』とか、『亜麻色の髪の処女』とか、ショパンの前奏曲7番(太田胃散のCMの曲です)とか、ジャズの好きなだんなのためにビル・エヴァンスのWaltz for Debbyとか。
 「けっこううまいんだ」とだんなはほめてくれるんですけど、実は全部アンコ抜きです。
 つまり、楽譜に書いてある音を全部弾いたんじゃとても弾けないから、和音の一番上だけ弾くとか、速いパッセージの音を適当に抜かすとか。
 これが、アンコ抜き。
 だって音符って黒いダンゴで、アンコに似てるじゃないですか。

 こんなふうにズルをしていい加減にピアノを弾いちゃおうという話のシリーズです。
 長くなるので続きはまた書きます。

[478] イザヤ書40-44章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/04(金) 09:46:21 ここから閲覧

 今日は立春、今日から春ですので、背景も桜をイメージした春色にかわっております。

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=isa&chapter=40&mode=0
 イザヤ書はここから55章まで第二イザヤになります。40-55という数字を覚えておくと便利です。そうすればこれより前が第一イザヤ、これより後が第三イザヤってわかるじゃないですか。
 聖書の各書はたとえ単一の著者の著作のような体裁になっていても、実際には多数の人の手が入って編集されたものです。福音書のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネだって、マタイ・グループの著作、マルコ・グループの著作……のように解釈すべきです。
 預言書ってわけのわからないことをおどろおどろしい表現で書いてることが多いんでどうとでも解釈できるところがあり、なかなか複数の著作の集合であることが見破れないものですが、それでもイザヤ書は、ルターの昔から著者複数説が提唱されてきました。
 だって、まるきり時代が違うんですもの。
 以前書いたように、イスラエルの歴史は、「統一王朝が前922年に分裂(国(92)は二(2)つに分裂と覚えます)し、北はちょうど200年後の前722年にアッシリアによって滅ぼされ、南は前587年(だから言わな(587)いこっちゃない、って覚えます)に新バビロニアによって滅ぼされてバビロン捕囚、60年後にアケメネス朝ペルシアによって解放される」というところだけでもしっかり覚えましょう。年代は異説があるので「世界史の参考書と違うぞ」ってことがあるかもしれませんが、こう覚えるのがラクです。
 第一イザヤは北滅亡直後。前回出てきたヒゼキヤ王がそのときの南の王で、南もやばいぞとか、アッシリアもそのうち滅びるぞとかいう話がありましたよね。
 ところが第二イザヤになると、もう南も滅んで捕囚されているらしく、この苦難もやがては終わるから希望を持て、みたいな話になっちゃってます。
 これだけ時代が違うとさすがに誰でも気づくので、だから昔から、イザヤ書著者複数説が唱えられてきており、現在では最低3人というのが定説(聖書無謬説を信じる福音派を除く)、第三イザヤはさらにこまごま分かれるというのが説まであります。
 さて、第二イザヤは今ちょっと書いたように、慰めの預言者。冒頭の「慰めよ、わが民を慰めよ」っていうのがまさに象徴的ですね。イザヤ書っておどろおどろしいってイメージありますけど、第二イザヤは美しい表現が多く、苦労の多い人の心にしみこんでくる箇所が多いです。
 イザ40:3-4は洗礼者ヨハネの出現を予言したところとされています。ヘンデルのメサイアの最初のほうにこれのアリアがありますね。

[477] ヨブ記15-16章、ユディト記13章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/03(木) 10:58:23 ここから閲覧

●ヨブ記15-16章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=job&chapter=15&mode=0
 ここから議論の第二ラウンドです。とはいっても、第一ラウンドと第二ラウンドの違いはたいしてありません。宗教的原理主義の立場から「お前が何か悪いことをやったんじゃないか」とヨブを責める友人たちにヨブが反論するという話が続きます。
 ただしヨブは神に絶望しきっているかというとそうではなく、ヨブ16:19みたいに、本当に自分を理解してくれる証人である神様が天にいる、という信頼をもちつづけています。

●ユディト記13章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=jdt&chapter=13&mode=0
 ユディトが本懐を遂げて、アッシリアの軍営を無事に抜け出した後(12章でぐちゃぐちゃヘンなものが出てきたのは無事に脱出するための伏線だったんですね)、ベトゥリアに戻ります。
 ところで最近の聖書には編集者がつけたタイトルがついてます。もちろんそんなものは元はないわけですけど、こういうタイトルもちゃんと配慮してつけてほしいですよね。ユディ13:1-10につけられた新共同訳のタイトルは、なんと「ユディト、ホロフェルネスの首を取る」ですよ。ずっと新共同訳の朗読MP3を聞いてて、さあいよいよヤマ場だってときにこれはないでしょう。こういうネタばらしは絶対に禁物です。あなた、映画館でこんなのを彼女の耳元でつぶやいたら破局間違いナシですよ。

[476] 楽譜の話 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/02(水) 10:22:21 ここから閲覧

 何でもネットですませられる世の中、楽譜だってさぞかしネットにいっぱいころがっているだろう。特に最近は昔の本が全部スキャンされてPDFでダウンロードできる。クラシックは作曲者が死んで50年以上たっていることが多いからたいてい無料で楽譜が手に入るだろう。
 ……と思いきや、そうはいきません。
 楽譜って著作権の厳しい分野なんです。
 いえ、著作権法には楽譜を特別扱いした条文はありません。なんでしたら著作権法の全文は
http://www.cric.or.jp/db/article/a1.html
にありますけど、「楽譜」を検索しても附則の一箇所がヒットするだけでしょ?
 法律が厳しいんじゃなく、業界が厳しいんですね。
 楽譜出版社が「版面権」という得体のしれない権利を主張してるからなんです。オリジナルの読みにくい自筆譜をキレイに整形(浄書)するというのは、単純な複写ではなく著作性のある再構成だ、という理屈です。
 このせいで未来永劫、いつまでたっても著作権が切れません。まったくうまい手を考えたものですわ。版面権。まったくあこぎな話ですわ。小説だったら、きれいなフォントを使って印刷し直したとか、仮名遣いを直したとか、ルビをふって読みやすくしたとかだけで、以後50年間は著作権が発生するようなものです。しかも権利は作者にではなく出版社に発生する。なんかヘンな話ですよね。
 ヘンな話ではあっても、世の中「長いものには巻かれろ」なんで、楽譜だけはコピーの条件を厳しくしている図書館って多いです。都立中央図書館なんかそうですね。

 それでも外国には、楽譜をアップしているサイトがあったりします。それらへのリンク集として役立つのが
http://www16.ocn.ne.jp/~chomlin/
ですけど、ここ数年は更新をしてないみたいで、けっこうリンク切れが多いです。リンクされてるサイトはロシアのものが多いですけど、ロシアも最近著作権事情が厳しくなったんでしょうか。
 とりあえずこういうところでチェックをかけて、それでも入手できないものだけ買ってくるってことにしないと、楽譜って高いですから大変です。
 ところが最近はCDショップや楽器店がどんどん少なくなっているから、楽譜の品揃えのいい店が激減。全音も音友もだんだんネットでの通販に移行している感じです。ヤマハなんか1曲単位で楽譜をダウンロードする「ぷりんと楽譜」なんていうのをやってる。
http://www.print-gakufu.com/
世の中だんだんこういう方向にいくのかしら。

 版面権を肯定する意見の中には、楽譜の版の作成は特殊技術でたいへんだから、なんてことを書いてる人がいますけど、著作権っていうのはたいへんな労力に対して発生するんじゃなく、「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法第2条1項)に対して発生するものなので、たとえば私が聖書を全部入力したとしても、そのことだけだったら著作権なんか発生しないのです。一生懸命入力して構築したデータベースに著作権を主張してる人がいますけど、データそのものは客観的なもので、創作的なものじゃないわけですから、そんなの無法な主張です。
 だいたい、昔の曲を単に印刷楽譜の版にしただけで創作的っていうのがおかしいわ。創作なんかしてないじゃない。
 それに、楽譜の版ってだんだん作るのがラクになってきました。パソコンには楽譜作成ソフトがいろいろあります。一番安くて優れたものは、GNUソフトのLilypond。GNUだから無料です。
http://lilypond.org/web/
から入手できます。使い方はたとえば
http://homepage2.nifty.com/sampodo/korikutu/lilypond.html
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/oishi/lilypond.html
を見てください。ちょうどTeXみたいに、ひたすらコマンドをうちこんでそれを楽譜に変換するっていうものですね。MacみたいなGUI、WYSIWYGの対極の発想。だから慣れるのに時間がかかりますけど、ヘタな商用ソフトよりはるかに多機能です。UTF-8なので歌詞はどんな言語・文字でもOKです。
 こういうのを使えば、音符データを打ち込む苦労さえすれば楽譜ができちゃうんで、みんなでこれ使ってフリーの楽譜をどんどんネットに公開するっていう方向にならないかしら。外国ではそういう動きがあって、Wikipediaで昔の音楽家を調べると、こんなふうに作った楽譜がリンクされてたりします。日本ではまだLilypondを使ってる人は少なくて情報が少なく、試行錯誤しながら使ってます。

 真理子日曜学校の宗教音楽コーナーではこれをメインに使っていこうと思うんですけど、困ったのは、Lilypondが作るMIDIって、ときどき(けっこう)音の長さがおかしくなったりするので、いまいち信用できないところです。
 以前は、音データを打ち込んでMIDIを作るには、Museというソフトを使ってたんですが(今でも使ってます)
http://homepage3.nifty.com/~atomic/muse/muse.htm
こちらには楽譜作成の機能はないのと、MIDIに埋め込める歌詞がシフトJISだけで、UTF-8がダメなんで、日本語と英語しか使えない。アクセント記号があるともうダメっていうのが難点です。作者の加藤一郎さんに、UTF-8に対応したものを作りませんかってメールしたら、そういう要望は多いんだけど技術的にそこまでいたっていないんだそうな。
 できあがったMIDIを楽譜形式に直すソフトは別にあるんですけど、解析を誤ることが多くて、それだったらLilypondを使ったほうがいい。
 結局、楽譜はLilypond、MIDIはMuseって併用していくのがいいみたいです。なんとかLilypondとMuseのソースのコンバータが作れると便利なんですけどね。

[475] 詩編21-23編 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/02(水) 01:33:59 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=psa&chapter=21&mode=0
 22編はとても有名な詩。なにしろイエス様が十字架の上で「わが神、わが神、どうしてわたしを見捨てなさったのですか」と叫んだ元歌ですから。これはマコ15:34マタ27:46に出て来ます。
 22編はこういう神様への恨みともとれる言葉で始まりますが、最後は神様への信頼で終わります。遠藤周作さんは、イエス様がこんな神様への恨みがましい言葉を叫ぶはずはなく、実はこれは22編全体を叫んだので、マルコやマタイはその最初だけを書いたにすぎないと書いていますが、それは考えすぎ。やっぱりイエス様は神様に見捨てられたと思ったのでああ叫んだのでしょう。
 田川建三先生は、遠藤周作にはさんざんお世話になったらしいのですが、それでも間違いは間違いだとして批判してます。田川先生らしいですね。

 わき道になりますが、遠藤周作さんは私に言わせれば非キリスト教作家です。いえ、だからいけないっていうんじゃなく、それが魅力だってことです。遠藤周作さんは自分の中にどうしてもキリスト教になじめないものを持っていて、それと終生格闘し続けたところが魅力だと思います。山本七平さんもそう。
 逆に中村うさぎさんは、言動はまるきり非キリスト教的のようにみえて、実は根本に非常にキリスト教的なものをもっているいうのが佐藤優さんの分析。これを読んだときはびっくりしましたけど、あらためてうさぎさんのエッセーとか、「5時に夢中!」での発言を聞いてると、そうかもしれないなって思うようになりました。