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真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[848] 民数記17-20章、シラ書32章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/22(月) 09:18:49 ここから閲覧

●民数記17-20章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=num&chapter=17&mode=0
 17章に入ってもコラの反乱の話が続きます。
 ヨエル書同様、ここもBHSの章区切りが従来と違うのです。従来は17章前半、コラの一件が終息するまでを16章としていたのです。内容的にはそのほうがふさわしい気がします。
 まあ、いい機会ですから復習しましょう。
 コラはレビ族です。レビ族は祭司の仕事をする部族ですが、レビ族ならば誰でも祭司になれるわけではなく、アロンの一族と決まっています。そこで、モーセ=アロン体制に不満を持つ人たちが、コラを筆頭にして「なんでお前たちだけがいつも命令するんだ?」と反乱を起こしたわけです。
 これに対して神様はいろいろなしるしを出して、アロンを支持していることを示します。そして民のうちに疫病をはやらせます。規模があまりにひどいので、モーセとアロンがなんとかとりなしのための罪のあがない(また「あがない」というわかりにくい言葉! この場合は香をおカネとして支払って、民の罪を神様が罰する権利を買い取ろうというのです)をして、なんとか神の罰は終息します。
 ついでに「あがない」というわかりにくい言葉が民18:15-17にありますので先回りして見ておきましょう。初モノは全部神様のものなのでささげなければいけないのですが、人間の初モノを真っ黒こげにするのはマズいので(って、このとんでもない神様は、昔アブラハムにイサクをささげろなんて意地悪を言ったくせに!)、あがなえというのです。ただし、牛と羊とヤギは必ず現物と言ってます。この「あがない」は、本来は神様のものなんだがかわりにカネで買い取れ、ということですね。
 さて、昔も今も17章である、現16節以降の話。神様は、アロンこそが祭司だということを居超するため、アロンの杖に花やアーモンドの実をつけるという奇跡を行います。主の幕屋に近づけるのは祭司職だけで、同じレビ族でも他の者はみんな祭司職(アロン一族)に仕えていろんな仕事をするのだよ、そのためにレビ族は土地を持たないのだよ、と定めます。
 20章。イスラエルの民は死海のはるか南方、カデシュというところにいます。
 Wikisourceでは口語訳聖書時代に出た「聖書地図」というパンフレットのような地図が、著作権が切れたというので全部画像になってますね。便利ですから見ましょう。
http://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:JBS1956-B_map02.png
 この地図で死海の南西方向に茶色の山があり、そのあたりに「チンの荒野」と書いてあります。現在地はそのあたりです。口語訳聖書ではカデシという表記ですが、それも見えますか?
 ここで民がまた「水がないぞ」と反乱を起こそうとしたので、神様はモーセに水の出し方を教えます(民20:8)。ところがよく読むと、モーセは神様の命令どおりにやってるようで、実はやってないのです。岩に命じろと言ってるのに岩をたたく。これがどうやら神様のしゃくにさわったようです。
 それに、新改訳や新世界訳ではハッキリ訳しているのですが(ほかではよくわからない)民20:11で、このときとった杖は「彼の杖」つまりモーセの杖なんです。原文では「彼の」という人称接尾語がここだけハッキリ書いてあります。どうも、アーモンドをみのらせたアロンの杖じゃなくモーセの杖を使ったことも、よけいに神様のしゃくにさわったようです。そんな! そもそも杖で打っちゃいけないっていうんなら、モーセの杖だろうとアロンの杖だろうとどっちでもいいでしょうに。
 いずれにせよ、神様は一応水を出してくださいますが、この間違いの代償として、なんと一同は、約束の土地に入れなくなってしまいます。
 例の地図では現在地の右側にエドムと書いてありますが、エドム人が通行を拒否したので、彼らは大きく迂回するはめになります。その途中のホル山(谷を越えた東側)でアロンが死んでしまいます。

●シラ書32章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=32&mode=0
 前半は宴会の作法。こんな話が聖書に出てくるなんて面白いですね。大学時代に聖書研究会なんていう人たちとお付き合いをしてお酒もいろいろ飲みましたけど、こういうのを読み合わせてからいけばよかったわ。あ、ほとんどプロテスタントだったからシラ書なんか読まないか。

[847] 2テモ3-4章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/21(日) 05:46:27 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ti&chapter=3&mode=0
 3章は、終わりの時にはいろんな悪い奴が出てくるという話から始まりますが、終わりの時というのは漠然とした未来ではありません。
 今でも「すぐにでも終末が来る」と説く教派があります。私にいわせれば、そういう教派はカルトで要注意。終末なんていつ来るか誰にもわからないのに、なんで「すぐに来る」ってわかるのか。もちろん、すぐに来る可能性だったあるわけですけど、それを強調すると、じゃ仕事もしても意味がない、大学に行っても意味がない、お金を持ってても意味がないっていうんで教団に巨額の寄付をする……ってことになるわけですから、これこそがカルト教団の悪いやり方なんですね。1999年7月に終末が来ると信じていたうちの主人みたいに人生を棒にふりますよ。
 でも、実は初期のキリスト教団はそういう意味でいえばカルトなんです。すぐに終末が来ると本気で信じてます。パウロなんか死ぬ寸前まで、自分は死なない、つまり死ぬよりさきに終末が来るって信じてましたもの。
 ですから3章なんかも、漠然とした未来ではなく、実は現在のことと読むべきなんです。
 いろんな悪い奴が出てきますけど、6-7節みたいに女をいっぱい囲う人もいたんですね。エロい人は昔も今もいつでもいます。
 悪い奴も多い。迫害も多い。そんな中で、聖書に親しみなさいというのが3章ですね。もちろんここでいう聖書というのはいまでいう旧約聖書。当時から聖書の「逐語霊感説」ってあったんですね。

[846] 足を洗うといえば 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/20(土) 05:45:31 ここから閲覧

 私はずっと誤解してたんですが、洗足学園という学校がありまして、足を洗うっていうからてっきりヨハネ13章だと思って、キリスト教系の学校なんだと思ってましたが、
http://www.senzoku.jp/new/index.html
ぜんぜんそういう話がないんで、無関係なんですね。
 今は川崎市の溝の口にあるんですがもともとは目黒区にあり、そこの洗足という地名からとったみたいです。
 その洗足も、本来は千束でして、現に大田区側にある駅は北千束なんて書いたりします。「本来」と言いましたが、じゃ洗足というのがまったく間違いかというと、これはこれで複雑な歴史があるみたいですね。
http://xwin2.typepad.jp/xwin2weblog/2010/04/senzoku_senzoku_00.html
 足を洗ったのも日蓮さんみたいです。
 まあ、日蓮さんの教えは日本の各宗派の中ではキリスト教っぽいところがありますから、似たような伝説が生まれるんでしょうか。

[845] ヨハネ13-15章、シラ書31章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/20(土) 04:54:47 ここから閲覧

●ヨハネ13-15章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=joh&chapter=13&mode=0
 「最後の晩餐」ですが、ヨハネの場合はパンもぶどう酒も出て来ません。何を食べたかはちっとも書かれておらず、かわりに足を洗う話になっています。
 プロテスタントの教派の中には飲酒を罪悪視するところがあって、当然ながら聖餐ではぶどうジュースを使うんですが、でもそれは聖書にのっとってないんじゃないのかという批判を受けたり、なかなか大変ですね。
 聖書自体には飲酒を罪悪視する記述はありません。べつに聖書に書いてなくたって独自にそういう教義をたてたっていっこうにかまわないと思うんですが、その一方でプロテスタントの大前提として「聖書のみ」というのがありますから、えてしてこういう考えの方は聖書をこじつけ解釈する傾向があります。たとえば、
http://lambofgodministries.tumblr.com/post/7918898065
 しかし、もし福音書が4つも正典とされず、ヨハネだけが残っていてあとは残ってなかったりしたら、教会の聖餐式の様子もずいぶん変わっていたかもしれませんね。いや、「聖餐」ではなく、みんなで足を洗いあっていたかも。殿方の場合、もしかわいい女の子の足を洗うことになったらさぞや興奮なさることでしょうね。これじゃミニスカで教会に行けないわ。
 ちなみにうちの主人は、平和島にあるスパのプールでエクササイズの時間に、若い女性とペアを組まされて、お互い足をマッサージするなんてことをしたそうで、すごくドキドキしたと言っておりました。私の足なんかじゃちっとも興奮しないくせに。ぷんぷん。
 先週も言いましたように、ヨハネはここからが長い。実際にはこの足洗いから逮捕、処刑まで一気に同じ日に行われてるんですが、14-17章で大演説をぶつんです。
 ちなみにこの日はというとヨハ19:14、過越の日の前日というわけです。他の福音書では過越の日です。間違えないでほしいのは、曜日はどちらも金曜日なんですが、それが過越の日当日だったのか前日だったのかが異なるんです。過越の日というのはニサン月14日ですからヨハネだと13日というわけです。これは月の満ち欠けで決まりますから曜日は関係ありません。暦の計算をすれば、毎年毎年過越の日が何曜日だったのかがつきとめられますので、イエス様の死の年が変わってくることになりますし、最後の晩餐の食事にもしパンが出ていたとすれば、ヨハネではそのパンにイーストが入っていてもかまわないということになります。そんなわけで日付問題はけっこういろんな問題に波及します。
 さて、大演説の話。今日の範囲14-15章では、ヨハ14:6「わたしは道であり、真理であり、命である」とか、ヨハ15:1「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」とか、いろいろ名セリフが出てきます。これらの名セリフはぶつぶつとそこだけを切り出すとすばらしいんですが、全体を通読すると逆に何がなんだかわけがわからなくなってしまうことでしょう。まあ、ヨハネの書くことですから、誰にもよくわからないんです。

●シラ書31章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=31&mode=0
 前章末から続いて食事の話です。面白い話がいろいろありますのでまずはじっくりお読みください。
 27節の「適度に飲みさえすれば、酒は人にとって命のようなもの」なんていうのは、酒を禁じる教派に見せたいところですね。あ、プロテスタントは外典認めないんだった。
 ところでここから36章までは、ギリシア語写本の順序がぐちゃぐちゃになっていまして、ラテン語訳だのヘブライ語訳だのに従って再構成された部分です。もっとも本として市販されたりネットでデータが出回ってたりするLXXは、ラーフルス版(ドイツ聖書協会)もゲッチンゲン版も、もうすでにそういう処理がなされていますので、あんまり気にする必要がないかもしれません。

[844] Re:BHSの章節分け 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/19(金) 16:33:36 ここから閲覧

 私も今朝まで忘れてました(笑)。だってヨエル書なんて読まないもの、ふつう。
 BHSの章節分けとそれまでの聖書の章節分けとの違いは、かねてからデータベース化しております。たとえば口語訳聖書のZIPファイルの中に入ってるchcol.ut8というファイルがそれです(以下、「新旧対照データベース」と言います)。.ut8 というのはUTF-8コードで書かれたテキストファイルという意味ですが、この場合は漢字が入ってるわけじゃありませんから普通のテキストファイルと同じです。
 BHS以前の旧約聖書のデータを持ってくるときには、この新旧対照データベースの情報によって章節番号を読み変えたうえでBHSとのリンクチェックをして、エラーが起こったところを点検して、その聖書独自の新旧対照データベースを作成したり、本文にちょこちょこと修正を加えたりしているのです。
 でも、ヨエル書はどの聖書も自動処理だけで例外がなくうまくリンクしちゃうんで、昔は3章今は4章なんてこと、すっかり忘れておりました。

 LXXやヴルガタの詩編の編番号が違うのは有名ですけど、こういう番号の違いって何とかしてほしいです。面倒で面倒でしかたありません。
 詩編も、編番号が違うだけならいいんですけど、詞書が長いときにBHSは詞書から1とするんです。あまりに長いと詞書だけで2節分とっちゃうからあとが全部ずれる。じゃ詞書は全部1としてるかっていうと、分けてないところもけっこう多い。こういう不統一はやめてほしいです。
 ネットで出回ってる聖書データでは、この詞書の部分をごっそり抜かしちゃってるものがあるので、紙媒体で確認して手入力することもしばしばです。ハワイ語聖書がそうだったので頭をかかえました。たまたまPDFが手に入りましたけど、それがまた不鮮明。ハワイ語知ってれば多少不鮮明でも正しく入力できるんでしょうけど、こっちはさすがにハワイ語は知らない。いえ、興味があるのでいずれは勉強したいなとは思うんですけどね。外国には「ありがとうございます」と書こうとして「めいがとりニザりまゐ」みたいな怪しい日本語になってる看板ありますけど(香港にもありませんか?)、さぞかしそんな具合になってることでしょう。

[843] BHSの章節分け 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/08/19(金) 07:02:31 ここから閲覧

知りませんでした!! ヨエル書が、3章の訳と、BHSに従った4章の訳があるなんて。

で、メシアニック用の旧約・新約 全ヘブライ語の聖書の、BHS旧約を見たら、3章は5節でおしまいで、mishpat ha-shem al ha-goyim という小見出しをつけて、4章になってました。

この小見出しは、BHSにはないのですが、どこに由来するものなのか、不明です。新共同訳と比べてみたら、新共同訳は2章の頭に「主の怒りの日」という小見出しがありますが、BHSメシアニック版にはありません。そのほかは、同じ意味の小見出しです。

由来が気になります。

[842] ヨエル書1-4章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/19(金) 05:10:29 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=joe&chapter=1&mode=0
 ヨエル書は4章まででおしまいですのでこれで全部です。しかも4章に分かれるようになったのはBHS以降、日本語の代表訳でいえば新共同訳以降でして、口語訳も新改訳も3章どまりです。旧第2章を2つに分けるかどうかという話で、分けなくても全32節しかないんですから、実質的に3章ぶんの分量しかない短い預言書です。
 時期に関する語が全然ないんですが、2章冒頭で「シオンで」うんぬんとありますし(エルサレムの別名です)、十二小預言書はだいたい時代順ということになってるので、南北王朝期(紀元前8世紀)の南王国、エルサレムにいた人だと思われます。
 世の終末の恐ろしい光景の予言もあるので、トンデモ系の本でもときどき取り上げられます。たしか五島勉さんもどっかで言及してたような。
 しかしこれはキリスト教にとってはもう一つの特別な意味があるんです。
 旧約聖書の預言書は、それ自体を読むとおどろおどろしくてよくわかりませんが、むしろ新約聖書のどこで引用されているかを見るといいでしょう。牽強付会を含めてキリスト教徒が旧約の預言書をどう読みどう利用したかということです。
 するとヨエル書は使2:16-21で使われています。ペンテコステでみんながヘンな言葉を話し始めたので、酒に酔っ払ったのかと思われたのですが、これはヨエル書の預言どおりなんだというわけで、終わりのときに神様が聖霊をすべての人にそそぐ、ということだったというわけです。
 BHSはどういうつもりか知りませんが、旧2章を使徒で引用されてる箇所からざっくり分断して新3章にしちゃったというわけです。
 こうすると、ヨエル書の旧3章、新4章も、こわい情景なのではなく、神様の救いなんだということがわかります。私たちにはそう読めないかもしれませんが、そう読まれてきたってことですね。

[841] 箴言22章、シラ書30章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/18(木) 04:07:05 ここから閲覧

●箴言22章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pro&chapter=22&mode=0
 口語訳聖書では冒頭が「令名は大いなる富にまさり」とありますが、令名というのは名誉とか名声とかいうことです。口語訳聖書というと丸谷才一の批判によって悪文のきわみという印象がありますが、実は直前までは文語体だったものをほぼ機械的に口語に直したものだという裏話があります。明治に旧新約が文語で訳されたあと、大正になって新約だけが改訳されました。実は旧約の改訳も進行し、ほとんど終わっていたところに、戦後になってもう文語でもあるまいというので急遽口語に直したのが「口語訳聖書」だというのです。ですから最近では、むしろ文語の香りをそこはかとなく漂わせた格調高い文だと、評価が変化しています。最近というのは新共同訳が出てからですね。そのくらい新共同訳の文体がひどいということなんでしょうか。
 でも丸谷才一など多くの作家たちの批判は、一部は口語訳聖書の文体の欠点そのものを突いてはいるものの、多くは単に慣れの問題という気がします。文語訳聖書に慣れた人にはそりゃ違和感あるでしょう。私は口語訳聖書で育ったので、新共同訳に違和感あります。こんどは2016年をめどに「標準訳」という、もっと典礼にふさわしい格調高い文章で訳したものを出すらしいですけど、たぶんこれも悪評ふんぷんよ。
 話を戻すと、箴言のところは口語訳聖書の中でも特に文語のニオイがぷんぷんしているところです。新共同訳や新改訳と比べてみるとよくわかります。

●シラ書30章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=30&mode=0
 ここは教育論と健康論。父を恨んで育ち、今は子がいない私には教育は語れないんですけど、24節の「うらやみと怒りは寿命を縮める。うれいは老化を早める」は、心しておこうと思います。なお、次の25節の食べ物の話は、次の章に続きます。シラ書の章の区切りは適切さを欠いてるところがありますね。

[840] 詩編105-107編 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/17(水) 05:08:12 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=105&mode=0
 3つとも「主に感謝せよ」という言葉で始まる歌。
 105編と106編はイスラエルの歴史をふまえた歌です。何も知らないとポカーンという感じですが、月曜日に読み進めてきた律法の内容を思い起こしながら読むとよくわかってきます。
 105編は創世記、出エジプト記に出てきたさまざまな故事をふまえていますが、うずらの話は先週の民数記に出てきたところです。あれ、うずらが飛んできたのはいいけれど、それを食べ切らないうちに疫病がおそったんでしたよね。そういう話がちっとも出て来ませんね。
 そう思いながら106編を読むと、こちらは民のおかした悪行に対して神様が罰を与える話。105編が神様の恵みの話ばかりでしたから、両者は一対になっています。

[839] 歴代誌上20-24章、シラ書29章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/16(火) 05:34:42 ここから閲覧

●歴代誌上20-24章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ch&chapter=20&mode=0
 ダビデは年老い、ソロモンに神殿建設を託して後継者に任命します。そして祭司とレビ人を集めて任務を定めます。
 と、まとめてしまえばこれだけなんですけど、例によって書かれていない話がありますね。
 サムエル記、列王記はダビデのスキャンダルもはっきりと描くのですが、歴代誌は基本的にはダビデ礼賛、悪いことは書きません。
 たとえばソロモンが後継者になるにあたって、決して順風満帆だったわけじゃありません。昔の王家はどこもそうですけど、今の日本の皇室みたいに皇位継承順が自動的に決まるなんてことはないので、後継者争いが熾烈なんです。列王記上によればアドニヤが後継者になろうとして反乱を起こしますが、ソロモン王の母バテシバ(バトシェバ)の尽力もあってソロモンが即位、アドニヤは殺されたのでした。そんな話はちっともありません。
 ただしダビデの人口調査の件、サムエル記下24章にある話は、こちらにもちゃんとあります。人口調査といえば、いま月曜日に読んでいる民数記も人口調査の話があり、なんでこれが神様の心にかなわなかったのか、いろいろ理屈をつけて説明する人がありますけど、ちっともわかりません。

●シラ書29章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=29&mode=0
 隣人を援助してやれ、金はちゃんと返せ、という話です。
 昔は人に金を貸してもなかなか返してもらえなかったらしく、トビト記にある昔の借金を返してもらう話なんかはむしろ例外的なことだったみたいです。
 冒頭の金を貸してやれというのも、同胞から利子をとることは禁じられてますんで、むしろ「援助してやれ」ということで言ってます。

[838] 民数記13-16章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/15(月) 10:40:26 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=num&chapter=13&mode=0
 荒れ野をさまようイスラエルの民に最大の危機が訪れます。
 約束の土地を前にしたとはいえ、行けば自動的に自分たちのものになるわけじゃありません。戦って勝ち取らなきゃいけないわけです。現に別の人々が住んでるわけですからね。
 ついでながら、いまだに北方四島を返せって言ってる人いますけど(政府もそうか)、本気かしら。ロシア人が住んでるのに。彼らにとってもあそこは故郷、ほかに行くところなんかないんですけどね。本気で北方四島を返せっていうなら、ロシア語もOK、ロシアの医師免許も教員免許もOK、一国二制度で50年間はロシアの制度のままです。もちろん今いる人たちの権利はすべて保証しますみたいに、将来の展望を示さないと、黙ってどいてくれるはずなんかないんですけど、まあ、単一民族幻想を抱いて、日本国内には日本人しかいないみたいに思ってる人たちには無理よね。
 そんなわけでヤハウェさんもずいぶん無理なことをイスラエルの民に課してるわけです。
 だから民は動揺します。偵察メンバーのうち、ヨシュアとカレブを除く人たちは、「こりゃ無理だよ」とホントのことを言ったために疫病で死んでしまいます。
 そして罰として、四十年間荒れ野でさまよい、ヨシュアとカレブを除く現世代は一人も約束の地には入れず荒れ野で野垂れ死にすることになってしまいます。
 絶望して、強引に攻めちゃった人も滅ぼされちゃいます。
 そしてコラによる最大の反乱が起こりますが、神様が大地震を起こして地割れを起こし、コラの一族をのみこんでしまいます。
 なんかひどい話ですよね。神様の約束って、いつも、ただでは実現しないんだから。いいことをしてくれるかと思ったら必ず何か悪い代償があるんですよ。

[837] ロゴス・ミニストリー 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/14(日) 17:30:17 ここから閲覧

「聖書の学び」というところで、旧新約聖書が1章ずつ解説されてます。音声でも聞けます。
http://www.logos-ministries.org/j_frame.html

[836] 2テモ1-2章、シラ書28章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/14(日) 16:38:35 ここから閲覧

●2テモ1-2章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ti&chapter=1&mode=0
 テモテへの手紙にはもう一つあります。一応パウロが書いたことになっています。しかもパウロの受難と死(ってパウロがどんな死に方をしたのかよくわかってないんですけど)の直前、いわば遺言のようにとらえられてきた本です。これは内容が緊迫しているからでしょう。でも今ではニセモノという説が一番的です。ひょっとしたらパウロ晩年の手紙の断片あるいは言行をふまえて弟子の誰かが作ったのかもしれません。
 他の多くのカルト教団同様に、初期の教会はさまざまな考えの人がいて、パウロは教団外の敵ばかりかこういう教団内にも敵をかかえて劣勢でした。そんな中で弟子のテモテを力づけ、異端と戦え、と鼓舞しています。そんな内容ですから、いろいろな危機的な状況に際して教師や信徒を勇気付けるときに、ここはよく読まれます。

●シラ書28章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=28&mode=0
 後半は舌禍のおそろしさ。私も過激な発言が多いから気をつけなきゃ。

[835] Re:中国語 新訳本の改訂 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/13(土) 20:53:39 ここから閲覧

HK.J.さん、私のマイミクじゃないんで、日記までたどりつくのに苦労しました。って、そのくらい最近mixiのコミュニティ全然のぞいてないです。すみません。

[834] 中国語 新訳本の改訂 投稿者=HK. J. 掲示日=2011/08/13(土) 19:09:52 ここから閲覧

MIXIの日記に、新訳本改訂のニュースを挙げておきました。いずれ、真理子さんのばべる・ばいぶるでも取り上げてもらいたいと思います。今年末には新約聖書部分が出版されるそうです。

ラザロ復活の件

旧約時代にYHWHさまは さんざん大量に人を死に追いやっていますよね。そういう「聖絶」された人々は、いずれ復活するんでしょうか? 死の苦しみ・痛みは、復活させてもらえれば、チャラになるんでしょうか?

そういう部分、新約のヨハネの記述にも発想の通じるものがあるように感じます。

[833] ヨハネ10-12章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/13(土) 09:02:44 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=skd&book=joh&chapter=10&mode=0
 11章は「ラザロのいやし」と呼ばれるところですけど、どこがいやしなもんですか。はっきりいって「ラザロ見殺し事件」じゃありませんの? イエス様のなさることとも思えない大スキャンダルでしょう。
 だって、ラザロが病気だという知らせを受けても、イエス様は急ぐ気配もなし、それどころか、わざわざ2日間待ってから出かけるんです。
 その2日の間に何か危険なことがあって行くことができなかったというわけじゃありません。現に、2日後に出かけようというと弟子は「危ないからやめましょう」とひきとめたほどです。
 そしてイエス様は弟子たちに、ラザロが死んだことをはっきりと宣言します。病気だという知らせは来たのに、死んだという知らせは来ていません。超能力で知ったのでしょうか。
 そしてラザロの埋葬後4日たってようやくイエス様は到着。マリアやマルタに「先生がいてくださったら助かったのに」と言われながらもラザロを復活させます。
 ではなぜイエス様はわざわざ時間稼ぎをしたのでしょうか。
 4節にハッキリ書いてます。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである」。また15節には「わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである」と。
 わかります?
 いくら神様イエス様でも絶対に不可能なのは、生きている人を復活させることです。復活という奇跡、いやさパフォーマンス、いやさ手品を演ずるためには、被験者に死んでもらうしかありません。しかも、死後すぐに復活させたのでは、実は死んでなかったのではないかという疑いが残ります。マコ5:22-43とかルカ7:11-17なんかはその類でしょう。だからわざわざ時間稼ぎをしたのです。ラザロが墓に葬られ、屍体が腐乱しかけたころを見計らって出かけ、復活パフォーマンスを演じたわけです。
 これってひどくないですか?
 生き返ったからそれで万々歳というわけじゃないでしょう。
 死に際してラザロが味わった苦痛、遺族たちの悲しみを、イエス様はどう考えているのでしょう。自分が復活パフォーマンスを演じたかったから、それで「神様ってすごいんだ」と神の栄光があらわされ、弟子たちが信ずるようになるために、わざわざこんなことをしたんですよ。
 今こんなことをお医者様がやったら、結果的に完治したとしても、絶対に訴訟ざたになるでしょう。
 私は、こんなイエス様を信ずる気にはとてもなれません。
 聖書無謬説を信ずる人は、このエピソードをどうとらえてるんでしょうか。一人ひとり聞いてまわりたいです。ちなみに福音派御用達の『新聖書注解』は、わざわざ遅れて行ったことを脳天気に認めています。バカか!

 前回言ったように、変態ヨハネは、自分の言いたい事を言うためにイエス様の言動をねじまげるくせがあります。実際には不慮の事態でイエス様は到着が遅れたんでしょうが、それをヨハネがねじまげて書いたんです。
 パウロにも自分の言いたい事のためにいろいろヘンな理屈をこねるクセがありますが、パウロのほうはまだナマイエスを知らないのでヘンな理屈だけですみます。しかしヨハネは、イエス様の言動をだしにして書いているので、余計に罪深いです。

 12章ではもうマリア(ラザロの姉妹)の香油大量消費事件ですね。他の福音書では過越祭の直前ですが、ヨハネでは6日前。他の福音書では2日前です。いずれにせよ、もうイエス様の受難は近いんですね。でもヨハネはここからが延々と長い。イエス様の大演説が17章まで続きます。

[832] ホセア8-14章、シラ27章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/12(金) 07:43:02 ここから閲覧

●ホセア8-14章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=hos&chapter=8&mode=0
 何度も出てくるエフライムというのは、単にイスラエル12部族のうちの1つということではなく、北王国の代表的な部族ということです。イスラエルの民は今ではユダヤ人と呼ばれますが、これはユダ族を中心とする南王国のほうが残ってバビロン捕囚を経ても他民族と同化しなかったため、実質的にイスラエルの民といえばユダ族ということになったからです。実際、イスラエルの民全体を指すいいかたとしてのユダヤ人という言葉は、エズラ記4章が初出です。だからもし、北と南の運命が逆転していたら、いまごろはユダヤ人じゃなくエフライム人と呼ばれていたかもしれません。
 前回ホセアは、娼婦あがりの子持ち女と結婚した経験を、不義の民を神がゆるす話にしていますが、今回11章では、親子の関係になぞらえています。一般に神様は不義の民を本当に滅ぼしてしまうこわい存在ということになっていますが、ホセ11:8のように、実は神様はけっして民を捨て去ることができないんです。

●シラ書27章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=27&mode=0
 26章の最後で突然お金もうけの話になったと思ったら、その話が3節まで続いてますね。章の切り方がなんかおかしいわ。
 一般にはユダヤ人というのは金融をこととする民というイメージがありますが、それは中世ヨーロッパで彼らがそれしかできなかったという歴史を経ての話で、もともとは商売に対して決して積極的な思想をもってたわけじゃないです。まだイスラム教のクルアーンのほうが、商売の話がいっぱいでてくるほどですね。
 金持ちのユダヤ人というのもごく一部の人の話で、一般のユダヤ人はドジでマヌケで貧しいお人よしというのが、アメリカのユダヤ文学のメインカラーです。なんか最近Twitterではフジテレビ攻撃にからんで韓国に対する排外的なつぶやきが多いですけど、ソフトバンクの孫さんが大もうけしてるとか、パチンコ屋やってる在日が大もうけしてるなんていうのはごくごく一部の話。一般の人の話ってなかなか報道されないですからね。こういうところこそ文学の出番。本来は映画やドラマやマンガもそういうふつうの人の姿を描くのに役立つはずなんだけど、ドラマはドラマで、普通じゃない生活を描いてますからね。韓流ドラマに描かれているような生活を一般の韓国人がしてると思ったら大間違いです。田園都市線沿線に住んでる私たち夫婦が、「金曜日の妻たちへ」(古い!)のような生活をしてると思ったら大間違いというのと同じ。

[831] 箴言20-21章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/11(木) 16:46:08 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pro&chapter=20&mode=0
 内容的にまとまりのないところなので、私もまとまりなく書きます。

箴21:9
争いを好む女と一緒に家におるよりは屋根のすみにおるほうがよい。
箴21:19
争い怒る女と共におるよりは、荒野に住むほうがましだ。

 同じようなことわざがちょっと離れたところにあるっていうのがとても不思議。一つにまとめちゃえばいいのに。ずいぶん離れた章にあるなら、うっかりしたってこともあるけど、同じ章の10節次に出てくるのっていうのが不思議です。

箴21:18
悪しき者は正しい者のあがないとなり、不信実な者は正しい人に代る。
 例によって「あがなう」というわかりにくい語が使われてます。新共同訳も「神に逆らう者は神に従う人の代償とされ」とか、新改訳の「悪者が正しい人のための身代金となり」ならまだわかりやすいんですけど、そもそもこういう発想が私たちにないんでわかりにくいんでしょうか。
 実際には「最後の審判のときに正しい人は救われ、悪い人はさばかれて滅びる」ってことなんでしょうけど、それを「正しい人を救ってもらうためには、神様にお金を払わなければならない。そのお金として悪い人が使われる」ってことなんでしょうね。神様、こいつを煮て食おうと焼いて食おうと勝手ですから、そのかわりに正しい人を救ってください、みたいな。
 ともあれ「あがなう」という言葉は、聖書(特に昔の口語訳)にはいっぱい出て着ますけど、わかりにくいので思い切って意訳するようにしたいものです。

[830] 詩編102-104編、シラ26章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/10(水) 09:43:31 ここから閲覧

●詩編102-104編
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=102&mode=0
 103、104、どちらも「わがたましいよ、主をほめよ。」で始まる似たような詩ですが、交読文にもどちらも入ってますね。神の賛美というのは詩編の原点ですから。

●シラ26章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=26&mode=0
前章にひきつづきまたも女性論。勝手なことを言ってるわという気もしますが、いいことも言ってますわね。あなた、「よい妻を持った夫は幸せだ。彼の寿命は二倍になるだろう。」て、1節と26節と、2回も言ってますわよ。え、お前のせいで精力を全部吸い取られてるって?
 精力といえば、19-21節ってスゴいですね。外典とはいえ聖書の言葉とは思えませんわ。女体を土地にたとえて「たねを植える」っていうのは、よくある比喩ですけどね。
 それから12節。新共同訳の「男と見ればだれにでも身を任せ、矢筒を開いて矢を入れる。」っていうの、口語訳聖書につけた「真理子のおまけ」では、原文に即してもっと露骨に訳しておきましたわ。男性器を釘とか矢とかに比喩してるんです。

[829] 歴代誌上15-19章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/09(火) 10:01:35 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ch&chapter=15&mode=0

 ダビデ王の話が続きます。
 15-16章は神の契約の箱、私がふざけて「移動式原発」と呼んでるものの話です。サムエル記ではサム下6に相当します。
 前回13章で見たように、原発事故が起こりまして、ウザが大量被曝して死んじゃう。そこでダビデは「原発に依存しないイスラエルを目指」して、六ヶ所村ならぬオベド・エドムという辺地に置いといた。ところがオベド・エドムが原発で潤っちゃったんで、ついにダビデは都に原発を迎え入れたということになっています。
 この経緯をサムエルでは6章でまとめて簡潔に描いているのに対し、歴のほうは原発推進派が書いたようで、祭司とレビ族にしっかり準備をさせて都に迎え入れ、大規模なお祭りをしたということを長々と書いています。
 そしてダビデは、原発のための設備をしっかり作ろう、つまり神殿を作ろうと計画するんですが、神様のお言葉で、それは次の世代つまりソロモン王のときにということになります(17章)。
 あとはダビデが周辺諸国と戦い勝利する話。
 ダビデの話がまだ続くのですが、サムエル記にあったスキャンダル、つまりバト・シェバとの不倫だの、アブサロムの反乱だのは、歴のほうではすっかりカットされています。
 こうしてみると歴は体制礼賛的といえますね。

[828] 立秋は今日からですね 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/08(月) 10:55:41 ここから閲覧

 立秋の計算を1日間違えました。本当は今日からですね。

 「暦の上ではもう秋なのにまだ暑い」というのがこの時期の天気予報の恒例のあいさつですけど、昔の中国人は、気温がある程度下がったから秋というふうに判断したのではなく、暑さの極値で、もうこれ以上は暑くならず、だんだん気温が下がっていくという点から秋という考え方をしたのです。気温の変化をサインカーブだとすると、それを一回微分した関数で判断したということでしょうか。
 でも今年は半月から1ヶ月くらい季節が早く来ている感じ。梅雨入りも梅雨明けもやたら早かったですよね。6月下旬ごろやたらに暑かったので、さぞや今年は暑くなるかと思ったら、それっきり涼しくなってきている気がします。

[827] 民数記9-12章、シラ書25章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/08(月) 10:49:00 ここから閲覧

●民数記9-12章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=num&chapter=9&mode=0
 苦難の旅に疲れ果てた民は、モーセに不平を言い始めます。それは今に始まったことではなく、出エジプト記あたりからいろいろあったのですが、民数記になるとその対立はかなり激しいものになってきます。
 それに対する神様のしうちは、ひどすぎるとしか思えません。
 11章冒頭で神様は、雷でも落としたんでしょうか、宿営に火事を起こします。その理由ははっきり書いておらず、単にぶつくさ不平を言ったからとしか思えません。
 そして民は、マナなんか食べ飽きたから肉を食べたいと言います。神様は「じゃ一ヶ月、飽きるほど肉を食べさせてやろう」というのですが、さすがのモーセも「男だけで60万人もいるのにそんなことができるはずがない」と言います。モーセは神と民との板ばさみにあって苦しんでいるんです。中間管理職のみなさんはこういう苦しみは身につまされるんじゃないでしょうか。
 で、神様はたしかにうずらを山ほど落とすのですが、民がそれを食べつくさないうちに疫病をはやらせて大量の死者を出します。なんだかなぁ。

 12章は、モーセがクシュ人の女を妻にしていることをアロンとミリアムが非難。神様はミリアムをらい病にしてしまうという話です。
 クシュというのは一般にはエチオピア地方をさすようですが、この話は出2:21にありますように、モーセが若いときにエジプト人を殺し、ミデアン地方に逃げたときに、そこの祭司ウリエルの7人の娘のうちのチッポラと結婚したという話をふまえているのでしょう。
 私がたびたび言及しているフロイトの「モーセ・エジプト人説」は、モーセが実はエジプト人で、エジプトに起こって絶滅しかかった一神教を伝えるために、奴隷として酷使されていたイスラエルの民を選び出し、東方に移住させて一神教に基づく理想国家を作ろうとしたという話ですけど、この説にはもう一つポイントがあって、モーセの一神教の神様がそのまま後のイスラエルの神様になったのではなく、ミデアン地方の火の神様と混淆したという話です。モーセの妻がミデアン人であるという話は、ヤハウェ神さんの故郷が実はミデアンだったという痕跡なのでしょう。

●シラ書25章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=25&mode=0
 ここは女への悪口がさんざん書いてありますね。
 しかも言うに事欠いて、シラ25:24「罪の根源は女にある。女のせいでわれわれはみな死ぬ運命になったのだ。」ですって。これはエデンの園で、まず女がへびにだまされ、そして男が女にそそのかされたという話ですけど、創3:12の「女があの実をとってくれたから私は食べただけだ」という言い訳をして以来、男というのはちっとも進歩がないみたいですね。誤った認識を男に植え付けたという意味では、創世記は実に罪深い本です。

[826] 1テモ4-6章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/07(日) 09:52:22 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ti&chapter=4&mode=0

 今日のところも具体的な生活指導が多く、難しいごまかししか書かない本家パウロの手紙にくらべてとてもわかりやすいんですけど、それだけに要注意。わかりやすいってことは、ごまかしがきかないってことでもありますからね。生活指導っていうのは時代や地域の状況に即したものが多くて、普遍的なものにならないんです。
 たとえば、よく引き合いに出される一テモ5:23
(これからは、水ばかりを飲まないで、胃のため、また、たびたびのいたみを和らげるために、少量のぶどう酒を用いなさい。)
 口語訳ではなぜか意味不明の( )でくくられてますが、別に後世の付加ではありません。これを文字通り受け取ってしまって、水を飲まずに枯渇して死んでしまう狂信的クリスチャンが現れないように予防してるんでしょうか。
 そもそも「水ばかり飲まないで」は意図的な誤訳。青野太潮さんが『どう読むか、聖書』(朝日選書)の中で指摘しています。原文は(アクセント記号は文字化けの原因になるので除きます)μηκετι υδροποτει,
みなさん http://www.babelbible.net/bagster/bagster.cgi を使いましょうね。
μηκετιは「決して~ない」、υδροποτειはυδροποτεωの2人称単数命令形で「水を飲む(人である)」。どこにも「ばかり」がありません。
 世界には水が飲めない地域はうじゃうじゃあり、たとえ未成年であっても、ぶどう酒やビールを飲まなきゃいけないところもあるのです。お茶やコーヒーのような飲料は、飲めない水をどうやって飲めるようにするかという苦労の末に生まれたものです。そういう地域の生活指導としては当然「水を飲むな」になるんですけど、これがひとたび聖書になってしまうと、狂信者が本当に水を飲まなくなったら困るっていう配慮をしなくちゃいけなくなるんですね。
 つい先日は逆に、Twitter上で、実は聖書のいうぶどう酒はノンアルコールなんだという珍説を開陳している狂信者の方を拝見しました。まあ、私たちの意味するようなアルコール飲料(成人が酔うために飲む)としての意味あいではないという意味なら正しいんですけど、酒を禁止してる教派の人にとっては、ここは大問題なんでしょうね。

 5章はまた「若いやもめ」批判。これは前回書いたので省略します。

 6章冒頭の「くびきの下にある奴隷はすべて、自分の主人を、真に尊敬すべき者として仰ぐべきである。それは、神の御名と教とが、そしりを受けないためである。」っていうのは、アメリカでは奴隷制度の維持に悪用されました。黒人奴隷たちに「ほうら聖書にこう書いてるだろう」なんて言うわけですね。体制側はえてしてキリスト教を自分の都合のよいようにねじまげるし、キリスト教の側もえてしてこういう体制側の肩を持っちゃうんですね。アメリカの黒人の間にイスラム教が広まったのは、もともと祖先の宗教だったというだけじゃなく、キリスト教が自分たちの味方になってくれなかったからという面もあるんです。

[825] 罪のない者がまず石を投げよ 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/07(日) 03:59:35 ここから閲覧

 今日は立秋、今日から秋ですんで壁紙の色も秋色になりました。
 あれ、昨日菅直人さんは脱原発を言ったんですか? 私の耳ではあんまりはっきり聞こえなかった、というか、あの程度では脱原発って言えないような気がするんですけど、またしても(不信任案のときに退陣を言ってないのに「退陣を」と報じたような)新聞の誤報でしょうか。

 さて、「罪のない者がまず石を投げよ」ですけど、これは読者のみなさんが「娼婦っていうのは石打刑にするほどの罪びとと言えない」というふうに、娼婦に対して感情移入ができるから成り立つ話なんで、そうでなければ、あらゆる悪徳に対する懲罰を無力化してしまう危ない話だと言えるんじゃないでしょうか。
 「姦淫の女」のところに「カンニング学生」「駐車違反者」「万引き犯」「強盗犯」「レイプ魔」などいろいろ代入していけば、そのことがよくわかります。
 とすると私たちは、売春っていうのはたいした罪じゃないし、むしろ売春をしなければ生きていけない女性をかわいそうと思ってる、悪いのは社会や女を買う男って思ってるってことなんでしょうか。
 ヨハネ8章は人気のある箇所でしょうが、「罪なき者が石を投げよ」という論理は、非常に限定された状況でなければ成立しないってことを知りながら読むべきところだと思います。

 ついでに売春の話。
 かねがね書いておりますように、私自身は売春肯定、少なくとも否定はしません。人間の性の非常に根深いところに根拠を持つ商売で、どんな社会にもなんらかの形で必ず存在するものなので、法律や道徳で禁止しても無理なんじゃないかと思います。
 まして多くの日本人のように、「人に迷惑をかけない」ことを唯一の倫理基準としていると、売春っていうのは誰にも迷惑をかけていないので、禁止する根拠がありません。援助交際をする少女を大人が叱ることができるのかっていうのが、宮台真司先生が問いかけたことなんじゃないでしょうか。
 先日書いた近親相姦と同様に、売春を否定するなら「ダメなものはダメ」ということで否定しなきゃいけないし、それでも破る人は多い。少なくとも近親相姦よりははるかに破る人が多いんじゃないでしょうか。

[824] ヨハネ7-9章、シラ24章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/06(土) 10:15:13 ここから閲覧

●ヨハネ7-9章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=joh&chapter=7&mode=0
 8章の「罪のない者がまずこの姦淫の女に石を投げよ」という話は、ヨハネの中で一番人気のある美しい話ですけどねぇ……。
 はっきり言いますがヨハネはイカレたトンデモ野郎です。そんなヨハネが描くイエス様はやっぱり大変態の大馬鹿野郎です。マリア様に対して「婦人よ、それがおいらと何の関係があるんだよ」と毒づく大罰当たり者だったじゃありませんか(ヨハ2:4)。
 今日のところは何? 生まれつきの盲人を見たら「この男が盲人になった理由は、神のみわざが現れるため」ですって(ヨハ9:3)。
 わかります、これ?
 いくらヤハウェ神さんやイエスさんが全知全能でも、最初から眼の見える人の眼を見えるようにすることなんてできません。眼を治すという奇跡という名のパフォーマンスを演ずるためには、盲人が必要なわけです。「おいらが奇跡という手品を演ずるために、こいつは盲人になったんだ」って言ってるんですよ。とんでもない大馬鹿野郎ですよね。
 こんな大馬鹿ヨハネの描く大馬鹿イエスの奇跡をありがたがってるクリスチャンはみんな大馬鹿です。説教の中でヨハネ9章をほめる人を私は信用しませんのよ。
 まあ、このくらいのことで怒っていては、とてもヨハネ福音書なんて読めません。来週はもっとトンデモナイ話が出てきますのよ。名づけて「ラザロ見殺し事件」です。また来週言いますわ。
 こんなふうに、ヨハネは自分の言いたい哲学のためにイエス様の行状をねじまげて描くクセがあります。まあそんなもんだと思ってください。

 そんなヨハネですから、「罪のない者がまずこの姦淫の女に石を投げよ」なんて美しい話を描くはずがないんです。
 はっきり言ってここは後世の付加です。ヨハネを書き写してたある修道士が、自分の聞いた美しいエピソードをちょこちょことメモしたら、次に書き写した人がそれを本文だと勘違いして、本文にまぎれこんじゃったみたいです。

 しかし思うんですけど、この話ってそんなに美しいですかね?
 先日Twitterで、これを原発にあてはめてた人がいましたわよ。

@SekiyaHiroshi 2011/8/5
ああそうか。今の状況って、まさに新約聖書のヨハネ8章にある「姦淫の女」のエピソードにそっくりなんだ。姦淫の女=事故を起こした原発、と考えればしっくりくる。だからこそ、原発をやたら叩きまくる連中に対して違和感を覚えるんだろうな。罪なき者がまず石を投げよ。

 著作者人格権を尊重してちゃんとアカウント入りで引用してあげましたわ。
 こういうふうに使われると、この美しい話もとってもまがまがしくなりますよね。濫用厳禁よ。
 じゃこの「罪なき者がまず石を投げよ」という論法は、どういう場面で私たちの心を打ち、どういう場面でまがまがしく響くんでしょうか?
 みなさん、これはちょっと宿題にしますから(実は私も整理がついてないんで)、今日一日じっくり考えてみましょう。

 菅直人も松井広島市長も脱原発をうたえなかった情けない原爆の日に。真理子。

●シラ書24章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=skd&book=sir&chapter=24&mode=0
 知恵を擬人化して賛美しています。ヨハネの描くイエス様も、アブラハムの生まれる前からいた(ヨハ8:58)んだそうですが、シラ書の描く知恵も、この世が始まる前に創造され、永遠に存続する(シラ24:9)ものだそうです。

[823] ホセア書1-7章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/05(金) 09:56:59 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=hos&chapter=1&mode=0
 金曜日は預言書を読んできました。ここからしばらくは「十二小預言書」です。それで旧約聖書はおしまいになるはずですが、当サイトで採用している通読表では、11月あたりで終わってしまいます。あと5週ぶんあまっちゃうので、新約聖書のヨハネ黙示録を金曜日に読むというスケジュールになっています。
 十二小預言書はともかく書名を覚えてください。聖書の書名を覚える歌などで覚えちゃってください。
http://www.babelbible.net/mariko/bib.cgi?doc=song&course=bib
 この歌の2番
  2.イザヤ、エレ、哀、エゼ、ダニエル
  ホセア、ヨエ、アモ、オバ、ヨナ、ミ
  ナホム、ハバクク、ゼファニア書
  ハガ、ゼカ、マラキで39
のうち、ホセア以後が十二小預言書。これはだいたい時代順になっていまして、おおざっぱに言うと、ホセアからミつまりミカまでが南北王朝並立時期、ナホム~ゼファニアが北王朝滅亡後のアッシリア末期、ハガ~マラキが新バビロニア期になっています。
 ホセア書の冒頭には「ユダヤの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの世、イスラエルの王ヨアシの子ヤラベアムの世に、ベエリの子ホセアに臨んだ主の言葉」ホセ1:1とあります。もうみなさんは、[787]で紹介した「南北の王を覚える歌」を覚えましたでしょうか。それの7番
  7.南はアマジア、次ウジヤ
  病気でヨタムに交代す
  北はヤラベアム、次ヨタム
  おんなじ名前になっちゃった
のころになります。次の8番で北が滅びますので、北末期の北のヤラベアム(2世)の時期ということになります。
 ウジヤ王というのが預言者イザヤ(第一)の時代ですから、ホセアは第一イザヤと同時代ということになりますね。

 さて、ホセア書は1-3章とそれ以後とが大きく異なります。以前はイザヤ書同様に第一ホセア、第二ホセアと言っていたこともあるようですが、現在では同一著者というのが定説になっています。
 その1-3章。神様の命令によってホセアはゴメルという娘と結婚するんですが、この女が淫行の女であり、しかも子持ちだったんですね。性道徳が厳格だった時代のクリスチャンたちは「神様がそんな女と結婚しろと言うなんて」と、ここを象徴のように読んでいたようですけど、今ならそういうバツイチ(ニ、サン…?)の子持ちの女と結婚するなんてそう珍しいことでもありませんし、普通に読めばいいんじゃないでしょうか。ともあれホセアはそういう過去を持つ女と結婚することによって、背信のイスラエルの民を神がさばく一方でお許しになり再出発できるのだということを説きます。このように神の愛を夫婦関係になぞらえて説くのがホセアの特徴です。

[822] Bagster/Thayer Greek Lexicon 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/04(木) 23:02:43 ここから閲覧

 新約聖書ギリシア語語彙集として、Bagster : Analytical Greek LexiconおよびThayer's Greek-English Lexicon of the New Testamentの2書を一挙公開します。
http://www.babelbible.net/bagster/bagster.cgi
 どっちか一方にしぼってもよかったんですが、両方捨てがたかったので。
 Bagsterのほうは、登場するすべての変化形が見出し語になっているのが便利なんですが、説明が簡潔すぎ。Thayerは語の説明が詳しいんですけど、変化形が見出しになっていなくて引きにくい(巻末に索引はありますけどね)。
 そこで、Bagsterでひいて、もう少し詳しく説明を見たいときにThayerを見る、という便利な使い方ができるページにしあげました。

 どちらも紙媒体で持ってるんですけど、実はInternet Archive http://www.archive.org で両方ともPDF化されていて、画像データはここから持ってきました。
 Internet Archiveはいいですね。画像がきれいなんで、こんなふうにPDFをjpegに変換してそのまま使えます。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーとは大違い。あそこは10ページずつしかダウンロードできないというほとんどいじめのような仕様。そのくせ画像がひどすぎて、ちょっとでも画像変換ソフトにかけるとまるきり判読不能。だから面倒でも1ページ1ページPDFとしてダウンロードして、それを無修正で表示してはじめて、やっと見られるという状況。これじゃデジタル粗大ゴミです。

[821] ドイツ気象庁の放射能拡散予報終了 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/04(木) 13:54:32 ここから閲覧

 この掲示板の左上にリンクしていた、ドイツ気象庁の放射能拡散予報が終了しましたので、ユニクロの女の子たちの踊りUNIQLOCKに戻します。でもフクシマは決して終わったわけではないのよ。

[820] 箴言19章、シラ23章 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/04(木) 13:24:21 ここから閲覧

●箴言19章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=pro&chapter=19&mode=0
 なんか今朝は一昨日の衛星放送でやってた原爆=原発史観をまとめるのにかまけて、聖書通読を忘れてましたわ。1節「正しく歩む貧しい者は、曲ったことを言う愚かな者にまさる」。そう。これからは貧しくてもかまわないから、正しく歩みましょう。

●シラ23章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=23&mode=0
 言葉遣いに関する話。13節「みだらで下品な言葉を口にするな。そういう言葉は罪である」。あらまあ、これは耳が痛いわ。でもね、下品な言葉でしか表現できないことってあるのよ。先日は「石女」という言葉を使ったのである方からご指摘をいただきました。その後たぶん意図は理解していただけたものと思っておりますが、聖書による差別の不当さを強調するには、こういう激烈な言葉を使わなきゃいけないことだってあるんです。

[819] 詩編99-101編 投稿者=真理子 掲示日=2011/08/03(水) 11:02:31 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=99&mode=0
 今日の3つは短くていいですね。
 どれも有名ですけど、特に100編は、交読文にも入っていて有名です。
 日本には昔から叙事詩のような長い詩というのが発達しなかったので、こういう短い詩こそ詩らしいという感じがします。

 ところで思うんですが、詩編の中でも119編のような猛烈に長い詩とか、ヨブ記や預言書の多くのように詩の形で書かれた文書を、原文の改行位置を守って訳さなきゃいけないっていう発想はヤメにしましょう。これはかねがね主人が言ってるんですけど、インドのマハーバーラタというとてつもなく長い詩があって、これを上村勝彦先生という方がちくま学芸文庫で訳して、その途中で若くしてお亡くなりになったので未完のままになってます。この先生の訳し方って、完全に散文として訳してるんですね。いちいち改行するよりそのほうが読みやすい。どうせ原文の韻律なんて訳では表現できないんですから。
 それから、これはギリシアの叙事詩なんかでもそうですけど、同じ人のことをいろんな表現で呼ぶことがあります。たとえば王様に対する長い長いセリフの中で「大王よ」「敵を苦しめる王よ」「クルの息子よ」「バーンドゥ王の子よ」「バーラタよ」みたいに、目の前の王様に対していろんな呼びかけの仕方をしたりします。これは韻律あわせなんですね。意味なんかないんです。だって目の前の王様に言ってるんですから。インドの詩は、音節の数とか長短とかが決まってる。それを守るためにこういう無意味な語句を挿入するんですね。そういうのを上村先生は全部省略しちゃう。あるいは、「アルジュナよ」じゃなく「カウンテヤーよ(同一人物の別名)」となってても、「アルジュナよ」に統一しちゃう。これって超訳なんでしょうけど、そのほうが読みやすいんですね。
 そんなわけで、聖書の長い詩も、そういう超訳をしてくれれば、もう少し読みやすいんじゃないかって思うことがあります。
 ともあれ、短い詩は最高ですわ。