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真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[604] マルコ15-16章、2マカ2章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/16(土) 09:33:43 ここから閲覧

●マルコ15-16章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=15&mode=0
 このリンクは口語訳聖書のものですけど、マコ15:2の、ピラトが「あんたはユダヤ人の王なのか」という質問へのイエス様の答え、「そのとおりである」というのは誤訳です。「(おいらは何も言ってないよ)それはあんたのセリフだよ」というのが正しい訳です。福音派御用達の新改訳も誤訳ですね。それとも福音派の教義だとそのほうが都合がいいのかしら? エホ証御用達の新世界訳「あなた自身が[そう]言っています」のほうが正しいなんて、困ったものよね。
 それはそれとして、今日でマルコはおしまいなんですが、処女懐胎説などと言う荒唐無稽な話をシカトしたリアリストのマルコは、最後までリアリストでした。16章はホントは8節まででおしまい。イエス教団婦人部のおばさんたちがイエス様の墓を見に行ったら、からっぽになってて、白い服を着た変なにいちゃんが「イエス様なら復活してガリラヤに行っちゃったって、弟子たちに伝えてくれよ」と言ったのに、おばちゃんたちは恐がって誰にも言わなかったっていう話でおしまいです。
 誰にも言わなかった話がどうして伝わってるのかという突っ込みを入れたくなりますけど、ともあれマルコは、復活したイエス様をぜんぜん描いてないんです。
 これじゃあんまりだっていうんで、後の人がいろいろ追加したのが、9節以降です。
 たぶんマルコは、本当にイエス様が復活したとは思ってなかったんでしょうね。イエス様の復活は、弟子や信者たちの心の中におこったことでしかなかった。
 でも、宗教では、実際に起こったかどうかよりも、そう信じられたかどうかが重要なんです。みんながイエス様の復活を信じて命がけで布教をはじめて短期間に新しい宗教を作っちゃったんだから、イエス様はたしかに復活したんです。

●2マカ2章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ma&chapter=2&mode=0
 ここまでが長い前置きだったというのがやっとわかるのが2章。長い前置きをしておいて「長い前置きのために物語が短くなってしまうのはつまらない」なんて、たちの悪い冗談ですわ。

[603] 真理子の世代論 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/15(金) 11:49:13 ここから閲覧

 [601]であからさまなヒントを出しましたから、もう私の言いたいことはだいたいわかりますよね?

 日清戦争って年号でいえば明治27年、日露戦争が明治37年ですから、明治20年代うまれの人たちにとっては幼年・少年時代。へたをすれば日清戦争のほうは生まれてない可能性すらありますから、これらを経験したというのは無理があります。
 で、日本人が国難に対して神業的な切り抜け方をしたのが日露戦争まで、せいぜい、朝鮮を植民地にした1910年(明治43年)ぐらいまでじゃないかしら。『坂の上の雲』なんか読むとそう思いますよね。
 このへんから考えると、明治20年代生世代(めんどくさいから三四郎世代って言いますね)vs戦後生まれ世代というウッチーの図式って、ホントにそうかしらって疑問に思うわけです。
 ウッチーは、三四郎世代は人間性の暗部を見たリアリストで、後の世代にはこういう経験をさせたくないと、虚構と知りつつ戦後民主主義を作り上げるという知恵を持った世代だなんて美化してるんですけど、三四郎世代がそんなかしこい人たちとはとても思えません。
 なにしろ、私の敬愛する大川周明先生が明治19年生まれで、ぎりぎり三四郎世代っていえると思うんですけど、もうすでに大川先生には「幕末維新を切り抜けてきた江戸時代からの地続き感」がぜんぜんありませんもの。
 もう三四郎世代はいまとあんまり変わらない。学校制度がしっかりできちゃって、大川先生も高校入試の成績があんまりよくなかったのか、第三志望の五高に行くはめになっちゃう。時代はもう「実力で修羅場をくぐりぬけてのしあがる」んじゃない「受験勉強をがんばった人が勝ち組になる受験秀才」の時代になっちゃってるんですよ。
 だいたい大川先生の文章読んでると、この時代って今とちっとも変わってなかったのねって思いますもの。
 政府と東電のやってる発表なんて大本営発表じゃない! 今ってあんまり戦前と変わらないのよ。

 私は、明治憲法を戴いた大日本帝国は、実力で修羅場をくぐりぬけてきた幕末世代の作品であって、これはそういう人たちでなきゃうまく操れない悍馬なんですよ。彼らだったらどんな難局もうまくくぐりぬけられたんです。日清・日露をくぐりぬけ朝鮮を植民地にするあたりまでが彼らのお仕事。
 そして、ウッチーの美化する三四郎世代はもう受験秀才の時代。受験秀才って、教えられたことはきちんとできるけど、前例のないこと、想定外のことには対応できないんですよ。社会制度はすでに存在するものであり、それが虚構であり崩壊してしまうかもしれないなんてことは想定できない。ウッチーの言う戦後世代の特徴って、実はウッチーの美化する三四郎世代からそうなんですよ。
 そういう受験秀才たちが、大日本帝国という悍馬をうまくあやつれず、崩壊に至ったのが、大正から昭和20年までの歴史だと思ってます。
 そして戦後民主主義も同じ。未曾有の国難だったはずの敗戦から、三四郎世代はちっとも学び取ることができず、またぞろ同じようなものを作っちゃった、もしくは成り行きでできちゃったのが戦後民主主義だと思ってます。

 そんなわけで、「リアリストの三四郎世代vsマニュアル世代の戦後生まれ」がウッチーの論なら、私の論は、「実力で修羅場をくぐりぬけた幕末世代vsマニュアル世代=その後全部の世代」なんです。
 まあ要するに、受験とか学校教育っていうのは、真の人材を育てないってことなんです。

[602] エレミヤ書27-31章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/15(金) 11:18:57 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jer&chapter=27&mode=0
 27章最初に出てくる王様、訳によって名前が違うのでびっくりします。
 いろいろ名前が出て混乱するといけないのでユダ王国の最後の3代の王様の名前をおさらいしましょう。
  18 エホヤキム(ヨヤキム)
  19 エホヤキン(ヨヤキン)
  20 ゼデキヤ
 先週も言ったように18と19の王様の名前がとてもまぎらわしく、最後しか違わないので注意してください。
 で、結論からいうと、口語訳と新共同訳は20にしてるんですが、原文および多くの訳では18なんですね。内容的に言えば20です。たぶん前章26章の最初の王様の名前が18なんで、うっかりミスでここも18にしちゃったというのが定説です。いくら福音派(聖書には絶対誤りがないとして全部文字通り信じちゃうかたがた)でもこれは否定しません。ただ、間違いの歴史もそれはそれで重要だと思うので、勝手に訂正して知らん振りっていうのはまずいですよねぇ。

 いずれにせよ話は、20の王様です。一国の崩壊前夜の話です。
 崩壊の10年前、19の王様の時代に一回バビロンのネブカデネザルに攻められて支配者や身分の高い人々がバビロンに連れてかれちゃう「バビロン捕囚」が起こってます。バビロン捕囚って2回あるんですね。2回目で、おもだった人々がほとんど連れてかれちゃって王国が完全に滅んじゃうわけです。
 ところが29章の捕囚民に呼びかけたエレミヤの手紙、それから30-31章の預言って、第2回以降つまり王国が完全に滅びちゃってることが前提になってるみたいなんで、まぎらわしいですね。預言書ってただでさえ読みにくいのに、いろんな時代のものがうっかり(あるいは確信犯的に)ごちゃごちゃまじることがあって、本当に困ります。
 27章でエレミヤは、神様から命ぜられて、自分の首にかせをはめるというパフォーマンスをしています。単にいろいろしゃべるより自分の主張が表現できるってことでしょうか。
 28章のニセ預言者ハナンヤの対決は面白いですね。バビロン王はすぐ滅んじゃうぞというハナンヤのほうを人々は信じてしまいます。ハナンヤ自身はこの年に死んじゃいますが、だからといってみんながエレミヤを信ずるようになったわけではないという、後味の悪い結果になった対決でした。

[601] Re:内田樹さんの世代論への批判 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/14(木) 16:14:08 ここから閲覧

 ヒントを出しておきますね。

1.ウッチーのあげている「明治20年代生まれの世代」が経験したという動乱
  日清戦争、日露戦争、第一次大戦、第二次大戦、大恐慌、辛亥革命、ロシア革命
のうち、明治20年代生まれの世代が経験しているとはいいがたいものを2つあげてください。

2.1であげた2つの動乱とそれ以外の動乱とは、日本人がどう切り抜けてどういう結果になったかが、かなり違うと思います。そういうところから、私のいいたいことを推測してください。

[600] 内田樹さんの世代論への批判 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/14(木) 12:26:01 ここから閲覧

 今朝、だんなが
 「昨日お前が紹介していた内田樹の話ってなんかおかしくないか?」
って言う。私じゃないでしょ! 小島慶子さんでしょ。いくら私の声が小島さんに似てるからって。
 あんまりAMラジオを聞いてなかっただんなも、私が教えたTBSラジオ「小島慶子 キラキラ」は、声やしゃべり方や内容が私にそっくりなんだそうで、これだけは面白がって聞くようになったみたいです。私も、今までは聞いたり聞かなかったりだったんですが、地震のときの小島さんの冷静なアナウンスなど、すっかり彼女の「ますらおぶり」が好きになったので、すべて録音して保存しておくことにしました。
 昨日も日刊ゲンダイで「最近、生意気系が人気」みたいな記事で紹介してたそうですし、最近小島さんはいろんなところで話題になってますね。なお、女なのになぜ「ますらおぶり」かについては、
http://www.toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3005&syosekino=3575
なんかをごらんください。
 一時期、地域プロテクトのなかったラジコが最近また地域プロテクトをかけたみたいですけど、この番組はTBSラジオのサイトでストリーミング放送を続けるみたいなんで他の地方からも聞けますし、主要部分はMP3ファイルになってサイトに残ってるんで、他地域の方もぜひ聞いてみてください。

 で、昨日の話なんですが、オープニングで小島さんが、内田樹(うちだ・たつる。以下ウッチー)の『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(角川文庫)の「世代論」をとりあげてました。この文章は2003年に書かれたものですけど、いまの状況にもぴたりと当てはまってるという感じで紹介なさってました。
http://podcast.tbsradio.jp/kirakira/files/20110413_op.mp3
 要旨は、戦後民主主義というのは明治20年代生まれの世代が作ったもの。夏目漱石の三四郎の世代。この世代は日清日露戦争、二つの大戦、大恐慌、辛亥革命、ロシア革命を経験し、江戸時代と地続きの幼年時代からスタートした波乱万丈の世代。貧困、苦痛、人間の尊厳の崩壊、生死の極限状況、価値観や体制の崩壊といった「人間性の暗部」を見た彼らが、後の世代にはこういう思いをさせまいと、夢・虚構であることを承知のうえでつくりあげたのが戦後民主主義なんだ。ぼくたちはこれを自然なものとして育ち、それがくつがえった経験を持たず「この社会はオレが支えなくても誰かが支えてくれる」と思ってるから、目線が近くなってしまって、決められたマニュアルだけ、自分の会社内のせまいきまりだけ守っていればいいみたいな考え方になってしまって、こんなことになっちゃったんだというわけです。
 ウッチーの書く文章って妙な説得力があるんで私も好きで、この本も持ってたんですが、こうやって紹介されてみると私もおかしいなって思いました。ときどきウッチーってヘンなことも書くのね。

 長くなるんで、これのどこがおかしいかは、宿題にしておきましょう。
 ぜひ、上でご紹介した小島さんのお話も聞いてみてください。
 今夜か明日、また続きを書きます。

[599] ヨブ記35-36章、2マカ1章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/14(木) 11:33:37 ここから閲覧

●ヨブ記35-36章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=libj&book=job&chapter=35&mode=0
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=libj&book=job&chapter=36&mode=0
 真打登場とばかり、鳴り物入りで議論に参戦したエリフですけど、言ってることはほかの人とあんまり違いはないですよね。本当の真打は来週登場します。

●2マカ1章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ma&chapter=1&mode=0
 2マカこと第二マカバイ記(マカビー記、マカベア記)は、今まで読んできた第一の続きではありません。この時代のユダヤ人の戦いに関する別の人(不明)の本です。ただし、第一のほうはもともとヘブライ語だったろうとされています(残ってない)が、第二は最初からギリシア語だったようで、それは本日読む部分からわかります。いきなり手紙で始まるんでびっくりしますが、エジプト在住のユダヤ人に「宮潔めの祭」の由来を説明し、このお祭りは大事なんだからちゃんとやりなさいと言ってます。
 メインの話は3章から始まりますけど、歴史の事件について、「これは神様がこう考えたからこうなったんだよ」「民が悪いことをしたからこうなったんだよ」と、倫理的な原因をくどいほどにしっかり説明してるのが特徴です。そういう点でも「国外ユダヤ人」向けなんでしょうか。

[598] 詩編51-53編 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/13(水) 14:51:25 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=51&mode=0
 ここからしばらくは、詩編の中でも詞書(ことばがき)がやたら長くなります。
 詞書っていうのは、私だけがそう呼んでいるんですが、歌の説明ですね。
 いま、旧約聖書のヘブライ語原典っていうと、ドイツ聖書協会から出ているBiblia Hebraica Stuttgartensia(以下BHS)を使うのが普通ですけど、BHSって、従来の聖書と節番号が違うんですよね。詩編で、詞書が長いとき、詞書を第1節として本文を第2節からはじめるんです。それから51編みたいに、詞書に第1・2節をあててしまい、本文を第3節からはじめるものもあります。そのくせ、詞書に節番号をわりあててないものもあり、このへんの扱いがまちまちでとても困ります。でも、長いものにはまかれろですよね。いまや新共同訳もBHS式ですから。
 またしばらくダビデの歌が続き、しかも詞書が長いので、ダビデのやったことをあわせて読むと理解が深まります。ちょうど今、火曜日にサムエル記下を読んでるんで、ちょうどいいですね。
 51編の、「ダビデがバテセバに通った後預言者ナタンがきた」っていうのは、サムエル記下の11章と12章を見てください。来週4/19に読みますので、ここではあえてふれないでおきます。お楽しみに。
 読むとあまりの内容にあぜんとします。ざんげすりゃいいってもんじゃないのよ、なんという鬼畜的所業>鬼畜ダビデ!
 52編の話は、サム上21:27の、ダビデがサウルに追われて逃げているときに密告されちゃった話なんですけど、あんまり本編の内容と関係ないんで、理不尽なことを言ってくる上司に雷を落とされたときに、心の中でひそかに唱える詩として読めばいいんじゃないでしょうか(笑)。
 53編って、どっかで見た気がすると思ったら、14編とほとんど同じです。それでなくても詩編の詩ってみんなワンパターンで、どっかで見た気がしますけどね。

[597] サム下5-9章、1マカ16章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/12(火) 09:33:57 ここから閲覧

●サム下5-9章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2sa&chapter=5&mode=0
 ダビデは全イスラエルの王として即位します。
 それにしてもサウルとの並立状態だったときはペリシテ人のところに身を寄せたこともあるのに、いざ王になっちゃうと手のひらを返したようにペリシテ人と戦ってしまうなんて、ダビデもあんまりだし、必ずお前の手にペリシテ人を渡すなんていう神様も神様ですよね。
 そのくせサウルの血筋の生き残った人々にはやさしいんですよ。
 そういうのがイスラエルの民の心の琴線にふれるんでしょうか。

 ところで、6章で契約の箱を移動中にうっかりそれに触れてしまったウザを神様は即座に殺してしまうなんて、これもあんまりですよね。これ、たしか昔、ノストラダムスの大予言の五島勉さんが、契約の箱って電池だったんじゃないかという説を書いてました。
 五島勉さんって、創価学会へのおべんちゃら本も書いてますんで、アンチ創価の私はぜんぜん評価していませんけど、かつてはこの人の書いた1999年終末説って、ずいぶん信じられてたみたいですね。だんななんか当時は小学校6年生で、本気で信じてたみたいです。だんなが長らく結婚しなかったのはそのせいかもしれません。

 ついでながら、Wikipediaの「五島勉」の項で、「噂の真相」誌の記事をネタにして、創価学会が信者拡大のために終末論をひろめたうんぬんと書いている部分は、創価の内部にいた私としては信じられません。聞いたことありませんもの。
 でも、たしかに宗教団体が勢力拡大をもくろむなら、終末論を流すのが一番てっとり早いんですけどね。初期のキリスト教団もそれをやりましたし。パウロなんか本気で「生きてる間に終末が来る」なんて思ってたみたいです。
 そういえば最近は、2011年5月21日とか、2011年10月21日なんていう説が広まってるらしく、Youtubeで2011/5/21を検索するといろいろヒットしますわよ。キリスト教系のカルト教団が広めてるのかしら。真理子の主催するキリスト真理自由教会としては、公式にハッキリ否定しておきますわ。

●1マカ16章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=16&mode=0
 ユダヤのほうはシモンが暗殺されちゃいまして、次の世代のヨハネになります。
 なんだかずいぶん陰惨な結末、しかも尻切れトンボみたいな終わり方ですね。
 それは、ユダヤ人の戦いが終わりがなかったってことなんでしょう。
 この本の話は紀元前135年で終わってますが、ユダヤ人の王朝・ハスモン朝は、あと70年ほど続き、ローマに滅ぼされて属領になります。それからしばらくするとローマの支配のもとでヘロデ王が君臨して半独立国家となり、イエス様の時代になるわけです。

[596] 必要物資・支援要求マップ 311help.com 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/11(月) 13:23:15 ここから閲覧

 乾電池業界がせっかく被災地むけに乾電池を190万個準備しておきながら、政府の無策によって支給されてない
http://www.youtube.com/watch?v=Ah_qTMMsooA
とか、日本赤十字社経由の義援金はすぐには被災者に届かない
http://www.youtube.com/watch?v=IMEOp0WcxhI
とか、どうも私たちの支援がうまく届いていないのではという思いがあるんですが、

http://311help.com/

という、まさに「かゆいところに手が届く」サイトができたみたいです。
 各被災地が「こんなものがほしい」っていうのを書きこめるし、それを簡単に検索することができるんで、きめのこまかい支援ができそうです。
 たとえば、いま手元に鉛筆が山ほどあるんだけど、これをほしがってる地域があるのかしらと思って、ここで「鉛筆」といれると、鉛筆をほしがってる地域がグーグルマップに表示されるんで、その情報を見ながら、どうやって送ればいいかがわかるっていうしくみになってます。

[595] 選挙が終わりました 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/11(月) 12:40:47 ここから閲覧

 統一地方選挙、これから後半戦とか、被災地は延期とかあるようですが、私たち夫婦の住む地域はみんな終わりました。
 「地元横浜の話をせず東北の被災地の話ばっかりしている政党や候補者は落選してしまえ」「土曜日深夜0時ぎりぎりまで某駅前に立っていた候補者は落選してしまえ。それって違反じゃないの?」と思ってたら、見事にそういう愚か者たちが落選してくれたのでうれしいです。被災地の話も大事ですが、まずは私たちの住む地域が大事ですから。
 都知事選でNHKの当確早かったですね。8時すぎたらすぐ出しちゃうなんて。
 東京都のことは私たちの知ったことではないですし、石原さんは行動力のある人なんで、都民のみなさまの判断は尊重したいと思いますが、当選直後のパチンコ発言といい、どうもこの人はお年を召すにしたがって言動がおかしくなってますね。この方の書いた小説の内容との食い違いって何なのかしら。都民の皆様、しっかりネコの首に鈴をつけといてください。
 まあ、たとえば「花見自粛」発言をきっかけに、「自粛はやめよう」とみんな思うようになったわけだし、Youtubeじゃ「被災地岩手から「お花見」のお願い」
http://www.youtube.com/watch?v=hHucTlBohfg
http://www.youtube.com/watch?v=UY0FtSqrMBc
http://www.youtube.com/watch?v=RcKCKO8ppbA
なんていう意見をよぶ呼び水になったと思えば、石原さんの奇妙な言動も効用があるのかしら?

[594] 出エジプト記17-20章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/11(月) 11:47:53 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=20&mode=0
 20章は出エジプト記のもう一つのヤマ場。ひょっとしたら旧約聖書全体のヤマ場かもしれません。
 なにしろ、十戒をさずかったわけですから。
 ところで、十戒ってどれとどれで10なんでしょうか?
 「~ならない」という形になってるのは出20:3-17で、15節ぶんあります。節くぎりなんてどうせ後世の人が便宜的にやったことですから無視していいんですが、それだけに、区切り方がいろいろ考えられそうですね。原文には「1 2……」という番号が振られているわけではありませんし、そもそもこれが10個の「べからず集」だということさえどこにも書かれていません。
 法律の文章っていうのは、一条一文主義っていうのがありまして、一文で書かなきゃいけません。この原則を破っている重大な例として、日本国憲法第9条第2項

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

があります。これでは、政府のある行為が9条2項違反だとして、前半に違反するのか、後半に違反するのかが不明確になります。通常であれば、「国の交戦権は」以降は、9条3項としなければいけません。
 この考え方からすると、出エジプト記20章の文章は、法律としてはまるきり失格ですよね。

 で、15節の内容を10にまとめるわけですから、このうち5節は、「そこで区切っちゃダメ」としなきゃいけません。
 内容を読むと、5、6、9、10、11節は、絶対にそこで区切れるはずがありませんよね。
 じゃ3/4-6/7/8-11/12/13/14/15/16/17で決まりじゃない!
 そう思ったら、そうではないんですね。
 カトリックとルター派は、3-6節を一気に1とし、逆に17節をむりやり「他人の妻を欲するな」と「他人のモノを欲するな」とわけるんです。
 3「おいら以外に神はない」と4-6「偶像を作るな」という話を1つにまとめちゃいたいんですね。
 この2つを1つにまとめると、「偶像はダメよ」が強調されなくなります。聖像を作るのが好きなカトリックとしてはそういう区切り方が都合がいいわけですね。逆にカルヴァン派のような厳格なプロテスタントとか、正教会なんかだと、偶像はダメっていうのを強調したいので、ここを分けるわけです。
 正教会ってイコンがいっぱいあるじゃないかって思うかもしれませんが、全部2次元でしょ? 立体はダメだけど平面は偶「像」じゃないっていうのが正教会の考えです。

 真理子の主催する「キリスト真理自由教会」は、平面画像も立体画像もOKなのに、なぜか区切り方がカルヴァン式ですね。
http://www.babelbible.net/mariko/opi.cgi?doc=tencmnd&course=church
 だって17節を2つにわけるのって不自然ですもの。
 私は「偶像=1つの見方にとらわれる」ととらえているんで、それでいいんです。

 ところで、出17の、モーセが手をあげてるときだけイスラエルが優勢になるんで、みんなでよってたかってモーセの手をささえていたっていうの、情景を想像するとマンガ的で、私いつも爆笑しちゃうんですけど。

[593] 2コリ1-3章、1マカ15章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/10(日) 12:49:51 ここから閲覧

●2コリ1-3章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2co&chapter=1&mode=0
 日曜日に読み続けている新約聖書の手紙類。今日からは「コリント人(コリントの信徒)への第二の手紙」(以下「2コリ」)です。
 しかし、2コリは内容や文体から判断して、実は複数の書簡が複雑に編集されたものだという、きわめて説得力に満ちた学説があります。岩波から出ている新約聖書では、その説にしたがって順番が入れ替えられているほどです。それは次のとおりです。
  序=二コリ1:1-2
  A=二コリ2:14- 二コリ3 二コリ4 二コリ5 二コリ6 二コリ7:1-4
  B=二コリ10 二コリ11 二コリ12 二コリ13
  C=二コリ1:3- 二コリ2:1-13 二コリ7:5-
  D=二コリ8
  E=二コリ9
 一応ここでは、現行の順番で読んで行きますが、たえず上記のことを念頭において、いまA~Eのうちのどれか、Cみたいに分断されているものは、以前はどういう話だったか、などを明らかにしたいと思います。
 本来一つじゃなかった手紙が一つの手紙であるかのように偽装されているんで、どういうときに書かれたかなどという背景は、それぞれの部分を読んで推測するしかありません。

 まず二コリ1:1-2は、最終的に2コリを編集した人が「全体の序文」としてつけたもので、本来はそれぞれの部分にこの手の序文がついていたものと思われます。

 そして二コリ1:3- 二コリ2:1-13は「Cの前半」になります。
 パウロさんたちはずいぶんひどい迫害にあってるみたいで、そんな中でマケドニヤ行きに出発します。懸命に生きている姿がうかんできて、これはなかなか感動的です。ちょうど今みたいにたいへんな災害のあとに読むと、慰められるところです。
 なお、二コリ2:4でパウロが「多くの涙をもってあなたがたに書きおくった」という手紙が、Bであるとされています。

 それから二コリ2:14-以降、しばらくはAになります。口語訳ではいきなり「しかるに」なんていうので始まりますが無視してください。順接だか逆接だかなんだかよくわからず意味不明につかわれる「δε」(デ)をそう訳してるだけです。私なんかよく「で、」とギリシア語の発音そのままに訳したりします。
 こっちは突然にキリストを「かおり」として表現したかと思うと、「文字なんかどうでもいい。律法なんかどうでもいい。大事なのは霊なんだ」と言ってます。これだけではなんだかよくわからないので来週の分を読んで考えましょう。

●1マカ15章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=15&mode=0
 前章でペルシア(メデア)につかまっちゃったデモトリオの子のアンテオコスが、シモンと和睦をしつつ、勢力を回復します。するとアンテオコスはてのひらを返したようにユダヤを攻撃しはじめます。

[592] 報道管制? 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/09(土) 20:44:59 ここから閲覧

 昨日の「5時に夢中!」のゲストのフリージャーナリストの岩上安身さんが、これから官邸で重大発表があるって言ってたんですけど、どうなったのかしら?
 そういえば今日は、いままであれだけいろいろ言ってた福島第一原発の事故のようすがちっとも報道されてない気がするんですけど、ひょっとして報道管制?
 あ、こんなこと書いたら「デマを流すネットのサイト」ってことでお上から削除されちゃうかしら?

 いままでずっと私は「自粛反対」「自粛を自粛しましょう」って言ってましたけど、最近やっとマスコミもそういうようになりましたね。
 じゃ次は「無意味な節電反対」を言いましょうかしら。
 節水だったら、ともかく水を使わないことに意味があるんですけど、節電のほうは、電気の需要が下がる深夜なんかに節電してもまるっきり無意味だと思うんですけど。
 電気って風と同じ。「今日の風は強いから袋にためとこう」って袋にためて、翌朝袋をあけたらびゅうっと風が出てきて涼しいなんてことはないわけです。電気はためておけないんで、ピーク時にパンクしないように注意すれば、ふだんはそう節電しなくたっていいと思うんですけど。
 節電があまりに行き過ぎて、夜道が暗くなったりコンビニが閉店したりして深夜に女の子が安心して歩けなくなったとか、エスカレーターがとまって足の悪い方が困っていらっしゃるとか、近隣から白い目で見られていたスナックが「節電だ。夜まで営業するな」と節電を理由に営業の妨害をされるとか、いろんな話があるんですけどね。だいたいテレビが節電を呼びかけてるのがおかしいわ。テレビ局なんて絶対に節電しませんしね。深夜番組だってやってるじゃない! あ、深夜番組反対ってことじゃないですわよ。深夜は節電しなくていいんですから。

[591] 予定説は用法・用量を守って正しく服用を 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/09(土) 20:21:52 ここから閲覧

 いろいろ書きましたが、まとめると、私はマコ14:21

たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう。

を、次のように解釈しているのです。

 おいらが十字架にかかって死ぬのはさ、旧約聖書に書いてあるとおりなんだが、考えてみたらユダくんはかわいそうだよな。だって、おいらを裏切って、史上最大の裏切り者ってことでみんなからののしられる大悪人になることが、決まってたってわけだからさ。かわいそうに。ユダくんはこれを知ったら嘆くだろうね。「おれは最初から救われない裏切り者として創造されてたってわけか。そんな。生まれてこなけりゃよかったよ」ってさ。

 イエス様が「あいつ、おれを裏切るなんて、生まれてこなけりゃよかったぜ。ったく!」のように、自分にとってよくなかったという意味で言ったんなら、イエス様とも思えないひどいせりふってことになりますが、上のように考えれば、至極当然ですよね。
 「生まれてこなけりゃよかった」って、絶望感をあらわす定型句みたいなもんですよ。ヨブ3:3以降の「わたしの生れた日は滅びうせよ……」っていうのと同じでしょ?
 だから実は、岡野さんがこの部分を、イエス様の理不尽な言動の例として出しているのは、私は反対です。至極当然のせりふなんです。
 でも、私思いますに、ユダくんは裏切ることで自分の役目をまっとうしたわけですから、いまごろは「いやぁご苦労さま。あのときは大変だったねぇ。首つって痛かったか? まぁこっちは手にクギを打ち込まれて痛いのなんのだったんだから、かんべんしてくれよ」とかイエス様に言われながら、一緒に酒でも飲んでるんじゃないかって思うんですけど、やっぱりユダさんって救われないほうなのかしら?

 こんなふうに、すべての出来事があらかじめ神に予定されていたと考えるのを「予定説」と言います。特に、最後の審判で神様に救われる人と、救われない人とは、本人が知らないだけであらかじめ天地創造の昔にもう決まっていると考えるのが、カルヴァンの予定説です。
 神様が全知全能だとすれば、この説は至極当然、きわめて論理的に導き出せますよね。
 ところがこうなると、「じゃ、あの津波で多くの人が犠牲になったのも予定されてたのか。死んだ人はみんな罪びとだったのか」なんていう話になるので、困ってしまうわけです。

 長くなるので結論だけ書きますけど、私は、神様の救いを確信できる、希望のもてる文脈・場面だけで予定説を唱えればいいと思ってます。
 たとえば今回の災害で多くの人がお亡くなりになったのはたいへんにいたましいことですけど、つらい復興の中で人々が連帯するようになったとか、人のあたたかさを感じて希望が持てたとかいうときには「やっぱり神様っているんだわ」「これも神様の試練だったんだわ」と素直に思えるでしょう。それで希望が持てるでしょう。
 そういうふうに、希望を持つためにだけ予定説を持ち出せばいいんです。

 いま木曜日に読んでるヨブ記も、ヨブは最後の最後で救われます。ハッピーエンドで終わります。でも「じゃ第1章あたりで死んじゃったヨブの家族や召使たちはどうなるんだ。彼らには救いがないじゃないか」なんていうことを詮索しないことです。
 それと同様に、災害でおなくなりになった人がどうだったということを詮索せず、生き残った私たちが希望を持てたときに、「この災害は神様の試練だった」と思えばいいじゃないですか。

[590] マルコ13-14章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/09(土) 10:19:56 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=13&mode=0
 13章は神殿崩壊の予言。14章は最後の晩餐です。
 この話自体はもうマタイで読んだので、今回は両章に共通して出てくるある言葉に着目してみましょう。その箇所をとりあえず口語訳であげておきます。

マコ13:17 その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。
マコ14:21 しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう。

 上の「その日」というのは、イエス様は単に神殿崩壊のことしか想定していなかったかもしれませんが、一般には世界の終わり、最後の審判のときということになってます。体が不自由だったり誰かを介護しなければならない立場の人は、災害時には逃げ遅れちゃいますから。このご時勢、しゃれにならないわ。
 下は、最後の晩餐のときにイスカリオテのユダ(以下単にユダ)が裏切ると予言したところで、いくらなんでも「生まれなかったほうがよかった」はあんまりだ、と、[547]でご紹介した、私が強い影響を受けた本、岡野昌雄さんの『イエスはなぜわがままなのか』
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/404867188X.html
に、イエス様の理不尽な言動の例としてとりあげられています。
 これについては改めて考えますけど、そのためにはここを正確に読まねばなりませんので、今回はギリシア語を持ち出してみましょう。

 「不幸である」「わざわいである」と訳されているのは、原文では ουαι (ウーアイ。アクセントつきいギリシア語が文字化けする環境が多いのでアクセントなしでいきます)っていう語で、本来は「うーん。わーい。げげっ。げろげろ」みたいな間投詞なんですが、その直後に与格・対格・呼格の語が来ると、「~を思うと私の胸は張り裂ける」という意味になるんです。田川建三先生は『新約聖書 訳と註 1』の中で、前者を「~にとっては禍いがある、という客観的事実」、後者を「わざわいあれ、という呪い」と説明していますが、『新約聖書ギリシャ語小辞典』の織田昭先生は、わざわざ「禍あれ」ではない、と説明しています。田川ファンの私もここは織田先生の説明をとります。前者は「~はかわいそうにねぇ」、後者はそれでもいいし、「~はむかつくんだよな」でもいいし、ともかく胸が張り裂ければいいんです。

 いずれにせよイエス様は、ユダのことで胸が張り裂けそうになってます。そして「生まれなかったほうがよかった」なんて言ってます。
 ただ気をつけなきゃいけないのは、ここで「よかった」って言ってるのは、イエス様にとってではなく、ユダにとってです。イエス様にとってであれば、個人的な恨み、呪いのようにとれますので、イエス様とも思えないひどい話ってことになりますが、彼のために(アフトー。「アフトス」(彼)の与格)とありますから、ちょっと様相が変わってきます。

 長くなりそうなんでまた改めて。

[589] エレミヤ22-26章、1マカ14章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/08(金) 12:03:52 ここから閲覧

●エレミヤ22-26章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jer&chapter=22&mode=0
 預言の部分はどうせ読んでもわからないので(笑)全部とばして、預言じゃないところだけ読んでみましょう。
 エレ24:1。バビロンの王ネブカデレザルっていうのは一般にはネブカドネザルって言われることが多いですね。ドがデになってるのは口語訳聖書や文語訳聖書のクセですけど、ネ/レっていうのはどうしたことでしょう。これ、同じ聖書の中での不統一なんですよ。検索してくれればわかりますが、レになってるのはエレミヤの21-46章だけで、他は列王記や歴代誌やエズラ記なんかでも、いや、それどころか同じエレミヤでもエレ27:6はネなんで、困ったものですわ。まあどっちもありだと思ってください。ちなみに本来のアッカド語ではナブー・クドゥリ・ウスルなんだそうで、そうするとレのほうがいいのかしらね。以下はネブちゃんと書きます(笑)。
 ネブちゃんはユダ王国をほろぼしちゃった王ですけど、一回で滅ぼしたわけじゃなく、何度も攻めてるんですね。
 今回のエホヤキム(ヨヤキム)っていうのが最後から3番目の王様で、この人はエジプトのネコという名前のファラオに擁立された人なんで親エジプト・反バビロニヤ。バビロニヤから攻められちゃっていったんは服属するんですが、反乱をおこして死んでしまいます。殺されたんだか他の理由で死んだのかはよくわかりません。そしてその子のエホヤキン(ヨヤキン)が即位したんですが、3ヶ月後にまたネブちゃんに攻められて降伏。バビロンにつれていかれます。
 これが第一回のバビロン捕囚(紀元前597年)。次は十年後、これで完全にユダ王国は滅んじゃいます。
 名前の不統一といえば、捕囚されちゃったエホヤキン(ヨヤキン)。まず、お父さんとは最後のム/ンの違いしかありません。これだけでもまぎらわしいのに、この人の名前が不統一なんですね。まず、エレ24:1では「エコニヤ(エコンヤ)」でしょ? それからエレ22:24じゃ「コニヤ(コンヤ)」でしょ? これが全部同一人物だっていうんですから、わけがわからなくなります。
 で、25-26章って、バビロンに連れていかれた最後から2番目の王エホヤキン(ヨヤキン)じゃなくて、よーく目をこらしてみると、エホヤキム(ヨヤキム)。ンじゃなくムですよ。最後から3番目の王様、つまり時代が1代前になっちゃってるんです。
 ただでさえ内容がわかりにくいのに、これじゃぜんぜんわからないわ。困ったものね。
 26章でエレミヤが預言してると祭司や他の預言者からにらまれて死刑にされかかります。なんだかイエス様の受難の情景に似てますね。ただし民衆から支持されたんで助かります。

 預言の部分はどーせ読まなくても「お前ら悪いことばかりやってるから滅びるぞ」に決まってるんですけど、考えてみれば、預言がわかりにくい理由って、そもそも私たちが警告を受け入れる耳を持たないからじゃないかしら。「原発は危ないぞ」って何度言われても、スリーマイル、チェルノブイリ、東海村……こんなに事故が起こっても、他人事だと思ってたんですものね。
 ちょっと、あまりに長くなるんで、この話は別の機会にまわしますわ。

●1マカ14章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=14&mode=0
 最初の3節で、デメトリオ王がメデヤに捕らえられちゃう話がありますが、この話は次章には続くものの、この章ではとりあえずここで終わってしまい、次に続きません(A)。
 前章でヨナタンが死んでシモンがあとをついだ話がありましたが、そのシモンをたたえる詩が載ったあと(B)、スパルタから友好条約の更新の手紙がきます(C)。
 シモンはまたローマとも同盟を結びます(D)。
 民はシモンをたたえる碑を作ります(E)。
 なんだかごちゃごちゃしてますよね。編集がなってませんね。私だったら、C-D-E-B-Aみたいな順序にしますのに。みなさんもそういう順番で読んでください。

[588] ケセン語の山浦先生は無事みたい 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/07(木) 22:01:07 ここから閲覧

 ふと思い立って、Yahooの安否情報で
http://japan.person-finder.appspot.com/query?role=seek
ケセン語の山浦玄嗣先生のお名前を入れてみたところ、ちゃんと生きておられるみたいですね。
 あんまり野次馬でぜんぜん関係ない方のお名前を探すのはあんまりいいことではないかもしれませんが、山浦先生のお住まいの大船渡はかなり激しく被災したようですからね。
 本当にご無事でしたらなによりです。

 ケセン語っていうのは山浦先生の造語で、大船渡の方言のことです。山浦先生がケセン語で4福音書を翻訳して、CDつきの本として出版しています。
マタイ http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4901602020.html
マルコ http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4901602047.html
ルカ http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4901602063.html
ヨハネ http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4901602071.html
 これは実は本の画像を修道会モードでアップしてありますけど、ぜひCDをお聴きになることをおすすめします。だいたいわかります。山浦先生は演劇もやってるみたいで、迫真の朗読ですから。
 目下のところ4福音書だけでおしまいなんでしょうけど、ぜひ他の新約の本や旧約もやってくれるとうれしいわ。さしあたり使徒、創世記あたりはぜひお願いしたいです。

[587] Re[2]:ヨブ記33-34章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/07(木) 21:47:52 ここから閲覧

 どうもいらっしゃいませ。私たち夫婦以外の最初の書き込みですね。こういうところにはたぶんみんなこわがって誰も書きこまないと思っておりました(笑)。
 私の話の続きは来週、ヨブ記35-36章のところで書きます。
 それから申し訳ありませんが「神義論」です。議じゃないです。辞書登録してくださると便利です。

 なお、この「真理子の聖書日記」は、そのままmixiの私の日記にもなっています。ですんで私のマイミクさんたちには「新着の更新情報」という形でタイトルが流れていきますが、
・私以外の方が書きこんだもの
・私のコメント(Re:とかRe[2]:とかいうタイトルのもの)
は、流れていきません。もちろん日記をたどっていけば読めるようになっています。

[586] Re:ヨブ記33-34章 投稿者=福井啓介 掲示日=2011/04/07(木) 20:27:24 ここから閲覧

まだ洗礼も受けていない新米修道士です。大好きなヨブ記も大団円を迎えるには、やはり38章以下を待たないといけないようですね。コメントを期待しています。

「神議論」という言葉は初めて聞きました。「もし神様が善なる愛の神であり、この世のすべてのことは神の計画だというなら、どうして悪があるのか。どうして、何も悪いことをしていない人が、神様を信じている人が、こんなむごたらしい目に合わなくちゃいけないのか、本当に神様っているのか? もしくは神様は善なる愛の神なのか?」っていう理屈はシェンキェーヴィチの「クォ・ワディス」でローマの審美学者ペテロニウスが落ちた罠にそっくりですね。いつまでたってもサタンの用意してる誘惑の罠なのかな~。でもすぐ後で「たしかにそういうふうに理性で考えたら」って書いてるじゃないですか。天のお父様(神でも主でも、呼び方はどうでもいいけど)を「人間の枠」に押し込めようとするのはよくないと思います。「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(ヨハネ1:1)「私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」(ヤコブ3:2)神はとことん身をやつして、人間の世界まで下りてきて、不完全きわまりない「言葉」なるものを操って私たちに聖書という戒めの口承をお与えになりました。それだけでも感謝だと思います。また、この世に悪がはびこる責任を神に押し付けるのもよくないと思います。神は全く正しい霊なる存在です。人間も最初は神に似せて聖い霊として造られたのです。だから「人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった」(創世記2:25)。ところが蛇の誘惑に惑わされた二人は、コロッと罪を犯してしまうのです。そして「主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつもわるいことだけに傾くのをご覧になっ」(創世記6:5)て、「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜や空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」(創世記6:7)東日本大地震や原発の被害に遭われている方々には申し訳ないことですが、この太古の世界が、神の前にへりくだることを忘れた「ヒューマニズム」思想のはびこる現代社会と重なって見えませんか?「悪」があるのは「人間の罪」の責任だと思います。そしてそれは私の罪でもあるのです…。

えらく長くなっちゃいました。新米のくせに分をわきまえてませんね。また書きます。神の恵みと平安が、日本の、世界の皆様の上にありますよう、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

[585] ヨブ記33-34章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/07(木) 10:41:33 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=libj&book=job&chapter=33&mode=0
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=libj&book=job&chapter=34&mode=0
 例によって口語訳聖書じゃなくリビングバイブルです。本来は修道会IDでログインをしないと出てこないんですが、直接URLのパラメータで指定すると一般でもアクセスできます。そのかわり前章、次章というボタンが誤動作すると思いますので、それぞれの章について直接上のリンクをクリックしてください。

 不毛な議論を締めくくるべく、真打登場と思われたエリフですが、こうやってしゃべり始めてみると、なんか今までの議論とほとんど変わりないですよね。神様は絶対に正しいんだからヨブのように「おれは絶対に正しい」と言い張るのは間違いだというわけですからね。「どこが悪かったのかわかりません。改めますので教えてください」と言いなさいってわけです。

 本当はこのことはヨブ記の最後に書こうかと思ってたんですが、地震のあと、一部ネットでは神義論がやかましいんで、神義論に対する私の考えを書いておこうかしら。
 神義論っていうのは、もし神様が善なる愛の神であり、この世のすべてのことは神の計画だというなら、どうして悪があるのか。どうして、何も悪いことをしていない人が、神様を信じている人が、こんなむごたらしい目に合わなくちゃいけないのか、本当に神様っているのか? もしくは神様は善なる愛の神なのか? という論議です。
 たしかにそういうふうに理性で考えたら、神様っていないか、気まぐれなお方か、全知全能ではないかでしょうね。
 私やだんなの家族が信じ、私は(たぶんだんなも)イヤでやめてしまった創価学会は、最近はどう考えてるのか知りませんけど、信仰は現証だなんていいますから、正しい信仰をすればいいことがあるし、逆に不幸に見舞われたのならその信仰は間違いだという考えをします。だから、信仰をしたおかげでこんなに幸せになりましたという「体験発表」を重視するんですよね。キリスト教でいえば「あかし」です。
 でも、信仰を持ったのに不幸に見舞われることは、よくあることなんじゃないかしら。「うちの宗教は、そんじょそこらの低級なご利益宗教じゃない」っていうなら、そのことを認めなきゃね。
 長くなってきたので続きは来週のヨブ記のところで書きますが、とりあえず予告をしておくと、信仰っていうのは「信ずればいいことがある」んじゃなくて、「悪いことが起こったときに頼れるもの」なんじゃないかと思います。罪のない人が不幸になる現実を認めた上で、たとえそういうことがあっても信仰があればへこたれないっていうのが、信仰の効用じゃないかしら。じゃ続きはまたこんどね。

[584] 詩編48-50編、1マカ13章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/06(水) 12:27:10 ここから閲覧

●詩編48-50編
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=48&mode=0
 詩編の詩の冒頭にはたいてい表題(私は和歌みたいに「詞書(ことばがき)」って呼んでますけど)がついてます。41編まではみんな「ダビデの歌」。一応ダビデ王が作ったことになってます。
 ところが42編から49編までは「コラの子の歌」、50編は「アサフの歌」というわけで、ダビデの歌じゃないですね。51編からはまたしばらくダビデの歌になるんですけど。
 コラはレビ族、つまり祭司に従事した一族ですが、民数記でモーセに反逆をくわだて、地にのみこまれて死ぬというすごい死に方をします(民6:10)が、その子孫は罰せられず、後には神殿の門番に従事する一族となります。
 アサフもレビ族で、ダビデの時代に音楽隊に任命されます(代上15:17)。

 48-50編の中では50編が交読文にとられていますが、私は無常観をただよわせた49編が好きです。この世で栄えている人もみんな死ぬ。お墓にお金を持って行けない。いい人も悪い人もみんな死ぬんだけど、最後には神様は私を陰府(死者たちが最後の審判まで一時的にいる場所)から救ってくださる、という希望をうたっています。

●1マカ13章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=13&mode=0
 前章でトルポンはヨナタンを殺しちゃったのかと思ったら、まだ生きていたみたいですね。ヨナタンの兄弟のシモンに、「助けてやるから金とヨナタンの息子を人質によこせ」と言ってきます。こんどもまたこちらをだましているのだと知りながら、仕方なくその要求に応じます。案の定トルポンは約束を守らず、ヨナタンを殺してしまいます。トルポンは、それまでいただいていたアンテオコス王を殺して自分が王位についてしまいます。
 一方、ユダヤの側はシモンが代表となり、ヨナタンの墓を作ります。そしてトルポンと対立しているデメトリオ王側、およびエルサレム要塞の者たちと和議を結び、平和が訪れます。

[583] サムエル記下1-4章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/05(火) 10:14:53 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2sa&chapter=1&mode=0
 今回からサムエル記は下になります。サウル王の死のところで上と下が分かれていますが、それは意図的なものではなくたまたまなんでしょう。実際のところは分量的にこのあたりでわかれてるんだと思います。
 サウル王が死んですんなりダビデが王になるのかと思ったら、実際にはサウルの子のイシボセテ(イシュ・ボシェト)が王位についており、7年半両者が並立するんです。サウルとダビデとは血のつながりなんかありませんから、二つの王朝が並立しているといえます。ダビデはイスラエルの南部のヘブロンを本拠地とします。ダビデの出生地のベツレヘムよりちょっと南ですね。ですからちょうど南北2王朝があるという感じです。
 この後、ダビデ・ソロモンと統一王朝が続いた後、イスラエルは南北に分かれます。南北に分かれるのが好きですね。まあ、縦長の土地ですから東西には分かれにくいでしょうけど。違いといえば、エルサレムがどっちに属するかくらいです。このときはサウルつまり北側に、後の南北分裂では南側に属します。
 国境線というのはそのときどきの政治の力学で変わるようでいて、しぶとい国境線、根深い国境線ってあるんですね。たとえばローマは、ガリア(フランス)は征服しましたが、ドイツは征服できませんでした。そしてその境界が、宗教改革後に、カトリックとプロテスタントの勢力圏として見事に復活します。
 ローマ当初のローマとギリシア世界との境界線は、後にローマ帝国が東西に分裂するときの境界線でもあり、そのままカトリックとギリシア正教会との境界になり、20世紀末のユーゴの内戦で一番激しい対立をするクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの境界ともほぼ一致します。
 モーセはエジプト人だったという説をとなえたフロイトによれば、エジプトからやってきた人々がそのままイスラエルの民になったわけではなく、カナン地方の民とまじりあったんだそうで、ヤハウェという神様も、もともとのカナン地方の神に、モーセの信ずる一神教アトン神の性格が加わったんだそうな。そして、エジプト渡来派と地元派とは一見しっかりまざりあったようで、実は何かあるとすぐに先祖の記憶がよみがえって分裂するのであり、早い話が、北王朝は地元派で、南王朝はエジプト渡来派なんだそうです。ひょっとしたらサウルとダビデもそういうことなのかもしれません。

 サム下1:19-27の「弓の歌」は有名で、たしかイザヤ・ベンダサンが『日本人とユダヤ人』の最後で紹介していましたね。
 死にきれずにいたサウルを「介錯」したアマレク人、イシボセテを裏切って殺した部下を、ダビデは容赦なく殺します。後者はともかく前者はちょっとかわいそうですね。サウルに頼まれてとどめをさしたんですから。

[582] 出エジプト記13-16章、1マカ12章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/04(月) 10:53:13 ここから閲覧

●出エジプト記13-16章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=exo&chapter=13&mode=0
 出エジプト記最大のヤマ場、いえ、旧約聖書最大のヤマ場かもしれませんね。エジプト脱出行をはじめたイスラエルの民の後をエジプト軍が追いかけてきた。すると海が割れてイスラエルの民は無事に脱出行を続けることができ、海が元に戻ってエジプト軍を飲み込んでしまうという話です。
 でもこの奇跡は脱出行のほんの序章でしかありません。水がない、食べ物がないと民がぶつぶつ不平をもらすたび、モーセは奇跡を起こして解決します。
 ちなみに、イエス様の名せりふ「人はパンのみにて生くるにあらず」というのは、今では「食べ物だけでなく精神的なものも大事」という意味で通用してますけど、本来はこの出エジプトのエピソードをふまえてる話で、「困ったことがあったら神様は天からマナを降らせてでも人を助けてくださる」という意味なんですね。「稼ぐに追いつく貧乏なし」みたいな意味なんです。
 それにしても、マナをとっておいちゃダメとか、安息日にはとっちゃダメとかいうモーセの教えを、必ずやぶる人が出てくるんですね。いまのご時勢、買いだめするなといっても必ず買いだめする人が出てくるっていう話を連想しちゃいますわ。
 いま、私の住む地域では、ミネラルウォーター、牛乳、たまご、ティッシュ、単3電池、単4電池は、品薄気味でもやっと手に入るようになりましたね。でもまだまだダメなのが、単1電池、単2電池、それから納豆。まあ、うちはだんなも私も納豆がキライなんで別にいいですけどね。

●1マカ12章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=12&mode=0
 ヨナタンはローマとの友好条約を更新します。
 でも、ローマ帝国の全盛期を知ってる私たちは、もうこれで安泰と思っちゃいますけど、この時代のローマって成長期で、カルタゴを滅ぼしてスペインを手に入れたけど、ギリシアのほうは現在征服中ってところなんですよね。ユダヤの地から見るとまだまだ遠い国なんで、いざという時にもあてにならないんですよね。
 さて、セレウコス朝シリアのほうのおさらいをしますと、デメトリオ王とアンテオコス&トルポンの2派があったんですよね。
 ヨナタンはまずデメトリオ王の側と戦いますが、焚き火をしたまま逃げるというデメトリオ王の軍の作戦にだまされてしまいます。
 いっぽう、トルポンのほうはヨナタンと和睦を提案するんですが、これがまたワナでして、うかうかと信じて首都プトレマイスにわずかの手勢のみで入ってしまったヨナタンは、一網打尽でやられてしまいます。ついでながら、12章でヨナタンがもう死んじゃったみたいな書き方をしてますけど、ヨナタン自身はまだ生きていることが、次の13章を読むとわかります。なんだかまぎらわしいですけど、情報の混乱ぶりをそのまま表現したのかもしれません。

[581] 金山神社のかなまら祭 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/03(日) 22:09:21 ここから閲覧

 [573]でご紹介した金山神社に行ってきました。男性器のおみこしは自粛にせよ、かなまら祭そのものはちゃんとやってました。狭い境内は人でいっぱい。しかも若いカップルが多かったです。
 男性器の形をしたお守りとかないかしらと思っていったら、案の定いっぱい。お守りはむろんのこと、キーホルダーやらチョロQやら徳利やらいろいろあったので、エロおばさんの真理子はうれしくなっていろいろ買い込んできました。飴まで売ってて、男性器の飴を若い女の子たちが何の屈託もなくぺろぺろとなめながら、大根をけずって男性器の形を作る神事を見てる。
 そういう光景がぜんぜんイヤらしくないんですね。むしろ健康的。
 ユダヤ教-キリスト教-イスラム教が性を隠す宗教だとすれば、その対極がここにありました。こういうおおらかな性文化って、日本が世界に誇っていいんじゃないかしら。
 ところで、境内で売ってた飴って、すごく固くて、なめてもなめてもちょっとやそっとじゃなくならないんですよね。だんなは女性器の形の飴を、私は男性器の形の飴をなめながら神事を見てまして、この境内の中ではぜんぜんイヤらしくないんですけど、境内を出て駅にむかい、電車に乗ろうという時になってもちっとも減ってない。さすがにこれを電車にもちこんだらひんしゅくだろうと思うので、ビニール袋に入れて持ち帰り、いま自宅で続きをなめてます。

[580] 1コリ15-16章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/03(日) 11:09:14 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1co&chapter=15&mode=0
 すばらしい話と大バカ説教が交互に押し寄せてきた1コリもこれで最後。前回の最後が「女は黙ってろ」という大バカ説教でしたから、今回はたぶんすばらしい説教なのでしょう。
 ずばり。クリスチャンの基本です。キリストは本当に復活したんです。これがウソだというならクリスチャンをやっていられません。キリストが復活したのですから、私たちも永遠の生命を受けて復活できるんです。
 しかし、貧相・貧乳・貧尻(ひんけつと読んでね)に生まれた私は、復活しても貧相・貧乳・貧尻なのかしら。復活のあかつきにもう少しは色っぽく生まれたいなと思うんですけどね。
 まあ、私のそういう悩みはどうでもいいんですけど、これって切実ですよ。重い病気、重い障害を背負って生活している人が、永遠にそういう悩みを背負い続けるってことになれば、永遠の生ってちっともありがたくないですよね。
 一コリ15:53によれば、復活後の生というのは、今とは違う状態のようなんで、このへんは大丈夫らしいんですけど、いまいちぴんとこないわ。

 実をいうと、世界中のクリスチャンが希望をもっている復活・永遠の生っていうのを、私はいまだにありがたく思えないんです。だって永遠ですよ。上に書いたように、仮に五体満足な美女に生まれ変わり、すてきな男性とエッチのしほうだいという楽しい生活ができたとしても、そんなのすぐに飽きることでしょう。世界じゅうの本も読んだ。行きたいところにはすべて行った。見たい映画もお芝居もみんな見た。もうやることは何もなくなった。それでも死ねずに、退屈な生が永遠に続くなんてぞっとします。こんなの、天国という名の地獄です。
 何度もいうように、天国と地獄って実は同じところなんですよ。そこを天国と思える人には天国、地獄だと思ったらそこは地獄なんです。私はたとえ天国に行ったとしても、そこを天国と思えないでしょうから、救われてないんでしょうね。
 むしろ私は、7~80年生きたらそこでいったん死というリセットを迎えて、また次の生をスタートできるという、日本人の素朴な考え方に共感します。
 ちなみにこれは仏教の考え方とも違います。仏教ではこういう輪廻転生を苦ととらえ、もうこれっきりにしたいと考えます。それが解脱です。
 ともあれ、何度も死に何度も生きることに希望を見出してきた私は、ずつとキリスト教の死生観に違和感を覚えてきたんですけど、実はキリスト教の死生観といっても決して一枚岩ではありません。ここに書かれたパウロの考え方はあくまで一例です。当時の人たちはこの考え方で希望を持てたんでしょう。でも「私のお墓の前で泣かないでください」という例の詩が、キリスト教国であるアメリカで生まれたことからもわかるように、クリスチャンたちの死生観も実はさまざまなんです。
 要は、自分が希望を持てる死生観を持つことです。パウロが説く「最後の審判→復活」は、ホントはその先はさらに死・生・死・生…があるんだけど、とりあえず「今回死んだ後に次の生があるよ」ということだけ考えておきなさい、ととれば、私の納得できる死生観と矛盾しませんからね。

[579] 統一地方選 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/02(土) 14:56:09 ここから閲覧

 選挙戦が始まりました。アンチ創価のうちは公明党候補はまず除外いたしますが、いったい誰に投票しようかしら。
 とりあえず今回の基準は「地震の話ばっかりする人には投票しない」でいきます。そりゃ、被災者への救援も大事なんですけど、今回は知事・県会・市会なんだから、まずは私たち地元民の暮らしを考えてもらわなくちゃ。自粛と停電で生活が危機を迎えている人は多いはず。これじゃ私たちも被災者です。まあ二次災害というところでしょうか。しかも、東北の被災者には少しは支援もあるんでしょうけど、もし私たちの生活が成りたたなくなっても、誰からも1円も助けてもらいそうにないですから。
 東京近郊でも浦安の被害はひどいのに、浦安が「選挙どころじゃない」って叫びをあげたら、同じ千葉県からも理解がもらえないなんて。被災したのは東北だけじゃないのよ。
 今回は東北以外でも長野県北部でも被害がひどいのに、みんな東北東北で、長野を忘れてる。
 まして、横浜の私たちの生活の苦しみなんて誰もかまってくれない。
 だからせめて県会・市会の候補には、地震の話ばっかりしてほしくないです。

[578] マルコ11-12章、1マカ11章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/02(土) 14:46:30 ここから閲覧

●マルコ11-12章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=11&mode=0
 いよいよイエス様ご一行は受難の地エルサレムに入場します。
 いろいろな事件が起きますが、ほとんどはもうマタイで読みましたね。
 11章でいちじくの木を呪った話は、イエス様にあるまじき目を疑うようなエピソードなので、聖書の記述をそのまま信じちゃう方々も、ここはさすがに何かの比喩ととるようですね。でも、聖書の記述をそのまま信じない私は、逆にこういうところこそ、ホントにあったのだと信じちゃいます。詳しくは
http://www.babelbible.net/mariko/opi.cgi?doc=fig&course=preach
をお読みください。
 また、11章には、イエス様が神殿内で暴れまくる記述があります。これって現代のクリスチャンは、「信仰の場である神殿内で商売をやってるやつらがけしからん」って思うのかもしれませんけど、この時代は手ぶらでのお祈りはダメで、レビ記にあるようなささげものを持ってかなきゃいけない。それから皇帝の肖像が刻まれた貨幣は偶像崇拝になるので神殿内専用通貨に両替するんです。だからこういう商売人や両替商は絶対に必要なんで、イエス様の乱暴は不条理でしかありません。
 ついでながら12章には「皇帝に税金を納めるのはいいことか」というひっかけ質問に、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」と答えて切り抜けた有名な問答がありますが、これって神殿内持ち込み禁止のはずの皇帝の肖像が刻まれたデナリオン銀貨なんていうものを出しちゃった時点で、質問者の負けなんです。イエス様はたぶん「やーいひっかかったひっかかった」と言ったことでしょう。
 あと、いろいろ書きたいことはありますがあと一つだけ。マコ12:35-37の、メシアがダビデの子であるはずがないという話。
 イエス様のこのお話は、イエス様がベツレヘムで生まれたダビデの子孫だというのがウソだという証拠といえるでしょうね。ホントはナザレ出身で、ダビデとは何のゆかりもないんですよ。ご自分はメシアですけどダビデの子孫ではないんで、だからこういう話をしたんでしょうね。家系なんかどうでもいいんです。
 でも「メシアはダビデの子孫のはずだ」という強い信仰があったので、だからマタイ(1章)やルカ(3章)は系図を載せ、ナザレ出身のイエスをベツレヘム(=ダビデの生地)で生ませるために「人口調査で本籍地にもどったんだ」みたいなトリッキーなエピソードを入れて偽装工作をしたんです。
 でも結局イエス様は神様の子で、エッチによらずにマリア様から生まれたんだから、あんな系図はぜんぜん関係ないはずなんですけどね。

●1マカ11章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=11&mode=0
 セレウコス朝シリアのアレキサンドルとデメトリオの内戦はまだ続いてます。前章ではいったんアレキサンドルが勝ちましたが、エジプト王がシリアをも手中におさめたくて、こんどは死んだデメトリオの子のデメトリオ(!)と組みます。そしてデメトリオが即位してアレキサンドルは死ぬ。デメトリオはヨナタンとも和睦して、しばらくは平和が続きます。
 しかし、デメトリオは軍隊を解散しちゃったんで、失業した軍人は不満たらたら。そういう軍人たちをアレキサンドルの部下のトルポンがうまくまとめ、アレキサンドルの息子のアンテオコスをかつぎだして、こんどはデメトリオを打ち負かしてしまいます。これ以来トルポンはユダヤの敵役として、ヨナタンらと戦いが続きます。

[577] アメリカの福音派レポート 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/01(金) 21:29:49 ここから閲覧

 今日のTBS『小島慶子 キラ☆キラ』で、毎週金曜日にアメリカの映画を紹介している町山智浩さんがアメリカの福音派ってこんなにすごいという話をしていました。何でも日テレで4月下旬に福音派の特番をやるらしく、そのための取材だったとか。ポッドキャストで聞けますのでぜひお聞きくださいませ。福音派のテーマパークの話とか、すごいですよ。
http://podcast.tbsradio.jp/kirakira/files/20110401_machiyama_pate.mp3
キラ☆キラのトップページはこちら http://www.tbsradio.jp/kirakira/index.html

 ところで今日は小島慶子さんがTOKYO-MXの『5時に夢中!』に出演してました。非番だっただんながこれを見てて、「目をつぶって聞いてると本当に真理ちゃんがしゃべってるみたいだ」と言われましたわ。そんなにしゃべり方が似てるのかしら。「しゃべり方だけじゃない。顔こそ違え、ニコニコ笑いながらしゃべっているのになんかヘンな冗談を言うとぶん殴られそうな感じが漂っているところもそっくり」なんだそうです。

[576] エレミヤ17-21章 投稿者=真理子 掲示日=2011/04/01(金) 12:28:41 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jer&chapter=17&mode=0
 預言書ってどれもこれもワンパターン。神様からの警告ばっかりですからね。
 わかりにくい表現。一読してもぜんぜん頭に残らない。しかもおどろおどろしいことが延々と書き連ねられてる。クリスチャンの中には「旧約聖書ってこわい」って思ってる人が多いですけど、それは預言書のイメージが大きいんじゃないかしら。
 そういう預言書を読むひとつのコツは、神様の言葉じゃない部分を中心に読むことです。
 今回の範囲でいえば20章と21章が、神様の言葉じゃない部分を含んでいます。
 20章でエレミヤは神殿の祭司長パシュルにつかまって迫害されてしまいます。
 その一方で21章では、ゼデキヤ王から頼りにされて、この国がどうなっちゃうのか神様の言葉をおしえてほしいと言われています。
 ゼデキヤ王っていうのはユダ王国、つまり南北に分裂した王国のうち、北は130年くらい前に滅んでますから、残った南王国の最後の王様です。国はバビロンのネブカデネザルの前に滅亡寸前です。
 一国が滅びようとしているときに人々がどういうパニックに陥るか、そういう話を中心に読むと、なんだかよくわからないエレミヤ書も面白く読めるんじゃないかしら。

 とばした18章の、陶器職人の話は、いろんなところで出て来ますね。「人間は神様によって作られたものだというのは、陶器が陶器職人によって作られたようなものだ」という比喩はちょこちょこと用いられます。イザヤ書にも何回か出てきましたし、馬鹿パウロもロマ書9章でそんなことを言ってましたよね。
 ばべるばいぶるで「陶」を検索してみるといいですよ。聖書全体を検索してもそんなに出て来ませんから。

[575] 大本営発表 投稿者=真理子 掲示日=2011/03/31(木) 21:34:32 ここから閲覧

 戦争中の大本営発表って国民はどんな感じで聞いていたんだろう? 冷静に考えてみれば日本の敗色濃厚なのは誰にもわかったはずだし、実際、当時の新聞を見ても、ちゃんと戦況の悪化は報道されていたとは思うんですけど、それでも陛下の玉音放送までは日本の勝利を信じて疑わなかったっていう人が多かったって、どういうことなんだろう?
 で、このところの原発のニュース、枝野さんの会見を見て、ああ、こんな感じだったのかなって思ってます。
 冷静に考えてみれば、原発が政府と東電の発表以上に、誰にも手をつけられない、とんでもないひどい状況になっているんだろうなって、誰にもわかるし、とんでもない破局が待ち構えているんだろうなということは、うすうすみんなわかってきてるとは思うんだけど、それでも「大丈夫、大丈夫」という言葉にすがって、みんな安心しようとしている。こんな感じだったのね。そのうち玉音放送があるのかしら。あ、もう陛下のお言葉の放送はありましたけどね。

 私は原発の可否については今まで考えを保留してきましたけど、やっぱり原発っていうのは、人間の制御が無理なものなのかしらね。
 アンチ創価の私たち夫婦が創価学会系出版社の潮出版社のサイトを紹介するのも気がひけるんですけど、『日出る処の天子』などでおなじみのマンガ家・山岸涼子さんが昔描いた反原発マンガ『パエトーン』が無料公開されてますんで、ぜひお読みください。
http://www.usio.co.jp/html/paetone/index.html
 10ページ目で、四頭の馬を制御できなくなって、ただおろおろするしかないパエトーン少年の姿って、まさに今の政府と東電の姿じゃない! さすが山岸涼子さんね、将来をお見通しだわ。

 大学時代にソ連が崩壊した私には、左だの右だの、保守だの革新だのっていう構図はまるきり無意味なんですけど、10歳年上のだんなのころはそういうのがハッキリしていて、だんなは学生時代からばりばりの保守。で、原発に関しては革新=反対、保守=推進という構図だったらしく、だからだんなも原発は賛成だったんですけど、もう保守も革新もないわよ。保守なのに原発反対、いや、保守だからこそ原発反対っていう次の中島岳志さんの文でも読めばいいわ。
http://www.magazine9.jp/hacham/110330/

 まあ私たち夫婦は、もう金山神社の男性器におすがりしても子宝にめぐまれそうにない、あとがない、いつ死んでもおかしくない、じじいばばあだから、世界はどうなってもいいですけど、世の中がだんだんヨハネ黙示録みたいな様相になってきて、いったいどうなるのかしらね。