[ばべるばいぶる]

真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[491] エステル記・ギリシア語第1章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/11(金) 22:46:44 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=esg&chapter=1&mode=0
 エステル記は、エステルという美しい女性がイスラエルの民の危機を救う話で、ユディト書と雰囲気がとても似ています。
 この話にちなんで、ユダヤ教ではプリム祭というのをアダル月の14-15日にやります。アダル月って第12月で、復活祭がニサン月=第1月ですから、その前の月、だいたい春分前後ですね。
 読んだところ歴史ものという気がしますが、実際にこんな事件があったわけではありません。まるっきりの大ウソです。そのせいか、プリム祭の日はユダヤ教版のエイプリルフールになっていて、新聞やテレビ・ラジオで「イスラエル軍がローマを占領した」みたいな冗談ニュースを報じたこともあるようです。

 で、エステル記のあとの「・ギリシア語」っていうのは何かといいますと、この場合のギリシア語とは、ギリシア語訳旧約聖書、通称「七十人訳聖書」のことです。伝説ではプトレマイオス朝エジプトの王、プトレマイオス2世(在位前283-247)のために、イスラエル12部族から6人ずつ訳者が出て計72人で訳したことになっていますが、実際にはもっと長い期間をかけて成立したものです。だから72人訳聖書なんですけど、ギリシア語やラテン語をやった方はおわかりのとおり、72っていう数字は「2と70」っていう表現になり、しかも「と」が省略できないので、猛烈に長いタイトルになっちゃう。だから2人ひっこんでもらって70人訳っていうタイトルになったのでしょう。
 この聖書は在外ユダヤ人のため、そして外国人へのユダヤ人・ユダヤ教・ユダヤ文化・ユダヤ歴史の紹介のために、当時の国際語であるギリシア語に翻訳されたもので、翻訳でありながら原典なみの権威をもったものとなりました。原始キリスト教団で読まれたのもこれです。むしろ、ヘブライ語聖書って、キリスト教が成立してからそれに対抗してユダヤ教側が整備したようなところがあるほどです。
 七十人訳はヘブライ語の旧約聖書と比べると、本も多い(いわゆる旧約聖書続編ですね)し、本文もかなり異なります。その中には、訳のときに勝手に付け加えちゃったのもあるかもしれませんが、古くにさかのぼるような異本に基づいていると思われる部分もあります。
 必ずしも旧約聖書って、ヘブライ語がもとで、ギリシア語があととは言えないんですよね。
 だからよく「旧約聖書、新約聖書というのはキリスト教側の立場に基づくものだから、ヘブライ語聖書、ギリシア語聖書と呼ぼう」なんていう、わかったような説を言う人がいますよね。Wikipediaもそうみたい。こういうバカ説を言う人は、七十人訳の重要性を理解していないんですね。
 そもそも「聖書」っていう書名自体が、キリスト教側の言い方なんですから(ユダヤ教じゃ、「律法・預言者・その他の書」って呼ぶのよ)、旧約・新約でいいんですよ。

 で、エステル記・ギリシア語は、ヘブライ語版エステル記にくらべて、6箇所ほど付け加わった部分があります。それ以外は基本的にヘブライ語版エステル記のまんまです。
 新共同訳では、付加部分をABCDEFというアルファベットの章名にして、その他を数字の章名にしています。これはゲッチンゲン版の七十人訳聖書の流儀です。
 実は七十人訳聖書って、印刷テキストが数種類あるんです。最新のはゲッチンゲン版といって、まだ全部出ていません。新共同訳のエステル記・ギリシア語は、このゲッチンゲン版を底本にしているようです。
 いま一番入手しやすい七十人訳は、ドイツ聖書協会から出ているもので、通称ラールフス版と言います。フランシスコ会訳のエステル書(記じゃありません)はこれを底本にしています。
 で、この二つの章・節番号に互換性がないんですね。
 さらには、当ばべるばいぶるが採用している章・節番号は、WEB(The World English Bible)というWEB上にフリーで公開された英語訳のものですけど、これがまた違うという混乱状況になってます。
 そんなわけでかなりややこしい事態になっていますが、とりあえずはばべるばいぶるの流儀=WEBの流儀にしたがって読み進めていってください。

[490] イザヤ書45-50章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/11(金) 10:40:29 ここから閲覧

 今日はエステル記・ギリシア語も読むことになっていますが、書くことが多いので(これから[488]のコンサートいえいえ黙想会に行きますので、帰ってからにしますね)、とりあえずイザヤ書のほうだけ。
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=45&mode=0
 45章のクロス(キュロス)って、前章から出てきましたけど、アケメネス朝ペルシアの王様キュロス2世(在位は前559-前530)で、新バビロニアをほろぼしてユダヤ人たちをバビロン捕囚から解放する人です。
 そういう話が48章まで続きます。ってことは例によって事後予言ですね。実際にそういう歴史の流れを知っている人が、前もって予言されていたみたいな書き方で書く。たとえば1989年の「ベルリンの壁崩壊」を知っている人が、わざと、1980年ごろに書かれた著作みたいなふりで書くようなものです。だから、どこのどなたか存じませんが、ここを書いてる第二イザヤさんは、この時代の人ってことですね。
 そして49章からが有名な苦難の僕の話。イエス様のことを予言したとされる部分です。メインは来週の53章ですけど、49章から始まりますのでしっかり読んでおきましょう。

[489] ヨブ記17-18章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/10(木) 10:58:22 ここから閲覧

 例によって口語訳も新共同訳も新改訳も、ヨブと友人たちのいいあいの緊迫感をぜんぜん伝えていません。ぜひリビングバイブルで読んでください。
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=libj&book=job&chapter=17&mode=0

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=libj&book=job&chapter=18&mode=0

 「みんな、頼むから帰ってくれ」とか「気でも狂れた(しれたって読むのかしら)のか」とか、面白いですよ。
 いまちまたでは、東川篤哉『謎解きはディナーのあとで』
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/409386280X.html
がはやっているようで、私もつい買って読んでしまいました。話の内容はたいしたことがなく、一度読んだら読み返す気にはなりません(推理小説だから読み返すものじゃないんでしょうけど)けど、お嬢様刑事と彼女に仕える毒舌執事のかけあいがとっても面白いです。やっぱり文学は内容だけじゃなく表現も大事よ。

[488] テネブレの祈り 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/10(木) 10:15:20 ここから閲覧

 突然ですけど、明日の15-18時、聖心女子大学の大聖堂で、スペインのルネサンスの大作曲家ビクトリアの「聖週間の政務日課」を実際の典礼形式で歌う黙想会があります。無料です。
 以前、ヴォーカル・アンサンブル・カペラという、ルネサンスのミサ曲を実際の典礼形式で歌う合唱団の話をしました。その主催者・花井哲郎さんが、フォンス・フローリスという古楽の勉強会を主催していて、その学生たちの発表会ということになっています。
http://fonsfloris.exblog.jp/15890068/
 私、ヴォーカル・アンサンブル・カペラの定期会員になってるし、先日もダイレクトメールが来たのに、こういうのを教えてくれず、別のルートで直前になって知って憤慨しておりますが、面白い機会なのでぜひ行ってみます。
 なお、会場で真理子らしい貧相・貧乳・貧尻(ひんけつ)の小太りオバサンを見かけたとしても絶対に声をかけないでくださいね。私も絶対にあいさつしませんから。これ、コンサートじゃなく黙想会ですから、沈黙のうちに来場、沈黙のうちに散会します。たぶん拍手も厳禁でしょう。
 ところで、花井哲郎さんが、4月からNHK-FM「バロックの森」(毎日朝6:00-6:55)の日曜日を担当するそうです。いま日曜日はリクエスト専門番組で、松川利香さんという女性が担当しているんですが、お話があんまり面白くないので、日曜日だけはあんまり聴いてませんでした。やっぱりバロック音楽は、音楽史のうんちくを傾けてくださるか、でなきゃ前任者の松田輝雄さんみたいに、音楽とまったく関係なく武蔵野の自然を語っていただけるか、どっちかにしてほしい。音楽をかけるだけじゃただの有線放送で、ラジオ番組はトークが重要ですからね。その点、花井哲郎さんの話はものすごく面白いので、絶対期待できますわ。
 なお、「バロックの森」は4月から「古楽の楽しみ」に改題するそうで、しかも土曜日は、ラジオ第一放送の「音楽の泉」(日曜朝8:05-8:55)の再放送にかわるそうです。

[487] 渡辺美樹が都知事選に? 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/09(水) 10:43:10 ここから閲覧

 ひさびさにイヤな話を聞いたわ。
 ワタミ会長の渡辺美樹が都知事選に出るんですって?
http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20110209-OYT1T00105.htm
 新聞のサイトの記事ってすぐリンク切れになっちゃうから全文転載しておくわ。
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 4月10日投開票の東京都知事選で、外食大手「ワタミ」会長を務める渡辺美樹氏(51)が出馬に向けて準備を進めていることが8日分かった。

 みんなの党関係者が接触し、具体的な支援のあり方などについて検討している。

 関係者によると、渡辺氏は都知事選出馬について、政党関係者以外にも複数の知人に相談をしている。

 渡辺氏はワタミ広報グループを通じ、「知事選に関する質問には一切答えられない」としている。

 渡辺氏は1986年に「ワタミ」を設立、居酒屋チェーンなどの外食産業を中心に幅広く事業を展開し、学校法人運営や介護事業、農業などの分野にも進出している。安倍首相(当時)の諮問機関である教育再生会議の委員や、日本相撲協会の組織改革を進める独立委員会の委員などを務め、公的な場での発言も多い。

(2011年2月9日01時38分 読売新聞)
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 この人、いろんなニュース番組のコメンテーターとしてよく出てくるけど、私もだんなも、この人の顔を見るとすぐにチャンネルを変えますもの。イケメンだけに気持ち悪い。
 この人、郁文館という経営のかたむいた学校をのっとって理事長になったんですけど、
http://www.ikubunkan.ed.jp/idea/index.html
そのときにどういう悪行三昧があったかを、私はだんなからいろいろ聞いてますからね。
 いえ、私は教育界には素人ですから、それらの悪行三昧を確かめるすべもないので、ここに書くのは控えますけど、常識的に考えて、20歳以上をお客さんとする居酒屋さんが、未成年者の学校教育にたずさわっちゃダメだと思うんですけど。
 それはちょうど、キャバクラとか風俗とかやってるところが、女子高を経営するようなものです。
 いえ、私は居酒屋だってキャバクラだって風俗だって、社会に必要な業種だと思ってますけど、中学や高校の経営にまで手を伸ばしちゃダメよ。世の中、やっていいことと悪いこととがあるのよ。

 ま、誰が都知事になろうと、神奈川県民の私たちには知ったことではないんですけど、

 それに、みんなの党がかかわってるっていうのが気持ち悪いわ。ここって典型的に「責任がないからいくらでもきれいごとがいえる」んで人気を集めてるところでしょ? こういうところが成長するとナチみたいになるのよ。
 うちの衆議院の選挙区はみんなの党の江田憲司ですけど、だんなのお母様の葬儀のとき、どこで調べてくるのか知らないけど、弔電をよこしてきたわ。みんなでシカトしましたけど。

[486] 詩編24-26編、ユディト記16章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/09(水) 07:06:36 ここから閲覧

詩編24-26編
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=psa&chapter=24&mode=0
 24編は日本基督教団の讃美歌の交読文7番に採用されています。献堂式といって、教会が完成したときの儀式なんかで読むらしいですけど、そういう場にでくわしたことのない私は実際にこれを読んだ覚えはありません。みなさん家を新築したりリフォームしたりしたときにお読みになってはいかがでしょうか。
 交読文って礼拝で牧師と会衆とがかけあいで読む文ですけど、だからって元からそうなってるわけではなく、普通の文をむりやりかけあいにして読んでます。でも24編は「栄光の主が入られる」「栄光の主とは誰か」みたいに、もとからかけあいになってますね。
 25編も私の好きな詩です。ものごとがうまくいかないときにここを読んでお祈りします。

ユディト記16章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=jdt&chapter=16&mode=0
 今日でユディト記はおわりです。
 お話の本体はおわっちゃったんだから、こういうエンディングはハリウッド映画のエンドロールのようにしつこいなって感じですけど、朗読で聴いてると意外にそうでもないです。こういう「いままでのおさらい」みたいな歌が最後にあると、気分が高揚するんですね。やっぱり聖書も口承文芸みたいな性格があるのね。音声で聴き、声に出して読むのが基本です。

[485] 士師記17-21章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/08(火) 10:43:08 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=jdg&chapter=17&mode=0
 よく、「旧約聖書はイスラエルに対する神様の救済史」なんて言いますけど、「救済されなかった歴史」でもあるんじゃないかっていうほど、陰惨な話が続くところがありますね。
 何度もリフレインされている「王がいないから人々は自分勝手なことをやっていた」というのが、後の時代からの総括ですけど、それにしてもひどい話が続きますわ。
 そのきわめつけが、ベニヤミン族滅亡寸前事件です。こうやって部族同士で陰惨な殺し合いをしてるんですからね。
 以前[434]で、「ベニヤミン族は弱小勢力ですから」なんて書きましたが、絶滅されかかったわけですから、さもありなん。
 でも、実はパウロってベニヤミンですし、初代の王サウルもそうですよね。次に読むエステル記のエステルもそう。けっこう有名人を出してる部族です。

[484] 創世記32-35章、ユディト記15章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/07(月) 10:54:00 ここから閲覧

●創世記32-35章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=gen&chapter=32&mode=0
 ヤコブはエサウのところに帰ります。復讐されるかとこわごわ近づきますが、エサウは意外にやさしくむかえてくれます。その後いろんな事件が起こり、二人の父イサク(まだ生きてたのね!)の死で、ヤコブ物語は終了します。
 さて、その「いろんな事件」のうち、34章はユディト記のからみで出てきました。レイプされてしまった妹の復讐をする話ですが、いくら何でもやりすぎだって感じですね。
 ヤコブの最愛の妻ラケルにもう一人子どもができ、ベニヤミンと名づけられます。英語だとベンジャミンで、もうこれで子どもはおしまいだろうという子によくつけられる名前です。
 これでヤコブの子12人がそろいました。
 ところで最後、創35:22に衝撃的なエピソードが書かれてますね。父の側室を寝取って不問に付されちゃうってまるで源氏物語じゃないですか。どうして不問に付されたのか、聖書に書かれていない裏事情を推測していると夜も眠れませんわ。

●ユディト記15章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=jdt&chapter=15&mode=0
 敗走するアッシリア軍にイスラエルはやりたい放題。でもこれってまだおとなしいほうなんですよ。次に読むエステル記なんか、復讐復讐また復讐ですからね。

[483] アンコ抜きピアニストになろう・3 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/06(日) 13:24:05 ここから閲覧

 いまNHK教育テレビの水曜日22:00-22:25でやってる「仲道郁代のピアノ初心者にも弾けるショパン」って、実は昨年8-10月にやったものの再放送なんですけど、3ヶ月してもう再放送をするってことは、これがいかに評判だったかってことですね。
http://www.nhk.or.jp/shumi/art/index.html
 やってることはもろにアンコ抜きです。ショパンの「プレリュードNo.15雨だれ」「ノクターンNo.2」「ポロネーズNo.3軍隊」「プレリュードNo.7太田胃散」を、猛烈に音符を抜いて、太田胃散以外はさわりだけにして、ハ長調に直してほとんど白鍵だけにして弾こうっていうものです。これならさすがにバイエル卒業程度で、つまりは私程度でも弾けるようになります。
 ただ、言わせてもらえば、もしチャレンジ精神があるなら、ハ長調に直すっていうのはやめたほうがいいと思います。無理をしてでももとの調性で弾いたほうがいいです。これだけでぐっとホンモノらしく聞こえますから。
 サザンの曲にある「C調言葉に御用心」のC調って、ハ長調という意味で、ハ長調はマッテゾン(バッハやヘンデルの時代の音楽理論家)の昔から「純朴、素朴、飾り気のない」ことをあらわす調性とされてきました。ちなみにWikipediaの「C調言葉に御用心」のところに書いてる解説(六本木をギロッポンというような逆順の業界用語で、調子いい→C調と解説してる)は思い切りウソです。Wikipediaには御用心。
 だからハ長調に直しちゃうと、原曲の表情が消えてみんな純朴な感じになっちゃう。そうすると、もろヘタクソ、手抜きみたいな感じに聞こえちゃうんですよね。原調で弾くだけで「あ、こいつできる」って思われますわよ。

 それに、白鍵ばかりだからラクかというと、そうじゃないんです。
 リストのラ・カンパネラ(フジ子ヘミングさんのおはこです)って、変ロ短調というフラットが5つもつく調で、半音さげりゃただのイ短調になっちゃうんですけど、あれは変ロ短調だからうまくひける曲なんですよ。高音のキンキンキンという鐘の音は、2オクターブ上のミのフラットめがけて、手裏剣シュッシュッシュッシュシュっと、右手を2オクターブくらい跳躍させて弾くというムズいわざを延々やるんですけど、あれはミのフラット、つまりカドっこの黒鍵だからうまくできるんで、もしあれがただのレだったら、プロでもミスタッチ連発でしょうね。
 最近、伊東信宏編『ピアノはいつピアノになったか?』(大阪大学出版会)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4872592344.html
を読んで、へぇって思ったんですけど、ショパンって初心者に教えるとき、ハ長調なんかじゃなくて、変ニ長調(フラット5つ)とかロ長調(シャープ5つ)からはじめたんだそうな。黒鍵が多いほうが弾きやすいって思ってたらしいです。これらの調は真ん中の長い指が黒鍵3本に相当するんで、手の大きな人だと弾きやすいんだそうな。
 実際、黒鍵ばかりだと日本的な五音音階になります。たとえば笑点のテーマ曲は、右手だけだったら全部黒鍵で弾けますけど(左手はどういう和声をつけるかによります)、これを採譜したら嬰ヘ長調(シャープ6つ)ですからね。楽譜はおどろおどろしいけど、実際は簡単にひけちゃうんです。
 いまはアンコ抜きで弾くとしても、だんだんアンコを抜かずに楽譜どおりに弾くことを目指すという意味でも、調性だけは変えないでがんばったほうがいいと思います。
 「電子ピアノならキーを変えるボタンついてるだろ? ハ長調でひいて変ニ長調に聞かせることなんか簡単じゃん?」ですって? そりゃそうですけど、じゃその「ハ長調に直した楽譜」って誰が作るんです? 変ニ長調の楽譜をハ長調に直して弾くのって、けっこう頭つかうんですよ。プロだったら、瞬時に移調して弾く訓練をするみたいですけどね。もとの楽譜を見て、適当に音符抜かして弾いたほうがラクじゃありませんか?
 最初に、どの音が黒鍵になるかをつかむ意味で、音階を何度も弾いてカンをつかんでから、原調でひくほうがラクですわよ。

[482] ロマ書15-16章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/06(日) 12:15:16 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=rom&chapter=15&mode=0
 立春以来、つまりこのページの背景がピンクになって以来、暦どおりに暖かくなってきましたね。客観的な気温はあんまり変わらないんですが、寒さはやわらいだ感じ。今まではミニスカでの外出なんてとても無理だったんですけど、もう大丈夫なんで、女子高生に負けずにミニスカ・ナマ足で外出するようになりました。
 さて、パウロの代表的な著作・ロマ書もこれでおしまいです。
 15章の最初はパウロにしてはいい言葉ですね。「強くない人の弱さをになう」っていうのは、自称聖職者の私には耳が痛いんですけど、心にとめておかねばならない言葉だと思っております。
 前章で出てきたタブーの否定の話。「××しろ」という戒律は、それをやめりゃいいだけですから簡単に否定できるんですけど、「××するな」っていう戒律の否定は、それをする勇気がともなうんで難しい。鯨を食べる私たちは、反捕鯨国の人たちの強硬な反対を見ると頭にきますし、「一度鯨を食べてみりゃいいじゃん」って思いますけど、犬、イナゴ、カエル、ネズミだったら、いくら「食べてもいいよ」って言われても気がひけますからね。あ、私は犬とカエルはOKですけど。
 そういうタブーを持ってる人に「さあ食べなさい」っていうのは、その人の弱さをになっていないんじゃないか。いくら、そんなタブーは無意味だからって否定しても、むりやり食べさせることはなく、そっとしてあげるのもやさしさなのかなって思います。
 同じことがセックスのタブーにもいえるかしら。私は子どものころから、性のタブーは女をしばりつける有害なものであり、性にタブーを持つこと自体が最大のタブーと思いながら育ったので、まるっきりあっけらかんとしておりますし、最近は岩井志麻子さんなみに下ネタを連発しているかもしれませんけど、こういう考えをひとに押し付けるのは暴力かもね、と思うようになりました。慎ましやかに生きたい方はどうぞご自由に、というところです。でも何か相談されたら「そんなの自由にすればいいのよ」って答えちゃいますけどね。

[481] アンコ抜きピアニストになろう・2 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/06(日) 03:12:53 ここから閲覧

 西洋音楽の大きな特徴は楽譜を流通の媒体としたところです。邦楽を含めて世界の音楽は楽譜がそもそもないとか、あっても単なる備忘録でしかないのが普通で、人から人へと口と手とで直接伝えられるのが原則。これに対してクラシックは、その曲を一度も聴いたことがない人でも楽譜さえあれば再現できるまでに記譜法が進化(楽譜に書かれた情報だけで音が再現できる)し普遍化(どの国でも楽譜の読み方が同じ)し一般化(楽士だけじゃなく一般人も楽譜が読める)しました。
 なにしろ学校で楽譜の読み方を教えますからね。世界の音楽はたいてい娯楽だし楽士は特殊技能をもち多くは差別された階級だから、そんな人たちのやるものを学校で教えるなんて発想ないですから。樋口一葉の『たけくらべ』の冒頭みたいに、学校で音楽を教えようとしても生徒は遊郭の歌を覚えてて「ぎっちょんちょん…」っていうのが普通でしょうからね。
 これ、プロテスタントのせいですよ。プロテスタントじゃみんなに歌をうたわせますからね。歌がうたえなきゃ礼拝ができない。楽譜の読み方を知らないと讃美歌の本が読めない。だから楽譜の読み方を学校で教えるんです。

 こんなふうに楽譜を大事にする西洋音楽では、楽譜どおりに弾かないといけないような気になっちゃいますけど、本来音楽は演奏してなんぼなんで、楽譜どおりに弾けなきゃ弾けるように変えちゃえばいいんです。
 実はプロだってやってるんですよ。
 楽譜どおりに弾けない曲ってあるんですよ。

 たとえばベートホーフェン(ベートーヴェン)のピアノソナタ第21番『ヴァルトシュタイン』の最後のほうに出てくるオクターブ重音のグリッサンドをピアニッシモでやる(右図)っていうのは、実は単に白鍵上で手を滑らせるだけなんで、当時のピアノでは苦もなくできたらしいんですけど、現在のピアノでは鍵盤が固いので不可能。CDを聞いてるとみんなごまかして弾いてます。重音をやめるか、両手で弾くとか(左手は和音1つですからダンパーペダルを併用すればいける)。
 バッハのゴールドベルク変奏曲は2段鍵盤用なんで、1段鍵盤でやると両手の指がからまって演奏不能な箇所がいくつもあり、みんなごまかしてます。グールドも例外ではありません。
 ピアノの例じゃないですけど、ハープって半音をペダルで出すんですよ。ペダルをひくとすべての弦が半音あがっちゃうんで、演奏不能なパッセージがいろいろある。ところが作曲者はそんなの無頓着で作曲するから、オーケストラ曲のハープパートには、このとおりにひけないっていうのがいっぱいあるんだそうです。どこのオーケストラでも、「ここはこうやってごまかす」っていうのが伝統的に受け継がれてるんだそうです。
 そんなわけで楽譜どおりに弾けなきゃごまかして弾けばいいんで、それはプロだってやってるってことですね。

[480] マタイ20-22章、ユディト記14章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/05(土) 14:00:45 ここから閲覧

●マタイ20-22章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=mat&chapter=20&mode=0
 20章の「一日働いた人も一時間しか働かなかった人も同じ5000円」というの、いつも申し上げておりますように、天国ってグリーン車も普通車もないので、こういう発想になるんですね。「あ、あの悪人が天国に来てる。どうして? 私はもっといっぱいいいことをしたんだから、イエス様のおそばにいく権利があるわ」みたいに思う人にとって、天国ってとってもフラストレーションがたまるところで、そこは地獄と変わりないわけです。20章21節のゼベタイの子のお母さんは、たぶん天国に行けそうにないわね。いや、天国には行けるかもしれないけど、そこはこのおばちゃんにとっては地獄よ。
 そして21章後半から22章にかけてのイエス様のたとえ話を読むと、天国ってありがたそうなところじゃないみたいですね。たとえば22章最初の婚礼の宴会。王様がさあみんないらっしゃいと招いても、誰も行きたがらないし、普段着で行っちゃう人もいる。天国ってそういうところだっていうんでしょ?
 秦剛平先生が、カルチャーセンターの授業で、ヨーロッパの画家たちの描いた天国や地獄の絵をいっぱい見せて、「ところでみなさん、こういう絵を見て、天国に行きたいですか? 地獄に行きたいですか?」と質問すると、みんな圧倒的に地獄に行きたいって答えるそうです。そのくらい天国ってつまらなそうなところってことですよね。ああ、こんなふうに思う私は絶対に救われてないわね。

●ユディト記14章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=jdt&chapter=14&mode=0
 ユディトはアキオルを呼んで、この首が本当にホロフェルネスのものか、実検させます。一方アッシリアの軍営では、総大将が殺されたことに気づき、動揺が走ります。

[479] アンコ抜きピアニストになろう・1 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/04(金) 10:13:21 ここから閲覧

 アソコじゃありませんのよ、アンコ。びっくりしました? いくら真理子がエロおばさんでも、いきなり下ネタで始めたりはしませんのよ。ピアノねたの続きでございます。

 アンコ抜きというのは、背が低くてバイクにまたがっても足がつかない人が、シートのスポンジを削って足つきをよくすることです。
 学生時代につきあっていた彼氏がライダーで、そのときは「一緒に練習しよう、免許とろう」なんて甘言に乗せられたので、実はバイク免許持ってるんです。しかも大型まで。なぜか私のほうが先に免許取れちゃったのが彼氏のしゃくにさわり、ギクシャクして別れちゃいましたけど。私はミニスカ派なんでそれ以来ぜんぜん乗ってないわ。でも最近は500ccのスクーターってあるらしいからミニスカでも乗れそう。いま大型二輪も教習所で取れるし、しかもオートマ限定ってあるんですって? 世の中変わりましたわね。
 バイクの免許をとろうっていう女の子は少ないですから、自然と女の子どうし群れちゃうもので、いろいろ情報交換しましたね。その一つがアンコ抜き。私は当時も今も女にしては大柄で165センチくらいですが、それでも足つきはつらかった。ましておおかたの女の子にとって、バイクのシートはとても高いので、これをやらないと足がぜんぜんつかない子が多く、いろいろ抜き方を情報交換したものです。

 そんなことはともかく……

 ピアノを買って以来、いろいろ楽譜を手に入れて弾いています。たとえばドビュッシーの『月の光』とか、『亜麻色の髪の処女』とか、ショパンの前奏曲7番(太田胃散のCMの曲です)とか、ジャズの好きなだんなのためにビル・エヴァンスのWaltz for Debbyとか。
 「けっこううまいんだ」とだんなはほめてくれるんですけど、実は全部アンコ抜きです。
 つまり、楽譜に書いてある音を全部弾いたんじゃとても弾けないから、和音の一番上だけ弾くとか、速いパッセージの音を適当に抜かすとか。
 これが、アンコ抜き。
 だって音符って黒いダンゴで、アンコに似てるじゃないですか。

 こんなふうにズルをしていい加減にピアノを弾いちゃおうという話のシリーズです。
 長くなるので続きはまた書きます。

[478] イザヤ書40-44章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/04(金) 09:46:21 ここから閲覧

 今日は立春、今日から春ですので、背景も桜をイメージした春色にかわっております。

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=isa&chapter=40&mode=0
 イザヤ書はここから55章まで第二イザヤになります。40-55という数字を覚えておくと便利です。そうすればこれより前が第一イザヤ、これより後が第三イザヤってわかるじゃないですか。
 聖書の各書はたとえ単一の著者の著作のような体裁になっていても、実際には多数の人の手が入って編集されたものです。福音書のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネだって、マタイ・グループの著作、マルコ・グループの著作……のように解釈すべきです。
 預言書ってわけのわからないことをおどろおどろしい表現で書いてることが多いんでどうとでも解釈できるところがあり、なかなか複数の著作の集合であることが見破れないものですが、それでもイザヤ書は、ルターの昔から著者複数説が提唱されてきました。
 だって、まるきり時代が違うんですもの。
 以前書いたように、イスラエルの歴史は、「統一王朝が前922年に分裂(国(92)は二(2)つに分裂と覚えます)し、北はちょうど200年後の前722年にアッシリアによって滅ぼされ、南は前587年(だから言わな(587)いこっちゃない、って覚えます)に新バビロニアによって滅ぼされてバビロン捕囚、60年後にアケメネス朝ペルシアによって解放される」というところだけでもしっかり覚えましょう。年代は異説があるので「世界史の参考書と違うぞ」ってことがあるかもしれませんが、こう覚えるのがラクです。
 第一イザヤは北滅亡直後。前回出てきたヒゼキヤ王がそのときの南の王で、南もやばいぞとか、アッシリアもそのうち滅びるぞとかいう話がありましたよね。
 ところが第二イザヤになると、もう南も滅んで捕囚されているらしく、この苦難もやがては終わるから希望を持て、みたいな話になっちゃってます。
 これだけ時代が違うとさすがに誰でも気づくので、だから昔から、イザヤ書著者複数説が唱えられてきており、現在では最低3人というのが定説(聖書無謬説を信じる福音派を除く)、第三イザヤはさらにこまごま分かれるというのが説まであります。
 さて、第二イザヤは今ちょっと書いたように、慰めの預言者。冒頭の「慰めよ、わが民を慰めよ」っていうのがまさに象徴的ですね。イザヤ書っておどろおどろしいってイメージありますけど、第二イザヤは美しい表現が多く、苦労の多い人の心にしみこんでくる箇所が多いです。
 イザ40:3-4は洗礼者ヨハネの出現を予言したところとされています。ヘンデルのメサイアの最初のほうにこれのアリアがありますね。

[477] ヨブ記15-16章、ユディト記13章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/03(木) 10:58:23 ここから閲覧

●ヨブ記15-16章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=job&chapter=15&mode=0
 ここから議論の第二ラウンドです。とはいっても、第一ラウンドと第二ラウンドの違いはたいしてありません。宗教的原理主義の立場から「お前が何か悪いことをやったんじゃないか」とヨブを責める友人たちにヨブが反論するという話が続きます。
 ただしヨブは神に絶望しきっているかというとそうではなく、ヨブ16:19みたいに、本当に自分を理解してくれる証人である神様が天にいる、という信頼をもちつづけています。

●ユディト記13章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=jdt&chapter=13&mode=0
 ユディトが本懐を遂げて、アッシリアの軍営を無事に抜け出した後(12章でぐちゃぐちゃヘンなものが出てきたのは無事に脱出するための伏線だったんですね)、ベトゥリアに戻ります。
 ところで最近の聖書には編集者がつけたタイトルがついてます。もちろんそんなものは元はないわけですけど、こういうタイトルもちゃんと配慮してつけてほしいですよね。ユディ13:1-10につけられた新共同訳のタイトルは、なんと「ユディト、ホロフェルネスの首を取る」ですよ。ずっと新共同訳の朗読MP3を聞いてて、さあいよいよヤマ場だってときにこれはないでしょう。こういうネタばらしは絶対に禁物です。あなた、映画館でこんなのを彼女の耳元でつぶやいたら破局間違いナシですよ。

[476] 楽譜の話 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/02(水) 10:22:21 ここから閲覧

 何でもネットですませられる世の中、楽譜だってさぞかしネットにいっぱいころがっているだろう。特に最近は昔の本が全部スキャンされてPDFでダウンロードできる。クラシックは作曲者が死んで50年以上たっていることが多いからたいてい無料で楽譜が手に入るだろう。
 ……と思いきや、そうはいきません。
 楽譜って著作権の厳しい分野なんです。
 いえ、著作権法には楽譜を特別扱いした条文はありません。なんでしたら著作権法の全文は
http://www.cric.or.jp/db/article/a1.html
にありますけど、「楽譜」を検索しても附則の一箇所がヒットするだけでしょ?
 法律が厳しいんじゃなく、業界が厳しいんですね。
 楽譜出版社が「版面権」という得体のしれない権利を主張してるからなんです。オリジナルの読みにくい自筆譜をキレイに整形(浄書)するというのは、単純な複写ではなく著作性のある再構成だ、という理屈です。
 このせいで未来永劫、いつまでたっても著作権が切れません。まったくうまい手を考えたものですわ。版面権。まったくあこぎな話ですわ。小説だったら、きれいなフォントを使って印刷し直したとか、仮名遣いを直したとか、ルビをふって読みやすくしたとかだけで、以後50年間は著作権が発生するようなものです。しかも権利は作者にではなく出版社に発生する。なんかヘンな話ですよね。
 ヘンな話ではあっても、世の中「長いものには巻かれろ」なんで、楽譜だけはコピーの条件を厳しくしている図書館って多いです。都立中央図書館なんかそうですね。

 それでも外国には、楽譜をアップしているサイトがあったりします。それらへのリンク集として役立つのが
http://www16.ocn.ne.jp/~chomlin/
ですけど、ここ数年は更新をしてないみたいで、けっこうリンク切れが多いです。リンクされてるサイトはロシアのものが多いですけど、ロシアも最近著作権事情が厳しくなったんでしょうか。
 とりあえずこういうところでチェックをかけて、それでも入手できないものだけ買ってくるってことにしないと、楽譜って高いですから大変です。
 ところが最近はCDショップや楽器店がどんどん少なくなっているから、楽譜の品揃えのいい店が激減。全音も音友もだんだんネットでの通販に移行している感じです。ヤマハなんか1曲単位で楽譜をダウンロードする「ぷりんと楽譜」なんていうのをやってる。
http://www.print-gakufu.com/
世の中だんだんこういう方向にいくのかしら。

 版面権を肯定する意見の中には、楽譜の版の作成は特殊技術でたいへんだから、なんてことを書いてる人がいますけど、著作権っていうのはたいへんな労力に対して発生するんじゃなく、「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法第2条1項)に対して発生するものなので、たとえば私が聖書を全部入力したとしても、そのことだけだったら著作権なんか発生しないのです。一生懸命入力して構築したデータベースに著作権を主張してる人がいますけど、データそのものは客観的なもので、創作的なものじゃないわけですから、そんなの無法な主張です。
 だいたい、昔の曲を単に印刷楽譜の版にしただけで創作的っていうのがおかしいわ。創作なんかしてないじゃない。
 それに、楽譜の版ってだんだん作るのがラクになってきました。パソコンには楽譜作成ソフトがいろいろあります。一番安くて優れたものは、GNUソフトのLilypond。GNUだから無料です。
http://lilypond.org/web/
から入手できます。使い方はたとえば
http://homepage2.nifty.com/sampodo/korikutu/lilypond.html
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/oishi/lilypond.html
を見てください。ちょうどTeXみたいに、ひたすらコマンドをうちこんでそれを楽譜に変換するっていうものですね。MacみたいなGUI、WYSIWYGの対極の発想。だから慣れるのに時間がかかりますけど、ヘタな商用ソフトよりはるかに多機能です。UTF-8なので歌詞はどんな言語・文字でもOKです。
 こういうのを使えば、音符データを打ち込む苦労さえすれば楽譜ができちゃうんで、みんなでこれ使ってフリーの楽譜をどんどんネットに公開するっていう方向にならないかしら。外国ではそういう動きがあって、Wikipediaで昔の音楽家を調べると、こんなふうに作った楽譜がリンクされてたりします。日本ではまだLilypondを使ってる人は少なくて情報が少なく、試行錯誤しながら使ってます。

 真理子日曜学校の宗教音楽コーナーではこれをメインに使っていこうと思うんですけど、困ったのは、Lilypondが作るMIDIって、ときどき(けっこう)音の長さがおかしくなったりするので、いまいち信用できないところです。
 以前は、音データを打ち込んでMIDIを作るには、Museというソフトを使ってたんですが(今でも使ってます)
http://homepage3.nifty.com/~atomic/muse/muse.htm
こちらには楽譜作成の機能はないのと、MIDIに埋め込める歌詞がシフトJISだけで、UTF-8がダメなんで、日本語と英語しか使えない。アクセント記号があるともうダメっていうのが難点です。作者の加藤一郎さんに、UTF-8に対応したものを作りませんかってメールしたら、そういう要望は多いんだけど技術的にそこまでいたっていないんだそうな。
 できあがったMIDIを楽譜形式に直すソフトは別にあるんですけど、解析を誤ることが多くて、それだったらLilypondを使ったほうがいい。
 結局、楽譜はLilypond、MIDIはMuseって併用していくのがいいみたいです。なんとかLilypondとMuseのソースのコンバータが作れると便利なんですけどね。

[475] 詩編21-23編 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/02(水) 01:33:59 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=psa&chapter=21&mode=0
 22編はとても有名な詩。なにしろイエス様が十字架の上で「わが神、わが神、どうしてわたしを見捨てなさったのですか」と叫んだ元歌ですから。これはマコ15:34マタ27:46に出て来ます。
 22編はこういう神様への恨みともとれる言葉で始まりますが、最後は神様への信頼で終わります。遠藤周作さんは、イエス様がこんな神様への恨みがましい言葉を叫ぶはずはなく、実はこれは22編全体を叫んだので、マルコやマタイはその最初だけを書いたにすぎないと書いていますが、それは考えすぎ。やっぱりイエス様は神様に見捨てられたと思ったのでああ叫んだのでしょう。
 田川建三先生は、遠藤周作にはさんざんお世話になったらしいのですが、それでも間違いは間違いだとして批判してます。田川先生らしいですね。

 わき道になりますが、遠藤周作さんは私に言わせれば非キリスト教作家です。いえ、だからいけないっていうんじゃなく、それが魅力だってことです。遠藤周作さんは自分の中にどうしてもキリスト教になじめないものを持っていて、それと終生格闘し続けたところが魅力だと思います。山本七平さんもそう。
 逆に中村うさぎさんは、言動はまるきり非キリスト教的のようにみえて、実は根本に非常にキリスト教的なものをもっているいうのが佐藤優さんの分析。これを読んだときはびっくりしましたけど、あらためてうさぎさんのエッセーとか、「5時に夢中!」での発言を聞いてると、そうかもしれないなって思うようになりました。

[474] 音の文化は退化したの? 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/01(火) 12:24:09 ここから閲覧

 電子ピアノの話の続きです。

 まずやったのは、マニュアルを探すこと。
 SX-PX222って調べたら1997年発売
http://www.musictrades.co.jp/products/97_4/1.htm
のテクニクスの項に載ってますね。195000円もしたものがいまや21000円なのね。
 14年前の製品だってだけでなく、いまやテクニクスブランドがなくなっちゃいましたんで、もうネットでマニュアルは手に入らないかと思いましたけど、
http://www.devicemanuals.com/
という、各社のマニュアルばっかり集めた米国のサイトにありました(-をつけずに入力したら出てきた)。英文ですけどね。そっか、海外輸出もされてたんだろうから米国のサイトもちゃんと探すべきでしたね。
 ピアノにマニュアルなんて必要かって思うかもしれませんが、電子ピアノは音色とか移調とかメトロノームとかいろんなボタンがついてるんで必要です。マニュアルを見たら、このボタンを長押しするとこの機能があるなんていうのがいっぱいあって、こういうのはマニュアルがなければ絶対にわかりませんから。

 次にやったのは、ヘッドホンを買うこと。
 ピアノ騒音殺人事件っていうのが1974年にありました。騒音に対する日本人の意識が大きく変わるキッカケになった事件です。私は3歳でしたからあんまりよく覚えてませんけど、「ピアノを習いたい」って言ったら(それが4歳のときだから、事件から1年しかたってない)親から「ご近所に迷惑をかけるからダメ」って言われましたもの。
 私の親はどこからか中古の電気式リードオルガン(念のためいうと、電気で音を出すんじゃなくて、電気でファンを回して送風して音を出すのよ)を買ってきましたが、これだったら減音できるからです。子どものころに見た初期の電子ピアノのコマーシャルで、「ヘッドホンがつけられるから安心して練習できる」っていうのをウリにしていたのがありましたから、いかにみんながこの事件をキッカケにピアノの騒音を気にするようになったかってことですよね。
 ただ、ピアノの騒音っていうのは音量だけじゃないですからね。客観的には小さな音であっても、なんどもつっかえつっかえするっていうのは、ものすごくいらいらしますから。集合住宅だと、完全に消音しても打鍵音が床をつたって階下や隣に響いて苦情になることだってあるほどですから。
 うちのだんなは今はニコニコしてますけど、そのうち刃物をもって私を襲うかもしれませんので、ヘッドホンは必須です。
 ジャックが懐かしきぶっとい標準プラグだったのと、パソコン用のヘッドホンはパソコン用としてつけておきたかったので、プラグアダプターとヘッドホンと延長コード(ヘッドホンのコードだけじゃ足りないもの)を買いに家電店に行くはめに。
 ただ、最近は本当に音文化って退化してるのね。オーディオのアクセサリ(こういうアダプターとか延長コード類)の品揃えが貧弱になっててびっくりしましたわ。

 次に、楽譜を買いに楽譜屋へ。
 でも最近、楽譜を売ってる店が少ないのよね。
 昔はどこにもレコード屋があって楽譜も売ってましたけど、最近はそもそもCDショップ自体が少ない。TSUTAYAはどこにでもあるのに。
 昔よく行った渋谷のヤマハに行こうとして、ちょっとイヤな予感がしてネットを調べたら、ヤマハ渋谷店って昨年末12月26日(って、たった1ヶ月前よ)に閉店したんですね。
 イヤな予感っていうのは、渋谷のヤマハに行こうか銀座のヤマハに行こうか迷って、「あれ、銀座のヤマハって改修で銀座1丁目に移転してたけど、元に戻ったのかしら」っていうのを調べようとしたら「あら、渋谷店のリンクがないわ」というので知りました。
 いやぁ、オーディオとか楽器の文化っていうのがどんどん退化してるわね。
 昔はみんな楽器ってやったでしょ? ピアノをやるかギターをやるか。今の子たちはあんまり楽器やらないようになっちゃったのかしらね。

[473] 士師記12-16章、ユディト記12章 投稿者=真理子 掲示日=2011/02/01(火) 10:46:15 ここから閲覧

●士師記12-16章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jdg&chapter=12&mode=0
 士師記最大のヤマ場、怪力サムソンの話です。通読表の区切りもちょうどいいですね。私、ラストの16章は涙なしには読めませんの。
 でもこの話のポイントは、そんな怪力も女の色香の前には無力ってことかしら。サムソンって結局女の色香に迷って秘密をしゃべっちゃう。16章もそうだけど、14章のなぞなぞだってそうですよね。平行して読んでるユディト記も、女の色香の前に身を滅ぼす指揮官の話ですよね。男性ってそんなものなのかしら。私は色香がないんで確かめられないんですけどね。

●ユディト記12章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jdt&chapter=12&mode=0
 自分用の食べ物を持ってきたり、お祈りに出かけたりと、ちょっと不思議な行動をするユディト。これはイスラエルの律法を守ってるっていうことなんですけど、実はみんな伏線になっています。伏線っていっても次章でみんな明らかになっちゃいますけどね。
 食事の問題ってけっこう重要で、原始キリスト教団も無割礼の者と食事をするかどうかでペテロvsパウロの分裂の危機を迎えますからね(ガラ2)。日本にだって「同じ釜の飯を食う」って言葉があるじゃないですか。一緒に食事をするっていうのは重要な宗教儀式なんですね。
 それから、昔は食事って寝転がって食べたんです。だから15節みたいな毛皮を敷かなきゃいけないし、手を洗うのはもちろん足を洗うのも重要になるんです。だって他人の泥だらけの足が目の前に来たりしますからね。イエス様の最後の晩餐だって、ダ・ビンチの絵みたいに座ってたんじゃなく、ホントはみんなで寝転がって食べてたんです。

[472] 創世記28-31章 投稿者=真理子 掲示日=2011/01/31(月) 05:05:24 ここから閲覧

 イスラエルの十二部族の由来の話です。ヤコブの十二人の息子の名前から来てます。
 この十二人(十二部族)を覚える歌を以前にもご紹介しましたが、しつこくまた紹介します。3番の部分はこれから先の話で、まだ出ておりません。

   ヤコブ(イスラエル)の息子の歌  鉄道唱歌のふしで

1.おブスなレアが生んだ子は
  レウベン、シメオン、レビにユダ
  ラケルはビルハを差し出して
  ダーンとナフタリ生みました

2.レアもジルバを差し出して
  ガードとアシェルを生ませたよ
  さらに自分もがんばって
  イサカル、ゼブルン、生みました

3.ラケルもとうとう子ができた
  その名はヨセフとベニヤミン
  ヨセフは売られてエジプトへ
  マナセとエフライム生みました

 1番に出てくるレウベンは、ルベンと表記されることも多いです。
 ダーン、ガードは、鉄道唱歌のふしで歌うと長くなってしまう部分で、本当はダン、ガドです。

 こういう覚え方っていうのは、そのまま歌などに詠み込む方法と、頭文字などを組み合わせて別の語を作っちゃう方法とあります。たとえば『旧約聖書に強くなる本』の浅見定雄さんは後者の愛用者みたいで、南(ユダ王国)と北(イスラエル王国)の王名や十二ヶ月の名前をこの方法で覚えさせてます。でも、苦労して作られてるのはわかるんですが、いまいち覚えにくいし、最初はそのまま覚えなきゃいけません。たとえば、バルト三国の名前は、北から順番にアイウエオ順になっていると覚えれば、どこがどこだっけというのがごっちゃにならずに便利ですけど、それでも最初にエストニア、ラトヴィア、リトアニアと覚えなきゃいけないってことです。
 この十二人の息子の覚え方は、私は最初「頭文字組み合わせ」で、「レシビユダナガアイゼヨベでなんかできないかしら」とかいろいろやってたんですけど、それだったらそのまま歌にしちゃったほうがいいわと思って、上のような冗長な歌にしてみました。
 そのまんまじゃないかと思うかもしれませんが、そのまんまだから覚えやすいってことがあると思います。
 こういう覚え方は英語にもいろいろあって、ニーモニック(mnemonic)っていいます。
   文字数型……円周率の3.14159をYes, I have a number.(スペルの文字数が3.1416)と覚える
   頭文字型……イギリスの王朝の順序、Norman、Plantagenet、Lancaster、York、Tudor、StuartまたはStewert、Hanover、Windsorの頭文字を、No Plan Like Yours To Study History Wisely.(歴史を勉強するのには君の方法が一番頭がいいね)と覚える
などある中で、そのまんま覚えるっていうのもけっこう多いです。たとえば十二ヶ月の大の月と小の月を覚えるのは、
   Thirty days hath(=has) September,  9月は30日で
   April, June and November.  4、6、11月もそう。
   All the rest have thirty one,  あとはみんな31日、
   Excepting February alone.  2月だけは例外ね。
   And that has twenty-eight days clear.  2月は平年が28日で、
   And twenty nine in each leap year.  うるう年には29日
っていうのがあるんだそうな。
 何が覚えやすいのかというと、韻をふんでるっていうのがミソなんです。英語の詩は韻をふむとか、アクセントの強弱が規則正しくなってるとかいうのが大切で、英語民はそれをちゃんとやってると覚えやすいと思うらしいです。
 たとえばアルファベットを覚える歌は、『きらきら星』(もとは『お母さん、打ち明けます』みたいな歌だったみたいですけど)のふしで、日本人は、
   ABCDEFG
   HIJKLMN
   OPQRSTU
   VWandXYZ
って区切りますけど、英語民は
   ABCDEFG
   HIJKLMNOP
   QRSTUandV
   WandXYZ
なんですね。最後の2行は変種がいろいろあるみたいですけど、LMNOPのところを猛烈に早口に読んでおさめてるのは、GとPで韻をふませるためです。最後のZはズィーと読みます。ゼットだと韻をふめません。

 以上、友清理士『英語のニーモニック』(研究社)
http://www.h4.dion.ne.jp/~room4me/mnemon/index.htm
からいろいろ取材しました。この本面白いですよ。絶版寸前みたいなんで入手はお早めに。

[471] パソコンの歴史はウソが多いわ 投稿者=真理子 掲示日=2011/01/30(日) 22:56:55 ここから閲覧

 今日はたまたまテレビをつけたらテレビ東京の「日曜ビッグバラエティ 40年間総ざらい!ヒット商品番付クイズ」というのをやってて、今年40の私としては、私の人生をなつかしく振り返ることができましたけど、1980年の話題で「マイコン」でPC-8001を紹介していたところはなんだかなって思いましたわ。1982年、小5のときに初代PC-9801に触れて以来ずっとパソコンを使っていた私は、パソコンの歴史にはうるさいのよ。
 だいたいPC-8001って1979年発売だったような気がするんですけど。小中高校生のころって1年違うだけで先輩後輩の間柄になってその地位は絶対ですから、1年違うだけで敏感に違うって思うのよ。
 それはそれとして、当時の外部記憶装置が意外なものだったっていうのがクイズのネタで、もちろん答えはカセットテープなんですけど、「当時はフロッピーディスクもなかった」っていうのが大ウソ。あったわよ。ただし高かっただけ。たしかPC-8001専用の5インチフロッピーディスクドライブ2台が40万円くらいしたはずです。そんな高いの買える人が少なかったから、カセットテープを使ってたのよ。
 中学に入ってマイコンクラブをのぞいたら、まだPC-8001が現役で動いてましたけど、PC-8001のフロッピーって使うのが難しくて、フロッピー入れたらmount、取り出すときにはremoveっていう命令を打ち込まないといけない。これを忘れてフロッピーを取り替えると、前のフロッピーの情報を後のフロッピーに書き込んじゃう。つまりは後のフロッピー全体のデータが破壊されちゃう。「ちょっと待て、忘れていないかremoveを」とか「フロッピーを使うときは先生の指示で」とか、いろんな注意書きが貼られてましたわ。
 ……って、昔話をするときりがないわ。真理子のパソコン遍歴については、
http://www.babelbible.net/mariko/opi.cgi?doc=computer&course=life
からいくつか書いてありますので、おひまな方はお読みくださいませ。

[470] 厚揚=豆腐+油揚 投稿者=真理子 掲示日=2011/01/30(日) 14:05:29 ここから閲覧

 真理子の常識は世間の非常識なのかしら。人に言ったらびっくりされたのでここに書いておきます。
 我が家では豆腐も油揚げもめったに買いません。
 ふだんは厚揚げばかり買ってきて、6面をそぎ落として油揚げにして、残りを絹ごし豆腐として使います。

 豆腐って、料理にするときはたいてい水抜きしますよね。あれってめんどうだと思いません。水抜きした豆腐って売ってないのかしらなんて思いません?
 油揚げって、料理にするときはたいてい油抜きしますよね。あれってめんどうだと思いません。油抜きした油揚げって売ってないのかしらなんて思いません?
 その両方を一気に満たしてくれるのが、厚揚げの6面そぎ落としだと思うんですけど、なんでみんなやらないのかしら?
 あと先日のTBS「はなまるマーケット」で、塩豆腐という手をやっていました。豆腐の広い2面にそれぞれ小さじ3分の1ぐらいの塩をまんべんなくまぶして、クッキングペーパーにくるんで24時間置いとくと、モッツァレルラチーズのような濃厚な食感になるというものです。視聴者から大反響だったらしく次の日に「レシピをもう一度紹介します」なんてやってましたけど、そんなこと私はとっくにやってました。ただ、この番組では強調してませんでしたけど、水抜きは必須です。水抜きしながら長くおいとくのです。これも最初から厚揚げの6面そぎ落とした残りを使えば簡単です。
 厚揚げってすぐカビ生えますけど、塩豆腐にすることで、少しは日持ちがよくなります。

 我が家では肉は週に1・2回しか食べません。別に貧乏なのではなく、ダイエットのためです。そのかわり元厚揚げの油揚げと、元厚揚げ塩まぶし豆腐が大活躍します。どちらも十分に肉の代用になります。元厚揚げの油揚げはフープロで砕けばひき肉です。

[469] ロマ書13-14章、ユディト記11章 投稿者=真理子 掲示日=2011/01/30(日) 10:58:37 ここから閲覧

●ロマ書13-14章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=rom&chapter=13&mode=0
 13章は昔から論議のあるところですね。
 パウロが権力を肯定している箇所で、昔から権力者が「ほらほら、聖書にもこう書いてあるでしょ」と引用したがるところですね。パウロだってけっこう迫害されたはずなのに。
 あれ、そういえば、ペテロって逆十字架で殉教したんですけど、パウロってどうやって死んだかわかんないんですよね。人々をあおるだけあおって、自分は案外天寿をまっとうしたのかもしれません(パウロ嫌いの真理子の発言なんで割り引いて読むように)。
 でも私としては、13章なんかより14章のほうが考えさせられますわ。
 律法なんかどうでもいいってあれだけ律法の無効を宣言したパウロがですよ、「おいらは何でも食べるけどさ、肉食はいけないと思ってる弱い人にはつまずきになるから」とか言って、結局昔からの食物のタブーを否定しきらないんですよ。困った人ですね。
 要するに「何かするくらいなら、しないほうが無難だ」って思ってるんですよ。
 割礼は特別なことを「する」戒律だから、それを破るのは「何もしない」ことになる。おちんちんも痛くならないし、何もしなけりゃみんなラクですわ。
 食物のタブーは「しない」戒律だから、それを破るのは「何かする」、たとえば今まで禁じられていた豚を「勇気をふるって食べる」ことになる。これはけっこう大変なことです。
 たとえばみなさん、「キリスト教じゃ食物のタブーはないのよ。だから犬だって食べていいのよ。韓国じゃ犬は立派なメニューよ。さあお食べ」っていって犬食べられます? 私は好きです。韓国ではよく食べました。でもポンテギ(カイコのさなぎ)は気持ち悪くて食べられませんでしたね。
 ましてネズミなんかだったら、ぜったい無理。
 こんなふうに、「する」戒律は簡単に否定できるけど、「しない」戒律ってなかなか否定できないんですよね。

●ユディト記11章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=jdt&chapter=11&mode=0
 ユディトが舌先三寸でホロフェルネスをだましていますが、よく読むと、神様の悪口を一言も言ってないっていうのがミソですね。ていうか、これって5章でアキオルが言ったのとほとんど変わらないじゃないですか。男がいうと「生意気だ、死刑」なのに、美女がいうとコロっとだまされちゃう。美女はトクですね。私はダメよ、ブスだから。

[468] 電子ピアノ 投稿者=真理子 掲示日=2011/01/29(土) 14:13:32 ここから閲覧

 デジタルピアノという言葉もありますが以下電子ピアノと言います。なお、エレピ(エレクトリックピアノ、電気ピアノ)は別物です。

 昨日、昼の11時ぐらいに、だんなが休憩をとりに家にもどってきてテレビをつけたら、フジテレビの「知りたがり!」の、松本伊代さんが出てくるコーナーをやってまして、ピアノグランバザール2011春
http://www.dinos.co.jp/saiji/101300/
の告知をしていました。「ピアノがある生活はとっても楽しい」とか言ってるのをみてつい私は「ああ、ピアノがほしいわね」なんて口走っちゃった。中古の安い電子ピアノだと2~3万円台からあるみたいなんで。
 実は私、小学校に入るまでピアノを習ってまして、一応バイエルは全部終えました。すると先生から「ここから先はピアノを買わないと無理ですよ」といわれ、ピアノを買ってくれなかったうちの親たちは私にピアノをやめさせちゃったんですね。そう、うちにはピアノがなかったんです。70年代は電子ピアノの出始めで価格も高く、自宅では安物のオルガンで練習してるって子が多かったんです。ただオルガンとピアノってキータッチがぜんぜん違う、もちろんダンパーペダルはないし、強くたたこうが弱くたたこうが同じ大きさの音ですから、バイエルを終えるくらいになると代用がきかないんですよね。
 ホントいうと電子ピアノもちょっとキータッチが違うんですけど、それいったら家庭用のアップライトピアノのタッチとホンモノのグランドピアノのタッチだって違う(たとえば超高速連打を要求される曲はアップライトじゃ弾けません)んで、似たようなものかなってとこです。むしろ最近の電子ピアノは、アップライトよりはグランドピアノのタッチに近いかもしれません。
 ともあれうちの親はピアノを買ってくれなかったので、泣く泣く私はピアノをやめるはめになってしまったんです。
 だからついつい「ああ、ピアノがほしいわね」って口走っちゃったんです。

 そしたら夕方、だんながタクシーの後部座席にいっぱいモノをつんで戻ってきて、「ねえ真理ちゃん、一人じゃもてないから助けて」。
 なんと、近くのハードオフで、中古の電子ピアノを買って来ちゃった。そのままじゃタクシーに積めなかったので、足をばらしたり鍵盤をナナメに入れたりしてようやく車に入ったというかんじ。
 「この前Windowsの件では苦労をかけちゃったから、そんなにピアノがほしいならと思って買って来ちゃった。安かったから」だってさ。
 買ったのはテクニクスのSX-PX222。21000円なり。
 「どうりで安いわけよ。今はなきテクニクスなんて」
 「えっ、つぶれちゃったの?」
 「そう。世はビジュアルの時代で、もうオーディオの時代じゃないのよ」
 取扱説明書がついてなかったので、ネットからダウンロードできるかと思ってパナソニックのサイトを見ても、さすがに載ってない。だから安かったのね。
 でもとってもうれしい。ピアノが弾きたくても弾けなかった子どものころの思い出がよみがえってきたわ。
 以後、電子ピアノ・ネタは不定期連載の予定です。

[467] マタイ17-19章 投稿者=真理子 掲示日=2011/01/29(土) 13:14:15 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=mat&chapter=17&mode=0

 例によって書きたいことはいろいろあるんですけど、何にしようかしら?
 18章の天国談義にしようかしら。天国では誰が一番えらいかっていうの。
 たぶん、そういう考えをしているようでは、その人は絶対に天国に入れない。
 いや、天国に入れたとしても、そこはその人にとっては天国ではなく地獄なんです。

 たぶん、天国と地獄って、客観的にみればまったく同じところなんじゃないかって思います。
 そう思うようになったのは、宮田光雄『キリスト教と笑い』(岩波新書)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4004302196.html
を読んでから(これ、品切重版未定らしいわね。とってもいい本なのに。修道会にアップしてありますわよ。宮田光雄さんは岩波新書から面白い本をいろいろ出してますけど全部品切みたい。岩波はひどい本屋ね)。
 これの最初のほうに、こんなジョークが紹介されています。
 ある人が死んで天国(らしきところ)へ行く。最初は「酒はうまいしネエちゃんはキレイだ」と楽しい生活をしていたんですが、それにも慣れて退屈になっちゃって、天使たちのやってる仕事を手伝わせてほしいって志願する。ところが、彼の願いをなんでもかなえてくれた天使は「それだけは許されていません」と拒絶する。男が「オレの願いをかなえてくれないなんて。ここは天国だろ」と叫ぶと、天使は「あれ、お客様、ここをどこだと思ってらしたんですか?」 チャンチャン。
 そう。ここは実は地獄だったんですね。
 こんなふうに、天国と地獄っていうのは実は同じところであって、天国の生活に満足できない人にとってはそこは地獄にほかならない。つまりは天国とか地獄とかいうのはその人の気の持ちようだってわけですね。
 [456]でセンター試験が「神の国を精神的な出来事」だとしているのに疑問をさしはさみましたけど、実は私自身は、ホントにそうだと思ってるんです。そこが神の国になるか地獄になるかは、その人の精神しだい。
 こういうふうに思うのは、真理子が本心ではキリスト教の考えになじめず、むしろ大乗仏教的な、みんなが仏、煩悩即菩提みたいな考え方になじんでいるからかもしれません。気持ちの持ちようで、いまここが即神の国になるんです。

 さて、そんな話を前提にしてマタイ18章を読むと、誰がえらいとか思ってるようじゃ天国には入れないってわけですね。
 天国って救いのないところじゃないですか? だって、もう救われてるんですから。
 救われたかどうかは単純に二分法なんで、5倍救われたとか10倍救われたってことはない。
 だから天国にいって、「ねえ、なんであいつがここに来てるの? あんな悪いことばかりしてたやつが。あいつがここに来れるんだったら、一生懸命教会の仕事に奉仕したわたしは、当然グリーン車、ファーストクラスよ」なんてことはないわけです。
 12-14節には、99匹をほったらかして1匹を大切にする話、これはルカでは放蕩息子の話につながっていく話ですけど、こんなふうに神の国での発想は、「いいことをした人にもっともっと救いを」ではなく、「ホントなら救われないような人を救ってあげよう」なんで、それについてけない人は、天国にいてもフラストレーションがたまる一方。フラストレーションが永遠にたまり続けるんですから、まさに地獄なんでしょうね。

[466] イザヤ書34-39章、ユディト記10章 投稿者=真理子 掲示日=2011/01/28(金) 01:58:54 ここから閲覧

●イザヤ書34-39章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=isa&chapter=34&mode=0
 交読文というのをご存知でしょうか。プロテスタント教会の礼拝では、牧師と会衆とがお互いに聖書を1節(必ずしも聖書の節数と一緒ではありません)ずつかけあい形式で読んでいくというのがあるのです。日本基督教団のものは
http://onlinechurch.blog64.fc2.com/blog-entry-2.html
に全部のってます。文は文語訳聖書(新約は明治訳)と同じです。その37番がイザヤ書35章です。神様の救いが到来したときの光景を詠んだ美しい文章です。
 36章以降は実際の史実とはいろいろ違いがあるようですが、アッシリアのセンナケリブ王がイスラエル(北王国)を滅ぼしたあと、南のユダ王国を攻めたときの話です。

●ユディト記10章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=jdt&chapter=10&mode=0
 ユディトはアッシリアの軍営をたずね、ホロフェルネスに会うことになります。

[465] アメリカと宗教 投稿者=真理子 掲示日=2011/01/27(木) 13:08:39 ここから閲覧

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4121020766.html
 アメリカというと日本では若者むけの先端的なファッションや考え方ばかりが報道されてますが、実は保守的な信仰を持つ人が多いです。なにしろアメリカの建国者たちってそういう人たちだったわけですから。アメリカって見ようによってはサウジアラビアなみの宗教国家といえるかもしれません。
 わたしが中学生のころ、小室直樹さんの本がいろいろベストセラーになっていて、その中の『アメリカの逆襲』だったと思うんですけど、その中に、アメリカにはファンダメンタリストという、聖書の言葉を一字一句ほんとうのことだと信じてしまう人たちが多いっていうのを見てびっくりしたことがあります。テネシー州の進化論裁判の話なんかも紹介されてましたね。
 そんなふうにして少女真理子のアメリカ観が形成されていったわけですけど、そういうアメリカの宗教の実態をまとめたのがこの本。なかなか面白かったです。
 実はアメリカにもいろんな人たちがいて、そういうファンダメンタリストもいるんですけど、まともな人たちも多く、たとえば上に書いた進化論裁判(スコープス裁判)は、実は原理主義者側が敗北してるんですね。リベラルな側の弁護士がこれでもかこれでもかと出してくる聖書の矛盾に答えきれなくなってしまった。
 アメリカの宗教の現状と、進化論以後の歴史をうまくまとめた、役に立つ本です。

 ところで、福音派=原理主義の人たちって、聖書を文字通りに信じずに近代的合理的な解釈をしようとする立場を全部いっしょくたに「リベラル」って呼んじゃう。この本もそうですね。私もよく「真理子は超リベラルよ」なんて言ったりします。
 でもリベラル=自由主義神学って、狭義にはシュライエルマッハーの系統の流派をさし、第一次大戦をふせぎきれなかったことでバルト以後大きく批判・修正されていきました。佐藤優さんがいうリベラルってこの意味で言ってるんで、だから佐藤優さんは「古くさいリベラリズム」なんて書いたりするんですよね。
 この二つを故意に(無自覚に?)混同しているのがmixiあたりに跋扈している福音派の連中で、自分たち以外の立場を広く含んだリベラルに対し、狭義のリベラルへの批判をぶつけたりする。「リベラルは古い」みたいな言い方をされることもしばしばで、「よりによってあんたたちにそう言われたくないわ」って思ったりしました。
 まあそんなわけでリベラルって言葉を使うときはちょっと注意しなきゃいけませんわね。

[464] ヨブ記13-14章 投稿者=真理子 掲示日=2011/01/27(木) 12:43:22 ここから閲覧

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=job&chapter=13&mode=0
 ゾバルに対するヨブの反論の続きです。これで3人の友人への議論の第一ラウンドは終了します。
 例によって口語訳も新共同訳も新改訳も翻訳が面白くありません。ここはぜひリビングバイブルで読んでほしいところです。ホントは修道会専用なんですけど特別に
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=libj&book=job&chapter=13&mode=0
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=libj&book=job&chapter=14&mode=0
 友人に対して激しい口調で反論しているのに時々ですます調になるとか、おかしなところもありますけど、やっぱりこの訳が一番面白いです。

[463] 歯痛? 投稿者=真理子 掲示日=2011/01/27(木) 11:45:38 ここから閲覧

 一昨日からだんなが歯痛を訴えだしました。中学生以降は虫歯知らずだったらしいだんなが、左下の奥歯が猛烈にしみると言って、私の作った料理も半分以上残してしまう。
 そのくせ不思議なのは、次の瞬間にはまったく痛まなくなるらしいんですよね。
 そしてしばらくたつと猛烈にしみる。夜も眠れない。
 翌朝さっそく近所の歯医者に電話をし、予約のとれる一番早い時間に見てもらう。
 そしたらどこにも虫歯がない。
 実は痛みのもとは歯ではなく歯茎。歯の裏に歯石がいっぱいたまっていて、それが歯茎の炎症を起こしてしみていたんだそうな。さっそく歯石をとって薬をつけてもらったけど「炎症がおさまるまで数日はこんな感じで痛んだり痛まなかったりすると思いますが、がんばってこらえてください」だって。
 歯医者さんからは「ほうらこれ全部バイキンなんですよ」と歯の裏を見せてもらったらしいです。そんなに口の中がきたなかったのね。
 「そんな口でディープキスだのクンニだの、私の体のあちこちをなめまわしてたんだ!」
 「お前のあそこのバイキンがうつったんじゃないか?」
 「何いってるのよ。性器なんて人間の体の中で一番バイキンのいないきれいなところなのよ。口の中って肛門についで二番目にきたないところらしいわよ」
 なんていう会話をいたしましたが、そうすると私の口だってずいぶんきたないんでしょうね。年をとるとすぐ歯石がたまっちゃうから。定期的に歯石をとってもらわないとね。口にはいるものは人を汚さず、口から出るものが人を汚す(マタ15:11)のよ。
 この歯医者さんは、前回の受診から半年たつと必ず「その後どうですか。検診しませんか」というハガキをよこしてくる営業熱心な人なんで、先日もそういうハガキが来たんですけど、それからほどなくこういうことになるとはね。案外この歯医者さんが呪いをかけてたりして。

[462] 詩編18-20編、ユディト記9章 投稿者=真理子 掲示日=2011/01/26(水) 02:02:44 ここから閲覧

●詩編18-20編
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=psa&chapter=18&mode=0
 18編の冒頭、ルターの作った賛美歌「神はわがやぐら」なのかなって思いますが、ここじゃなくて46編です。似たような詩がいっぱいあるってことですね。
 18編は、26-27節が面白いですね。神様はまるで鏡です。正しいことをすれば正しいことをしてくれる。やさしいことをすればやさしいことをしてくれる。悪いことをすれば悪いことをしてくれるんです。

●ユディト記9章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=jdt&chapter=9&mode=0
 ユディトの祈りです。どえらいことをする前に、長々と祈ってます。
 シメオン族の件、わかりました? 創34に出てくるんですけど、ヤコブには12人の息子以外に娘もいるんです。レアの産んだデナ(ディナ)。この子がシケムという人に犯されちゃったんで、兄のシメオンとレビがさんざん復讐をするんです。やりすぎじゃないかというくらいに。
 ユディトは、自分がこれからやるどえらいことを、このような先祖の復讐話にかこつけて、正当化しようっていうわけです。