真理子の聖書日記
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このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[878]歴代誌下11-15章、シラ書43章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/09/13(火) 04:25:12
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●歴代誌下11-15章
王国の南北分裂後の1-3代目、レハベアム、アビヤム、アサの治世の話です。
[787]の「南北の王名を覚える歌」では4番の
南はユダ族、ベニヤミン
治める王様レハベアム
アビヤム、アサ、ヨシャパテと経て
北と同名ヨラム立つ
ですね。なんでいきなり4番かというと、1−3番は北の王様だからです。歴代誌は北をすっかりシカトしてますからね。
[787]では「ユダ族、エフライム」なんて書いてますが大間違いです。エフライムは北で、ユダが南の代表ならエフライムが北の代表部族ですね。
北の滅亡後は十部族は消滅し、実質的にユダ族がイスラエルの民全体になってしまったので、以後は「ユダヤ人」がイスラエルの民全体を表すようにもなったんですが、ベニヤミンも小さいながら一応存在します。パウロがそうですね。
http://www.logos-ministries.org/old_b/2chr11-13.html
を読むと、パウロがベニヤミンを誇りにしてるのは、ユダ族=イエス様で、ユダ族につきしたがったベニヤミン族というところに「イエス様につき従うこの私」という考えがあるからだ、みたいなことを書いてますが、フィリ3(上のページ2章って書いてますが3章の間違い)見てもそんなこと書いてないじゃん。単に自分の出自をいってるだけじゃん。
もう一つ上のページのおバカな点。歴代誌を読めば「失われた十部族」というのが根拠がないなんて書いてますが、その根拠は十部族の人たちもごく一部は南にやってきたってことらしい。あのー、部族が失われるって、人間が消滅することじゃありません。部族としてのアイデンティティが消滅することなんですけど。私だって先日、オバデヤのところでは[874]「エドム人なんて今はいない」なんて書きましたが、もちろん昔エドム人だった人たちの子孫は、あのあたりのあちこちにうじゃうじゃいることでしょう。歴史のある時期にエドム人がいっせいにこの世から消えたなんてことじゃないんです。
さて歴代誌下14-15章では南3代目のアサの話。宗教浄化をして国が平穏だったなんて書いてますが、あれれれ、王上15:16には、戦争が絶えなかったなんて書いてますわよ。どっちが正しいんでしょうね。普通の人は先に列王記を読んじゃいますから、「歴代誌がウソ」になるんでしょうけど、ひょうとしたら列王記のほうがウソだったのかもしれません。
でも歴代誌のほうが旗色が悪いのは、歴代誌は基本的に「いいことをした王様の治世は平和」という虚構をできる限り貫き通そうとしている点。ソロモンはいいことをしたので平和って言ってますが、いろんな悪政や反乱の話は書いてない。南北分裂の原因はソロモンの政治に民が不満だったからでしょ? でも歴代誌は悪い王様レハベアムに責任を全部なすりつける。こういう点があるから、歴代誌は信用がおけないんですよね。
●シラ書43章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=43&mode=0
自然の造化の妙に神様の姿を見るというのは、昔からよくある手ながら、いちばん簡単に神様を実感できる方法です。『ツリー・オブ・ライフ』でも途中長々とそういうシーンがあります。私なんか5回も見ちゃった。
ちなみに、『ツリー・オブ・ライフ』がよくわからなかったという人は、次のページが一番するどい読みをしているのでご紹介します。ばりばりネタばれしてますのでご注意を。
http://movieandtv.blog85.fc2.com/blog-entry-264.html
[877]民数記29-32章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/09/12(月) 10:30:02
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=num&chapter=29&mode=0
29章は新年祭の話。[784]で書いたように、ユダヤ暦の新年は7月から始まるんです。
30章は誓いの話。似たような話がレビ27、申23にもありますが、実際にこういう食べ物断ちみたいなことを伴う誓いっていうのがどの程度行われていたのかよくわかりません。実は聖書にも具体例がないんですね。唯一あるのが例の士11:30-40。エフタの娘の話ですよ。私が旧約聖書中で一番ふんがいしているあれです。お父さんがバカな誓いをたてるもんだから娘が処女のまま死ななきゃいけなかった。ヤハウェもヤハウェ、お前そんなに処女がいいのかっていうあの話です。こうしてみると誓いっていうのはしょーもないですね。イエス様の言うとおり(マタ5:34)、いっさい誓うな。ミ・オモーサイ・オーロス、Do not swear at all.ですわ。なお、昔、山本七平さんの宣誓論争っていうのがありましたが、この件については、
http://www.babelbible.net/lang/lang.cgi?lang=en&doc=en_swear&mode=frame&imode=0
をごらんください。
さて、ここからがまた民数記らしいキナ臭い話です。
31章。ミデヤン人と戦って勝利、大虐殺をします。ここでいうミデヤン人とは25章でいうモアブ人のことで、例のハニートラップです。イスラエルの民はミデヤン娘の色香にはまって神様の怒りにふれて24000人も死んじゃった、その復讐というわけで、子どもだろうと容赦はしません。男は殺し、女も非処女は殺す。ただし処女とはこれからエッチをするので生かしておく。モーセもえげつないですね。
でも、そんなに処女っていいのかしら。私、はじめてのとき、相手がヘタクソだったんでなかなか入らず苦労したんですけど。最後にはじれったくなって自分から相手の上に乗っかって騎乗位でやっと入りました。私らしい処女喪失でしたが、おかげで相手からは、お前処女だって言ってたのウソだろう、血も出てないじゃないかと言われる始末。そうです。世が世なら私は処女の証拠を出せずに石打ち刑になる身(申22)なの。私みたいな魔女は聖書に殺されちゃうのよ。そんなわけで、聖書で処女論議が出てくるたびに私はむかむかします。
ついでながら源氏物語で、光源氏が正妻の葵の上と最初なかなかうちとけられなかったっていうの、あれたぶん、セックスがうまくいかなかったってことの婉曲表現なんじゃないかしら。源氏もさまざまな女性と、特に六条御息所からの性のてほどきをうけてやっと葵の上を愛せるようになって夕霧を産んだってことじゃないかしら。男も女も、はじめてのセックスは、経験豊富な人からてほどきを受けるのがその後幸せになる気がします。
エロチャンネルのパラダイスTVでやってる「処女喪失」シリーズ、処女の素人さんが出演の応募して、経験豊富な男優さんに処女を卒業させてもらえるという番組ですけど、女の子たちがみんな本当に幸せそうな表情してて「よかったね」ってこちらも幸せな気分になれる番組です。私もああいう処女喪失をしたかったです。
で、32章。こんどはルベン(レウベン)族とガド族がうじゃうじゃ言ってきます。家畜も多いし、ここに定住しようよ。もう約束の地なんかいいよ、というわけですね。
こういうところ、福音派系の解説を見ると、教会でみんなで一つのことをやろうとしているときに数人のものが反逆したり挫折したりすると全体の一致を乱して教会の成長を止めるっていうんですけど、私はそういう読み方をしたくないです。人にはそれぞれ事情があるんで、途中であきらめて目標を過小修正するってことはよくあること。そういう弱い人の側にたってくれるイエス様の愛が、モーセにはちっともないのよね。