真理子の聖書日記 真理子の聖書日記

このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
真理子修道会の修道女/修道士の方のみ書き込むことができます。

掲示板運営方針(必読)




検索語 :
検索語[] ヒット数983

[863]原発を「女」と呼んで
投稿者=真理子
メールを送る
掲示日=2011/08/31(水) 16:26:30
ここから閲覧
 このところ『ふしぎなキリスト教』と並んで私がTwitter上で敵意をむき出しにしてきたのが、キリスト新聞社のこの記事
http://www.kirishin.com/2011/08/201193.html
 原発を「女」と呼んで、という非常に気になる見出しを掲げておきながら、本文にはなんにも解説がなくて「詳しくは紙面で」。詳しくは紙面でったって、キリスト新聞なんか近くのコンビニで売ってるわけじゃなし、何か気になるし、そのうちだんだん腹がたってきた。
 そりゃないでしょ。何かしらヒントを書いてくれなきゃ、この見出しだけで判断するしかない。
 よく東スポがこの手を使いますよね。昔あった例では、「マイケル、妹とSEXしたいなぁと発言」のSEXの下に折り目が来るようになってて、駅の売店に並んだときには「マイケル、妹とSEX」しか見えなくなってる。買ってみたらなあんだ、という感じ。
 そういう手みたいですごくイヤ。
 あまりに頭に来たので、そのうち国立国会図書館に行ったときに調べて、もしヘンなこと書いてたら思い切りTwitterで攻撃してやろうと思ったんですが、定期購読の前に1回だけ見本紙を送ってもらう制度があるみたいなんで、それを利用して取り寄せてみました(2011/9/3号)。

 結論からいえば、やっぱり、原発を女と呼んでるのは、それ自体をとれば女性差別なんですよ。
 この記事は「雑誌を読む」というので、いろんなキリスト教系雑誌の記事の紹介。ここでとりあげられているのは、「百万人の福音」9月号。大谷心基さんという牧師が、京都のホームレスから聞いた話。顔色の悪い50代前半の男性。仲間は、こいつは悪い女にひっかかって病気をうつされた、と言う。その人がいよいよ入院した後に、実は原発で働いていたということがわかる。それで、原発を「女」と呼んで、なんです。原発で働いていたことを彼らの隠語で女と呼んでいた。
 だから、彼らの中にはやっぱり女性蔑視があるんだけど、こういう状況をふまえてはじめて、この記事は差別性のない、やりきれない現実の一つの断面をうつしとったすばらしい記事ってことになるわけです。
 紙媒体のキリスト新聞では、原発を「女」と呼んで、という見出しのすぐ隣に記事の本文が来ているので、ああそういうことかというのがわかります。しかし、記事本文を切り離してこの見出しを一人歩きさせたときに、とんでもない誤解を招くわけです。いや、誤解じゃない。形としてはこのような「女」という語の使い方はまぎれもなく女性蔑視ですから。

 だから、新聞社がWEBサイトを作るとき、記事を全部出しちゃうと紙の新聞が売れなくなるから小出しにするのはいいのよ。その「小出し」の仕方が問題なの。この記事は4つの雑誌記事を紹介して、そのうち2つぶんを見出しに書いてある。紙媒体では百万人の福音の、原発を「女」と呼んで、でも誤解はないけど、小出しにするWEBサイトでは別のものに差し替えるべきです。でなきゃこの部分だけでも全部出す。でなきゃ、最初からWEBサイトを作ることを見越して、紙媒体でも別の見出しをつけておくべきだった。
 キリスト新聞のこの号では、2面に「ホームページ作成は慎重に」なんて見出しもある。この言葉、そっくりキリスト新聞にお返しするわ。

 さあて、どうしようかしら。キリスト新聞って高いのよね。1部250円もするわ。3ヶ月3700円。今後もこういう問題記事が載るかもしれないから、批判的に購読してみようかしら。Twitterのフォロワーが必ずしも支持者とは限らず、不穏なツィートをしてないかどうか監視する意味でフォローする人だっているのと同じよ。とりあえず監視の意味で購読してみるわ。

[862]ネットの『ふしぎなキリスト教』批判に対する著者2氏の見解
投稿者=真理子
メールを送る
掲示日=2011/08/31(水) 07:04:24
ここから閲覧
 8/30の夜、池袋ジュンク堂で、『ふしぎなキリスト教』の著者、橋爪大三郎、大澤真幸氏のトークイベントがありました。このところこの本に関してはTwitterで間違いが多いとかなり批判がよせられており、
http://togetter.com/li/150577
アマゾンの書評でも批判がよせられています。
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%B5%E3%81%97%E3%81%8E%E3%81%AA%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%A9%8B%E7%88%AA-%E5%A4%A7%E4%B8%89%E9%83%8E/dp/4062881004
 このことについてどう思うのか、私が行って問いただしてみようと思ったのですが、急病でダウン、かわりに私の愛する主人が聞いてきてくれました。以下は両氏の見解です。


橋爪大三郎
 ネットでの批判がたくさんあるということなのですが、私個人の一般的な立場で申し上げると、この本の中にもいろいろなタイプミスとかいい間違いとかがいくつかありました。それは第2刷、第3刷そのほかで訂正ております。今後もそういう、明確な誤りが発見されれば、機会をとらえて訂正いたします。
 次に、たくさんあると言われている誤りの種類なんですけど、もし、考え方の違い、意見の違いということをもって誤りだとおっしゃるのであれば、それは誤りにはならないのではないかと思います。意見の違いと誤りは違います。もし誤りに類するものであれば、ご指摘いただければ個別に考えるんですけど、私が見ている限り、誤りに類するものはもうあんまりないはずです。
 もうちょっと言うと、これはどういうものかというと、今までみんなが印象派の絵をかいていたところに、例えばゴッホが女の絵をかいたら、目がまがってるじゃないかとか、鼻がこんなわけないとかいう印象をお持ちの方もいるかもしれないけど、それも真実の姿です。真実の姿を伝えるために、今までの表現方法や論理と違ったものをあえてデフォルメして、デフォルメっていうのは基準があるからデフォルメっていうけど、より正しく提示していくということなんですね。
 それを楽しんでくださる方もいるかもしれないし、それを困ったことだとお考えの方もいるかもしれない。そういう問題ではないかと私は思っております。

大澤真幸
 率直にいうと私はネットをほとんど見ていません。若干は知ってます。教えてくださる方もいるので。でも体系的に研究して見てはおりません。ただ、知ってる限りでいうと、本の趣旨を勘違いなさっているんじゃないかなと思うこともあります。でもそれもちゃんと見てからでないでないと申しませんが、結論からいえばそういうことです。
 ある意味でうれしいですよ。ネットで評判にしてくださるということは。1997年でしたか、加藤典洋さんの『敗戦後論』という本が出たとき、ものすごく批判する人がいて、ぼくもそれなりに異論もあったし感動したところもあるし両方だったんですけど、ぼくが予想している以上に反論や批判がたくさんあった。加藤さんがそれで不愉快な思いをされた可能性もあるんだけど、ぼくははたから見ていてちょっとうらやましくて。
 どうしてかというと、そこまで反論するということは、よほどその人たちの琴線にふれたってことなんですよね。そうじゃなかったらぼくなんか無視しますから。そんなに熱心に反論してくるなんて、いいなって思いました。ぼくはだから加藤さんの本が出たときに、加藤さんの本ってぼくが予想しているよりもっと偉大なんだって、改めて思ったんですね。だからそうやっていろいろ(批判が)出るのはいいんじゃないですかね。ぼくの知ってる限り、重要な本はほとんどたいてい批判のほうが多いです。集中砲火的に批判されなかった本で偉大な本ってまずないです。だからそれはそれでちょっとうれしいんですが。
 ただですね、やっぱり基本は、この本に対して本当にご不満のある場合は、ご自身もちゃんとした本とか論文とかを書いて、これより説得的なものになればこんなものは退けられるに決まっているんですから、これ以上の内容を書けばいいんじゃないかと思います。そういうものが出てきたら私もそれを読んで、ああ、この本の歴史的使命は終わったんだなと思うときもあるのではないかと、そうなれば非常にうれしい、よりいっそううれしいと思います。