真理子の聖書日記
真理子の聖書日記
このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
真理子修道会の修道女/修道士の方のみ書き込むことができます。
掲示板運営方針(必読)
検索語[] ヒット数983
[827]民数記9-12章、シラ書25章
投稿者=真理子
メールを送る
掲示日=2011/08/08(月) 10:49:00
ここから閲覧
●民数記9-12章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=num&chapter=9&mode=0
苦難の旅に疲れ果てた民は、モーセに不平を言い始めます。それは今に始まったことではなく、出エジプト記あたりからいろいろあったのですが、民数記になるとその対立はかなり激しいものになってきます。
それに対する神様のしうちは、ひどすぎるとしか思えません。
11章冒頭で神様は、雷でも落としたんでしょうか、宿営に火事を起こします。その理由ははっきり書いておらず、単にぶつくさ不平を言ったからとしか思えません。
そして民は、マナなんか食べ飽きたから肉を食べたいと言います。神様は「じゃ一ヶ月、飽きるほど肉を食べさせてやろう」というのですが、さすがのモーセも「男だけで60万人もいるのにそんなことができるはずがない」と言います。モーセは神と民との板ばさみにあって苦しんでいるんです。中間管理職のみなさんはこういう苦しみは身につまされるんじゃないでしょうか。
で、神様はたしかにうずらを山ほど落とすのですが、民がそれを食べつくさないうちに疫病をはやらせて大量の死者を出します。なんだかなぁ。
12章は、モーセがクシュ人の女を妻にしていることをアロンとミリアムが非難。神様はミリアムをらい病にしてしまうという話です。
クシュというのは一般にはエチオピア地方をさすようですが、この話は出2:21にありますように、モーセが若いときにエジプト人を殺し、ミデアン地方に逃げたときに、そこの祭司ウリエルの7人の娘のうちのチッポラと結婚したという話をふまえているのでしょう。
私がたびたび言及しているフロイトの「モーセ・エジプト人説」は、モーセが実はエジプト人で、エジプトに起こって絶滅しかかった一神教を伝えるために、奴隷として酷使されていたイスラエルの民を選び出し、東方に移住させて一神教に基づく理想国家を作ろうとしたという話ですけど、この説にはもう一つポイントがあって、モーセの一神教の神様がそのまま後のイスラエルの神様になったのではなく、ミデアン地方の火の神様と混淆したという話です。モーセの妻がミデアン人であるという話は、ヤハウェ神さんの故郷が実はミデアンだったという痕跡なのでしょう。
●シラ書25章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=25&mode=0
ここは女への悪口がさんざん書いてありますね。
しかも言うに事欠いて、シラ25:24「罪の根源は女にある。女のせいでわれわれはみな死ぬ運命になったのだ。」ですって。これはエデンの園で、まず女がへびにだまされ、そして男が女にそそのかされたという話ですけど、創3:12の「女があの実をとってくれたから私は食べただけだ」という言い訳をして以来、男というのはちっとも進歩がないみたいですね。誤った認識を男に植え付けたという意味では、創世記は実に罪深い本です。
[826]1テモ4-6章
投稿者=真理子
メールを送る
掲示日=2011/08/07(日) 09:52:22
ここから閲覧
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ti&chapter=4&mode=0
今日のところも具体的な生活指導が多く、難しいごまかししか書かない本家パウロの手紙にくらべてとてもわかりやすいんですけど、それだけに要注意。わかりやすいってことは、ごまかしがきかないってことでもありますからね。生活指導っていうのは時代や地域の状況に即したものが多くて、普遍的なものにならないんです。
たとえば、よく引き合いに出される一テモ5:23
(これからは、水ばかりを飲まないで、胃のため、また、たびたびのいたみを和らげるために、少量のぶどう酒を用いなさい。)
口語訳ではなぜか意味不明の( )でくくられてますが、別に後世の付加ではありません。これを文字通り受け取ってしまって、水を飲まずに枯渇して死んでしまう狂信的クリスチャンが現れないように予防してるんでしょうか。
そもそも「水ばかり飲まないで」は意図的な誤訳。青野太潮さんが『どう読むか、聖書』(朝日選書)の中で指摘しています。原文は(アクセント記号は文字化けの原因になるので除きます)?????? ?????????,
みなさん http://www.babelbible.net/bagster/bagster.cgi を使いましょうね。
??????は「決して〜ない」、?????????は?????????の2人称単数命令形で「水を飲む(人である)」。どこにも「ばかり」がありません。
世界には水が飲めない地域はうじゃうじゃあり、たとえ未成年であっても、ぶどう酒やビールを飲まなきゃいけないところもあるのです。お茶やコーヒーのような飲料は、飲めない水をどうやって飲めるようにするかという苦労の末に生まれたものです。そういう地域の生活指導としては当然「水を飲むな」になるんですけど、これがひとたび聖書になってしまうと、狂信者が本当に水を飲まなくなったら困るっていう配慮をしなくちゃいけなくなるんですね。
つい先日は逆に、Twitter上で、実は聖書のいうぶどう酒はノンアルコールなんだという珍説を開陳している狂信者の方を拝見しました。まあ、私たちの意味するようなアルコール飲料(成人が酔うために飲む)としての意味あいではないという意味なら正しいんですけど、酒を禁止してる教派の人にとっては、ここは大問題なんでしょうね。
5章はまた「若いやもめ」批判。これは前回書いたので省略します。
6章冒頭の「くびきの下にある奴隷はすべて、自分の主人を、真に尊敬すべき者として仰ぐべきである。それは、神の御名と教とが、そしりを受けないためである。」っていうのは、アメリカでは奴隷制度の維持に悪用されました。黒人奴隷たちに「ほうら聖書にこう書いてるだろう」なんて言うわけですね。体制側はえてしてキリスト教を自分の都合のよいようにねじまげるし、キリスト教の側もえてしてこういう体制側の肩を持っちゃうんですね。アメリカの黒人の間にイスラム教が広まったのは、もともと祖先の宗教だったというだけじゃなく、キリスト教が自分たちの味方になってくれなかったからという面もあるんです。