真理子の聖書日記 真理子の聖書日記

このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[826]1テモ4-6章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/08/07(日) 09:52:22
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ti&chapter=4&mode=0

 今日のところも具体的な生活指導が多く、難しいごまかししか書かない本家パウロの手紙にくらべてとてもわかりやすいんですけど、それだけに要注意。わかりやすいってことは、ごまかしがきかないってことでもありますからね。生活指導っていうのは時代や地域の状況に即したものが多くて、普遍的なものにならないんです。
 たとえば、よく引き合いに出される一テモ5:23
(これからは、水ばかりを飲まないで、胃のため、また、たびたびのいたみを和らげるために、少量のぶどう酒を用いなさい。)
 口語訳ではなぜか意味不明の( )でくくられてますが、別に後世の付加ではありません。これを文字通り受け取ってしまって、水を飲まずに枯渇して死んでしまう狂信的クリスチャンが現れないように予防してるんでしょうか。
 そもそも「水ばかり飲まないで」は意図的な誤訳。青野太潮さんが『どう読むか、聖書』(朝日選書)の中で指摘しています。原文は(アクセント記号は文字化けの原因になるので除きます)?????? ?????????,
みなさん http://www.babelbible.net/bagster/bagster.cgi を使いましょうね。
??????は「決して〜ない」、?????????は?????????の2人称単数命令形で「水を飲む(人である)」。どこにも「ばかり」がありません。
 世界には水が飲めない地域はうじゃうじゃあり、たとえ未成年であっても、ぶどう酒やビールを飲まなきゃいけないところもあるのです。お茶やコーヒーのような飲料は、飲めない水をどうやって飲めるようにするかという苦労の末に生まれたものです。そういう地域の生活指導としては当然「水を飲むな」になるんですけど、これがひとたび聖書になってしまうと、狂信者が本当に水を飲まなくなったら困るっていう配慮をしなくちゃいけなくなるんですね。
 つい先日は逆に、Twitter上で、実は聖書のいうぶどう酒はノンアルコールなんだという珍説を開陳している狂信者の方を拝見しました。まあ、私たちの意味するようなアルコール飲料(成人が酔うために飲む)としての意味あいではないという意味なら正しいんですけど、酒を禁止してる教派の人にとっては、ここは大問題なんでしょうね。

 5章はまた「若いやもめ」批判。これは前回書いたので省略します。

 6章冒頭の「くびきの下にある奴隷はすべて、自分の主人を、真に尊敬すべき者として仰ぐべきである。それは、神の御名と教とが、そしりを受けないためである。」っていうのは、アメリカでは奴隷制度の維持に悪用されました。黒人奴隷たちに「ほうら聖書にこう書いてるだろう」なんて言うわけですね。体制側はえてしてキリスト教を自分の都合のよいようにねじまげるし、キリスト教の側もえてしてこういう体制側の肩を持っちゃうんですね。アメリカの黒人の間にイスラム教が広まったのは、もともと祖先の宗教だったというだけじゃなく、キリスト教が自分たちの味方になってくれなかったからという面もあるんです。

[825]罪のない者がまず石を投げよ
投稿者=真理子
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掲示日=2011/08/07(日) 03:59:35
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 今日は立秋、今日から秋ですんで壁紙の色も秋色になりました。
 あれ、昨日菅直人さんは脱原発を言ったんですか? 私の耳ではあんまりはっきり聞こえなかった、というか、あの程度では脱原発って言えないような気がするんですけど、またしても(不信任案のときに退陣を言ってないのに「退陣を」と報じたような)新聞の誤報でしょうか。

 さて、「罪のない者がまず石を投げよ」ですけど、これは読者のみなさんが「娼婦っていうのは石打刑にするほどの罪びとと言えない」というふうに、娼婦に対して感情移入ができるから成り立つ話なんで、そうでなければ、あらゆる悪徳に対する懲罰を無力化してしまう危ない話だと言えるんじゃないでしょうか。
 「姦淫の女」のところに「カンニング学生」「駐車違反者」「万引き犯」「強盗犯」「レイプ魔」などいろいろ代入していけば、そのことがよくわかります。
 とすると私たちは、売春っていうのはたいした罪じゃないし、むしろ売春をしなければ生きていけない女性をかわいそうと思ってる、悪いのは社会や女を買う男って思ってるってことなんでしょうか。
 ヨハネ8章は人気のある箇所でしょうが、「罪なき者が石を投げよ」という論理は、非常に限定された状況でなければ成立しないってことを知りながら読むべきところだと思います。

 ついでに売春の話。
 かねがね書いておりますように、私自身は売春肯定、少なくとも否定はしません。人間の性の非常に根深いところに根拠を持つ商売で、どんな社会にもなんらかの形で必ず存在するものなので、法律や道徳で禁止しても無理なんじゃないかと思います。
 まして多くの日本人のように、「人に迷惑をかけない」ことを唯一の倫理基準としていると、売春っていうのは誰にも迷惑をかけていないので、禁止する根拠がありません。援助交際をする少女を大人が叱ることができるのかっていうのが、宮台真司先生が問いかけたことなんじゃないでしょうか。
 先日書いた近親相姦と同様に、売春を否定するなら「ダメなものはダメ」ということで否定しなきゃいけないし、それでも破る人は多い。少なくとも近親相姦よりははるかに破る人が多いんじゃないでしょうか。