真理子の聖書日記 真理子の聖書日記

このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[819]詩編99-101編
投稿者=真理子
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掲示日=2011/08/03(水) 11:02:31
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=99&mode=0
 今日の3つは短くていいですね。
 どれも有名ですけど、特に100編は、交読文にも入っていて有名です。
 日本には昔から叙事詩のような長い詩というのが発達しなかったので、こういう短い詩こそ詩らしいという感じがします。

 ところで思うんですが、詩編の中でも119編のような猛烈に長い詩とか、ヨブ記や預言書の多くのように詩の形で書かれた文書を、原文の改行位置を守って訳さなきゃいけないっていう発想はヤメにしましょう。これはかねがね主人が言ってるんですけど、インドのマハーバーラタというとてつもなく長い詩があって、これを上村勝彦先生という方がちくま学芸文庫で訳して、その途中で若くしてお亡くなりになったので未完のままになってます。この先生の訳し方って、完全に散文として訳してるんですね。いちいち改行するよりそのほうが読みやすい。どうせ原文の韻律なんて訳では表現できないんですから。
 それから、これはギリシアの叙事詩なんかでもそうですけど、同じ人のことをいろんな表現で呼ぶことがあります。たとえば王様に対する長い長いセリフの中で「大王よ」「敵を苦しめる王よ」「クルの息子よ」「バーンドゥ王の子よ」「バーラタよ」みたいに、目の前の王様に対していろんな呼びかけの仕方をしたりします。これは韻律あわせなんですね。意味なんかないんです。だって目の前の王様に言ってるんですから。インドの詩は、音節の数とか長短とかが決まってる。それを守るためにこういう無意味な語句を挿入するんですね。そういうのを上村先生は全部省略しちゃう。あるいは、「アルジュナよ」じゃなく「カウンテヤーよ(同一人物の別名)」となってても、「アルジュナよ」に統一しちゃう。これって超訳なんでしょうけど、そのほうが読みやすいんですね。
 そんなわけで、聖書の長い詩も、そういう超訳をしてくれれば、もう少し読みやすいんじゃないかって思うことがあります。
 ともあれ、短い詩は最高ですわ。

[818]歴代誌上10-14章、シラ22章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/08/02(火) 13:20:40
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●歴代誌上10-14章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ch&chapter=10&mode=0
 最初から最後まで系図と名簿だけで終わるのではないかという感のあった歴代誌も、10章になるといきなり、どこかで読んだ話になりました。そう、ここからはサムエル記〜列王記の話と共通するものが多くなります。
 たとえば13章、契約の箱に触れたウザを神様が殺してしまう話は、サムエル記下6章にありました。やっぱりこの契約の箱っていうのは原発だったのかしらね。
 ですが、歴代誌を読むコツは、「書かれていないものを読む」こと。つまり、サムエル記や列王記に書いてあるのに歴代誌に書かれていない記事をリストアップしていくことです。そのことで、歴代誌の特徴が見えてくるのです。
 逆に、歴代誌にあるのに、サムエル記や列王記に書いてないものを探していくのも大事です。
 しかし、書いてあるものを読むだけでも大変なのに、書いてないものを読むというのは大変ですね。
 「そんなの、引照つき聖書なら簡単じゃん。聖書本文を読みながら、引照欄が真っ白けになってるところを探せばいい」と思うかもしれませんが、引照はけっこう細かいレベルでつけてあるので、全体としてそのエピソードが書かれていなくても、人名や地名が出てくるだけでも引照が書かれちゃうことが多いので、けっこう大変です。やってみればすぐわかります。
 新聖書注解(修道士の皆様は読めますよ)には、「サムエル記、列王記、歴代誌対照表」があるので、「あ、ここがどかんと抜けている」というところが、一方にあって他方にない話です。こういうものを使うとすぐわかります。でも新聖書注解のものは章・節だけなので、内容で読みたいところですね。内容で読めるのは、浅見定雄さんの『旧約聖書に強くなる本』(旧版なら修道士の皆様は読めます。新版は現在販売中です)です。
 まず、歴代誌に書いてない話は、サウルとダビデの対立、それからサウル死後もダビデはサウル家のイシュ・ボシェトと対立したのでした。ダビデが全イスラエルを制圧するまでは、実質的に2王朝並立みたいになつていた時期があったのですが、そんな話がまったくありません。
 逆に、歴代誌12章のダビデの勇士たちの話が、サムエル記にありません。
 11章ではダビデの「三勇士」が出てきます。これはサムエル記下23章にもありましたが、歴代誌のほうは、ヤショベアム、エレアザル……、あれ、あれ、あれれれれ。三人目がありません。サムエル記のほうではヨセブ・バッセベテ、エレアザル、シャンマ。一人目の名前が違うじゃありませんか。しかも、歴代誌上11章でエレアザルがやった「麦畑防衛」は、サムエル記じゃシャンマがやったことになってます(ただし麦畑じゃなく豆畑)。エレアザルがやったのは「剣をしっかり握って戦いぬいたあまり剣が手から離れなくなった」ことじゃありませんか。どうみても歴代誌は、エレアザルの功績とシャンマの名前の部分がすっぽり抜けちゃったとしか思えません。なんだかな。
 まあ、こういうふうにサムエル記(列王記)と比較して楽しむというのが、歴代誌の楽しみなんです。

●シラ22章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=22&mode=0
 なまけ者に関することわざがいっぱい。
 ところで、1節の「汚れた石」っていうのは、どうもウンチを拭いた石らしいです。昔は紙で拭かないで石で拭いたのね。なんか痛そう。あ、でも砂漠では、砂で洗浄するっていうのがごく一般的らしい。モンゴルに行った友人(♀)は、すっかり草原でのおトイレに慣れてしまい、「これでなきゃイヤになる」と言っておりました。ウォシュレットみたいにさらさら落ちるらしいです。