真理子の聖書日記
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このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[808]民数記1-4章、シラ18章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/07/25(月) 10:55:11
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●民数記1-4章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=num&chapter=1&mode=0
月曜日に順次読み進めてきた律法は、今日から民数記になります。
ヘブライ語聖書ではモーセ五書(創世記〜申命記)は、冒頭(近く)の単語がそのまま書名になっているのですが、後の翻訳では内容を考えた書名がつけられました。この本はヘブライ語では冒頭から5語目の???????????(ヴェミデヴァル。荒野において)がタイトルになってます。後の翻訳では、たとえばLXXのように???????(「数」の複数形)、ヴルガタのようにLiber Numeri(数(の複数形)の本)のようなタイトルがつけられ、ここから英語タイトルのNumbersも来ています。それが漢訳経由で民数記略とか民数記とかになりました。
これらのタイトルは、今日読む冒頭の人口調査から来ているんでしょうが、最初から最後まで人口調査をしているわけではないので、むしろヘブライ語の「荒野において」のほうがいいかもしれません。
レビ記という非常につまらない本のあとに来て、しかも冒頭が無味乾燥な人口調査、それがタイトルになってるせいで、この本もクリスチャンにはあまり読まれる機会が多くないかもしれません。
しかし、この本はモーセ五書後半の最大のヤマ場になっているのです。
今日のところではまだ出てきませんが、イスラエルの民は決してモーセに従順だったわけではありません。あまりに苛酷な砂漠の放浪の旅にがまんできなくなった民は、たびたび反乱を起こします。その最大のものが民数記に書かれております。
小学校のときに習った日本史では、大化の改新のあとたいした事件もなく奈良時代へと突入した感がありますが、実は天皇家最大の内戦といえる壬申の乱がその間にあったことはみなさんご存知でしょう。小学生には「天智天皇ばんざい、中臣鎌足ばんざい。この二人の力で日本の基礎はできたのよ」と教えたいんでしょうが、実際はそう単純だったわけじゃないんだよってことです。
同様に、出エジプト記後半以降があまりにつまらないのでシカトしているクリスチャンは、この間の流れを「モーセがエジプトから民をひきつれてカナンに導き…」みたいに単純にとらえていることと思いますが、そんなもんじゃなかったってわけですね。
ちゃんと民数記もしっかり読んだフロイトは、『モーセと一神教』で、モーセ暗殺説を展開しています。実はモーセは民に殺されちゃったというわけですね。一応これはトンデモ本扱いされてますが、面白いので私はよく援用します。
さて、今日読む人口調査はまことにつまらないのですが、これはヨシュア記の時に書いたように「名簿の価値」ととらえるべきです。名簿というのは部外者にはまことにつまらないものですが、当事者には非常に重要で、時として高値で取引されるものです。
今はやってるのかどうか知りませんが、サンデー毎日なんかの「東大合格者高校別全氏名」というのはバカ売れするんだそうです。もちろん当事者が買うだけでなく、小学生対象の塾の先生たちが買って、6年(以上)前に卒業した子の名前を発見する楽しみというのがあるんだそうな。そういうもんだと思ってください。
この人口調査で徴兵できる男だけで603550人いたことになってますから、女子どもを合わせてざっと100万。こんな大人数の集団が40年間も砂漠を放浪していたはずがないんですけどね。その間に子どもが生まれたり死んだりもしただろうに……と、平凡社『宗教と現代がわかる本2011』で秦剛平先生が批判していますが、秦先生が書かずとも誰でもわかることですね。ただの神話です。秦先生もこんな駄文書いてないで早くLXXの翻訳の続きを出してほしいんですけど。
●シラ18章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=sir&chapter=18&mode=0
最後の「財布に一銭もないのに、乞食のように借金してまで飲み歩くな。」には苦笑してしまいました。そういえば昔読んだ湯浅学『ディープコリア』にも、これから韓国に貧乏旅行をしようという著者たちが下関で見た落書きに、こんなことが書いてありました。いつの世にも真理ですね。そして、わかっちゃいるけど、やっぱり借金してまで人は飲んでしまうんです。
[807]2テサ1-3章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/07/24(日) 11:24:29
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2th&chapter=1&mode=0
テサロニケの信徒たちへのもう一つの手紙。一応パウロ真正の手紙とされていますが、1テサとの関係はよくわかっていません。
短い手紙なので、通読は今日一日でおしまいです。
迫害の中でがんばっている教会への激励ですが、メインは2章。いつの時代もそうですけど「終末は近い」とふれまわる人がいるんですね。それをパウロは否定します。
あれ、でも、パウロだって、生きてる間に終末が来るって言ってたんじゃありませんでしたっけ。しかも同じテサロニケにあてた手紙の中で(一テサ4:15 [796])。
パウロによれば、ホンモノの終末の前には「不法の者」つまり偽キリストが現れるってことらしいです。悪いやつらはこの偽キリストにだまされて自滅していき、だまされなかった人が救われるというシナリオだと言ってます。
今日のところでは、「働かざる者食うべからず」の出典となった二テサ3:10が有名です。これって聖書の言葉だったんですね。旧約聖書の考え方によれば労働っていうのは罰なんです。本来はしなくてよかったんですが、アダムの堕落によって人間は労働しなければ生活できなくなった(創3:17-19)というわけです。暑いメソポタミアではどんな労働もつらかったんでしょう。
パウロによれば終末は生きている間にすぐにでもやってくるので、それまでの短い間に食いつないでいくことさえできればあんまり労働しなくてもよさそうですけど、労働をしないと怠惰な生活になり、最後の審判のときにマイナスポイントになるということで、労働を命じているのです。
仕事がきついときは、遊んで暮らせたらいいと思うものですけど、働かなくなっちゃうとあっという間にぼけちゃいますからね。だんなの父親がまさにそう。私も何度もプーだったことがありましたけど、次の仕事を見つけるだの、気のあせりなどで、結局何もできませんでしたね。何か仕事をし続けて「ああ忙しい。休みがほしい」と言ってるほうが幸せのようです。