真理子の聖書日記 真理子の聖書日記

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[795]ヨハネ1-2章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/07/16(土) 10:32:27
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=guetz&book=joh&chapter=1&mode=0&direction=0

 福音書は今日からヨハネによる福音書です。
 ヨハネ福音書は、はじめて日本語に訳された聖書ですね。ギュツラフ訳(1837)。中国で活躍したドイツ人宣教師。3人の漂流漁民から日本語を学んでヨハネ伝を翻訳、シンガポールで出版しました。
 聖書を全部翻訳するのは大変なので、旧約は後回しにしてまず新約からとか、新約全部も大変ならまず福音書からとか、重要だと思われる書から翻訳するのが普通ですが、ヨハネ伝が最初だってことは、4つの福音書の中ではこれが一番重要だと思ったのでしょうか。
 1章を読んでおわかりのとおり、光だの闇だの、非常に哲学的なんですけど、ここに出てくるイエス様は、かなりいっちゃってますよね。2章なんか、実のお母さんにむかって「おなご、おまえ、わしとともになにをせるか」(ギュツラフ訳)はないでしょう。私なんかこういわれたらばしばし平手うちしてやりますわ。
 ヨハネに出てくるイエス様は教えの権化という感じで、血が通っていない。後にいろいろ出てきますが、びっくりするほど残酷なことも平気で言ったりしたりします。
 こんなふうに非常にクセのある福音書なので、共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)のイエス様に親しんでいる人にはとてもとっつきにくいのですが、逆に、理屈をこねくりまわしたい人、オカルト・神秘が好きな人など、いっちゃってる方にはヨハネのほうが面白い。そんなふうに人を選ぶ福音書です。

 冒頭の「はじめに言葉があった」はとても有名。結局この言葉ってイエス様なんですよね。
 イエス様を神格化すると、じゃイエス様出現以前の人たちは救われないのかってことになっちゃいますけど、それに対抗して、実はイエス様は世の最初からいたという考え方があります。たとえば創世記では、一神教の神様がなぜか「われわれ」などという言葉を使っているところがありますが、それを根拠に「ほら、実は神様の隣にはイエス様もいるんだ」なんて言ったりするんですね。
 そういう考えが、ヨハネの冒頭にも反映しています。
 ギュツラフの「はじまりに、賢いものござる。この賢いもの、極楽とともにござる…」なんていうのは、日本語になってないという批判が多々ありますけど、じゃ今の訳の「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった」がわかりやすいかというと、全然そんなことはありません。ケセン語の山浦玄嗣先生は「初めに在ったのァ、神様の思いだった。思いが神様の胸にあった」と、解釈をまじえた意訳をしています。そのくらいにしないとわからないところ。それを考えれば、ギュツラフもけっこういい線いってると思うんですけどね。神様というと白いひげをはやしたおじいさんみたいな人格神をイメージしてしまう人にとっては、極楽くらいに言ったほうがむしろいいんじゃないかしら。

[794]19世紀
投稿者=HK. J.
掲示日=2011/07/15(金) 22:40:32
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ほんとうに、19世紀の名著、偉大なものが数々ありますね。聖書関係だと、辞典・コンコルダンス・注解書・文法書などなど。

Thayerのギリシャ語辞典もコンパクトな割りに、いいですね。それを拡張・補充したのが、Bauer-Danker-Arndt-Gingrichのギリシャ語大辞典ですけれど、用例が豊富で、定義が細かいこと、広い時代の意味を扱っていることが売りです。
でも、ちょこちょこと聖書の原語をチェックするのにはThayerが手ごろですね。

ただ、気をつけないといけないのは、Thayerの後に、革命的とも言えるギリシャ語語彙の解明の進展があったということなので、Thayerの語彙の定義には曖昧なもの・推測によるものがあるらしいことです。

ギリシャ語でも、ヘブライ語でも、辞典の系譜っていうものがあるらしいので、それを知っておくと、使い方のヒントになるかもしれませんね。

ヘブライ語の場合だと: Wilhelm Gesenius -- BDB -- Koeler-Baumgartner -- William Holladayです。