真理子の聖書日記
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このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[738]レビ記16-18章(あるいは近親相姦考)
投稿者=真理子
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掲示日=2011/06/28(火) 02:42:29
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=lev&chapter=16&mode=0
なんか昨日はつかれちゃって、通読箇所のアップを忘れちゃったわ。
昨日はシラ書4章もありましたけど、明日のシラ書5章とまとめちゃいますわ。
レビ記18章って近親相姦の禁止を規定してますが、「私は主である」というリフレインが印象的ですね。クリスチャンにとってレビ記なんて全然面白くないんで、一般向けのレビ記の説教集なんか見ると、むりやりにこの「私は主である」というリフレインのところからありがたい信仰心を引き出そうとしてたり、苦労してますよ。
同様に奇妙なリフレインがあるのが申27で、「民はみなアーメンと言わなければならない」というしつこいリフレインが印象的。あ、ここも近親相姦ネタだわ。
うーむ、近親相姦のタブーって非常に重要だから、一つ一ついちいち「ほら、ほら、わかったか。ぼけっと聞いてるんじゃないぞ。居眠りしてるんじゃないぞ。あとから『聞いてませんでした』なんて言ってもダメだぞ。一つ一つ返事をしろ!!!」って強要されてる感じですね。
キリスト教立川流を標榜するほどセックスにおおらかな(なにしろ牧師=私=が岩井志麻子さんなみにエロおばさんですから)うちも、さすがに兄妹でエッチしてもいいよ、父娘もOKよ、母子? いいんじゃないの? なんて絶対に言えませんよね。
だから以下は、決して近親相姦を勧めてるわけじゃなく、一つの問題提起というだけなんですけど……
近親相姦ってそんなにタブーですか?
考えるのもおぞましいって思うかもしれないけど、その割に、エロビデオサイトなんか見ると、近親相姦ネタのAVっていっぱい作られてて、人気も高いらしいです。もちろんほとんどは演技なんでしょうけど、やっぱり近親相姦の設定って、殿方の心を刺激するんじゃないかしら?
実は昨日は私たち夫婦も近親相姦をしてしまいましたわ。
夫50妻40の私たちは、もう本能のおもむくままのセックスができない。完全に体力も性機能も衰えちゃったんで、あらゆるエッチな妄想をふりしぼらないとできないんです。そんなわけで最近は「成人合宿(童貞処女卒業講座)」 http://www.privatecare.jp/s-j.html の設定でやってみようとか、わが家はすっかりイメクラと化しております。
日曜日にTwitterで私は、エフタの娘の話が腹立たしい(この掲示板で[460]で書いたことの蒸し返しです)とさんざん毒づいて、「実録エフタの娘」という日活ロマンポルノ風の脚本を書くわとまで言ってしまいました。
真っ黒こげにされるまでの猶予期間2ヶ月の間に、聖書じゃ女友達とハイキングに行ったことになってるけど、実はそれはアリバイで、イスラエル全土を男漁りの旅をしていた! というのが梗概ですが、実際にこのネタでエッチをしてみようと主人に提案しました。
すると主人は「じゃエフタになる」と言い出しました。
えっ、それじゃ父娘の近親相姦じゃない!
「それがいいんだよ。……パパ大好きよ。愛するパパのために私は犠牲になるわ。そのかわり、私もセックスを知りたいの。私の初めての人になって、お願い……とかね。ああ、考えただけでドキドキしてきた」ですって。お付き合いしましたわ。主人はさんざん興奮しておりました。
私の家はいろいろわけありで父や母を憎みながら育ったし、兄弟もいなかったんで、近親相姦の衝動って私にはまるきりないです。父とは大喧嘩したきりいまだに音信不通でして、セックスしようなんて思いもよりませんわ。
でも、子どものときに父親とほとんど恋人のようにスキンシップをする女の子ってけっこう多いから、ほうっておくと父娘相姦ってけっこう発生しそうよね。
はっきり言って主人はマザコンです。主人のお母さまは死にましたから「マザコンでした」と言うべきか。昨日も「真理ちゃんごめん。このAVダウンロードして」と言うので見たら、母親が実の息子の筆おろし(童貞卒業)をさせるものでした。主人はそういう衝動が強いみたいです。そんなことだから恋人も作らず、私と出会う43歳までオナニー専門で生きてきたのね。
そう。母子相姦がなぜいけないかというと、「それで間に合っちゃうなら結婚しようとしなくなっちゃうから」なんです。
世間じゃ、近親相姦のタブーは「障害をもった子が生まれやすいから」なんて言ってますけど、はっきり言ってそれは後から発見された理由にすぎません。また、「自己と世界の関係が崩壊するから」なんていう説もありますね。つまり人間は、この人に対して私はこう、みたいな他者との関係の上に自己を規定していく。その基本が「この母に対して私は息子」なんで、これが崩れて男と女の関係になっちゃうと、世界が崩壊するっていうわけです。これもウソですよ。セックスしようと母子は母子です。しょせんは、性器を結合させるかどうかだけの話でしょ。母子でキスしただけで世界が崩壊します? バカも休み休み言ってほしいわ。
結婚が家と家とのつながりだった時代は、女性は交換されるべきものですから、「商品には手を出すな」ってわけで、自分の家の女とエッチしちゃうと人の家にあげられなくなっちゃうからっていうのが、近親相姦のタブーの理由です。
これが都市になると、人は一人ひとり住むようになる、せいぜい小さな核家族になっちゃう。だからそういう「女を交換する」必要がなくなっちゃうんで、タブーがなければ身近な女とやっちゃうようになるんです。メソポタミアもエジプトも都市文化の発達したところですから、近親相姦がいっぱい生まれてきたんでしょう。強いタブーを作って禁止しなきゃいけないほどに。
バベルの塔の話、何が神様の逆鱗に触れたかというと、でっかい塔を建てようとする人間の思いあがりというだけじゃありません。創11:4,9を見てください。塔を建てると全地に散り散りにならずにすむらしい。それを神様が禁止し、人々を散り散りにしたのです。「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」(少しずつ言葉を変えながら創世記に5回も出てくる)というわけで、増えて「ばらばらになる」ことを神様は望んでいるんです。いろんな人と交わりながら、世界の隅々にまで広まりなさい、と。狭いところにじっとしてて近親相姦やってる場合じゃないぞってわけです。実際、アメリカへの移民って、血族の純潔を守るためにタブーに触れない程度に近親の関係の人と結婚するっていう人たちも多かったですから。
そういうのが、レビ記18章や申命記27章の、近親相姦を一条一条しつこく「私は主だ」「アーメンと言え」と言いながら規定してる理由なんですね。
近親相姦に興味を持ったアナタのために、ネットで気軽に読めるおかずを紹介しますわ。
どちらも私たち夫婦がイメクラ風実演をして、けっこう盛り上がったものです。
兄妹ネタ http://www.w-paper.com/chemie/experience/guestreport/lady/mai1.html
母子ネタ http://web.thn.jp/foreveryouko45/0603kazoku/kazoku00mokuzi.htm の13から21まで
ほら、どっちも興奮したでしょ? 女の私ですらドキドキしますもの。
まあ、私はイエス様みたいに、想像するだけでも罪だなんて言いませんから、こういうのを見て、近親相姦って何だろうって考えてみてはいかがでしょう?
[737]コロサイ1-2章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/06/26(日) 10:12:34
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=col&chapter=1&mode=0
コロサイというのは小アジアのフリギア、いまのトルコの内陸部、
http://uk.wikipedia.org/wiki/%D0%A4%D0%B0%D0%B9%D0%BB:Map_of_Epistle_to_Colossians.png
のKolosyってところです。
エフェソ、フィリピ、フィレモンと並んで「パウロ獄中書簡」の1つですが、コロサイはどうも「なりすましパウロ」のようです。いずれにせよ、近くにあるラオデキア(上の図ではLaodycea)同様、苦しい状況の中で信徒たちが動揺しているようで、「お前たちのためにオレはがんばって戦っているのだぞ」(コロ2:1)と励ましています。
また、他の獄中書簡もそうですけど、戦意が先鋭化しているところがあり、「人にだまされるな」とか「今までの律法なんかどうでもいいのだ」とか、煽りモードになっているのにご注意ください。
それからコロサイの特徴は、キリストが大昔からいたのだ、という考え方を強調していることです(1章)。そもそもナマのイエスを見たことのないパウロは、キリストが私たちの罪のために死んでくださり復活した、という1点のみを強調するんですが、それじゃイエス様出現以前の人はどうなっちゃうのかってことになりますから、実はキリストは最初からいたんだ、という考え方を示しているんです。これはヨハネ福音書に特徴的な考え方ですけど、パウロ書簡の中にもそういう考え方があるんですね。あ、これって「なりすましパウロ」でした。実際、これがニセモノのパウロだって主張する人は、今の点がパウロの思想とは考えられないっていうことを根拠にしてるみたいです。
あと、新約の外典に「ラオデキアの信徒への手紙」っていうのがあります。普通の聖書には入ってませんが、ラテン語訳(ヴルガタ)のおしまいに付録のようについてます。これがコロサイの姉妹編のような手紙ですので、ぜひお読みください。短いですから。
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=lao&chapter=1&mode=0