真理子の聖書日記 真理子の聖書日記

このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[731]列王記下6-10章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/06/21(火) 10:52:16
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 シラ書1章もありますがまずは列王記下6-10章の話だけ。

http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ki&chapter=6&mode=0
 エリシャのエピソードの続き。
 時代は南北ともにヨラムという名前の王が在位しております。区別するときは、王下8:16のように、北=アハブの子ヨラム、南=ヨシャバテの子ヨラム、などと言います。
 北は9代目(在位BC849-842)、南は5代目(在位BC849-842)。在位年代はWikipediaのものをそのまま流用しています。Wikipediaだと在位年代がまったく同じですね。でも列王記だと、南ヨラムの即位=北ヨラムの5年目です(王下8:16)ので矛盾があります。
 列王記の記述を単純計算して年表を作ってみればすぐわかるのですが、計算が合いません。暦が違うんだろうとか、「第何年」という言い方が在位の開始年を含む含まないという違いだろうとかいろいろいわれております。まあだいたいこのあたりだと適当に読んでください。
 6章7節までの「水の中に落としてしまった大切な斧を拾い上げてあげる奇跡」以外は、イスラエルとスリヤ(シリヤ。新共同訳や新改訳ではアラム)との戦いの中でのいろいろな奇跡が続きます。

 南はヨラム王のあと、アハジヤ(アハズヤ)王が即位します(南6代目。BC842)。たった1年しか在位していないのは、次にご紹介するエヒウのクーデターのときに北ヨラム王のお見舞いに来てまして、かわいそうにクーデターに巻き込まれて殺されちゃうんですね。その後どうなるかは11章のお楽しみですが、お母さんのアタリヤが即位しちゃうんです。

 北の話に戻します。北はアハブの子ヨラムの世が続いているのですが、バール神崇拝をやめないので、神様は将軍エヒウ(エフー、イエフ)にクーデターを起こさせます。もちろん神様には口がなく言葉は通じませんので、預言者エリシャに謀反をそそのかせるわけです。
 エヒウは先代王アハブの妻イゼベルを残虐にも突き落として殺します。このときのイゼベルのことば「主君を殺したジムリよ、無事ですか」(王下9:31)は、列王記上16章にある、七日天下のジムリの話です。謀反人のお前なんかどうせジムリのようになるのさ、という挑発ですね。
 その後エヒウはアハブ家の一族をみんな殺して北10代目として即位します(842-815)が、血がつながってるわけじゃありませんから、実質的に新しい王朝ですよね。
 エヒウは北王国唯一の名君ということになっていますが、それはバール神崇拝を一掃したためですね。列王記の作者にとっては、実際の政治なんかどうでもよく、ヤハウェさん以外の神を追放すれば名君なんですね。やり方がすごいですよ。バール神のおまつりをするぞとバール神の祭司をだまして呼び寄せてみなごろしですからね。なんだかなぁ。
 ホント、ヤハウェっていうのは罪深い神様ですよね。こんな血なまぐさい神様の宗教がキリスト教だのイスラム教だの世界宗教になって今に至るまで続いてるから、世の中に戦争が絶えないんです。バール神が広まったほうがよっぽど世界は平和だったんじゃないかと思うことがしばしばですわ。
 そして笑っちゃうのは、そんなエヒウもその後はヤハウェさんを見限って別の神様を崇拝しちゃうんですよ。ヤハウェさんが全知全能なんてホントかしら? よっぽどヤハウェさんって人を見る目がないみたいですね。いじけたヤハウェさんはこのころから、北王国そのものを滅亡に導こうと画策するようになりましたとさ。
 エヒウの死後はエホヤハズ(ヨアハズ)が北11代目として即位(815-801)。

[730]レビ記13-15章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/06/20(月) 12:26:27
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=lev&chapter=13&mode=0
 ふだん旧約聖書なんか、ましてレビ記なんか開けもしないクリスチャンが、にわか律法学者になって引用したがるのがレビ記15章です。
 ほうら、精子が出ちゃったら夕方まで汚れるんだよ。だからオナニーなんかしちゃだめよ!
って。
 こういうのを私は「聖書のつまみ食い」と呼んでおります。何か自分の気に食わないものを禁じたいとき、聖書を探して、それらしい箇所を探して来るんですね。
 そういう人は、聖書を信じてるんじゃなくて、自分の信じてるもののために聖書を利用してるだけなんです。聖書が先なんじゃなく、聖書が後。

 オナニーなんて、いま男性はまるきり罪悪感ないでしょうし、女性もそうなりつつあるんじゃないでしょうか。でも少し前までは、女性がオナニーをするなんて口が裂けても言えませんでしたし、主人が中学生のころ、昭和40年代あたりまでは、男性でも罪悪感を抱く人が多かったらしいです。だいたいこういうのって、まず男性のタブーが破られて、しばらくして女性に波及して来るのよね。
 それでもいまだに男性のオナニーを罪悪視する方がいらっしゃるようで、そういうときにクリスチャンが引き合いに出す聖書の箇所が、このレビ記15章というわけです。

 でも、レビ記15章のどこに「自慰」なんて書いてあるのかしら? 精子をもらしちゃったらこうこうとは書いてますけどね。
 じゃ、女性は関係ないですね。じゃ私は誰はばかることなくオナニーに励むことができますわ。よかったわ。
 私の2つ上の世代ぐらいで、女性運動やってた人は、オナニーの講習会とかやったそうですよ。自分の体を知ることが女性解放の第一歩ってわけです。そもそも女性は体の構造上、自分の性器が見えないし、他人のだってよく見えませんから、性器の構造に無知な子って多いんですよ。男性は自分のおちんちんが見えますから理解しにくいかもしれませんが、肛門ならわかるでしょ? 肛門って、見えないですから、病気でもしない限り見ないですますことができますんで、汚いところだし、見たくないし触れたくないって男性、多いんじゃないですか。女性はそれを自分の性器に対して感じてるんですよ。そんなんじゃダメ。まずは自分の性器を観察し、他人の性器を観察し、構造を熟知し、どこをどうすると気持ちいいか、なんてことを勉強しあったらしいです。
 女性はともかく男性はどうでしょう。
 ゆうべうちの主人に取材したところ、主人の精通、すなわちはじめての射精体験は、オナニーだったらしいです。主人は夢精って一回もしたことがないらしい。
 小学校5年生のある日、両親の外出中に、裸になっておちんちんをいじってたら、急に強烈な尿意を催した。トイレに行こうとするんだけど間に合わない。あ、もらしちゃったと思ったら、それはおしっこじゃなくて白いものだったのでびっくりした、というのが主人の射精初体験。
 あれ、そうすると、そのころ主人がしていたオナニーは、射精を意図したものじゃなかったってことですよね。
 そんな主人も40歳を過ぎたころから性能力がすっかり減衰し、オナニーをしても射精に至らず、疲れてやめてしまうなんてことのほうが多くなったらしいです。
 ということは、たとえ男性であっても、オナニー=射精ととらえるのは誤りだってことですよね。
 じゃレビ記15章なんてまるきり関係ないじゃありませんか。
 16節はともかく18節は「女と寝て精を漏らす」んだからこれは普通のセックスですね。じゃレビ記を根拠にオナニーを禁止する人は、セックスも禁止するんでしょうか。少子化に歯止めがかからないわね。最後の審判より人類の滅亡が早そうよ。
 そもそもレビ記15章は、「〜するな」じゃなく「〜したらこうしろ」なんですよ。禁止なんかしてない。女性の生理の話もいろいろ書いてますが、生理を止めることなんかできないわけですからね。

 長くなりましたが、そんなわけで、世の殿方、オナニーをなさりたければご自由にどうぞ。

 あと、13-14章はらい病関係の話。最近は「らい病」という言葉自体が差別用語とされていますし、レビ記は明らかにらい病と関係ないものまでらい病扱いしてますから(13章47節以下、「衣服のらい病」なんていうヘンなものが出て来ます)、新共同訳では普通のらい病を「重い皮膚病」、衣服のらい病を「かび」と訳し、新改訳では一律に「ツァラアト」としてます。
 でも、聖書は差別の時代に書かれた本、科学の知識が乏しかったころに書かれた本なんだから、差別のニオイのこもった「らい病」という訳語を、衣服のかびに対しても一律に使うっていうのが、正しい方法だと思います。