真理子の聖書日記
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[719]ピリピ(フィリピ)書1-2章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/06/12(日) 09:06:04
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=phi&chapter=1&mode=0
bit.lyによるURL短縮、意味ないんでやめますわ。
フィリピというのはマケドニア南西部の地名。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94
いま、バカ亭主が「ギリシアを子どものおちんちんに見立てると寒くて縮こまった袋の後ろの付け根って書けよ」と茶々をいれてますが、まあそんなところです。でも、男性器に見立てるならインドシナ半島のほうがはるかにリアルじゃないかしら。
ところでこのウィキペディア、見出しが「ピリッポイ」ですね。古典ギリシア語だっていうならまだいいんですけど、「現在の都市フィリッポイ」「日本語聖書の訳語慣行ではピリピ、フィリピとも」って書いてるのは読み方がウソですよ。これじゃまるでフィリピというのがウソ読みのような気になりますけど、??は現代ギリシア語ではオイじゃなくイなんです。だからフィリピでいいんですよ。
ふだんから古典ギリシア語を読むときに現代語式に読まないから、こんなウソを書くんです。
で、前回のエフェソ、今回のフィリピ、次のコロサイ、ちょっと飛ばしてフィレモンをまとめて「獄中書簡」と言います。パウロが獄中で書いたというわけです。もっとも前回のエフェソと次のコロサイはパウロのなりすましが書いた手紙ですけどね。
この中で、フィリピが一番獄中らしい書き方かもしれません。1章なんか、キリストの名において死ねるならうれしいんだけど、生きてたほうがもっと宣教できるし、なんて言ってますものね(フィリ1:21-25)。
人間、獄中で戦うとずいぶん思想が先鋭化するようで、フィリ1:29なんか、「苦しみだって神の恵みだ」なんて言ってますね。こういう言葉を信じて初期のキリスト教徒はどんどん殉教してったんでしょうか。映画『クォ・ヴァディス』みたいに競技場でライオンの餌食になったりね。複雑な気分だわ。だってローマなんか皇帝崇拝さえやれば異教の信仰には寛容な国だったのよ。その証拠にミトラス教とかマニ教とかペルシア起源の宗教が特に迫害もされずに流行したじゃない。キリスト教もそんな感じでローマとなあなあで広める道だってあったと思うのに。これは馬鹿パウロの罪よね。
使16:9-15に、パウロがフィリピに行ったいきさつが書かれておりますので、あわせてお読みください。
フィリ2:6-11は、パウロの考えに基づくキリスト教の根本的な考えがうまくまとまっているところなんで、よく引き合いに出されます。
[718]不正な家令の話
投稿者=真理子
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掲示日=2011/06/11(土) 10:39:38
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わけのわからない話を読むコツは、変な解釈をしようとせず、できるだけそのまま読むってことなんだろうと思います。
つまり、どうせ悪いことをやるんだったら、世のため人のために悪いことをしろ。そうすれば、いざというときにもみんなから助けてもらえるだろうっていう、このとおりの意味なんでしょう。
そして、8節の「この世の子らは光の子よりも利口だ」がパンチのある言葉です。悪人のほうが「いい人」より利口だぞ、異教徒のほうがクリスチャンより利口だぞ、ぐらいに読んでもいいんじゃないですか。
ヘンに道徳にとらわれちゃうと、「悪い」ことができなくなっちゃう。それは果たして世のため人のためになることなのかってわけです。
最近の例でいえば日本赤十字社に寄せられた義援金の件でしょう。日本赤十字社じたいが親方日の丸、お役人的なところなんでしょうけど、被災者に公平に義援金を配らなきゃいけないという言い訳をしながら何もせず、義援金をためこんでしまう。いざ配ろうってときには必要性が薄れちゃうというわけです。義援金なんて必要なときにパッとあげなきゃいけないんだから、不公平になってでもばんばん配ったほうがよかったんですよ。
いいことをするのにみせかけの正義なんかいらないってことなんでしょうね。
ところで、この話はみんなわけがわからないと思っているようで、これに関してするどい解説をしたところはアクセスが多いみたいですね。たとえばここ。
http://blog.livedoor.jp/ladybird_689/archives/51388599.html
http://blog.livedoor.jp/ladybird_689/archives/51636635.html
それから、ケセン語の山浦玄嗣さんは、「不正の富」について、これは「白い雪」みたいな強調的形容なのであって(赤い雪なんて存在しない)、そもそも富っていうのは不正なうさんくさいものであって、そういうものでも使いようなんだ、と解釈しています。