真理子の聖書日記
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このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[718]不正な家令の話
投稿者=真理子
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掲示日=2011/06/11(土) 10:39:38
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わけのわからない話を読むコツは、変な解釈をしようとせず、できるだけそのまま読むってことなんだろうと思います。
つまり、どうせ悪いことをやるんだったら、世のため人のために悪いことをしろ。そうすれば、いざというときにもみんなから助けてもらえるだろうっていう、このとおりの意味なんでしょう。
そして、8節の「この世の子らは光の子よりも利口だ」がパンチのある言葉です。悪人のほうが「いい人」より利口だぞ、異教徒のほうがクリスチャンより利口だぞ、ぐらいに読んでもいいんじゃないですか。
ヘンに道徳にとらわれちゃうと、「悪い」ことができなくなっちゃう。それは果たして世のため人のためになることなのかってわけです。
最近の例でいえば日本赤十字社に寄せられた義援金の件でしょう。日本赤十字社じたいが親方日の丸、お役人的なところなんでしょうけど、被災者に公平に義援金を配らなきゃいけないという言い訳をしながら何もせず、義援金をためこんでしまう。いざ配ろうってときには必要性が薄れちゃうというわけです。義援金なんて必要なときにパッとあげなきゃいけないんだから、不公平になってでもばんばん配ったほうがよかったんですよ。
いいことをするのにみせかけの正義なんかいらないってことなんでしょうね。
ところで、この話はみんなわけがわからないと思っているようで、これに関してするどい解説をしたところはアクセスが多いみたいですね。たとえばここ。
http://blog.livedoor.jp/ladybird_689/archives/51388599.html
http://blog.livedoor.jp/ladybird_689/archives/51636635.html
それから、ケセン語の山浦玄嗣さんは、「不正の富」について、これは「白い雪」みたいな強調的形容なのであって(赤い雪なんて存在しない)、そもそも富っていうのは不正なうさんくさいものであって、そういうものでも使いようなんだ、と解釈しています。
[717]放蕩息子の話
投稿者=真理子
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掲示日=2011/06/11(土) 09:57:40
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まずルカ15章の放蕩息子の話。
これととても似ているのが、創世記4章のカインとアベルの兄弟の話です。
カインもアベルもささげものをしたのに、神様はなぜかアベルのほうをひいきする。そこでカインはアベルを殺してしまいます。人類最初の殺人は兄弟殺しというわけですね。あ、当たり前ですね。だって世の中にはアダム、エヴァ、カイン、アベルの4人しかいないんですから、この時点で殺人をやるなら絶対に肉親殺しになってしまいます。そのくせカインのざんげの中で「わたしを見つける人は孰でもわたしを殺すでしょう」とかあるからには、世界にはこの4人以外の人がいるらしい。どこから来たのかしら?
それはそれとして、この話を読むとき、そもそも発端は神様のえこひいきなんだから、神様が悪の種をふりまいたように見えてしまう人が多いんじゃないかしら。
なんで神様はこういうえこひいきをするのか、創世記のほうには書いてませんけど、ルカの放蕩息子の話には最後に書かれてます。
神様は実はちっともえこひいきをしてないんですよ。神様としては、放蕩息子のお兄さんにもちゃんと恵みをふりまいてるつもりなんです。たぶんカインにもそうだったのでしょう。でも、受け取る側がそう思えなかったってことなんでしょう。
私がよく言う話ですけど、最後の審判で救われて天国に行ったとして、周りを見渡すと、「あ、あそこにいるあいつ、とんでもない悪い奴なのに、なんで救われてるんだよ!」なんていうことがいっぱいおきるのでしょう。それに耐えることができない人にとっては、天国は実は地獄にほかならない。天国と地獄って客観的には同じ所なんですよ。
だから、自分より悪い奴が救われるということ、放蕩息子が祝福されるということ、自分のささげものには見向きもされないのに他人のささげものをほめられるということ、こういうことに耐えられるような人が、天国に行く資格があるってことなんだと思います。
これはなかなかできないことですね。私なんか絶対に天国に行けないわ。