真理子の聖書日記 真理子の聖書日記

このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
真理子修道会の修道女/修道士の方のみ書き込むことができます。

掲示板運営方針(必読)




検索語 :
検索語[] ヒット数983

[677]ガラテヤ4-6章、知恵の書4-5章
投稿者=真理子
メールを送る
掲示日=2011/05/22(日) 10:13:52
ここから閲覧
●ガラテヤ4-6章
http://bit.ly/ifpJuu
 今日でガラテヤは終わりです。
 ガラテヤは「ユダヤ教との決別宣言」だと書きましたけど、今日のは激烈をきわめてますね。

  イサク=正妻サラの子=約束の子=「自由の女」の子=神との神聖な契約によって生まれた=キリスト教徒=割礼はダメよ。
  イシマエル=女奴隷ハガルの子=女奴隷の子は追い出せ!=肉によって(エッチな肉欲によって)生まれた=ユダヤ教徒=割礼が必要。

……なんですって。馬鹿パウロの誤れる歴史認識もここに極まれりというところですね。
 よく、イシマエルはアラブのご先祖で、だからイスラム教のほうでは重視するって話は聞きますけどね。
 ガラテヤはキリスト教にとっては重要な文書で、だからクリスチャンはガラテヤ好きですけど、これって使い方を誤ればユダヤ人迫害を正当化する危険文書でもありますから、馬鹿パウロのアジ演説にだまされないよう、頭を冷やしてお読みくださいませ。

●知恵の書4-5章
http://bit.ly/k6yEeN
 「子がなくても徳があるほうがいい」「短命でも道徳的に完全なほうがいい」っていいますけどね、最近私は、よごれた生き方をしても子をもうけて長命がいいっていう考えも否定しませんわ。それが人間じゃないかしら。あーあ、どうしてこんなに真剣にセックスをしてるのに、神様は私に子を恵んでくれないのかしら。「てやんでぇ。放射能が怖くてタンクトップにミニスカで歩けるか。どうせ私のようなばばあは後がないのよ」なんて啖呵をきってる罰かしら。

[676]キリスト教輪廻説
投稿者=真理子
メールを送る
掲示日=2011/05/21(土) 11:50:26
ここから閲覧
 天地創造以来生まれて死んだ人って総数何人なのかしら? 今年は天地創造以来5772年ということになっていますが、たとえこれと同じだけの時間をかけたとしても、さばきの時間が1人1分として、ざっと30億人ぶんしかさばけないわね。いま現在だけで地球には70億人弱の人がいるんですけど、最後の審判がいま訪れたとして、私の番がまわってくるのって、いったいいつかしら?
 こんなふうにちょっと計算してすら、キリスト教やイスラム教の最後の審判説がいかに荒唐無稽かがわかりそうなものですけど、みんな本気で信じてるのかしらね?
 考えてみれば、最後の審判が今来ようと何万年後に来ようと、被告の私たちはそれまではまるきり意識がないわけですからまるきり同じ。しかも法廷は個別でしょうから、随時にやろうと集団でやろうと同じです。
 そんなわけで最後の審判なんていうのは、昔の人相手にわかりやすく説明したメタファーに過ぎず、実際には個々人の死後随時に瞬時に個別に行われているものと思われます。
 つまり最後の審判は現在進行中なんです。
 あなたも死ねば、すぐに審判が始まります。1秒もしないうちに即決しますわよ。

 そして、前々から何度も言っておりますように、天国と地獄は客観的に見ればまるきり同じ場所です。世間一般の人が天国と思うところも、私が行ったらたぶん死ぬほど退屈してやりきれないと思うので、そこは私にとっては地獄です。私はたぶん神様の救いのリストにはないですから。逆に、世間一般の人が地獄と思うところも、気持ちの持ちようで天国になりうるということです。
 この考えをさらに推し進めますと、いま生きている現世も、気持ちの持ちようで天国になり地獄になるということです。

 ということは、「死ぬ→即時に審判→次のステージ」ってわけです。この次のステージは、気持ちの持ちようで、天国ともなり地獄ともなり現世ともなるってことです。
 これって、輪廻説そのものじゃありませんか。
 そんなわけで私は、輪廻説はキリスト教の考えと矛盾しないと思っています。

 かねがね私は、キリスト教的な「永遠の生命」というのを激しく憎悪しています。永遠に生きるなんて拷問です。適当な期間を置いてリセットしていただけるほうがはるかに幸せです。死んでもそれで終わりではなく、次のステージがあると考えることで、私はなぐさめを得ているのです。
 この考え方は多くの日本人がなんとなく思ってる考えじゃないかしら。念のためいうと、本来の仏教では、輪廻を苦ととらえますから、仏教の考え方とも違います。
 死生観なんて正解はありません。誰も死んで生き返った人なんていませんから。キリスト教の教えが正しいなんて保証はどこにもありませんわよ。
 キリスト教国でも個々人は必ずしも教会の教える死生観を持っているとは限りませんし、聖書の説く死生観も人それぞれ、いや、イエス様の発言の中にすら矛盾があるほどで、聖書なんかあてになりません。
 逆に、もし死後の世界がこうであるならすばらしいわ、と各人が考えるところが、正解だと思っております。そう考えてよい生き方をすればいいじゃないですか。
 キリスト教が日本に根付かないのは、キリスト教の説く死生観が日本人にとってウソくさいからじゃないでしょうか。多くの日本人が死後の世界をこんなふうに考えているとすれば、それにあわせて日本的なキリスト教を組み立てることが大事だと思っております。