真理子の聖書日記
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このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[676]キリスト教輪廻説
投稿者=真理子
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掲示日=2011/05/21(土) 11:50:26
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天地創造以来生まれて死んだ人って総数何人なのかしら? 今年は天地創造以来5772年ということになっていますが、たとえこれと同じだけの時間をかけたとしても、さばきの時間が1人1分として、ざっと30億人ぶんしかさばけないわね。いま現在だけで地球には70億人弱の人がいるんですけど、最後の審判がいま訪れたとして、私の番がまわってくるのって、いったいいつかしら?
こんなふうにちょっと計算してすら、キリスト教やイスラム教の最後の審判説がいかに荒唐無稽かがわかりそうなものですけど、みんな本気で信じてるのかしらね?
考えてみれば、最後の審判が今来ようと何万年後に来ようと、被告の私たちはそれまではまるきり意識がないわけですからまるきり同じ。しかも法廷は個別でしょうから、随時にやろうと集団でやろうと同じです。
そんなわけで最後の審判なんていうのは、昔の人相手にわかりやすく説明したメタファーに過ぎず、実際には個々人の死後随時に瞬時に個別に行われているものと思われます。
つまり最後の審判は現在進行中なんです。
あなたも死ねば、すぐに審判が始まります。1秒もしないうちに即決しますわよ。
そして、前々から何度も言っておりますように、天国と地獄は客観的に見ればまるきり同じ場所です。世間一般の人が天国と思うところも、私が行ったらたぶん死ぬほど退屈してやりきれないと思うので、そこは私にとっては地獄です。私はたぶん神様の救いのリストにはないですから。逆に、世間一般の人が地獄と思うところも、気持ちの持ちようで天国になりうるということです。
この考えをさらに推し進めますと、いま生きている現世も、気持ちの持ちようで天国になり地獄になるということです。
ということは、「死ぬ→即時に審判→次のステージ」ってわけです。この次のステージは、気持ちの持ちようで、天国ともなり地獄ともなり現世ともなるってことです。
これって、輪廻説そのものじゃありませんか。
そんなわけで私は、輪廻説はキリスト教の考えと矛盾しないと思っています。
かねがね私は、キリスト教的な「永遠の生命」というのを激しく憎悪しています。永遠に生きるなんて拷問です。適当な期間を置いてリセットしていただけるほうがはるかに幸せです。死んでもそれで終わりではなく、次のステージがあると考えることで、私はなぐさめを得ているのです。
この考え方は多くの日本人がなんとなく思ってる考えじゃないかしら。念のためいうと、本来の仏教では、輪廻を苦ととらえますから、仏教の考え方とも違います。
死生観なんて正解はありません。誰も死んで生き返った人なんていませんから。キリスト教の教えが正しいなんて保証はどこにもありませんわよ。
キリスト教国でも個々人は必ずしも教会の教える死生観を持っているとは限りませんし、聖書の説く死生観も人それぞれ、いや、イエス様の発言の中にすら矛盾があるほどで、聖書なんかあてになりません。
逆に、もし死後の世界がこうであるならすばらしいわ、と各人が考えるところが、正解だと思っております。そう考えてよい生き方をすればいいじゃないですか。
キリスト教が日本に根付かないのは、キリスト教の説く死生観が日本人にとってウソくさいからじゃないでしょうか。多くの日本人が死後の世界をこんなふうに考えているとすれば、それにあわせて日本的なキリスト教を組み立てることが大事だと思っております。
[675]ルカ9-10章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/05/21(土) 10:24:27
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http://bit.ly/mEmAEy
ルカ9:27。「死なないうちに神の国を味わえる人がいる」。つまり早死にする人は別としても、長生きする人なら、生きている間に最後の審判がやってくるっていうわけです。
以来約2000年の時が流れたんですが、いまだに最後の審判はやってきませんね。
そういえば本日5/21は、一部のカルト教派が、最後の審判の日だと宣伝しておりますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。どこかでラッパが鳴り響いてますか?
イエス様は天国的時間を生きていらっしゃるんです。だって、イエス様の誕生日って知ってます? 西暦紀元1年12月25日じゃないですよ。ヨハネ福音書の第1章によれば、イエス様は天地創造に先だっていらっしゃったのであり、一時的に肉体化して死んだふりをして復活したわけですから今でも生きてます。そんなイエス様にとっては、最後の審判なんていつやろうとどうでもいいことであり「生きてる間に最後の審判がある」わけですけど、そんなに長生きできない下賎の身にとってはたまらないですよ。
中には、この言葉を信じて去勢までしちゃった人もいたみたいですよ。すぐにでも最後の審判が来るし、天国に行けたら永遠の処女を抱き放題。でも今エッチの罪を犯したら天国にいけないから、割礼どころかおちんちんまるごととっちゃった、とかね。
こういうのを神学では「終末遅延問題」と言いまして、すぐにでも来るはずの終末がぜんぜん来る気配がないんで、するとキリスト教は大ウソかっていうことになっちゃうわけですね。
実はね、最後の審判って、それぞれの人の死後、随時に行われてるんですよ。もう現在進行形なんです。
長くなりそうなんで、この話は改めて書きますね。キリスト教は実は輪廻を説いているって話です。