真理子の聖書日記
真理子の聖書日記
このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
真理子修道会の修道女/修道士の方のみ書き込むことができます。
掲示板運営方針(必読)
検索語[] ヒット数983
[675]ルカ9-10章
投稿者=真理子
メールを送る
掲示日=2011/05/21(土) 10:24:27
ここから閲覧
http://bit.ly/mEmAEy
ルカ9:27。「死なないうちに神の国を味わえる人がいる」。つまり早死にする人は別としても、長生きする人なら、生きている間に最後の審判がやってくるっていうわけです。
以来約2000年の時が流れたんですが、いまだに最後の審判はやってきませんね。
そういえば本日5/21は、一部のカルト教派が、最後の審判の日だと宣伝しておりますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。どこかでラッパが鳴り響いてますか?
イエス様は天国的時間を生きていらっしゃるんです。だって、イエス様の誕生日って知ってます? 西暦紀元1年12月25日じゃないですよ。ヨハネ福音書の第1章によれば、イエス様は天地創造に先だっていらっしゃったのであり、一時的に肉体化して死んだふりをして復活したわけですから今でも生きてます。そんなイエス様にとっては、最後の審判なんていつやろうとどうでもいいことであり「生きてる間に最後の審判がある」わけですけど、そんなに長生きできない下賎の身にとってはたまらないですよ。
中には、この言葉を信じて去勢までしちゃった人もいたみたいですよ。すぐにでも最後の審判が来るし、天国に行けたら永遠の処女を抱き放題。でも今エッチの罪を犯したら天国にいけないから、割礼どころかおちんちんまるごととっちゃった、とかね。
こういうのを神学では「終末遅延問題」と言いまして、すぐにでも来るはずの終末がぜんぜん来る気配がないんで、するとキリスト教は大ウソかっていうことになっちゃうわけですね。
実はね、最後の審判って、それぞれの人の死後、随時に行われてるんですよ。もう現在進行形なんです。
長くなりそうなんで、この話は改めて書きますね。キリスト教は実は輪廻を説いているって話です。
[674]アルメニア語の件
投稿者=Masa
メールを送る
掲示日=2011/05/21(土) 00:04:04
ここから閲覧
御世話になっております。
投稿ミス削除ありがとうございました。
ご迷惑をおかけしました。大変失礼いたしました。
入門書の件ですが、大学書林の分は書店で見てみたのですが、古典文法が対象で記述もかなり専門性が高そうで難しい印象がありました。当面歯が立ちそうにないので、現代語から先にやった方が良いと思い、まだ購入しておりません。
国際語学社のは西方言と古典の2つがあり、内容は今は無き泰流社のと中身が全く一緒のようですね。泰流社の時はたしか1冊が1万5千円ぐらいでビックリするような価格だったと思いますが、国際語学社で復刊してからは4千円ぐらいになっているので、遥かにお買い得ですね。(それでも私の財布では買うのにちょっと勇気がいりますが)
西方言の方は持っており、最初はこちらで学習していたのですが、入門書というよりは他のインドヨーロッパ語との比較も随所に取り混ぜた文法書という雰囲気があり、ある程度平易な入門書や会話集で慣れてからでないと、敷居が高い感じがします。
また、手持ちの辞書は日ソで購入しましたが、東方言で西方言とは語彙的にも結構違いがあるようです。ある程度なれたら音韻法則で置き換えたり推測も可能なのでしょうが、入門段階ではそれも難しいですね。またアルメニア本国は東方言なので、外国人としてはそちらからやった方が良いかもしれないと思い探したのですが、なぜか西方言の方が圧倒的に出版が多く、なかなか見当たらなかったのですが、Spoken Language Servicesから出ているSpoken East ArmenianがAmazonでも入手ができるので現在はこちらを使っています。
この本はなかなか入門書として使いやすいようでお勧めです。アルメニア語は綴り字の有気・無気がスペル通りにならなかったり、発音しない文字があったりしてしかも辞書はアルメニア人向けがほとんどなのでその旨の記載がなく外国人学習者には結構厄介です。
この本はLesson30までありますが、最初の10課はアルメニア文字と一緒に実際の発音表記も記載されていますし、その後も新出単語には発音が併記してあるので、確認しながら
勉強ができるので助かります。また会話を中心に漸進的に進んでいき、文法事項もそれに応じて少しずつ出てくるので、無味乾燥な文法書と違い、生きた言語として感じられるのが気に入っています。
ただ惜しむらくは古い本のためスペリングが古い伝統式なままで、現在アルメニアで流布しているは改正正書法になっていない点です。辞書は当然改正式なので単語を確認したい時が、目当ての単語になかなか行きあたらずその点がちょっと不便です。
もっともネットで入手したアルメニア語の聖書を見てみるとスペリングは伝統式のようなので聖書の読解として考えると伝統式で慣れておくのも良いかもしれません。
あと発行年代が1975年と古く音声教材はすでに品切れで入手できないのでこちらはネット上のリソースでなんとか補っていこうと思っています。
お書きになられていた、グルジア語の聖書も興味をひかれますね。しかしコーカサスは結構狭いのに全然異なる多種多様な言語が混在しており、なんか不思議な感じです。ノアの方舟がついたというアララト山もたしかあのあたり(現在はトルコ領内のようですが)でしたし、その意味では聖書の世界を地でいく土地柄ですね。コーカサスをみるとノアの方舟に怒った神様が人々の言葉をばらばらにしてしまったという話もなんとなく納得できるような気もしますね。