真理子の聖書日記
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このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[649]箴言1章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/05/12(木) 13:55:36
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http://bit.ly/jsdMRO
箴言の「箴」は「はり」です。東洋医学の「はり」も鍼灸の鍼って書いて「しん」と読みますよね。人の心をぐさり、世の真実をぐさり、針のような言葉、つまりはことわざですね。
もちろんこういうのは長い間に人々の間につたえられてきたものをまとめたんでしょうが、ソロモン王の作ということになってます。今週の列王記で見たように、ソロモンは知恵のある王様なんですね。
そういえば同時に読んでる旧約続編、2マカは今日で終わり、ただし説明は昨日書いたので今日は割愛しますけど、次からは「知恵の書」。これもソロモン作ということになってます。
もっともソロモンは知恵の本だけでなく、雅歌のようなエロい歌も作ったことになってますけどね。
これらの文学は「知恵文学」と呼ばれます。
「あの人は知識はあるけど知恵はない」みたいに、知識と知恵を対比する場合、知恵というのは何らかの形でその人の中で熟したものという意味合いがあります。
私はよく、受験秀才は知識はあるけど知恵はない、知恵があったのは幕末の世代までだ、なんて言ってますけどね。
いずれにせよ聖書の世界で知恵といった場合は、今日の箴1:7の「主を恐れることは知識のはじめ、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる」というように、信仰心のような意味で使ってます。
え、主を恐れることは知識であって知恵じゃないって? 困ったわね。文語訳、口語訳、新改訳、フラ訳は知識って書いてるんだけど、新共同訳や関根訳は知恵なのよね。KJVは前者がknowledgeで後者がwisdom、ヘブライ語は前者がダアト(??????)で後者がホクマー(???????)、一応違う語なんですけど、ヘブライ語でどういう違いがあるのか私はよくわかりません。
[648]詩編63-65編、2マカ14-15章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/05/11(水) 09:33:21
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本日の通読箇所は詩編63-63編だけですが、つまんない詩でほとんど書くことがないので、昨日省略した2マカ14章と、明日のぶんの2マカ15章を同居させます。
●詩編63-65編
http://bit.ly/lHzgiK
詩編の詩ってなんでつまんないかっていうと、またか、またかと同じような内容の詩が続くから。今日のやつもそうよね。
考えてみれば詩編ってただの詩じゃなく、お祈りなのよね。
プロテスタント教会だとどの教派も、牧師が祈りの内容を声に出して言うし、いろんな場で自分の祈りの内容を声に出す機会が多いけど、どいつもこいつもみんなワンパターンでつまらないわよね。それと同じよ。
ていうか、人間、祈るような状況ってそうそうバリエーションがなく、たいていは危機に直面したときだから、そういう内容ばっかりになるのよね。
ちなみに65編は新年の祈祷として交読文にとられてます。どこが新年?
●2マカ14-15章
http://bit.ly/iyZ7Fr
2マカの最後は、象部隊のニカノル隊長との戦い。
ニカノルは裏切り祭司アルキモを擁立してユダと戦います。
戦いの決着がつかないので両者は和議を結びますが、勝手に和議を結んだことにデメトリオ王が怒り、和議も長続きせずまた戦いが始まります。
長老ラジスの死のシーンは例によって2マカらしい残酷さですね。
15章、安息日に戦いをすれば勝てるとニカノルは主張しますが周囲に反対されてとどまります。このへん、1マカじゃ早々と、たとえ安息日でも侵略されたら戦っていいという話になっていたので、ずいぶん違いますね。
突然現れたエレミヤの霊に導かれ、ユダが勝利し、ニカノルが死んで、2マカが終了します。
最後はつまんないあとがき。ギリシアの本って、つまんない前書きやあとがきがついてることが多いみたいです。