真理子の聖書日記 真理子の聖書日記

このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
真理子修道会の修道女/修道士の方のみ書き込むことができます。

掲示板運営方針(必読)




検索語 :
検索語[] ヒット数983

[628]バイブルハウス南青山
投稿者=真理子
メールを送る
掲示日=2011/04/30(土) 20:49:04
ここから閲覧
 先日わが家に主人あてと私あての二つのダイレクトメールが来て、日本聖書協会直営の聖書専門書店がオープンしたというので行ってみました。もう2月18日からやってたんですね。それにしてもどうして主人あてに来るのかしら。そういえば前に聖書図書館に私のかわりに行ってもらったことがあったんで、それでかしらね。あそこは入館のときに住所と名前書かされるから。
http://www.bible.or.jp/biblehouse/information.html
 ただし店はものすごく狭いし在庫もほとんどない。これだったら教文館へ行くわ。
 その割りに2万円も散財しちゃった私。

[627]ルカ3-4章、2マカ9章
投稿者=真理子
メールを送る
掲示日=2011/04/30(土) 11:17:52
ここから閲覧
●ルカ3-4章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=luk&chapter=3&mode=0
 ヨハネの活動開始とイエスの受洗の話ですが、ルカの伝える話は、マルコやマタイと大きく違う点があります。ルカによればイエス様はヨハネからバプテスマを受けたわけではないんです。なにしろ、イエス様が受洗する前にヨハネが捕らえられちゃったんですから。
 それから細かい話ですけど、受洗のときに天が開けて聖霊が下ってきたというのは、マコ1:10は両方とも「ごらんになった」ですから、他の人にはそんな光景は見えず、イエス様の主観的事実、つまり幻にすぎなかった可能性が保留されています。しかしマタ3:16では、天が開けたほうは客観的事実、聖霊のほうは「見た」となっています(口語訳や新改訳ではごまかしてますけど原文では「ごらんになった」は「天が開け」にはかかってません)。で、ルカ3:22ではもう「見た」にあたる言葉がないので、どちらも客観的な事実ということになりました。こんなふうにだんだんと、この幻が客観的事実であるかのように脚色されていくわけです。
 テベリオ(ティベリウス)帝15年というのは、当時は秋が年のはじめだったので、西暦27年-28年ということになります。だいたいそのころにイエス様が受洗して活動を開始、それがおよそ30歳(ルカ3:23)ということから推定したイエス様の誕生年を西暦紀元元年と定めています。もっともホントは、イエス様の宣教期間が1年であり、すると受難=死の年が31歳、そのの過越祭が西暦で3月25日だったという中世ヨーロッパの伝説をたよりに、それが西暦31年であったことを計算して、そこから定めたのが今の西暦です。そんなわけでちっとも史実に即してないんですが、それでも「あたらずといえども遠からず」で、だいたいそれっぽい年が西暦1年になったというところに、神の奇跡を感じます。
http://www.babelbible.net/mariko/opi.cgi?doc=xmas&course=preach
 ルカの系図はマタイの系図とぜんぜん違います。私の部屋には米Good Things Company社が作ったアダムからイエスまでの系図が貼ってありますが、
http://www.goodthingscompany.com/index.html
ルカの系図とアダムの系図のツジツマを合わせる努力は完全に放棄され、両方が併記されてます。
 3章の話だけで長くなっちゃって4章の話が書けませんでしたが、あとは各自読んでおいてください。
●2マカ9章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ma&chapter=9&mode=0
 ユダヤ人を殺そうと兵を進めたアンテオコス王の末路が、「うじがわき」とか「肉がくずれ」とか、これでもかこれでもかと気味悪く書かれてますね。こういうところが2マカの特徴で、通俗的でわかりやすいのはいいんですけど、グロテクスなんですよね。
 最近はさすがにないと思いますが、昔、創価学会では「ご本尊さまを粗末に扱うと罰(ばち)があたります。こんなもの迷信だと鼻くそをぬりたくったおじさんの鼻がおっこっちゃいました」なんていう話を、子どもの時に聞いたことがありますわ。でも子どもにこんな話をするとトラウマになっちゃいますわよ。
 昔、立正大学の先生で安永弁哲さんという人が『板本尊偽作論』という本を出しまして、富士大石寺の大御本尊みたいなものを日蓮が作ったはずがないという本なんですが、最初のほうに、日蓮正宗の歴代管長と、創価学会の初代会長がいかに悲惨な死に方をしたり醜い争いをしたりしたかを暴露した部分があるんですね。もちろん創価学会じゃこんな本は間違ってもおおっぴらに読めませんでしたけど、後に創価学会が日蓮正宗とケンカ別れすると、この本の日蓮正宗管長の部分がさんざんコピーされ出回ってましたわ。「舌ガンにかかって七転八倒の苦しみ。何も食べられずに死んでいった」「坐骨神経痛で動けず、大石寺の火事で焼け死んで、遺骨がなくなるほどすっかり焼けたのにハラワタだけが焼け残った」とか。もう私は大学生で創価とは縁を切ってたんで、こいつらバカかと思いながら眺めてましたわ。以前はまるっきりウソッパチと言ってたものを利用するなんてね。
 ともあれ、こういうグロテスクな話を強調するのが、俗耳に受けるんですよね。