真理子の聖書日記 真理子の聖書日記

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[604]マルコ15-16章、2マカ2章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/04/16(土) 09:33:43
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●マルコ15-16章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=15&mode=0
 このリンクは口語訳聖書のものですけど、マコ15:2の、ピラトが「あんたはユダヤ人の王なのか」という質問へのイエス様の答え、「そのとおりである」というのは誤訳です。「(おいらは何も言ってないよ)それはあんたのセリフだよ」というのが正しい訳です。福音派御用達の新改訳も誤訳ですね。それとも福音派の教義だとそのほうが都合がいいのかしら? エホ証御用達の新世界訳「あなた自身が[そう]言っています」のほうが正しいなんて、困ったものよね。
 それはそれとして、今日でマルコはおしまいなんですが、処女懐胎説などと言う荒唐無稽な話をシカトしたリアリストのマルコは、最後までリアリストでした。16章はホントは8節まででおしまい。イエス教団婦人部のおばさんたちがイエス様の墓を見に行ったら、からっぽになってて、白い服を着た変なにいちゃんが「イエス様なら復活してガリラヤに行っちゃったって、弟子たちに伝えてくれよ」と言ったのに、おばちゃんたちは恐がって誰にも言わなかったっていう話でおしまいです。
 誰にも言わなかった話がどうして伝わってるのかという突っ込みを入れたくなりますけど、ともあれマルコは、復活したイエス様をぜんぜん描いてないんです。
 これじゃあんまりだっていうんで、後の人がいろいろ追加したのが、9節以降です。
 たぶんマルコは、本当にイエス様が復活したとは思ってなかったんでしょうね。イエス様の復活は、弟子や信者たちの心の中におこったことでしかなかった。
 でも、宗教では、実際に起こったかどうかよりも、そう信じられたかどうかが重要なんです。みんながイエス様の復活を信じて命がけで布教をはじめて短期間に新しい宗教を作っちゃったんだから、イエス様はたしかに復活したんです。

●2マカ2章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=2ma&chapter=2&mode=0
 ここまでが長い前置きだったというのがやっとわかるのが2章。長い前置きをしておいて「長い前置きのために物語が短くなってしまうのはつまらない」なんて、たちの悪い冗談ですわ。

[603]真理子の世代論
投稿者=真理子
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掲示日=2011/04/15(金) 11:49:13
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 [601]であからさまなヒントを出しましたから、もう私の言いたいことはだいたいわかりますよね?

 日清戦争って年号でいえば明治27年、日露戦争が明治37年ですから、明治20年代うまれの人たちにとっては幼年・少年時代。へたをすれば日清戦争のほうは生まれてない可能性すらありますから、これらを経験したというのは無理があります。
 で、日本人が国難に対して神業的な切り抜け方をしたのが日露戦争まで、せいぜい、朝鮮を植民地にした1910年(明治43年)ぐらいまでじゃないかしら。『坂の上の雲』なんか読むとそう思いますよね。
 このへんから考えると、明治20年代生世代(めんどくさいから三四郎世代って言いますね)vs戦後生まれ世代というウッチーの図式って、ホントにそうかしらって疑問に思うわけです。
 ウッチーは、三四郎世代は人間性の暗部を見たリアリストで、後の世代にはこういう経験をさせたくないと、虚構と知りつつ戦後民主主義を作り上げるという知恵を持った世代だなんて美化してるんですけど、三四郎世代がそんなかしこい人たちとはとても思えません。
 なにしろ、私の敬愛する大川周明先生が明治19年生まれで、ぎりぎり三四郎世代っていえると思うんですけど、もうすでに大川先生には「幕末維新を切り抜けてきた江戸時代からの地続き感」がぜんぜんありませんもの。
 もう三四郎世代はいまとあんまり変わらない。学校制度がしっかりできちゃって、大川先生も高校入試の成績があんまりよくなかったのか、第三志望の五高に行くはめになっちゃう。時代はもう「実力で修羅場をくぐりぬけてのしあがる」んじゃない「受験勉強をがんばった人が勝ち組になる受験秀才」の時代になっちゃってるんですよ。
 だいたい大川先生の文章読んでると、この時代って今とちっとも変わってなかったのねって思いますもの。
 政府と東電のやってる発表なんて大本営発表じゃない! 今ってあんまり戦前と変わらないのよ。

 私は、明治憲法を戴いた大日本帝国は、実力で修羅場をくぐりぬけてきた幕末世代の作品であって、これはそういう人たちでなきゃうまく操れない悍馬なんですよ。彼らだったらどんな難局もうまくくぐりぬけられたんです。日清・日露をくぐりぬけ朝鮮を植民地にするあたりまでが彼らのお仕事。
 そして、ウッチーの美化する三四郎世代はもう受験秀才の時代。受験秀才って、教えられたことはきちんとできるけど、前例のないこと、想定外のことには対応できないんですよ。社会制度はすでに存在するものであり、それが虚構であり崩壊してしまうかもしれないなんてことは想定できない。ウッチーの言う戦後世代の特徴って、実はウッチーの美化する三四郎世代からそうなんですよ。
 そういう受験秀才たちが、大日本帝国という悍馬をうまくあやつれず、崩壊に至ったのが、大正から昭和20年までの歴史だと思ってます。
 そして戦後民主主義も同じ。未曾有の国難だったはずの敗戦から、三四郎世代はちっとも学び取ることができず、またぞろ同じようなものを作っちゃった、もしくは成り行きでできちゃったのが戦後民主主義だと思ってます。

 そんなわけで、「リアリストの三四郎世代vsマニュアル世代の戦後生まれ」がウッチーの論なら、私の論は、「実力で修羅場をくぐりぬけた幕末世代vsマニュアル世代=その後全部の世代」なんです。
 まあ要するに、受験とか学校教育っていうのは、真の人材を育てないってことなんです。