真理子の聖書日記 真理子の聖書日記

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[603]真理子の世代論
投稿者=真理子
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掲示日=2011/04/15(金) 11:49:13
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 [601]であからさまなヒントを出しましたから、もう私の言いたいことはだいたいわかりますよね?

 日清戦争って年号でいえば明治27年、日露戦争が明治37年ですから、明治20年代うまれの人たちにとっては幼年・少年時代。へたをすれば日清戦争のほうは生まれてない可能性すらありますから、これらを経験したというのは無理があります。
 で、日本人が国難に対して神業的な切り抜け方をしたのが日露戦争まで、せいぜい、朝鮮を植民地にした1910年(明治43年)ぐらいまでじゃないかしら。『坂の上の雲』なんか読むとそう思いますよね。
 このへんから考えると、明治20年代生世代(めんどくさいから三四郎世代って言いますね)vs戦後生まれ世代というウッチーの図式って、ホントにそうかしらって疑問に思うわけです。
 ウッチーは、三四郎世代は人間性の暗部を見たリアリストで、後の世代にはこういう経験をさせたくないと、虚構と知りつつ戦後民主主義を作り上げるという知恵を持った世代だなんて美化してるんですけど、三四郎世代がそんなかしこい人たちとはとても思えません。
 なにしろ、私の敬愛する大川周明先生が明治19年生まれで、ぎりぎり三四郎世代っていえると思うんですけど、もうすでに大川先生には「幕末維新を切り抜けてきた江戸時代からの地続き感」がぜんぜんありませんもの。
 もう三四郎世代はいまとあんまり変わらない。学校制度がしっかりできちゃって、大川先生も高校入試の成績があんまりよくなかったのか、第三志望の五高に行くはめになっちゃう。時代はもう「実力で修羅場をくぐりぬけてのしあがる」んじゃない「受験勉強をがんばった人が勝ち組になる受験秀才」の時代になっちゃってるんですよ。
 だいたい大川先生の文章読んでると、この時代って今とちっとも変わってなかったのねって思いますもの。
 政府と東電のやってる発表なんて大本営発表じゃない! 今ってあんまり戦前と変わらないのよ。

 私は、明治憲法を戴いた大日本帝国は、実力で修羅場をくぐりぬけてきた幕末世代の作品であって、これはそういう人たちでなきゃうまく操れない悍馬なんですよ。彼らだったらどんな難局もうまくくぐりぬけられたんです。日清・日露をくぐりぬけ朝鮮を植民地にするあたりまでが彼らのお仕事。
 そして、ウッチーの美化する三四郎世代はもう受験秀才の時代。受験秀才って、教えられたことはきちんとできるけど、前例のないこと、想定外のことには対応できないんですよ。社会制度はすでに存在するものであり、それが虚構であり崩壊してしまうかもしれないなんてことは想定できない。ウッチーの言う戦後世代の特徴って、実はウッチーの美化する三四郎世代からそうなんですよ。
 そういう受験秀才たちが、大日本帝国という悍馬をうまくあやつれず、崩壊に至ったのが、大正から昭和20年までの歴史だと思ってます。
 そして戦後民主主義も同じ。未曾有の国難だったはずの敗戦から、三四郎世代はちっとも学び取ることができず、またぞろ同じようなものを作っちゃった、もしくは成り行きでできちゃったのが戦後民主主義だと思ってます。

 そんなわけで、「リアリストの三四郎世代vsマニュアル世代の戦後生まれ」がウッチーの論なら、私の論は、「実力で修羅場をくぐりぬけた幕末世代vsマニュアル世代=その後全部の世代」なんです。
 まあ要するに、受験とか学校教育っていうのは、真の人材を育てないってことなんです。

[602]エレミヤ書27-31章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/04/15(金) 11:18:57
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=jer&chapter=27&mode=0
 27章最初に出てくる王様、訳によって名前が違うのでびっくりします。
 いろいろ名前が出て混乱するといけないのでユダ王国の最後の3代の王様の名前をおさらいしましょう。
  18 エホヤキム(ヨヤキム)
  19 エホヤキン(ヨヤキン)
  20 ゼデキヤ
 先週も言ったように18と19の王様の名前がとてもまぎらわしく、最後しか違わないので注意してください。
 で、結論からいうと、口語訳と新共同訳は20にしてるんですが、原文および多くの訳では18なんですね。内容的に言えば20です。たぶん前章26章の最初の王様の名前が18なんで、うっかりミスでここも18にしちゃったというのが定説です。いくら福音派(聖書には絶対誤りがないとして全部文字通り信じちゃうかたがた)でもこれは否定しません。ただ、間違いの歴史もそれはそれで重要だと思うので、勝手に訂正して知らん振りっていうのはまずいですよねぇ。

 いずれにせよ話は、20の王様です。一国の崩壊前夜の話です。
 崩壊の10年前、19の王様の時代に一回バビロンのネブカデネザルに攻められて支配者や身分の高い人々がバビロンに連れてかれちゃう「バビロン捕囚」が起こってます。バビロン捕囚って2回あるんですね。2回目で、おもだった人々がほとんど連れてかれちゃって王国が完全に滅んじゃうわけです。
 ところが29章の捕囚民に呼びかけたエレミヤの手紙、それから30-31章の預言って、第2回以降つまり王国が完全に滅びちゃってることが前提になってるみたいなんで、まぎらわしいですね。預言書ってただでさえ読みにくいのに、いろんな時代のものがうっかり(あるいは確信犯的に)ごちゃごちゃまじることがあって、本当に困ります。
 27章でエレミヤは、神様から命ぜられて、自分の首にかせをはめるというパフォーマンスをしています。単にいろいろしゃべるより自分の主張が表現できるってことでしょうか。
 28章のニセ預言者ハナンヤの対決は面白いですね。バビロン王はすぐ滅んじゃうぞというハナンヤのほうを人々は信じてしまいます。ハナンヤ自身はこの年に死んじゃいますが、だからといってみんながエレミヤを信ずるようになったわけではないという、後味の悪い結果になった対決でした。