真理子の聖書日記 真理子の聖書日記

このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[549]マカバイ記一1章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/03/13(日) 11:53:07
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1ma&chapter=1&mode=0
 本日から旧約聖書外典(続編)はマカバイ記一です。
 マカバイ記という名の本は4種類あり、カトリックと聖公会では1と2を聖書に入れてるので、本屋で売られている新共同訳(旧約聖書続編つき)には1と2が入ってます。ギリシア語七十人訳聖書には3と4もあり、正教会ではここまで聖書に入れてますが、そもそも正教会って信者にあまり聖書を読ませませんし、特に旧約は勝手に読むと危ないので読ませません。だから3と4はあまりなじみがないでしょうね。
 サムエル記上下、列王記上下というところからの類推では、マカバイ記1→マカバイ記2という順序で話が進むように思いますが、実際には同じ話を別の立場から書いているだけなので、むしろ福音書の関係(同じイエス様の行状を別の立場から書く)に似ています。
 では同じ話とは何かというと、マカバイ戦争とよばれるユダヤ人の独立戦争なんですね。
 旧約聖書に描かれているイスラエルの歴史は、出エジプト→定住→王のない時代→統一王国→南北分裂→北はアッシリアに滅ぼされ→アッシリアを滅ぼしたバビロニアに南も滅ぼされてバビロン捕囚→バビロニアを滅ぼしたペルシアに解放され神殿再建、あたりで終わってます。
 旧約聖書と新約聖書しか読まないプロテスタントの人は、「いつの間にかペルシアじゃなくローマになってるぞ」と、ここで時代の断絶を感じると思いますが、この間には次のような歴史の流れがあったのです。
 その後、ペルシアを含めてオリエント一帯は、ギリシア北部のマケドニヤのアレクサンドロスの大遠征によって滅ぼされ、一つの大帝国になりますが、王の急死によって帝国は分裂。パレスチナのあたりはセレウコス朝シリアという王国になります。
 もちろん分裂した各国は、アレクサンドロスの帝国の後継ですから支配者はギリシア人です。たとえばエジプトはプトレマイオス朝になりますが、支配者はギリシア人。クレオパトラだってギリシア人なんですよ。
 プトレマイオス朝は、王子→王の名前がみんなプトレマイオス、王女の名前がみんなクレオパトラで、とてもめんどくさいですが、セレウコス朝の王も、ほとんどがアンティオコスという名前なんで、まぎらわしくてたまりません。これってギリシアの習慣なのかしら。
 で、アンティオコス(4世)の時代、王が各民族の独自の宗教や生活習慣を捨てさせようとしたので、ユダヤ人が前165年に戦いを起こし、30年もの長い戦いの果てについに独立をかちとって、ハスモン朝(前142-前63)という独立王国を作ります。その後ローマに滅ぼされ、ほどなくしてイエス様の時代になります。
 戦いを指揮したのはユダ。マカバイ(マカベウス)というのがギリシア語名。この時代のユダヤ人はみんなギリシア語名も持ってます。「マカベウスのユダ」というと、ヘンデルのオラトリオが有名ですね。ほら、あの表彰式の音楽です。大相撲は八百長で今日から始まるはずの春場所もなくなっちゃいましたが、千秋楽にはあの音楽が流れますよね。もともとのヘンデルの音楽だと、軽やかな女声合唱なんですが、いつのまにか荘重な厳粛な音楽になっちゃいましたね。

 そんなわけで今日からマカバイ記を読み始めますが、1章の長さが長くて大変。実はまだ「真理子のおまけ」は6章までしか訳してないです。大急ぎで訳を進めて行きます。

[548]1コリ9-10章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/03/13(日) 11:11:22
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1co&chapter=9&mode=0
 本日は旧約続編(外典)のマカバイ記もありますが、話が長くなるのでまず1コリから。
 1コリはすばらしい話とバカ話とが交互にやってくるという不思議な手紙で、今日のところはすばらしい話です。ってことは来週はトホホなバカ説教なんですけどね。
 よく、お釈迦さまがやったのは対機説法で、相手に応じて説く教えの内容や表現を変えてきたと言いますが、それなら1コリ9章はパウロの対機説法ですね。相手に応じて自分を変える。それは決してイイカゲンなのではなく、より多くの人を救うためだというのです。
 10章最後に、またも食べ物の話が出てきます。ロマ14とほとんど同じですね。何でも食べていいんだけど、何でも食べてしまうことによって信仰がぐらつくなら、食べないほうがいいという考え方です。
 パウロにとって本当に大事なのはキリストによる救いなので、律法なんかはどうでもいい。どうでもいいってことは「廃止しろ」でもないわけです。守りたくなきゃ守らなくてもいいけど、「守るな」ではなく、「守りたければご自由に」でもあるんです。
 ここらへんがよくいえば柔軟な姿勢、悪くいえばイイカゲンさになるんですね。
 キリスト教ってパウロ教ですから、いまのキリスト教もそういう柔軟さ・イイカゲンさを持っています。飲酒・喫煙などの生活習慣についての見解が、教派によってずいぶん異なるのは、このためなんですね。
 ただ、実のところ、こういうこまごまとした生活上の規律をしっかり決めてしまったほうが、わかりやすいんですよね。イスラム教ははっきり決めちゃったから「豚はダメ、酒はダメ」とはっきりすっきりしてる。
 はっきりすっきりだけど融通が利かない生き方をとるか、自由だけどイイカゲン・無規範に陥る危険をとるか。キリスト教は後者をとったってことですね。