真理子の聖書日記
真理子の聖書日記
このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[548]1コリ9-10章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/03/13(日) 11:11:22
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1co&chapter=9&mode=0
本日は旧約続編(外典)のマカバイ記もありますが、話が長くなるのでまず1コリから。
1コリはすばらしい話とバカ話とが交互にやってくるという不思議な手紙で、今日のところはすばらしい話です。ってことは来週はトホホなバカ説教なんですけどね。
よく、お釈迦さまがやったのは対機説法で、相手に応じて説く教えの内容や表現を変えてきたと言いますが、それなら1コリ9章はパウロの対機説法ですね。相手に応じて自分を変える。それは決してイイカゲンなのではなく、より多くの人を救うためだというのです。
10章最後に、またも食べ物の話が出てきます。ロマ14とほとんど同じですね。何でも食べていいんだけど、何でも食べてしまうことによって信仰がぐらつくなら、食べないほうがいいという考え方です。
パウロにとって本当に大事なのはキリストによる救いなので、律法なんかはどうでもいい。どうでもいいってことは「廃止しろ」でもないわけです。守りたくなきゃ守らなくてもいいけど、「守るな」ではなく、「守りたければご自由に」でもあるんです。
ここらへんがよくいえば柔軟な姿勢、悪くいえばイイカゲンさになるんですね。
キリスト教ってパウロ教ですから、いまのキリスト教もそういう柔軟さ・イイカゲンさを持っています。飲酒・喫煙などの生活習慣についての見解が、教派によってずいぶん異なるのは、このためなんですね。
ただ、実のところ、こういうこまごまとした生活上の規律をしっかり決めてしまったほうが、わかりやすいんですよね。イスラム教ははっきり決めちゃったから「豚はダメ、酒はダメ」とはっきりすっきりしてる。
はっきりすっきりだけど融通が利かない生き方をとるか、自由だけどイイカゲン・無規範に陥る危険をとるか。キリスト教は後者をとったってことですね。
[547]マルコ5-6章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/03/12(土) 10:17:12
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=mar&chapter=5&mode=0
聖書の通読なんかやってる場合じゃないって怒られそうですが、私はそうは思いません。テレビもラジオもみんな地震の話ばっかりやってますが、そういう状況に全体主義を感じます。どうせ情報のソースは同一なんでしょうから、9-11時はNHK、11-13時は日テレ系……みたいに役割分担して、どこかがまとめてやればいいんです。こういう時だからこそ娯楽番組を見たいって人もいるに違いありません。
そんなわけでわが道を行きます。
今日の話はマタイにもそっくり入っている(13-14章あたり)ので、細かい表現の違いはあるでしょうけど、話としてはもうごぞんじのはず。もう「預言者が故郷で受け入れられない」話と「洗礼者ヨハネの死」の話はマタイを読んだときに終わってますから、今日は豚の話にしようかしら。マコ5:1-17です。
ばべるばいぶるを作るにあたって私が大きな影響を受けた、岡野昌雄さんの『イエスはなぜわがままなのか』
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/404867188X.html
にも、イエス様の理不尽な行動の例としてとりあげられています。
ユダヤ人(そしてイスラム教徒)は豚を食べないことで有名ですが、ひとたび豚を食べるなというタブーができちゃうと、豚が非常にけがれたもののように感じるらしいです。ちょうど私たちが、いくら「食べてもいいよ」と言われても、ネズミなんかを食べないのと同じ。毒じゃないよ、おいしいよって言われても、この料理にはネズミが入ってるなんて言われたらひいちゃいますよね。
ところが豚ってやっぱりおいしいですから、異邦人は平気で食べる。そういう異邦人に売るために、豚を飼育していたユダヤ人の畜産業者がいたんですね。この場所って、ガリラヤ湖のあちら側で、イスラエルの辺境地帯。そういうところだと異邦人相手の商売をする人も多いわけですが、ちょうど「犬を食べる韓国人中国人相手に、食用の犬を飼育している日本人業者」がいるとすれば、その人に対してうさんくささを感じるように、やっぱりこういう人たちはユダヤ人からうさんくさがられていたわけです。
ユダヤ人から見れば、悪霊の追い出し場所に、けがれた豚を使うのは無理のないことなんでしょうが、業者にしてみればたまったものではないですよね。口蹄疫で牛を殺処分せざるを得なかった宮崎県の畜産家みたいなものです。そんなわけでイエス様ご一行は、ただちにここから出て行けと追われてしまいます。
イエス様というと、律法学者たちから憎まれたのは別として、いろいろなところで奇跡をやってみんなから喜ばれたというイメージがありますが、こんなふうに憎まれちゃったケースもあるので、忘れずにしっかり読むべきですね。