真理子の聖書日記 真理子の聖書日記

このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[527]詩編33-35編
投稿者=真理子
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掲示日=2011/03/02(水) 10:17:30
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=psa&chapter=33&mode=0
 今日の3編は日本基督教団の交読文には採られていませんが、真理子は個人的には好きなところです。3つとも、神様の正義を信頼する詩。もっといえば、正しいことをしているのにどうして私はいじめられるのかしら、なんて思うときに、力になってくれる詩だと思います。
 こういう詩が好きだというのは、私にはそんなことがよくあるってことですね。打たれ強いつもりではいるんですけど、それでもめげることは多いですから、こういう詩は慰めになるんです。

 私としゃべりかたや思想がよく似ているらしい、TBSラジオの小島慶子さんですけど、昨日のキラ☆キラ(13:00-15:30)では、「邪道けっこう、私にとってはむしろ王道」というテーマで、冒頭近くでは性のマイノリティのことをとりあげていました。レズ、ゲイ、バイ、トランスジェンダーを総称してLGBTというんだそうですが、そういう話をしていたら、Twitterでずいぶん攻撃されたらしく、番組中で応戦していましたね。たとえば、そんなことを邪道王道のテーマでとりあげるのはかえって差別を助長するんじゃないかとか。そんなふうにつぶやく人は、このテーマをよく理解していないのね。LGBTがいい悪いは別として、マイノリティであることは事実。そして昨日のテーマは、邪道=マイノリティを差別するんじゃなくて、私にとってはむしろ王道、つまり邪道にもっと目をむけてみようってことなのに。
 小島慶子さんがんばってくださいね。いえ、だんなもパート先の友達も、みんなが私の声と思想が小島慶子に似てるっていうんで、最初は「小生意気なおばさん」だと思って嫌ってたんですけど、だんだんファンになってしまいましたもので。正しいことをやる人は、たたかれるものなのよ。

 ついでながら、漬物を炒めて食べる人のことを共感できないっていってるのは、ちょっと認識不足じゃないかしら。漬物ってそのまま食べるだけじゃなく料理の素材に使うことも多いのよ。ピクルスなんか刻んで炒め物に使うじゃない? ザーサイだって、日本人はあれをそのまま食べることが多いけど、中国じゃ原則としてさらに料理するための食材よ。
 牛丼にフレンチドレッシングっていうのも小島さんびっくりしてたけど、こってりした料理に酢をかけてさっぱりするテクとして、テーブル上ではやらなくても、キッチンでこっそり隠し味としてやる基本テクよ。小島さん、もう少し料理をやったほうがよさそうね。
 まあ、いろんな人の邪道を聴いてると、新たな世界が広がってきて面白いものよね。Think Different. よ。あ、これ、私の大嫌いなAppleの標語でしたっけ。

[526]サム上6-10章、エス・ギ9-10章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/03/01(火) 13:39:22
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●サム上6-10章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=1sa&chapter=6&mode=0
 いろいろあってペリシテ人からやっと契約の箱を返してもらったイスラエルの民。「ほかの民族みたいに王様がいなきゃダメだよ」ということになり、サムエルに「王を任命してくれ」と請願します。神様はベニヤミン族のサウルを選び、サウルが王になります。
 いまでも王様に対する敬愛のあまり、まるで王様を神様のように思っちゃう人っていますけど、昔はなおさら、王様への礼拝みたいなことが当たり前。でもそうなると、神様を絶対とするイスラエルの民にとって、王というのは実に微妙な存在になってしまいます。王様をもちにくい民族なんですね。
 ついでながらローマ人もそう。もともとローマって王国だったんですが、そのころの王様が悪いやつばっかりだったんで、共和政になって以降は、「絶対に王を作らないようにする」というのがローマの国是になりました。そこで王様になりかかったチェザル(私はラテン語はイタリア語よみするのよ。カエサルのことね)は暗殺されちゃうんですが、あとをついだアウグストゥスことオクタヴィアヌスは、「おれは王じゃないぞ。ローマの第一の市民なんだ」ってことで、インペラトゥルっていう称号を作っちゃうわけです。後になればローマ皇帝は絶大な権力を持つわけですが、もともとは「王じゃないぞ」っていう称号なんですよね。中国では、戦国時代に王様がいっぱいできちゃって、王という称号がインフレを起こして価値が低下したんで、そのうえの「皇帝」っていうのを作ったんですけど、インペラトゥルを皇帝って訳しちゃうと、このあたりのローマ人の王様アレルギーがわかんなくなっちゃいます。
 パレスティナっていうのはペリシテ人の土地という意味ですけど、聖書のペリシテ人っていうのはいまのパレスティナ人とはぜんぜん違います。共通しているのは「イスラエルの民のすぐ隣に同居している民」ということだけ。でもペリシテ人たちとのゴタゴタを読んでいると、なんだか今の話とごっちゃになっちゃいますよね。多くのヨーロッパの言葉では、聖書の視点にどっぷりつかっていますので、ペリシテ人っていうのは、芸術や学問に関心のない無知なやからという含意があります。聖書を読んでるとついついイスラエル中心にものを見ちゃうところがありますんで、少々注意です。

●エス・ギ9-10章
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=esg&chapter=9&mode=0
 [523]でエス・ギ9章の話を忘れちゃったのでまとめて書きます。
 決死の覚悟で王様への推参をしたエステルは王様に会うと気絶してしまいますが、王様の厚意により許されます(9章)。なんだか芝居がかってますけど、ホロフェルネスの首をかききったユディトと違って、エステルの勇敢な行動って結局この「押しかけ」だけですから、ここは芝居っ気たっぷりに読まないと、エステル記のヤマ場がなくなっちゃいます。ギリシア語版はちゃんとそれを心得てるんで、付加部分はこの押しかけシーンをふくらませているんです。
 王の許しを得たエステルは、モルデカイのかつての功績を王に思い出させ、酒宴を開いて悪人ハマンを呼び出させます(10章)。そしてハマンの目の前でモルデカイを表彰。「こりゃ形勢が逆転したぞ」とハマンはあわてます。