真理子の聖書日記 真理子の聖書日記

このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[504]イザヤ書51-55章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/02/18(金) 07:25:32
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=isa&chapter=51&mode=0
 イザヤ書の中で一番有名な部分です。日本基督教団の交読文にも2箇所(53章が39番、55章が40番)とられています。
 通称「苦難の僕」と呼ばれる53章が、昔からイエス様の受難を予言した部分とされています。もちろん本来はそんなことはないでしょう。正直者がバカを見るなんてことはいつの世にもあります。そのような苦労する正直者、しかも他人の罪を背負って犠牲になる人の姿を描いているのでしょう。だから別にイエス様のことだと思う必要はなく、たとえばあなたが、同僚のミスを背負って不利な立場におかれたときに、「自分のことを詠んでるんだな」というなぐさめとして読んだっていいんです。そしてキリスト教徒にとって、他人の罪を背負って犠牲になった人の代表がイエス様なので、イエス様のことをしのびながらここを読んでいるわけです。
 ここで第二イザヤ(41-55章)が終わりになり、次からは実は別の時代の別の作者による部分「第三イザヤ」になります。

[503]民族という病
投稿者=真理子
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掲示日=2011/02/17(木) 19:57:31
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 こんなことを書くなんて真理子は左翼かですって? 私、ふだんは人から発言が曾野綾子さんなみに右翼的と言われるんですけど。大学生時代に社会主義国がだだだだっと無くなってしまい、自民党の支配の終わりを経験した真理子には、右だの左だのという構図は意味を成しませんのよ。性と民族と宗教の話をするときは過激なまでにリベラルになってしまうってことです。
 私、民族って究極的には実在しないと思ってます。みんなが民族だと思っているものは、一つの地域文化を共有する人々の集団という程度のものでしかなく、どこまでが一つの民族でありどこからが別の民族かを判断する客観的な根拠はなく、状況によって広がったり狭まったりするふわふわしたものだと思っています。
 それはちょうど、世界にはいくつの言語があるかが誰にもわからない。それは、たとえば広東語を中国語の一方言とみなすか別言語とみなすかという基準がないので誰にも数えられない、というのと同じです。
 ルワンダ紛争のフツ族とツチ族みたいに、外見的にはまるっきり違いのない人たちが、状況によって徹底的に殺し合いをしたりする。
 どこまでが一つの民族かっていうのは宗教みたいなもので、同じような地域文化と同じような価値観を共有できるグループというところ。
 だとすれば、宗教において神仏混淆を主張する真理子は、当然のことながら民族においても混淆しちゃいなさいと思うわけですね。
 いろんな民族どうしで結婚して子どもを作ってどんどん同化しちゃえばいいし、他民族の生活習慣をとりいれたっていい。
 ユダヤ人だからこういう生き方をしなければいけないとか、朝鮮人だからこういう生き方をしなければいけないなんていう考え方を、猛烈に憎むわけです。
 エステル記のところで書いたように、在日が通名を名乗ろうが本名を名乗ろうが自由なんですよ。
 でもこんな当たり前のことが、なかなか理解されない。
 今ではさすがにこんなことないでしょうけど、むかし私が朝鮮語を勉強したときって、日本人が朝鮮人ふうの名前を名乗ることがタブーでした。逆創氏改名みたいで不謹慎だっていうんです。ネットで朝鮮人ふうのハンドルネームを名乗ったら、猛烈にたたかれましたもの。でも外国語の会話練習のときって、JohnとかMaryとか、その言語の名前を名乗ったりしませんか?
 私、韓国で買い物するとき、韓国人っぽい名前を名乗ることがあります。キム・ヨンミとか。私の旧姓はハングルだと5文字になり(ひらがなでも5文字ですけど)、韓国人には絶対に一発で覚えてもらえないんで、レストランを予約するときとか、メガネを作ったり写真をプリントしたりというときは、とりあえず韓国人っぽい名前を言ったりしますもの。KBSの国際放送「ラジオ韓国」の日本語スタッフだって、ラッコさんとかアラレさんとかいうニックネームを名乗ってました。でないと韓国人の名前って日本人にはみんな同じように聞こえて覚えられないから。こんなことだってふつうにやればいいじゃないですか。
 名前に限らず、民族のいろいろな生活習慣を、守りたければ守るし、やめたければやめたっていいんです。
 言葉だって捨てたっていいじゃないですか。
 鈴木孝夫さんの『閉された言語・日本語の世界』の最初のほうに、「日本語を捨てる日本人」ていう、外国で生活している日本人がたやすく日本語を捨ててしまうっていうことを批判した章があります。ポーランド語を命がけで守ったポーランド人にくらべてなんと自国語を粗末に扱っているかという批判ですね。でも、満州語とか、エトルリア語みたいに、なくなっちゃった言語っていっぱいあると思うんですけど。こういう「母語を守らなきゃいけない」みたいな正義のおしつけにも、私はむかむかするんです。