真理子の聖書日記 真理子の聖書日記

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[483]アンコ抜きピアニストになろう・3
投稿者=真理子
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掲示日=2011/02/06(日) 13:24:05
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 いまNHK教育テレビの水曜日22:00-22:25でやってる「仲道郁代のピアノ初心者にも弾けるショパン」って、実は昨年8-10月にやったものの再放送なんですけど、3ヶ月してもう再放送をするってことは、これがいかに評判だったかってことですね。
http://www.nhk.or.jp/shumi/art/index.html
 やってることはもろにアンコ抜きです。ショパンの「プレリュードNo.15雨だれ」「ノクターンNo.2」「ポロネーズNo.3軍隊」「プレリュードNo.7太田胃散」を、猛烈に音符を抜いて、太田胃散以外はさわりだけにして、ハ長調に直してほとんど白鍵だけにして弾こうっていうものです。これならさすがにバイエル卒業程度で、つまりは私程度でも弾けるようになります。
 ただ、言わせてもらえば、もしチャレンジ精神があるなら、ハ長調に直すっていうのはやめたほうがいいと思います。無理をしてでももとの調性で弾いたほうがいいです。これだけでぐっとホンモノらしく聞こえますから。
 サザンの曲にある「C調言葉に御用心」のC調って、ハ長調という意味で、ハ長調はマッテゾン(バッハやヘンデルの時代の音楽理論家)の昔から「純朴、素朴、飾り気のない」ことをあらわす調性とされてきました。ちなみにWikipediaの「C調言葉に御用心」のところに書いてる解説(六本木をギロッポンというような逆順の業界用語で、調子いい→C調と解説してる)は思い切りウソです。Wikipediaには御用心。
 だからハ長調に直しちゃうと、原曲の表情が消えてみんな純朴な感じになっちゃう。そうすると、もろヘタクソ、手抜きみたいな感じに聞こえちゃうんですよね。原調で弾くだけで「あ、こいつできる」って思われますわよ。

 それに、白鍵ばかりだからラクかというと、そうじゃないんです。
 リストのラ・カンパネラ(フジ子ヘミングさんのおはこです)って、変ロ短調というフラットが5つもつく調で、半音さげりゃただのイ短調になっちゃうんですけど、あれは変ロ短調だからうまくひける曲なんですよ。高音のキンキンキンという鐘の音は、2オクターブ上のミのフラットめがけて、手裏剣シュッシュッシュッシュシュっと、右手を2オクターブくらい跳躍させて弾くというムズいわざを延々やるんですけど、あれはミのフラット、つまりカドっこの黒鍵だからうまくできるんで、もしあれがただのレだったら、プロでもミスタッチ連発でしょうね。
 最近、伊東信宏編『ピアノはいつピアノになったか?』(大阪大学出版会)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4872592344.html
を読んで、へぇって思ったんですけど、ショパンって初心者に教えるとき、ハ長調なんかじゃなくて、変ニ長調(フラット5つ)とかロ長調(シャープ5つ)からはじめたんだそうな。黒鍵が多いほうが弾きやすいって思ってたらしいです。これらの調は真ん中の長い指が黒鍵3本に相当するんで、手の大きな人だと弾きやすいんだそうな。
 実際、黒鍵ばかりだと日本的な五音音階になります。たとえば笑点のテーマ曲は、右手だけだったら全部黒鍵で弾けますけど(左手はどういう和声をつけるかによります)、これを採譜したら嬰ヘ長調(シャープ6つ)ですからね。楽譜はおどろおどろしいけど、実際は簡単にひけちゃうんです。
 いまはアンコ抜きで弾くとしても、だんだんアンコを抜かずに楽譜どおりに弾くことを目指すという意味でも、調性だけは変えないでがんばったほうがいいと思います。
 「電子ピアノならキーを変えるボタンついてるだろ? ハ長調でひいて変ニ長調に聞かせることなんか簡単じゃん?」ですって? そりゃそうですけど、じゃその「ハ長調に直した楽譜」って誰が作るんです? 変ニ長調の楽譜をハ長調に直して弾くのって、けっこう頭つかうんですよ。プロだったら、瞬時に移調して弾く訓練をするみたいですけどね。もとの楽譜を見て、適当に音符抜かして弾いたほうがラクじゃありませんか?
 最初に、どの音が黒鍵になるかをつかむ意味で、音階を何度も弾いてカンをつかんでから、原調でひくほうがラクですわよ。

[482]ロマ書15-16章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/02/06(日) 12:15:16
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=rom&chapter=15&mode=0
 立春以来、つまりこのページの背景がピンクになって以来、暦どおりに暖かくなってきましたね。客観的な気温はあんまり変わらないんですが、寒さはやわらいだ感じ。今まではミニスカでの外出なんてとても無理だったんですけど、もう大丈夫なんで、女子高生に負けずにミニスカ・ナマ足で外出するようになりました。
 さて、パウロの代表的な著作・ロマ書もこれでおしまいです。
 15章の最初はパウロにしてはいい言葉ですね。「強くない人の弱さをになう」っていうのは、自称聖職者の私には耳が痛いんですけど、心にとめておかねばならない言葉だと思っております。
 前章で出てきたタブーの否定の話。「??しろ」という戒律は、それをやめりゃいいだけですから簡単に否定できるんですけど、「??するな」っていう戒律の否定は、それをする勇気がともなうんで難しい。鯨を食べる私たちは、反捕鯨国の人たちの強硬な反対を見ると頭にきますし、「一度鯨を食べてみりゃいいじゃん」って思いますけど、犬、イナゴ、カエル、ネズミだったら、いくら「食べてもいいよ」って言われても気がひけますからね。あ、私は犬とカエルはOKですけど。
 そういうタブーを持ってる人に「さあ食べなさい」っていうのは、その人の弱さをになっていないんじゃないか。いくら、そんなタブーは無意味だからって否定しても、むりやり食べさせることはなく、そっとしてあげるのもやさしさなのかなって思います。
 同じことがセックスのタブーにもいえるかしら。私は子どものころから、性のタブーは女をしばりつける有害なものであり、性にタブーを持つこと自体が最大のタブーと思いながら育ったので、まるっきりあっけらかんとしておりますし、最近は岩井志麻子さんなみに下ネタを連発しているかもしれませんけど、こういう考えをひとに押し付けるのは暴力かもね、と思うようになりました。慎ましやかに生きたい方はどうぞご自由に、というところです。でも何か相談されたら「そんなの自由にすればいいのよ」って答えちゃいますけどね。