真理子の聖書日記
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このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
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[479]アンコ抜きピアニストになろう・1
投稿者=真理子
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掲示日=2011/02/04(金) 10:13:21
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アソコじゃありませんのよ、アンコ。びっくりしました? いくら真理子がエロおばさんでも、いきなり下ネタで始めたりはしませんのよ。ピアノねたの続きでございます。
アンコ抜きというのは、背が低くてバイクにまたがっても足がつかない人が、シートのスポンジを削って足つきをよくすることです。
学生時代につきあっていた彼氏がライダーで、そのときは「一緒に練習しよう、免許とろう」なんて甘言に乗せられたので、実はバイク免許持ってるんです。しかも大型まで。なぜか私のほうが先に免許取れちゃったのが彼氏のしゃくにさわり、ギクシャクして別れちゃいましたけど。私はミニスカ派なんでそれ以来ぜんぜん乗ってないわ。でも最近は500ccのスクーターってあるらしいからミニスカでも乗れそう。いま大型二輪も教習所で取れるし、しかもオートマ限定ってあるんですって? 世の中変わりましたわね。
バイクの免許をとろうっていう女の子は少ないですから、自然と女の子どうし群れちゃうもので、いろいろ情報交換しましたね。その一つがアンコ抜き。私は当時も今も女にしては大柄で165センチくらいですが、それでも足つきはつらかった。ましておおかたの女の子にとって、バイクのシートはとても高いので、これをやらないと足がぜんぜんつかない子が多く、いろいろ抜き方を情報交換したものです。
そんなことはともかく……
ピアノを買って以来、いろいろ楽譜を手に入れて弾いています。たとえばドビュッシーの『月の光』とか、『亜麻色の髪の処女』とか、ショパンの前奏曲7番(太田胃散のCMの曲です)とか、ジャズの好きなだんなのためにビル・エヴァンスのWaltz for Debbyとか。
「けっこううまいんだ」とだんなはほめてくれるんですけど、実は全部アンコ抜きです。
つまり、楽譜に書いてある音を全部弾いたんじゃとても弾けないから、和音の一番上だけ弾くとか、速いパッセージの音を適当に抜かすとか。
これが、アンコ抜き。
だって音符って黒いダンゴで、アンコに似てるじゃないですか。
こんなふうにズルをしていい加減にピアノを弾いちゃおうという話のシリーズです。
長くなるので続きはまた書きます。
[478]イザヤ書40-44章
投稿者=真理子
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掲示日=2011/02/04(金) 09:46:21
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今日は立春、今日から春ですので、背景も桜をイメージした春色にかわっております。
http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&bible1=link&book=isa&chapter=40&mode=0
イザヤ書はここから55章まで第二イザヤになります。40-55という数字を覚えておくと便利です。そうすればこれより前が第一イザヤ、これより後が第三イザヤってわかるじゃないですか。
聖書の各書はたとえ単一の著者の著作のような体裁になっていても、実際には多数の人の手が入って編集されたものです。福音書のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネだって、マタイ・グループの著作、マルコ・グループの著作……のように解釈すべきです。
預言書ってわけのわからないことをおどろおどろしい表現で書いてることが多いんでどうとでも解釈できるところがあり、なかなか複数の著作の集合であることが見破れないものですが、それでもイザヤ書は、ルターの昔から著者複数説が提唱されてきました。
だって、まるきり時代が違うんですもの。
以前書いたように、イスラエルの歴史は、「統一王朝が前922年に分裂(国(92)は二(2)つに分裂と覚えます)し、北はちょうど200年後の前722年にアッシリアによって滅ぼされ、南は前587年(だから言わな(587)いこっちゃない、って覚えます)に新バビロニアによって滅ぼされてバビロン捕囚、60年後にアケメネス朝ペルシアによって解放される」というところだけでもしっかり覚えましょう。年代は異説があるので「世界史の参考書と違うぞ」ってことがあるかもしれませんが、こう覚えるのがラクです。
第一イザヤは北滅亡直後。前回出てきたヒゼキヤ王がそのときの南の王で、南もやばいぞとか、アッシリアもそのうち滅びるぞとかいう話がありましたよね。
ところが第二イザヤになると、もう南も滅んで捕囚されているらしく、この苦難もやがては終わるから希望を持て、みたいな話になっちゃってます。
これだけ時代が違うとさすがに誰でも気づくので、だから昔から、イザヤ書著者複数説が唱えられてきており、現在では最低3人というのが定説(聖書無謬説を信じる福音派を除く)、第三イザヤはさらにこまごま分かれるというのが説まであります。
さて、第二イザヤは今ちょっと書いたように、慰めの預言者。冒頭の「慰めよ、わが民を慰めよ」っていうのがまさに象徴的ですね。イザヤ書っておどろおどろしいってイメージありますけど、第二イザヤは美しい表現が多く、苦労の多い人の心にしみこんでくる箇所が多いです。
イザ40:3-4は洗礼者ヨハネの出現を予言したところとされています。ヘンデルのメサイアの最初のほうにこれのアリアがありますね。