真理子の聖書日記 真理子の聖書日記

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[475]ヨハネ3-4章
投稿者=真理子
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掲示日=2012/07/21(土) 10:58:38
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=joh&chapter=3&mode=0 昨年度の記事は[0:806]
 まだ本調子じゃなく、無断休講が多くてすみません。
 先週ご紹介した田川建三先生の国際聖書フォーラムでの講演。ヨハネはやたらに細かい事実にこだわるという話でした。今日にまつわるところをご紹介すると、

ヨハ3:22-24
22 こののち、イエスは弟子たちとユダヤの地に行き、彼らと一緒にそこに滞在して、バプテスマを授けておられた。 23 ヨハネもサリムに近いアイノンで、バプテスマを授けていた。そこには水がたくさんあったからである。人々がぞくぞくとやってきてバプテスマを受けていた。 24 そのとき、ヨハネはまだ獄に入れられてはいなかった。

の、24節は、 マコ1:14の「ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、」をハッキリと否定しているというんです。つまりマルコでは、ヨハネの投獄以降にイエスが宣教開始というのに、ヨハネはそうじゃなくて同時だったというんです。
 そしてこの話をうけて ヨハ4:1-2では、

1 イエスが、ヨハネよりも多く弟子をつくり、またバプテスマを授けておられるということを、パリサイ人たちが聞き、それを主が知られたとき、 2 (しかし、イエスみずからが、バプテスマをお授けになったのではなく、その弟子たちであった)

なんて書く。つまりさっきの ヨハ3:22ではついうっかり、イエス自身が洗礼を授けたと書いちゃったけど、実際に授けたのは弟子なんだよ、と訂正しているのです。
 こんなところから、洗礼者ヨハネの教団とイエスの教団とはある時期拮抗関係にあったことがわかるというのです。

 そしてヨハネ4章ではサマリヤの女の話が出てきます(田川先生はサマリアって書くんですけどここは口語訳式にサマリヤで行きます)。
 サマリヤについてはマルコは一言も書かない。マタイは「サマリヤ人の町には入るな」と露骨に差別。ルカは、ユダヤ人でないうえ、サマリヤ差別を体験的に知らなかったと見えて、サマリヤ人の話がちょこちょこ出てくるけど、イエス自身がサマリヤ人と親しくつきあって会話をしていた事実を伝えていない。それをちゃんと伝えているのはヨハネだけというんです。

 ヨハネは事実を伝えるよりも自分の神学をイエスにべらべら語らせるというイメージが強いんですけど、イエスがサマリヤ人に対しても親しくつきあうことでサマリヤ差別を克服していたのだという、イエス様の一面をしっかり事実として伝えているというのです。ヨハネをしっかり読み返さなきゃって思っています。

[474]3マカ1章
投稿者=真理子
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掲示日=2012/07/18(水) 20:13:14
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http://www.babelbible.net/bible/bible.cgi?bible0=col&book=3ma&chapter=1&mode=0

 外典コース水曜日は今日からマカビー記(マカバイ記)三です。以下マカビーでいきます。
 新共同訳の続編つきではマカビー記は2つしかありませんが、LXXには3と4があるんです。しかし1マカと2マカが続きではなく同時代であったように、この4つは内容的な関連が1→2→3→4とはなっていないのです。
 3マカの時代は1や2よりちょっと前。1や2が紀元前2世紀の中頃(1は175〜前134年)だったのに、3は紀元前217年から始まります。内容的にも1や2とは関係ありません。ピロパテルと呼ばれたエジプト王プトレミオ4世が行ったユダヤ人迫害とそれに対する抵抗を扱っています。
 冒頭、ピロパテル、プトレミオという名前が何の説明もなく出てくるので、私の訳ではプトレミオ4世というのを補いました。
 この人がエルサレムに来たときに、神殿の聖所に強引に入ろうとして、みんなで抵抗しているのが今日の第1章です。
 さて、この続きはどうなるかという感じで、なんか展開がじらされてますね。

 正教会の礼拝に行くと、至聖所−信徒席−啓蒙者席と別れていて、信徒は至聖所に入ることができないし、正教会の洗礼を受けていない人は信徒席に入ることができません。そういうのに慣れてると、至聖所に入るというのがいかに冒であるかが実感できますけど、さあ、この続きはどうなるんでしょうね。