[ばべるばいぶる]

真理子の聖書日記


このサイトを作りながら、聖書を読みながら真理子が考えたことです。
真理子修道会の修道女/修道士の方のみ書き込むことができます。

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[187] 神様の管 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/27(日) 11:35:16 ここから閲覧

ここのところFEBCを聞いてなくて数日前のものから聞いてますが、12/25金曜日の「MeguのCCM insight!」で、「神様の管(くだ)」という言葉が出てきたのが気に入りました。いい曲を作ろうと思わなくていいから、ただ、神様の言葉を運ぶ管であればいい、そのための管の掃除をしっかりする、ということ。ああ、これって私のサイトの役割にちゃっかり使っちゃおうかしら。

[186] サン・サーンスのクリスマスオラトリオ 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/27(日) 11:31:53 ここから閲覧

今日の「音楽の泉」(NHKラジオ第一放送日曜朝8:05-55)ではサン・サーンスのクリスマスオラトリオなんていうちょっとマイナーな曲がかかってました。途中から聞いたので最初は曲がわからず、「モーツァルトかしら。でももっと近代的よね。えっ、メンデルスゾーン?」とか思い巡らしながら聞いたらサン・サーンス。そういう謎解きの面があったからかもしれないけど、けっこう楽しめました。最初からサン・サーンスと知ってたら聞かなかったかもしれないし。

[185] クリスマス 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/25(金) 02:32:45 ここから閲覧

クリスマスといってもクリスチャンではない真理子は教会にも行かず、自宅で過ごしました。一応ローストチキンを作って、シャンパンを空けて、FEBCでクリスマス礼拝番組を聴いていたら熟睡してしまいました。

[184] こんてむつすむん地 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/21(月) 23:58:02 ここから閲覧

伝トマス・ア・ケンピス作の名エッセー『キリストにならいて』をきりしたん時代に訳した『こんてむつすむん地』、ローマ字版とかな版とがありますが、かな版のほうを修道会ページにアップしました。

[183] Holy Bible Ja 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/19(土) 18:42:55 ここから閲覧

http://holybibleja.org/
文語訳や口語訳のスキャン画像、口語訳のMP3データを配布しています。
こんなサイトがあったんですね。

[182] Re:ケセン語聖書 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/17(木) 01:47:23 ここから閲覧

ただね、ケセン語への翻訳の仕方は賛否両論かもしれない。ばりばりの動的等価法というか超訳というか、たとえばヨハネの冒頭は「初めに在ったのァ/神様の思いだった」というのですから、その超訳ぶりがお分かりでしょう。気持ちはわかりますけどね、これは田川建三先生だったら言葉を尽くして非難をあびせる(それとも徹底無視かしら?)でしょうね。
巻末には、「ドイツ聖書協会から翻訳許可を得た」とか「日本聖書協会から著作権の許可を得た」とか書いてますけど、こんな訳なら原典からの訳とは言いがたく、そんな許可の必要ないんじゃないか(法律的にはたとえ忠実な訳だとしても許諾をとる必要はないですけどね)って思うほどです。
その一方で、本の半分以上は解説で(こういうところもカトリック的ね)、しかもギリシア語に関する註も多く、ホントにギリシア語勉強して訳したみたいですね。内容的にもとても面白く読み応えがある解説です。

[181] ケセン語聖書 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/17(木) 01:29:49 ここから閲覧

岩手県大船渡市のお医者さん、山浦玄嗣(やまうら・はるつぐ)さんが岩手県気仙地方の方言で福音書を訳した「ケセン語聖書」、前々から気になっていたのですが、ちょっと入手してみました。書ごとの分冊で各5600円(ルカだけ5800円)、それぞれB5版の書籍にCD3枚(ルカは4枚)がついてて、山浦さんの全文朗読がおさめられています。
これって書籍が主体でCDが附録なのでしょうが、真理子は逆に、これはCDが本体で書籍がつけたしって気がします。そのくらいこのCDはすごいです。
山浦さんの朗読がすばらしい。声もきれいだし朗読技術もアナウンサーなみ。ケセン語知らない人もぐいぐい引き込まれる。だいたいわかりますしね。
書籍のほうはローマ字表記とかな漢字表記の併用なんだけど、どっちにしろとても読みにくいし、もうこのすごい朗読を聴いてしまったあとでは空しい抜け殻って感じ。
やっぱり言語は音声なのよ。文字は抜け殻でしかないわ。これ聴いちゃうとホントにそう感じます。

4冊も買う気がしないけど1冊なら買えるって人は、マルコだけ買うといいです。マタイの発刊記念でケセン語でミサをやったらしく、そのときに山浦さんが作詞作曲したケセン語聖歌もおさめられていますから。

[180] モリソン漢訳 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/17(木) 00:55:14 ここから閲覧

ばべるにモリソン漢訳のマタイ、ルカ、ヨハネ、ルツをアップしました。これで一応「福音書+ルツ」という形になりました。
ただ、モリソンはとりあえずこのくらいで一休みして、ブリッジマンの漢訳(訓点つき)のほうを優先したいです。もうすでに聖書図書館で新約は全部コピーしてもらいましたし、旧約は国会図書館で少しずつコピー中です(国会図書館にも新約は蔵書されてないんです)。

[179] 涙声はやめて 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/14(月) 13:05:34 ここから閲覧

今日12/14のFEBC「恵子の郵便ポスト」、体に障害を持って生まれた男性が「どうして僕はこのように生まれてきたのか」ってきいてきた手紙。吉崎恵子さん、答えだけでなく手紙を読んでいるときから涙声で読んでるの、ドン引きしたわ。ちょっとやめてほしい。こういうのは、サラっと読むほうが心にしみいってくるのよ。

で、「たぶんここをひいてくるかもね」と思ったヨハ9章、うまれつき目の見えない女性は、誰が罪を犯したのかっていうエピソードを、案の定ひいてきたわね。予感的中よ。私も聖句引用のセンスが出てきたかしら。
でもね、これ、イエス様が「誰の罪でもなく、この人に神の業があらわれるためだ」と答える、ここまではいいんだけど、その後に泥にツバをブレンドした塗り薬作って目を治しちゃうわけでしょ。すると「神の業があらわれるため」っていうのは「奇跡をあらわすためには、もともと体が悪くなけりゃいけない」っていうことに矮小化されちゃわないかしら。
現実にはこういう奇跡なんてなかなか起きないし、この男性もたぶん体はよくならないと思うんですけど、じゃ神の業が現れなかったのかっていうと、そうじゃない。そういう障害をもっているからこそこうやってキリスト教にも接することができたわけでしょ。健常者だったら一生信仰心をもてなかったかもしれないわ。神の業って奇跡じゃなくて、むしろそういうことじゃないかしら。
健康な人は病人の苦しみを理解できないから逆に精神は不健康っていう逆説もあるくらいで、障害があればこそ健常者には経験できないことを経験したんじゃないかしら。それがさしあたりの真理子の答えよ。
でも、こういう答えって、私みたいな毒舌家が言ったんじゃ、逆に反感もたれちゃうでしょうけどね。

[178] 信仰獲得は言語形成みたいなもの 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/14(月) 03:28:17 ここから閲覧

ちょっと遅れたけど、FEBCの12/11(金)の「恵子の郵便ポスト」、サイトのほうには「自分が良いと思っても、伝えるのは難しく…」とありますけど、そんなことより私が興味をもったのは、手紙の主の女性、洗礼も受けてないし家もクリスチャンホームじゃないのに、幼稚園、中学、高校がキリスト教の学校だったために、一時的に教会から離れることがあってもやっぱりキリスト教にひかれてしまう。で、結果的に子どもをキリスト教の学校に入れてしまうってこと。
この人は、洗礼を受けてなくても、並のクリスチャンよりよっぽど強い信仰を持ってるといえるかもしれない。
そういう私も、仏教の家に育って、子どものころからお経あげてたから、いざ、窮地に陥って「助けて」とすがる相手、そして窮地を脱して感謝のお祈りをする相手は、キリスト教の神様じゃなく、仏様。
そういう窮地ですがるものこそが本当の信仰よね。
大人になってから理屈で覚えた信仰って、いざとなると弱い。
やっぱり子どものころに何度も何度もお祈りして、体で覚えた信仰って強いわよね。
ちょうど、言語形成期の子どものころにはすいすい言葉を覚えるのに、大人になるとなかなか覚えられないのに似てる。
信仰の獲得って、言語形成みたいなもんかしら。

[177] 続篇通読表 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/09(水) 10:39:25 ここから閲覧

でも考えてみたら、できあいの通読表で続篇サポートしてるものはほとんどないし、できあいのものを使わなきゃならない理由は何もないんで、来週から新年度がスタートするのをいい機会に、とりあえずでっちあげてしまいました。
続篇の章数は合計181章で、2をかけると362。つまり2日に1ぺん続篇を読むとすれば、最後の1回だけお休みにすればちょうど1年のプランになるわけです。ですから機械的に2日に1章ずつ割り当てちゃいました。
エステル記とエス・ギみたいに本編と関連のあるものもあったりしますけど、そんなの一切関係なく割り当てちゃいました。
これで1年やってみて、ムリなところとかヘンにだぶるところとかを調整していきたいと思います。

[176] 通読表 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/09(水) 09:43:57 ここから閲覧

最近ばべるにつけた通読スケジュール表示機能、
http://www.bible-reading.com/bible-plan.html
のサイトのものを流用してるんですが、このサイトのスケジュールの年間初日は来週月曜日12/14スタートです。ヘンなときにスタートする感じですけど、1996年1月1日をスタートとして、364日周期で来る(7で割り切れるので、必ず同じ曜日=月曜日=からスタートとなります)ので、毎年1~2日ずつズレてきた結果、こんどの新年度は12/14からスタートすることに相成っているわけです。これを機にぜひ聖書通読にチャレンジしてみてください。1年間で66書全部読めるプランです。

続篇はサポートしてないんですけど、聖公会の聖務日課見たら続篇も入ってるんで、続篇だけでも聖公会のを借りちゃおうかしら。

[175] Re:趣味のドイツ語 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/04(金) 01:51:39 ここから閲覧

11/23に予告したこの本、アップしました

[174] デーケン先生 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/04(金) 01:38:31 ここから閲覧

下で紹介したデーケン先生に関するサイト、もっといいものがありましたわ。
http://members3.jcom.home.ne.jp/deeken-class/index.html
まだお元気でこんな講座やってらっしゃったのね。

[173] キリスト教と笑い 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/04(金) 01:26:39 ここから閲覧

FEBC 12/3の「バスターかずのいてくれてありがとう」面白かったわ。笑いの大切さというお話。

福音書の中のイエスは一度も笑わなかったわけですけど、でも「キリスト教と笑い」というのは一つのテーマになってるようね。真理子が子どものころにきいた上智大のデーケン先生
http://www.sophia.ac.jp/J/press.nsf/Content/337_07 この人ね
のお話でも、一般的に中世は暗い時代ってことになってるけど実は笑いにあふれていたっていうのが印象的でした。
「キリスト教と笑い」といえば、そのものずばりの本がありますね。宮田光雄『キリスト教と笑い』(岩波新書)。えっ、これ品切重版未定なの? 困ったわね。修道会で何とかしようかしら。
あとはリチャード・コート『笑いの神学』(聖母の騎士社)とかね。
このテーマ面白そうだわ。追求しようかしら。

[172] 信じられない、祈れない 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/04(金) 01:12:56 ここから閲覧

FEBC 12/3の「恵子の郵便ポスト」。神様が信じられない、祈れないという男性の手紙。吉崎恵子さんの応対でいいと思うんですけど、真理子はさらに進んで、「信じられないんなら信じようとしなければいい」「祈れないなら祈らなければいい」とまで言っちゃいますわ。本当に祈りたくなったときに祈ればいいのよ。そして、そういうときに祈る相手こそが、その人がホントに信じている神様よ。
真理子にとって「神様を信じる」っていうのは、「真理子の立場と意見」に書いたように、頭の中のソロバンをはじくソロバンの名人みたいなものです。このたとえ、イザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』に出てきたたとえだったかしら。面白いんで拝借しちゃいますわ。
頭の中のソロバンをはじく人にとってソロバンは実在しているのであり、実在しているから「ソロバンの存在を信じる」なんて告白する必要すらないわけです。その人にとっては、頭の中のソロバンは生活の一部なのよね。
だから、「我は天地の創り主、全能の父なる神を信ず」「我はその独り子、我等の主イエス・キリストを信ず」なんて言ってるうちは、本当に信じているのかどうかなんてわかったもんじゃない。真理子にいわせれば、窮地に立ったとき、たとえばお財布落としちゃったときとか、恐いおじさんに刃物をつきつけられたときとか、痴漢されてるときとかに、誰にどういうお祈りをするか、それでその人の信仰が分かると思うんですけどね。
この意味で真理子は「ご利益宗教」とか「おまじない宗教」ってバカにしないわよ。困ったときに助けを乞うののどこが悪いの? 逆に、こういうときにこそその人のホンネの信仰がいやおうなくあらわれてくるって思うわ。

[171] フランシスコ会訳テキスト化 投稿者=真理子 掲示日=2009/12/03(木) 14:17:52 ここから閲覧

ばべるにあげてあるフランシスコ会訳創世記、いままで画像であげていましたが、一応テキスト化が完了しました(ルビは未入力)。まちがいがあるかもしれませんが、ルビの入力にあわせて点検していこうと思います。
来年にはレビ記の著作権が切れます。来年といってももう来月ですね。今からOCRにかけて、年明けにはあげたいですね。

[170] サーバーメンテナンス予定 投稿者=まんどぅーか 掲示日=2009/12/02(水) 20:26:03 ここから閲覧

真理子のだんなです。
当ばべるばすぶるが使用しているレンタルサーバーのメンテナンスが下記日時にあります。

2009/12/5(土) 3:00a.m.-6:00a.m.

つまり今週金曜日深夜です。当サイトの表示も断続的に不可能になりますのでご注意を。
なお、修道会ページは別サーバーですので大丈夫です。

[169] 一神教が好戦的? 投稿者=真理子 掲示日=2009/11/29(日) 18:01:01 ここから閲覧

ついでながら下の小林先生の説教の中で「一神教が好戦的」説を否定するのに、ICUの並木浩一先生の言葉として「多神教のほうが非寛容」と言ったのなんのということをあげてます。その発言のソースがわからないんで論評できないんですけど、ともあれこれに関する真理子の考え。

まず私は、キリスト教は一神教だとは思いません。実は多神教だと思います。下で書いたように神とキリストの二神教。聖霊を入れたら三神教。さまざまな守護聖人を入れたら多神教ですよ。植田重雄先生の(だんなの名字と同じね。でも無関係よ)『守護聖者―人になれなかった神々』(中公新書)ごらんなさい。あらこれ絶版なの? じゃそのうち修道会で…… まあ何でもいいわ。原書房の『図説キリスト教聖人文化事典』でも。ともかくこういうの見ると、ヨーロッパのキリスト教って、日本の「受験のときには天神様、安産祈願は水天宮」なんていうのと全然変わらないって思います。
だからそもそも「キリスト教=一神教」ととらえてそれが好戦的かどうかという問題のたてかた自体がそもそもナンセンス。
で、どんな社会でも戦争がある限り「戦勝祈願」「武運祈願」って絶対必要だから、どんな宗教にも好戦的な面があるはず。それだけの話。
「一神教だから好戦的」がナンセンスなら「多神教が非寛容」と並木先生が言ったというのも(ホントなの)ナンセンス。

で、下で私が「やっぱり一神教って恐いわよね」って書いたのはジョークなんですけど、伝統的なカトリックや東方正教会のそういう多神教的なあり方を否定して「聖書のみ」をうたい、一神教的なあり方を強調する教派ほど、ファナティック、好戦的な気がして真理子は恐いと思います。プロテスタントでもルター派とか聖公会みたいなところだといいんですけど、一部の、真理子にとってはほとんどカルトなんじゃないかという某教派とか某教派とか……。どうも真理子には恐くて耐えられないわ。

[168] ライト先生 投稿者=真理子 掲示日=2009/11/29(日) 03:58:32 ここから閲覧

私はどうも牧師先生と相性が悪いのか、FEBCの番組でもプロテスタント系牧師先生の説教はあんまり感心しないことが多いです。カトリックの神父さんの話には面白いなと思うことが多いのに。

11/27の小林和夫先生の詩篇の講義「幸いを告げるうた 詩篇」、詩76の講義でした。「よく、一神教は好戦的で多神教は平和的というけれど、そんなことはない」といいながらこの詩を掲げ、「ヤーウェは戦いを鎮める神なのだ」とおっしゃっていました。11月の10日ぐらいに、民主党の小沢さんが、仏教会の会長に「キリスト教文明は排他的で独善的だ」と語ったことが話題になってたんで、そういうからみかしら。ただ、たしかに詩76は平和な神さまのようですけど、ほかのところではやっぱりこの神様は好戦的なところがあるし、やっぱり一神教は恐いわよね。
……って、「聖書はスキだけどキリスト教はキライ」と公言している真理子の感想でした。
ただ、キリスト教って実質的に神さまとイエスさまの2神教化してるし、カトリックや聖公会や正教会だといろいろな聖人への信仰もあって実質的に多神教化してるんで、そういうあり方は真理子は好きなんですけどね。

ところで小林先生の説教の中で、ライト先生が米大統領の顧問になってベトナム戦争を聖戦だと擁護したっていう話があって興味深かったです。ライト先生っていうのは、『概説聖書考古学』なんかを書いているアメリカの旧約学、聖書考古学の大先生。立派な先生だと思ってたけど、そういう面もあったのね。やっぱり聖書って、毒にも薬にもなるのね。使い方注意。

[167] 婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。 投稿者=真理子 掲示日=2009/11/26(木) 23:57:09 ここから閲覧

FEBCの11/25「恵子の郵便ポスト」。
ヨハネ2:4の
イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
とのお言葉にマリアが(2:5)
しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。
というところに、マリアの素直な、イエス様を深く信頼しているお気持ちをとても強く感じました。

っていう読者の手紙の紹介。へぇぇぇ、こんなところに感動する人もいるのねぇ。真理子はここ、福音書の中でもトンデモなところだと思ってたのに。いくら何でも実の母にむかって「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです」はないでしょ? 「婦人よ」のγύναιは大人の女性への尊敬の情を込めた自然な呼びかけで、決して失礼ではないとか、「わたしとどんなかかわりがあるのです」は「私にお任せください」の意味だとかいう説もあるみたいですけど、そうやっていろんな人がごにょごにょ言うってことは、みんなここをヘンだと思ってるっていう何よりの証拠よね。真理子なんかこういうところを根拠に、イエスは私生児なので家族とウマがあわなかったって思うくらいなのに、こういうところに感動しちゃう人もいるんだ、世の中には。へぇぇぇ。

この手紙の最後で、だんなさんが洗礼を受けるとき「こんな(罪深い)私たちだから、イエス様は十字架に死ななきゃならなかったんだんだね」って言ったって書いてます。この言葉は名言ね。真理子、もらいます。

[166] 聖公会続篇 投稿者=真理子 掲示日=2009/11/26(木) 23:32:46 ここから閲覧

ばべるに聖公会続篇を登録する作業が完了しました。今までも部分的に登録していましたが、いま全頁を登録しました。
聖公会続篇がどういう書物かはヘルプの「日本語聖書(3)」を見てください。ちなみに「旧約聖書続篇」という言い方に苦言を呈している学者先生っていうのは、複数いますけど、たとえば田川建三先生もそう。『書物としての新約聖書』のp.183とかp.662。p.183のほうでは

しかし、プロテスタントだけの仕事ではないから「外典」という名称を避けたかった、というのはわかるとしても、「続編」とはまた何と非学問的な。こんな珍妙な名前は、私の知る限り日本語の新共同訳にしか出て来ない。

なんて書いてますけど、実は昭和9(1934)年に出た聖公会続篇がルーツなんですね。田川先生本当にご存知なかったのかしら。聖公会だって一応プロテスタントなんだから、カトリック対策で外典という名称を避けたわけではないんです。
真理子は一応、田川先生のファンなので批判はしたくないんですけど、田川先生の本もやっぱりよく見ると間違いを書いてあることがあります。田川先生が毒舌家で他の学者を辛らつに批判するので、ついつい田川先生の本は無謬だと思っちゃいますけど、そうでもないですから要注意ね。

[165] 他宗教の人も神様は祝福している 投稿者=真理子 掲示日=2009/11/25(水) 19:54:00 ここから閲覧

FEBC、11/24の「恵子の郵便ポスト」。他宗教の人も神様は祝福し愛している、と吉崎恵子さんが言ってるの、本当にそのとおり。以下は真理子の意見よ。

mixiのキリスト教関係コミュのどこかである人が、「自分の行ってるカトリック教会の洗礼準備講座で神父が『他宗教の人をも神は救う』と言ってるのを聴いて、体じゅうの血が逆流するんじゃないかというくらいショックを受けた」なんて書いてましたけど、私はこういう書き込みのほうに、体じゅうの血が逆流するんじゃないかという衝撃を受けたわ。なんて偏狭な人なんだろう。
神様の愛はとても広いから、「NHK番組の収録のご応募は、受信料をお払いいただいた方に限らせていただきます」なんてことはないのよ。無宗教の人だって、他宗教の人だって、神様は愛して救ってくれる可能性があるのよ。逆に、クリスチャンだからって救われるなんて保証はない。誰が救われて誰が救われないかは、神様の御心であって、人間には確実なことって何一つないんです。神様の愛を信じて、私は救われるって信じるしかない。
信者しか救われないって思っている人は、どっかで他宗教の人を、あの人たちは救われないって見下してるんじゃないかしら。

[164] 外語祭 投稿者=真理子 掲示日=2009/11/25(水) 19:34:14 ここから閲覧

23日はだんなと一緒に東京外国語大学の外語祭に行って来ました。
外語大のある府中市朝日町は私たち夫婦の住むところからはとても交通の便が悪く、去年はタクシーで行ったんですけど、今年はお金もないし、下で書いたように「趣味のドイツ語」とかいろいろ本を買ってさらに金がなくなりそうなので、渋るだんなを説得して電車で。
外語祭といえばベリーダンス部の公演が名物。Youtubeにいくつか登録されていたはずなんだけど、いま見たら全然見つからない。全部消されちゃったのかしら。ともあれだんなは「外語大のベリーダンス見ないと年を越せない」というのでまずはそれを見る。だんなはただの目の保養でしょうけど、学生時代の体育の授業でダンスをやらされた私としては、これがいかに大変な運動かがよくわかるので「よく練習してるわ」と感心しきり。外語大の勉強は大変でしょうに、よく両立できるわ。
語劇は興味のある語学の時間にあたらなかったのでパスして、あとは料理。アジア志向のだんなとヨーロッパ志向の私のコンビなんで、フランス語のケーキとヒンディー語のカレーを一緒にたべたり、おなかの中でケンカしてたわ。でも外語大って、だんな関係の語学はヒンディーとかウルドゥーとか中国語とかあるのに、私関係の語学は全然ないのよね。ギリシア語もヘブライ語もない。しいていえばトルコ語かアラビア語なのかしら。そんなわけで私としては、とくに自分の関心に関係なくいろいろ食べて、ああ太っちゃうわ。
昨年までやってた本部企画の、いろいろな言語の体験授業は今回はナシ。語劇や模擬店もいいんだけど、こういうところを充実させたほうがいいんじゃないかしら。

[163] 趣味のドイツ語 投稿者=真理子 掲示日=2009/11/23(月) 16:18:15 ここから閲覧

三修社からPOD版つまり注文したら印刷するって形式で出ている関口存男著作集、私の住む横浜市の図書館に全部そろっていると思ったら、語学篇10巻だけがないのね。語学篇10篇は「趣味のドイツ語」、ドイツ語の文法事項に関するエッセーで、ある意味で一番関口先生らしい本。それがないっていうのは泥棒されたのね。横浜市の図書館は原則開架だから。いまこの本は閉架だけど、開架してたときに泥棒されたに違いないわ。
関口フリークの私としてはどうしてもこの本読みたいから、購入することにしました。6300円もするんで痛いし、370ページだから国会図書館で全部コピーしても4662円。全部コピーしたほうが安いんだけど、待ち時間とか考えたら購入しちゃいますわ。
購入したら(PODなので届くまで1ヶ月くらいかかりそう)当然修道会に、一時利用もOKの形でアップしますわ。
ついでに横浜市の図書館にも寄贈しちゃおうかしら。もうちょっと管理しっかりしなさいってね。

[162] 変音 投稿者=真理子 掲示日=2009/11/22(日) 01:02:19 ここから閲覧

下の関口存男先生の授業、本当に楽しいです。活字にあらわれた関口先生の人生論的ユーモアって、実はほんの氷山の一角に過ぎなかったんですね。もう爆笑しながら聴いてます。これさえあればほかのドイツ語入門テキストなんかいらないわ。よくこんな音源あったわね。1957年っていったらカセットテープすらなかったろうし、ラジオにオープンリールつないで録音してたのかしら。でも個人でやってたとはとても思えないようなクリアな音。ひょっとしてNHKに残ってた音源?

それはそれとして、先生がウムラウトの意味の変音を「へんいん」って言ってるのが興味深いです。読むならたぶん「へんおん」だと思うんですけど。
http://homepage3.nifty.com/recipe_okiba/nifongo/glossh4.html
でも「へんおん」って書いてるし。でも先生が「へんいん」って読むなら、私も「へんいん」って読もうかしら。

[161] 関口存男の肉声が 投稿者=真理子 掲示日=2009/11/21(土) 13:12:26 ここから閲覧

私の敬愛する関口存男先生のNHKラジオドイツ語講座の音声をブログ形式で公開なさっている方がいらっしゃるんですね。
すべて1957年度(なくなる一年前)で、
http://www.voiceblog.jp/kero1228/ (4-6月)
http://www.voiceblog.jp/2kero1228/ (7-9月)
http://www.voiceblog.jp/3kero1228/ (10-12月)
一番下は現在進行中ということみたいです。
こんな声をしてらっしゃったんですね。
関口先生の授業を聞けるなら大正の男に生まれ変わって法政の予科に入りたい、とつねづね言ってる私なんで、もう感激して聴いてます。あんまり聴いてるとだんながやきもちやくかしら。

[160] 村岡典嗣『漢訳聖書源流考』 投稿者=真理子 掲示日=2009/11/19(木) 17:59:42 ここから閲覧

歴史学者・村岡典嗣(むらおか・つねつぐ)の『漢訳聖書源流考』を修道会ページ(一時利用でも可)にアップしました。没年が1946年、再録の岩波書店『日本思想氏研究』も1940年なので著作権の問題はありません。
最近ばべるにモリソンやブリッジマンの漢訳聖書をアップ中で、漢訳聖書のことをいろいろ知りたいと思って論文をあさってます。というのは、いまの中国人もけっこう漢訳聖書には無頓着なのか、それとも私の探し方が悪いのか、なかなかいい論文がありません。モリソンのことはみんな書くんですけど、日本で主に読まれ明治訳に直接影響を与えたブリッジマンの訳のことになるともう中国人の興味をひかないみたい。それから、国会図書館の近デジに登録されているシェルシェウスキー訳(修道会ページからリンクしてます)のことになると、もう明治訳と関係なくなっちゃうせいで、海老澤有道『日本の聖書』を見ても門脇清『日本語聖書翻訳史』を見てもなんにも書いてません。だんな(青蛙亭主人)と二人三脚で、このあたり研究の余地がありそうかしら。

[159] 丘の上の教会へ 投稿者=真理子 掲示日=2009/11/18(水) 18:58:24 ここから閲覧

今日11/18のFEBC「主に向かって歌おう」でかかった讃美歌第二編189の「丘の上の教会へ」。
子どものころに何かの機会に聞いてとても心に残ったのに、歌詞もタイトルも覚えてなくて、何て曲だかわからずずっと気になっていました。30年来の疑問がオバサンになってからやっと解決したわ。
日本語の歌詞はサッちゃんなどでおなじみの阪田寛夫さんなんですね。でも私が子どもの時に聞いたのは阪田さんの詩じゃないわ。だって「ほらディンドンディンドン」なんて歌ってなかったですもの。オーカムカムカム……でした。しかも私の耳にはなぜか「オーパクパクパク……」と聞こえてしまい(おなかすいてたのかしら)、ずっと、オーパクパクパクで検索してたんで、これじゃ見つかるわけないわ。歌って検索するの難しいわよね。そういえば、鼻歌でメロディーを歌うと検索してくれるmidomi( http://www.midomi.co.jp/ )なんてサイトもあるけど、ああいうところでこういう歌って見つかるのかしら。
ちゃんと讃美歌に入ってたとはね。でも私が高校のころもぐってた教会じゃ讃美歌第二編なんて使ってたなかったから、教会でも歌う機会はなかったでしょうね。

[158] 信仰は形よ 投稿者=真理子 掲示日=2009/11/16(月) 21:14:09 ここから閲覧

FEBC 11/16(月)の「祈りを学ぼう」、百瀬さんはカトリックの神父らしく形を大事にしてる。祈りの形を体で覚えちゃうと、うるさい幼稚園児も祈りのときにはぴたっと静まっちゃうし、へべれけに酔っ払って帰ってきても、眠る前に十字を切れるようになる。そうね。やっぱり信仰って形よね。真理子はやっぱり形を大事にする教派、正教会やカトリック、プロテスタントなら聖公会とかルター派に親近感を抱きます。聖書のサイトをやってるわりに、「聖書のみ」じゃない教派にひかれるのね。

最後のほうで、ヨーガや禅を取り入れて、呼吸に合わせてお祈りするやり方を言ってたのがとても面白かった。やっぱりカトリックは何でもありね(これ、ほめ言葉です)。